goo blog サービス終了のお知らせ 

sou16の物理学的な週末 ~sou16's Physical Weekends.

goo blogのサービス終了に伴い、右記に引っ越しました → https://sou16-pdl.com/

東方遊島録 第9日目

2024年05月03日 | 旅行

のんびりUpolu(ウポル島)を回ります。

6:49、起床。
昨夜は滝のような豪雨でした。
寧ろ滝のような豪雨じゃなかった夜の方が少ない気がする。


今日は雷雨混じりの曇天なので、
文化施設をメインに回ろうと思います。
Apia(アピア)の中心部へ。
この巨大な建物は政府合同庁舎で、
屋上にあるキャップみたいなものはFale(ファレ)です。
眺めの良さそうなFaleですね。


お隣には中央銀行も。
これらの巨大な政府系機関は中国政府の援助により建てられました。


まずはSamoa Cultural Village(サモア文化村)へ。
サモア文化を体験出来ると聞いてやって来ましたが…


パッと見ただの公園です。
カヌーの他はこれと言って展示がある訳でもありません。


何やら準備をしている人は居たので、
特定の時間帯に何らかのパフォーマンスがあるのかも知れません。
あるいは、ツアー客が来た時か。
残念ながらその辺りの詳細が良く分かりません。


もっと確実にサモア文化を知れそうな場所ということで、
Samoa Culture and Arts Center(サモア文化・芸術センター)へ。
ここも中国の援助で建てられた博物館です。


が、職員が会議に参加中とのことで午前中休館。
何か間が悪いな…


では、現代サモア文化を知ろうということで喫茶店へ。
サモアは20世紀頭に14年間だけドイツに統治されており、
その際に珈琲文化が持ち込まれたと言われています。


Mochaccino(モカチーノ)を注文。
甘過ぎず、コーヒーの風味がかなりガッツリと効いています。
どのメニューもエスプレッソのダブルがベースです。
これがドイツ式…
いや、エスプレッソってイタリア式か。


そして、サモアの喫茶店は早朝に開店して
昼過ぎには閉まるという営業の仕方です。
これは愛知県のモーニング文化では!?
いや、茹で卵も厚切りトーストも付いていなかったか。


まだお昼にならないので、
Robert Louis Stevenson Museum
(ロバート・ルイス・スティーヴンソン博物館)へ。


えっ、これが博物館の駐車場へ続く道路?
流石は冒険小説で知られたRobert Louis Stevenson
(ロバート・ルイス・スティーヴンソン)。


こちらは「宝島」などで名を知られた小説家
Robert Louis Stevensonの終の棲家を保存している博物館。
Stevensonって最後はサモアに住んでいたんですね。
ということは、宝島はUpoluがモデル…ではないようですが
(「宝島」の発表はサモア移住よりも前)。


Stevensonさん、サモアに馴染み過ぎじゃない?
誰がStevensonなのか判断に苦しむ。


しかし、家は遥か彼方の故郷Scotland(スコットランド)に
想いを馳せるような造りとなっています。
ここがサモアであることを忘れてしまいそうです。


Stevensonのこだわりが窺えるのがこちら。
サモアでは無用の長物以外の何物にもならない暖炉です。
そもそも、煙突が無いので暖炉として使えません。
完全に故郷を偲ぶ為の飾りです。


ベッドが異常に多いのもScotland式…なのか?
5台は置かれています。
それだけお手伝いさんを雇っていたのでしょうか?
いや、お手伝いさん用にしてはあまりに豪華なような…


お昼になるまで、テラスでのんびりします。
Stevensonもこうしてサモアの風を感じていたのだろうか…


時間になったのでSamoa Culture and Arts Centerに戻ってきました。
事務所っぽい部屋にそれぞれ展示物が置かれています。


これは中々精巧な木彫りですね。
と思ったら、サモアではなくてパプアニューギニアの物だそうです。
Dakar(ダカール)のMusée des Civilisations Noires
(黒人文明博物館)みを感じる。


世界的に有名なサモアの文化と言えばTatau、つまりタトゥーです。
英語の"Tattoo"という単語自体サモア語の"Tatau"から来ており、
欧米に刺青文化が広がるきっかけともなりました。
サモアのTatauは強烈な痛みに堪えることで
成人になったことを示す儀礼の意味合いが強く、
成人なのにちゃんとしたTatauが入っていないことは恥
というような価値観があるそうです。


サモアで最も重要な材料の一つが
椰子の繊維を撚って作るSennit(セニット)という紐。
釘を使わなかったサモアではこのSennitを
建材の固定にも用いていたんだとか。
今泊まっている宿もそうですね。


ちなみに、根気と時間を要するSennit撚りは
専ら村議会の審議中に行っていたそうです。
内職文化は世界共通なんだなぁ。


こちらは特に説明無く通路に飾られていた砂浜の絵。
都会の喧騒を離れた心安らぐ絵…


に見せ掛けて、太陽光パネルを備えた監視カメラが
しっかりと砂浜を見張っています。
嫌なところで忠実度が高い。


中庭には中国アピールなのか四阿が。
そこはサモアのFaleじゃないんだ。


事務所にはサモア人に東アジア式の労働文化を叩き込もうとする
啓発ポスターが貼られていました。
これもう文化の破壊では。
日本人の僕だってこの気候で8時間労働はやりたくない。

無事にサモア文化を知れたら、
昨日周りきれていなかったスポットに行きます。


とその前に、Praia(プライア)で食べた
アイスクリームの成功体験が忘れられないので、
Apiaのアイスクリーム屋も試してみます。
アイスの容器がまさかの段ボール。


クッキー&クリームとパッションフルーツを注文。
パッションフルーツはソルベかと思いきやアイスクリームでした。
種がアクセントになって美味しい。
テラス席しかないので爆速で融けていきますが。


アイスの後にやって来たのはPiula Theological College(ピウラ神学校)


…の裏にあるPiula Cave Pool(ピウラ洞窟プール)。
洞窟が口を開けていることからその名が付いたプールで、
大学が管理しているのか大学に対して入場料を支払います。


欧米人観光客だらけだったTo Sua Ocean Trench
(トスア・オーシャントレンチ)と違い、
こちらはほぼ地元の人しか居ません。
インスタ映えしないからでしょうか?


また、Piula Cave Poolの大きな特徴として、
海が目の前にありながら淡水である点が挙げられます。
今はガチガチにコンクリートで固められているので
そりゃそうではという感想を抱きがちですが、
恐らく昔は天然の岩が隔壁となって
海水が混じらないようになっていたのでしょう。


その為、泳いでいる魚は淡水魚です。
あと、To Suaよりも透明度が高い。
思えばEspiritu Santo(エスピリトゥ・サント島)の
ブルーホール(2019/5/4)も淡水だったので、
淡水の方が透明度は高くなりがちなのでしょうか?


Cave Poolと銘打っているだけあって、
洞窟が大きな口を開けています。
「2km程遡上すると滝がある」との情報がありますが、
2kmどころか2m立ち入るのさえ怖い。
本能として閉暗所は苦手です…


洞窟には立ち入らずにざぶざぶ泳いでいたら、
何故か地元の人に呼ばれて
落とした入れ歯を探してくれないかと頼まれました。
何故よりにもよって素性不詳のアジア人の僕に…?
元水泳部の泳ぎを見込まれたのでしょうか(自信過剰)


総入れ歯を想像したのですが実際は差し歯のようで、
砂地ならともかくこんな砂利では完全に紛れてしまって
15分程粘って探しましたが見付かりませんでした。
が、その心意気を買ってもらえたのか記念撮影をせがまれました。
どういう記念…?


お次はお土産探しを兼ねてMaketi Fugalei(フガレイ市場)へ。
やっぱり地元の市場は見たい。


土産物を取り扱うというよりは、
純粋に日用品を売る市場のようですね。
もう夕方だからか人通りは疎らです。
ぐるっと一周だけして帰りました。


最後は政府関係機関やリゾートホテルが建ち並ぶ
Mulinu'u(ムリヌウ半島)で晩餐。
Poke(ポキ)などを頂きました。
サモア料理かは分かりませんが、せめて海鮮をと。
ハラペーニョが利いたピリ辛で美味しい!
ココナッツが箸休めになっているのも面白いですね。
この後は給油をしてから宿に戻りました。


東方遊島録 第8日目(書きかけ)

2024年05月02日 | 旅行


8:20、起床。
陽光の下で見るとリゾート感満点なお宿ではありますが…


壁が無きに等しいのは中々のストロングスタイルですね。
写真だと心地良さそうに見えるかも知れませんが、
現実的には蚊などの虫が凄いので…
かつ離れとかではなくてこれがメインの客室なので。
蚊帳はありますが。
これがサモアの伝統的な家屋、Fale(ファレ)だそうです。

さて、サモアはオマケのつもりだったので
今のところ宿以外何も手配していません。
宿でツアーの手配をお願い出来るとのことなので
ここに行きたいあそこに行きたいと相談してみたら、
「それなら車を借りれば安く済むわよ」
と提案されました。


日本で発行した国際運転免許証はサモアで有効ではないのですが、
Land Transport Authority(陸運局)で国際運転免許証を提示すると
観光客用の短期免許証を取得することが出来ます。
運転する気は全く無かったけど、
カーボベルデ用に発行したやつを持ってきておいて良かったな…


という訳で、サモアをドライブします。
村人達は道を掃き清めたり、Faleの手入れをしています。
綺麗好きなんですね。


Googleマップに景勝地として載っていたUtumau'u(ウトゥマウウ)。
この辺りは崖崩れ危険地帯だそうです。


Apia(アピア)から離れた集落の学校などは
日本の支援が入っていることを示すところが結構あります。
Apia中心部でもVaisigano Bridge(ヴァイシガノ橋)などは
日本の援助により架けられたと掲げられていました。
キリバスもそうでしたが、結構日本の支援が入っているんですね。
同じ島国としてのノウハウがあるからでしょうか?
太平洋での存在感を維持しておきたいから?


Le Mafa(レ・マファ峠)を越えて南岸へと向かいます。
Upolu(ウポル島)は火山島なので
キリバスやマーシャル諸島と違って起伏に富んでいます。


島の南岸に出て辿り着きました。
晴れている間に来ておきたかったTo Sua Ocean Trench
(トスア・オーシャントレンチ)です。
近年俄に注目を集めている観光スポットです。
その目玉はこの断崖ではなく…


こちらの穴です。
火山活動により空いたとされる穴で、
海水が流入して天然のプールのようになっています。


巨大な梯子が掛けられている為、
穴の中に下りて泳ぐことが可能です。
勿論泳ぎます。
防水カメラを持って穴の中へ。


この梯子は何気に怖いな…
普通に10mくらいあるし、当然濡れているし…
慎重に下りていきます。


では、いざ入水!


…うん?
意外と透明度が低いような…
Espiritu Santo(エスピリトゥ・サント島)の
ブルーホールの数々(2019/5/4)を経験して、
自分の中での基準が上がり過ぎてしまったのでしょうか。


このTo Sua Ocean Trenchは海に繋がっているらしく、
水が塩っぱいのと微妙に潮の流れがあります。
海の魚も泳いでいます。
深さは3〜5mといったところでしょうか。
海水なので沈むことはよっぽど無いと思いますが、
一休みしたい時はちょっと困ります。


幸い、桟橋の側に大きな岩があるので、
ここに立てば休むことも出来ます。


あと、何処に繋がっているのか良く分からない綱もあるので、
綱渡りみたいな体勢で休むことも不可能ではない…かも。


記念撮影をするのが正しい楽しみ方なのでしょうが、
ボッチではそれが儘なりません。
一頻り泳いでみたら上がります。


水着が乾くまでFaleで一休み。
贅沢な時間だ…


お次はこの旅行の趣旨に沿って最東端を目指してみます。

 

 

(以下、メモ書き)

一番安かったサモア製のジュース、
Coolma(クールマ)クリームソーダ味。
ケミカルな味でルートビアというか、
ぶっちゃけ芳香剤のような印象を受けます。


東方遊島録 第7日目

2024年05月01日 | 旅行

8:00、起床。
今日は移動日で予定がありません。
旅行代理店からも
「何日も動きっぱなしだし、飛行機の時間までのんびりしたら?」
と言われています。
ST(元・旭丘高)が聞いたら憤死しそう。


しかし、僕もそろそろ何もしないのに慣れてきたので、
波の音を聞きながらリラックスします。
キリバスの人々は何もしていないことについて寛容というか
せかせか動いていると「休んだら?」と言ってくるくらいなので、
「ここまで来て何もしないの?」なんて無粋なことは言いません。


唯一Wi-Fiが通じるManeaba(マネアバ)でのんびり。
贅沢な時間だ…


これは釣り客向けのツアーの案内?
朝6:30にホテルを出て16時まで釣り続けるんですね。
脱水になりそう。


波の音を聞き続けていたら、何だか海に入りたくなってきました。
ここって泳いでも大丈夫なのかな…
泳ぐなとも泳いで良いとも書かれていないけど…


足を浸けてみました。
気持ち良い!
昨日この天気だったら…と思わないでもないですが、
そうだったとしたら日焼けで死んでいそうなので
あれくらいが丁度良かったのかも知れません。
あの曇天で日焼け止めを塗りたくっていたのに肩がヒリヒリ痛いし…


晴天の下での海の美しさを撮れないかと
防水カメラで水中を撮ってみた図。
水中は思ったより曇天の時と変わりませんね。


もっと深いところに行って泳がないのかと言われそうですが、
ここは昨日のParis(パリ)と違って普通に外洋に面しているので
ちょっと沖に行くとこんな様子なんです…
サーフィンには向いていそうですね。


海から上がって浜辺を散策していたら、
何やら忘れられた石碑がありました。
何だろう…


「新たなミレニアム(千年紀)を祝う式典を記念して」…
ああ!地理の教科書の国際日付変更線のページに載っていた
初日の出を前に踊る女性のあれか!
前述の通り1995年から世界で一番進んだ標準時を採用している
Line Islands(ライン諸島)は、
世界で最初に21世紀を迎える場所として
一番東にあるCaroline Island (カロリン島)を
Millennium Island(ミレニアム島)と改名し、
新しいミレニアムを祝う式典を執り行ったことで有名です。
976年後には新たな石碑が隣に建てられるのでしょうか。


何だかんだで時間が過ぎたので昼食にします。
キリバス最後の食事はSoyu Chicken(醤油チキン?)。
他にもShashimi(刺身?)やSushi(寿司)がありましたが、
生物は流石に怖いので安牌を切りました。


それでは、空港に向かいます。


Cassidy国際空港(キャシディ国際空港)。
初見でこれが国際空港、
いやそもそも空港であると認識出来る人がどれだけ居るのか。
勿論、旅客ターミナルに売店は一切ありません。


制限区域内にも当然ありません。
でしょうね。


冷房も無い蒸し暑い待合室で
虚無の滑走路を眺めながら飛行機の到着を待ちます。
待合室でまさかのセネガル人団体と一緒になりました。
丁度Marché Sandaga(サンダガ市場、2024/3/22)で買った
あのセネガルTシャツを来ていたので意気投合し、
お互い微妙に話せるスペイン語でコミュニケーションを取りました。
彼等はKiritimati Islandでマグロを採っていたそうです。
これからNadi(ナンディ)、Singapore(シンガポール)、
Doha(ドーハ)、Abidjan(アビジャン)を経由して
遥々Dakar(ダカール)へ帰るんだとか。
次セネガルへ行く時は案内するとのことで連絡先も交換しました。
勉強していて良かったスペイン語。
フランス語の方がより通じただろとか言わない。


今から乗るのはHonolulu(ホノルル)から
Kiritimati Island(クリスマス島)を経由してNadiに向かう
これまた週1便のアイランドホッパーです。
Nauru Airlines(ナウル航空)がTarawa(タラワ)便を飛ばすまでは
長らくこれがKiritimati Islandにアクセスする唯一の手段でした。
その為、Kiritimati Islandの滞在時間は
1泊か1週間(か1週間の倍数)という極端な選択しか取れず、
そのことが来島難度をより高くしていました。
Nauru Airlines様様です。


Nauru Airlinesのお蔭で可能になった
Tarawa入国・Kiritimati出国の組み合わせ。
結局レアなのではないでしょうか。
組み合わせ以前にキリバス訪問自体がレアかも知れませんが。


16:20発FJ823便に搭乗。
隣に座ったトンガ人が驚くほどの巨漢で辛い。
その巨躯でB席を予約しないでくれ…
良い人だったけど。


さらば、キリバスよ…!
何もかもが発展途上ではあったけど、
人々の温かさが妙に嬉しい国だった…


行けなかったKiritimati Island南東部。
無人地帯となっているKiritimati Islandの南東部は
実は1956年から1962年にかけて米英の核実験場になっていました。
この不思議な斑模様の地形って
まさか核爆発で抉れたとかじゃないよね…?


島の外周を回ってLondon(ロンドン)とParisを結ぶ道も見えました。
いや、何処を通っているのか。
あれは確かにクロカンでないと行けないというのも分かります。

(以降、フィジー時間UTC+12.0)


20:00、Nadi国際空港(ナンディ国際空港)に到着。
懐かしい…(2020/2/2)
キリバスから来ると大都会に思えます。
実際、豪州やニュージーランドを別にすれば
オセアニアで一番栄えているのがこのフィジーですが。
中央太平洋の空を担うのがNauru Airlinesなら、
南太平洋の空を握るのがFiji Airways(フィジー航空)です。


今回はただの乗り継ぎなのでフィジーには入国しません。
22:15発FJ253便に乗り継ぎ。
最初間違えて違う搭乗口に行ってしまったのに
搭乗券を見せて確認しても素通りさせられて、
全く違う国へ飛ばされそうになりました。
発展してもフィジーは太平洋諸国なんだなぁとほっこりする一コマ。

(以降、アピア時間UTC+13.0h)


0:50、Faleolo国際空港(ファレオロ国際空港)に到着。
やって来ました南太平洋のサモア独立国、
その首都Apia(アピア)を擁するUpolu(ウポル島)です!
キリバスを主軸に旅程を組んだ際に
もう1ヶ国くらい捩じ込めそうな余裕が出来た為、
何処か面白そうな国は無いかと探して辿り着いたのがサモアでした。
思った以上に入国審査が厳しかった。
ちなみに、もう一つ最終候補まで残った国は
さっき危うく飛ばされそうになったトンガです。

このUpoluは世界最東端と呼べそうな要素が一つあって、
それは何かと言うと国際日付変更線までの距離が一番近いのです。
Samoa Islands(サモア諸島)はUpoluより東の島が
米領サモアとして米国の統治下に置かれており、
サモア独立国は関係の深いニュージーランドと同じ日付を、
米領サモアは本国の米国に合わせた日付を採用した為に
国際日付変更線が両国の中間、
即ちUpoluの東僅か30kmを通ることになったのです。
ただ、キリバスほど大幅な折り曲げではないため、
適当な世界地図だとサモア独立国も
米領サモアと同じ国際日付変更線の東側に描かれていたりします。


では、空港から宿へと向かいます。
Faleolo国際空港にはメールで事前予約出来るシャトルバスがあり、
各ホテルを回ってくれます。
嬉しいサービスですね。
時間が遅過ぎるからか貸切状態でした。


そして、こちらが辿り着いた宿。
暗くて分かり難いですが、壁が椰子の葉です。
扉も椰子の葉です。
屋根も椰子の葉です。
当然、鍵などは一切付いていません。
サモアの伝統的な家屋Fale(ファレ)の
スタイルを取り入れた部屋だとは聞いていたけど、
まさかここまでガチな感じだとは…
曲がりなりにも壁があるだけ
欧米化(?)されているのかも知れませんが。
今日はもう遅いので批評は明朝に回して寝ます。
ゴールデンウィークはまだ折り返し地点です。


東方遊島録 第6日目(書きかけ)

2024年04月30日 | 旅行

Kiritimati Island(クリスマス島)を巡ります。

7:16、起床。
世界一早い夜明けです。
8時前に迎えに来たガイドさんの車に乗って
London(ロンドン)に向かいます。
キリバスの人は基本的に時間通りには来ないと聞いていたけど、
今のところ寧ろ正確だという印象さえ受けるな…


Londonの港から小舟に乗ります。
メインカメラのミラーレス一眼を持って行くか、
安全を取って防水カメラだけにしておくか…
と一瞬逡巡しましたが、Eutan Tarawa(北タラワ)を思い出して
メインカメラは車に置いて防水カメラだけを手に持ち、
上着も脱いで水着に着替えて
このまま海に飛び込んでも問題無い装備に替えました。


という訳で、いざ出港です。
早速波飛沫と驟雨の洗礼を受けます。


まずやって来たのはMotutapu Islet(モトゥタプ小島)。
Auckland(オークランド)にあったあの島(2023/11/25)
全く同じ名前です。
"Motutapu"というのはポリネシアの言葉で「聖なる島」という意味。
遠く離れていても同じポリネシアです。


ここは海鳥の聖地として名高い場所。
上陸するや否や夥しい数の鳥が空を埋め尽くします。
セグロアジサシ…でしょうか。
英語で説明されても種名は分からない…("sooty tern"らしい)


人が少なく警戒心が薄いのか、
飛んでもあまり高い高度まで上昇しません。
手を伸ばしたら届きそうな低空飛行です。


手を伸ばすどころか普通に立っているだけで
ぶつかってくるんじゃなかろうかという距離です。
近い近い!


こっち見んな。


何なら端から飛びすらしない個体も一定数います。
この子達はクロアジサシ、
またはヒメクロアジサシのようですね(Google先生判断)。


地面に目を遣るとよちよち歩きの雛もいました。
クロアジサシの雛のようです。
可愛いですね。
保護する親鳥が周囲には見当たらないのですが、
よっぽど天敵がいないのでしょうか。


薮の中で抱卵している親鳥もいました。
アカオネッタイチョウのようです。


ガイドさんが
「もっと写真を撮り易くしてあげるよ」
と手を突っ込んで思い切り威嚇されていました。
大丈夫なんだろうか…色んな意味で。


メインカメラを置いてくるということは望遠レンズも無いということで、
それでバードウォッチングなんて出来るんだろうか…
と不安に思っていましたが、
望遠どころかマクロレンズが要りそうな勢いです。
野鳥をこんな接写出来るなんて…
こちらはGoogle先生がセグロシロハラミズナギドリか、
ムナオビシロハラミズナギドリか、
カワリシロハラミズナギドリか、判断に迷っていた鳥。
Kiritimatiでの目撃情報の多さを鑑みるに
ムナオビシロハラミズナギドリ…なのでしょうか。


こちらはアカアシカツオドリ(左)とシロアジサシ(右)。
熱帯のバードウォッチングということで
色鮮やかな鳥達が飛び交う姿を想像していましたが、
基本的に皆白黒です。
後程調べてみたところ、
海鳥というのはカモフラージュの為に基本白黒なのだそうです。
生物学の知識の貧弱さが露呈してしまった。


森の中にも分け入ってみます。
地面はそこら中巣穴で穴ボコだらけになっており、
気を付けないと踏み抜きそうです。


卵ってこんな無造作に置くものなの…?
やらせにしてももう少し凝りそうな置き方です。


卵の主かも知れないヒメクロアジサシ。

 

(以下、メモ書き)

Cook Islet


他の島から来た人々が泊まる為のドミトリー


東方遊島録 第5日目

2024年04月29日 | 旅行

最西端を極めたなら、東も目指したくなるのが人の性。
目指せ、最東端。

4:30、起床。
寝惚け眼を擦りながら空港へ向かいます。


早朝のBonriki国際空港(ボンリキ国際空港)。
お土産どころか軽食すら売っていない…
今から乗ろうとしている便はFlightradar24みたいな
世界中の飛行機のフライト情報を追跡出来るサイトでも
何故か捕捉することが出来なくて、
本当に実在しているのかその存在を疑問視していたのですが、
搭乗券が発券されたので実在しているようですね。


制限区域外に何も無かったので制限区域内に入ってみましたが、
余計に何もありませんでした。


今から乗るのはキリバスの国内線。
キリバスについての情報を調べると確実に
「残念ながらTarawa(タラワ)からの便は無い」
と書かれている行き先、
Line Islands(ライン諸島)です。
何故Tarawaからの便が無いとされていたのか?
そして、何故今はそれが存在しているのか?


まず、無いとされていた理由についてですが、
国内線を運航するAir Kiribati(エア・キリバス)は
短距離離発着に優れる小型のプロペラ機しか保有しておらず、
3,000km近く離れているLine Islandsまで飛べるような
大型機材を所有していないのです。
その為、TarawaのあるGilbert Islands(ギルバート諸島)から
Line Islandsへ行こうと思うと、
同じキリバス国内であるにも関わらず一旦国外に出て
フィジーのNadi(ナンディ)を経由せざるを得ませんでした。


ところが、2023年8月にNauru Airlines(ナウル航空)との提携により
Gilbert IslandsとLine Islandsを結ぶ直行便が誕生。
週1便ながら遂に両諸島が結ばれたのです。


…空港内に小型プロペラ機と
プライベートジェットしか見当たらないんだけど、
本当に結ばれたんだよね?
まさか搭乗口まで来ても尚存在を疑うことになろうとは…


やきもきしていたら、Nauru Airlinesのボーイング737が
ジェットエンジンの轟音を響かせて着陸してきました!


朝一の便なので夜間駐機しているのかと思っていましたが、
当日にON23便(INU 5:15発、TRW6:30着)として
Nauru国際空港(ナウル国際空港)から送り込みしているんですね。
もっと遡ればON2便(BNE 前日21:40発、INU 4:15着)で
Brisbane空港(ブリスベン空港)から送り込んでいるようです。
4年前(2020/2/9)は1週間の内木曜と土曜の2晩だけ
Nauru国際空港での夜間停泊がありましたが、
現行のダイヤではBrisbane空港かPalau国際空港(パラオ国際空港)の
どちらかでの夜間停泊になっています。
Nauru国際空港で停泊すると邪魔なことこの上無かったからな…


しかし、パイロットや整備士はTarawaに泊まっていたようです。
週に一度だけ出勤するパイロットってこと?


さっき停まっていたプロペラ機は先に離陸していきました。
乗客を乗せている様子が無かったけど、貨物便なんだろうか。
その後、8:00発ON123便に搭乗。
乗客は24人でした。
24人の為にボーイング737-800を何千kmも飛ばすのか…
この便はずば抜けて運賃が高いのですがそれも納得です
(中部-ハノイ(2014/3/23)より少し短いくらいの距離で
一番安い運賃でも1,136AUD=約12万円する)。


思った以上にちゃんとした機内食が出ました。
運航してくれるだけで100点満点の太平洋諸島内便で
これだけの機内サービスをしてくれるNauru Airlinesは神。
散々ネタにされているし僕もネタにしたナウルですが、
何だかんだ頑張っている国なんじゃないかと見直し始めています。
観光ビザの取り難さはどうにかして欲しいけど。
それも今は改善されていたりするのかな?


ちなみに、機内食はもう一回出ました。
4時間半のフライトで機内食2回はカロリーが高過ぎない?
流石は肥満率世界一の国(舌の根も乾かない内にネタにしていく)


ひたすらに青く溶け合う太平洋と空の中を行きます。
Eutan Tarawa(北タラワ)の伝承では空と海は元々一つで、
勇者が空を持ち上げたことによって両者が分かたれた
と言われているのも分かる気がします。
Gilbert IslandsとLine Islandsの間には
人口僅か40人のPhoenix Islands(フェニックス諸島)があるのですが、
何処にあるのか全く分かりませんでした。


あと、この辺りに世界で最も遅い標準時UTC-12.0hを採用している
Baker Island(ベーカー島)があるはずなのですが、
こちらも全然分かりませんでした。
米国領だから避けて飛んでいるのかな…


約4時間太平洋上を飛び続けて漸く島が見えてきました。
排他的経済水域の面積世界第13位の広さは伊達じゃない。


不思議な斑模様の島。
珊瑚礁で出来た島としては世界最大の島です。

(以降、ライン諸島時間UTC+14.0h)


14:45、Cassidy国際空港(キャシディ国際空港)に到着。
極東の日本より更に5時間も時差があり
世界で一番時間の進んでいる土地、
Kiritimati Island(クリスマス島、キリスィマスィ島)です!


国際日付変更線が変な形に出っ張っているところ
と言えば分かり易いでしょうか。
北極や南極と違って東西に極はありませんが、
最東端を冠するならここほど相応しい場所は無いでしょう。
Line Islandsにはもう少し東に位置する島もありますが、
有人島としてはここが最東端です。


嘗ては国際日付変更線の東にあって
世界で最も時間が遅れている土地の一つだったのですが、
国のど真ん中を国際日付変更線が貫いていると
不便な事この上無いということで、
1995年1月1日にGilbert Islandsに合わせる形で
Line IslandsとPhoenix Islandsは日付を変更。
これによりLine Islandsは世界で最も時間の進んだ土地になったのです。


Bonriki国際空港以上に何も無い国際空港。
でも、ターンテーブルはあるんだな…


しかし、国際空港の目の前が未舗装です。
ターンテーブルより前にこちらをどうにかするべきでは。


でもってガイドさんが迎えに来てくれていたのですが、
SUVで来ようとしたらタイヤがパンクしたので
代わりにトラックの荷台でも良いかと言われました。
日記のネタ的には美味しい展開。
ちなみに、ガイドさんはナウル人だとか。


もしかしてと思って確認してみたらこのトラック、
やっぱり愛知県から来ていました。
辺境の地に強いのは愛知県民だってはっきり分かんだね。


まずは宿にチェックインします。
ただのホテルにしてはやけに無骨な建物だなぁ
と思った人は鋭くて、
この建物は元々英国軍の宿舎だったものです。
それがホテルに改装されてキリバス国営の宿になり、
更にオーナーが変わって今に至るとか。


Kiritimati Islandの地図が壁に描かれていました。
南東の方が池沼が無くて住み易そうに見えますが、
実際には殆ど誰も住んでいません。
集落は北西部に集中しています。


London(ロンドン)にParis(パリ)、
それから何故か国名になってPoland(ポーランド)。
もともとKiritimati Islandは無人島で、
太平洋戦争中にここを軍事拠点として開発した
英国や米国の兵士が地名を適当に付けたのが始まり。
その所為でこんな安直な地名がそこかしこに存在し、
Googleマップでは面白がった欧米人が
クソみたいな大喜利レビューを付けています。
検索妨害になるから本当に止めて欲しい。


ちなみに、このホテルがある場所の地名は
この看板の下部に書かれている通りBanana(バナナ)。
バナナ味の商品の広告ではありません。


バナナアピールで小学校の看板も。
衝撃の事実として、こんな地名が付いているのに
Kiritimatiではバナナを育てていません。
英米軍は何を思ってこんな地名を付けたのか。
せめてCoconut(ココナッツ)とかでは。


Bananaの子供達。
Eutan Tarawaもそうでしたが、
キリバスの子供達はスレていなくて本当に純真です。
この純真さをどうかいつまでも保って欲しい。


Kiritimati Islandには幹線道路を走るバスがあるという話を聞き、
実際ところどころ電柱に"BUS STOP"の札が掛かっているのですが、
ガイドさん曰くこれはスクールバス用であって
一般の人が利用出来る公共交通機関は島内に無いそうです。


ちなみに、これがKiritimatiのスクールバス。
思ったより新そうな見た目。
ボンネットバスとかかと思った。


島の外周を走る幹線道路は一応舗装されています。
ただ、これもまた戦時中に造られたものを
騙し騙し使い続けているので、
あちこちガタガタになっています。
その所為で用意していたSUVがパンクしたとか。
また、珊瑚礁由来の砕石を用いている為非常に白いです。


と言った傍からなけなしの舗装路を外れて内陸部へ。
未舗装路の方が路面の凹凸が少ないような…


上空からも斑模様として見えていた礁湖を突っ切ります。
この先に民家は無いのですが…


とある小屋が建っています。
何をする為の小屋か予想出来ますか?


正解は製塩です。
この塩田で天日干しをし、小屋の中で煮詰めます。
昨日大雨があったそうで今日は作業していませんが…
Kiritimati Islandの貴重な産業の一つが製塩業で、
ここで作られた食塩は「クリスマス島の塩」として
海外へと輸出されています。
何故か分かりませんが、殆ど日本向けだそうです。


製塩工場から幹線道路まで戻ってきて
ガソリンスタンドで給油休憩。
ドラム缶から直移しではなくちゃんとした給油設備です。


ガソリンスタンドに併設されているのが
JMB Enterprises(JMBエンタープライズ)。
パッと見は町工場みたいな外観ですが…


中はコンビニになっています。
海外のガソリンスタンドあるあるですね。
食料品はやはり缶詰ばかりです。


冷蔵庫の中はこの有様。
唯一残っていた野菜製品は茸の搾菜でした。


そんな訳で、Kiritimatiでは自分で野菜を育てる人達も居ます。
ガイドさんに「農園を見てみたい?」と訊かれたので
見てみたいと答えたら民家に入っていきました。
ガイドさんと住民の方の対応を見るに、
特に事前にアポを取っていた訳でもなくて
思いつきで押し掛けたみたいです。
そんな田舎訪問系のテレビ番組みたいな…


タロイモやパパイヤ、ドラゴンフルーツなど
様々な野菜・果物を育てています。
タロイモとパパイヤはともかく
ドラゴンフルーツは自家消費用というよりは換金作物に見えますが、
どれも売り物にはしていないそうです。
物々交換に使ったりはしていそうな気がしますが。


お宅訪問のお礼を言ったら島の西部へと向かいます。


空港と島の中心街との間には緩衝地帯というか
謎の無人地帯が存在しているのですが、
曰くここは採水地になっていて
周辺は水質保護の為に居住が禁じられているそうです。
採水地の中でもかなり海岸寄りに採水塔が建てられていますが、
井戸水は内陸側の方が塩っぱいのだとか。
どういう理屈なのでしょうか。


幹線道路に出ました。
太陽光発電所や石油タンクなどが
中心都市の外縁に位置しているようです。
ここからは宅地が連続するようになります。


ネットでは話題にならないオリジナリティゼロ地名
Tennessee(テネシー)。
米軍兵士が付けたんでしょうね。


そして、幹線道路の終点(起点)にあるのが
Kiritimatiの中心都市London(ロンドン)です。
標識を撮り逃したのでLondonの地名が入った看板を取ってみましたが、
これだと英国のLondonに本部がある教会みたいにも見えますね…
尚、キリバス語ではLondonが訛って
Ronton(ロントン)とも呼んでいます。


これがKiritimatiの中心都市、Londonの街です。
大都会ですね。


大都会なのでこんなものもあります。
KITことKiribati Institute of Technology(キリバス工科大学)です。
USP(南太平洋大学)だけじゃなくて国独自の大学もあるんですね。


Londonの先端、Tabonteke Beach Park
(タボンテケ海浜公園)までやって来ました。
夕焼けのビーチを楽しみます。


箱庭感のある海浜公園ですね。
こういうの好きです。
ガイドさんに頼んで記念写真を撮ってもらいました。


砂浜に辿り着くまでにピョンピョン跳ねている様を
ガイドさんがこっそり撮っていました。
無駄に躍動感がある。


地元の子供達も遊んでいました。
どの子も本当に良い笑顔で心が洗われます。
何処とは言わないがキリバスの子の爪の垢を
煎じて飲んで欲しい国が山のようにある。


夕食は島で唯一だという食堂へ。
キリバスの人達はあまり外食をしないようですね。


何か地のものは無いかとメニューを精査した結果、
唯一「クリスマス」の名が付いていた
Xmas Fish & Chips(クリスマス・フィッシュ&チップス)を注文。
普通のフィッシュ&チップスとの違いは
スライスチーズが乗っていること、
衣がトンカツっぽいこと、
そして魚がマグロなことの3点でしょうか。
マグロはキリバスの主要な輸出品です。
そして、野菜の類が全然無い…


夕食を食べ終わったらとっぷりと日が暮れていたので、
ホテルへと戻ります。
揺れる車からは上手く撮れませんでしたが、
流石絶海の孤島なだけあって過去一二を争うくらい綺麗な星空でした。


町外れで見掛けたビリヤードに興じる人々。
そう言えば、Majuro(マジュロ)のスーパーマーケットにも
ビリヤード台が売っていたな…
ミクロネシアではビリヤードがメジャーな娯楽なのでしょうか?


ホテルに戻って来ると、裏庭で何やらパーティをしていました。
何やら皆で踊る様子を欧米人の宿泊客が見物しています。


と思っていたら、その中の一人が舞台(?)に招待されました。
実はこの人は5ヶ月もこのホテルに滞在していて、
今週Kiritimatiを発つので送別会をしているんだとか。
この後パーティが盛り上がってくると、
僕も隣の部屋の在フィジー米国大使館領事のお爺さんと一緒に
ダンスに強制参加させられました。
キリバス人も存外陽キャだな…