goo blog サービス終了のお知らせ 

sou16の物理学的な週末 ~sou16's Physical Weekends.

goo blogのサービス終了に伴い、右記に引っ越しました → https://sou16-pdl.com/

東方遊島録 第4日目

2024年04月28日 | 旅行

キリバス文化に触れるべくEutan Tarawa(北タラワ)へ行きます。


7:30、起床。
朝食にパンケーキを頼んでみたらマジで素のパンケーキで、
しかもコナナガシンクイが最低10匹は混入していました。
気を取り直して、ツアーの開始まで時間があるので
宿の周りをちょっと散歩してみます。


圧倒的発展途上感。
バヌアツも離島の奥地まで行けば凄かったけど、
ここはキリバスで一番栄えているBetio(ベシオ)だぞ…
ただ、治安が悪そうな雰囲気はありません。
ミクロネシア連邦にも況して放し飼いの犬が多いですが、
彼等も概して友好的な態度です。


太平洋戦争の慰霊碑があるとGoogleマップに載っていたので
見てみようと裏路地に入ってみましたが、
家の中から見ていた住人から
「この先はバスケットコートしか無いよ」
と言われて引き返した図。


スーパーマーケットでも覗いてみます。


品揃えは意外と豊富。
米国の製品が多めです。
キリバスは元・英国領だったこともあって
ツバルと同じく豪ドルを法定通貨に指定しているので、
豪州製品もそれなりに置いてあります。


しかし、野菜は全て冷凍です。
昨夜の夕食の内容を鑑みるに、
このスーパーではないにしても玉ねぎは生のものがありそうだけど。
取り敢えず、米国産のミネラルウォーターを買っておきました。
500mLで1本1AUD。
意外に安い。


キリバスの海の玄関口、Betio Harbour(ベシオ港)。
空港は非常に遠いですが港は至近ですね。
外洋に漕ぎ出せそうな船はありませんが。


散歩を終えたらツアー開始です。
車でAmbo Causeway(アンボ・コーズウェイ)へ。
地図上ではStewart Causeway(スチュワート・コーズウェイ)
という名前になっていますが、
地元民はAmbo Causewayと呼んでいるようです
(写真はNippon Causeway(ニッポン・コーズウェイ))。


Eutan Tarawaへは陸路が通じていないのでここから船に乗ります。


思った以上にただのモーターボートなんだけど、
こんな小舟で何十kmも移動して大丈夫なのか…?
良く見るモーターボートより細長いですが、
それが安定性に対して良いのか悪いのか良く分かりません。


Tarawa Atoll(タラワ環礁)の北、
Abaiang Atoll(アバイアン環礁)へ釣りをしに行くという
3人家族と同乗して舟に乗り込みます。


写真で見ると爽快そうに見えるかも知れませんが、
ほぼ赤道直下の強烈な陽射しを遮るものが何一つ無い上に
壁が低過ぎて波飛沫をモロに受けるので結構辛いです。
キリバスのローカルな交通手段って感じで好き(M気質)
メインカメラのミラーレス一眼を持ってくるか迷ったけど、
防水カメラだけにして本当に良かったな…


水深の浅い礁湖(ラグーン)を進む為
座礁しないよう進路には気を付けないといけないのですが、
何故か同乗した家族のお父さんが水先案内をしています。
一体何者なのか。
というか船頭は素人なのか。


乗組員っぽい人は釣りをしていました。
キリバスは釣りの聖地でもあります。


遠いな…
同じ環礁の南から北に移動しているだけなのですが、
Tarawa Atollの大きさを嫌というほど痛感させられます。
距離的には丁度中部国際空港と津なぎさまちを結ぶ
津エアポートラインくらいの感じです。
それをこの小舟で移動する訳ですからね…


2時間弱経ってから漸く岸に近付いてきました。


やっと辿り着きました!
Tarawa Atollの北の果て、Buariki(ブアリキ)です。


同乗してきた家族はそのままAbaiang Atollへと向かっていきます。


たった一人残されました。
ここで近くの集落から迎えの人が到着。
早速Eutan Tarawaを巡る…


のではなく、バイクが来るまで
海上バンガローにでも居て待っていてくれと言われました。
キリバス時間。


15分ほど待ってバイクがやって来たら出発です。
窪みまくりの未舗装路を走っていきます。
運ちゃん曰く
「実は僕、実家はBuarikiにあるんだけど
普段はBairiki(バイリキ)に居るから道路事情を良く知らないんだよね。
水溜りで嵌ったらごめんね」
とのこと。
えぇ…


地元民のコース取りを参考にして
どうにかスタックすることなく走っていきます。
意外と集落の範囲が広いんだな…
Tebuia(テブイア)と呼ばれる伝統的な家屋が点在しています。


来島者がまず真っ先に来なければならない場所に到着。
3人の首長が眠っているという聖域です。
来島者はここで祈りを捧げることによって
島の何処へ行っても大丈夫になるのだとか。
少し遠いですが、下草が禿げている場所の奥に
オオシャコガイの貝殻があって、
長老がそこで祈りを捧げています。

来島の祈りの後には、長老から集落の伝承を教わります。
昔はEutan Tarawaにも王が居たそうなのですが、
強大な権力を手に入れた後に暴君となり、
魚の調理が下手だった女性にキレて追い掛け回し、
島外へ逃げた女性の後を追って二度と戻らなかったという話を聞きました。
それ以来、Eutan Tarawaに王は居らず
皆が平等な地位にあるそうです。


お次は日本人である僕に縁のある場所へ…
ということなのですが、
大分分かり難い場所らしく
地元の人に道を訊いています。


どうやらここのようです。
一見何も無いように見えますが…


ありました。
この日本式のお墓は、1943年のタラワの戦いで戦死した日米の兵士を
追悼する為に建てられた慰霊碑です。
何故こんなにも分かり難い場所に…
他のオセアニア諸国と同じくあらゆる土地が私有地のキリバスでは
中々慰霊碑を建てさせてくれる場所が見付からなかったのでしょうか。


お次はキリバス文化のターン。
この1階部分がペチャンコになってしまったような見た目の建物は
Maneaba(マネアバ)と呼ばれる集落の中心的存在。


EUの支援で修復中とのことですが、
中に入れるらしいので入ってみます。
そこが入口なんだ…


中はこんな感じ。
外から見た時の印象よりもかなり広々としており、
子供達がサッカーをして遊んでいます。
軒が地面スレスレになっているのは
暴風雨の際に雨が入り込まないようにする為だそうです。


天井にはEutan Karawa(エウタン・カラワ)という神が
空を持ち上げて海から分かつようすが描かれています。
Eutan Tarawaの神話のようですね。


Maneabaは議会であり、裁判所であり、公民館であり、
あらゆる意味において集落の中心となる場所。
基礎となる石は何代にも渡り受け継がれていますが、
屋根は数年毎に村人総出で葺き替えているそうです。


お次は改めてEutan Tarawaの伝承。
この巨大な石は「王のオーブン」とされるものだとか。
上述の邪智暴虐な王が魚を調理させる為に使ったもので、
巨人が放り投げてここに飛んできたとか。


というお話をしてくれたお父さんの家に居た子供達。
客人へのおもてなしを大切にするキリバスで
相当に珍しい外国人観光客ということで、
どの子も凄く歓迎してくれます。
野次ったりお金をせびったりしてこず純粋に歓迎してくれるなんて、
何て素晴らしい国民性なんだ…


さて、こういう離島に来ると気になるのは食料の調達先ですが、
この集落ではタロ芋を育てる畑があるそうです。
タロ芋は富の象徴であり、
結婚の際に畑をどれだけ相続出来るかがその家の力を決めたとか。


もう一つ気になる飲み水については井戸を掘るそうです。
この細い環礁で井戸を掘ったところで
真水なんて手に入るのか…?
と疑問に思ったら、やっぱり塩気混じりだそうで、
逆に生まれた頃から塩混じりの水で育った島民達は
街に出て淡水を飲むとお腹を壊すのだとか。
人間の適応力って凄い。


理系として気になったので、電気の供給源も見せてもらいました。
1980〜90年代頃から太陽光パネルが導入され始めて
今では殆どの家に設置されているとか。


蓄電池は中国から援助されたものが使われていました。
元々貴重品を保管する為に建てられたというTebuiaに
監視係付きで蓄電池が置かれているのが面白過ぎる。
蓄電池ってこんな防火性皆無の場所に設置して大丈夫なんですかね?
いや、だからこそコンテナまで含めてモジュール化することによって
こういう離島地域にも安定的な電力供給を行える手段として…
…いけない、入国審査官から念押しで禁じられていた
研究行為をしてしまいそうになる。


ここで一休みして昼食。
ご飯は海で獲れるお魚…ではなくて豚肉でした。
汗をかくからなのかかなり塩のキツい味付け。
調味料はオイスターソース?それとも、海外仕様の醤油?

昼食を食べながら、ツアーを取り仕切るお父さんとお話。
長老から聞いたのとはまた別の伝承を聞けました。
暴君の王を眠っている内に流そうと
波打ち際にベッドを作ったもののバレて打ち首になり、
その時に流れ出た血が今も白砂の下の
茶色い砂の色に残っているという話とか、
少女を料理しようとする魔女と逃げる少女の攻防の話とか、
様々な伝承が今も口伝で受け継がれているそうです。
文化人類学のフィールドワークみたいなツアーですね。
研究が禁止なのに研究欲を煽ってくるのは止めて欲しい。

逆にEutan Tarawaの人達も僕から話を聞きたがって、
大学での研究の話とか、会社での仕事の話とか、
色々とお話しました。
次にEutan Tarawaへ行った日本人観光客は
「以前、初期宇宙論で博士号を取ったとかいう変な日本人が来てな…」
みたいな話を聞くことになるかも。


さて、最後のお楽しみです。
歴史的にキリバスで最も重要だった移動手段、
Kiaro(キアロ)と呼ばれるアウトリガーカヌーに乗ります!


アウトリガーカヌーとは、人が乗る本体の横に
浮子が張り出している形式のカヌーで、
浮子のお蔭で安定性に優れています。
現在でも南太平洋の各地で見られ、
オーストロネシア人はこのアウトリガーカヌーによって
広大な太平洋の島から島へと渡っていたとされています。


8人掛かりでカヌーを海へと担ぎ出します。
このツアー、僕一人の為に人力を掛け過ぎでは…?
今日Eutan Tarawaに来ている観光客は僕一人だけなのに、
延べ20人くらいにお世話になっている気がする…
旅行代理店から提案された時に
結構良いお値段するなあと思ったものですが、
実際の運営を見ると宜なるかなですね。
本来は1人で来る場所ではないんだろうな…


帆を張れば準備完了です。
カヌーというと櫂で漕ぐものというイメージがありますが、
何千kmも航海するには帆船の方が圧倒的に有利です。


いざ出航!
驚くほどスムーズに滑り出します。
一切音がしないのでまるで電気自動車のような。


アウトリガーのお蔭で安定しているので
思う存分風を受けて速度を増していけます。
15km/hくらいは出ているでしょうか。
船だから8knと言うべきかな。


静かです。
帆がはためく音と水面を滑る微かな音しか聞こえません。
古のオーストロネシア人はこうして何千kmも旅をしたのでしょうか。
今ではKiaroを操れる人も減り、
昔ながらの釘を使わない方法でカヌーを造る人となると
さっき色んな伝承を聞いたお父さんのチームだけになってしまったそうです。


30分程航海したところで帆を付け替えて後退します。
Kiaroは前後対称の形をしているので、
Uターンすることなく後ろに進むことが出来るのです。
TarawaのKiaro大会では往復するコースが取られていて、
帆の付け替えが勝負を決める要になるのだとか。
風向きが同じなのに全く逆方向に進めるというのは不思議ですね。


帰りは更にスピードアップします。
20km/hを超えている気がする。
あまりの推進力にアウトリガーが浮き上がっています。
なら反対側にもアウトリガーを付ければ良いのでは?
という気もするのですが、
両側にアウトリガーを付けたダブルアウトリガーカヌーは
波のうねりによって壊されやすいのだそうです。


1時間の航海を終えて帰港。
「これで胸を張ってキリバスに行ったと言えるな!」
と祝福されました。
やっぱり、キリバスのアイデンティティなんですね。
キリバス文化を全身で感じられた良きツアーでした。


それでは、迎えの小舟に乗ってBetioに戻ります。
Kiaroの方が揺れも飛沫も少なくて快適だったな…


まるで僕を見送るかのように虹が架かっています。
ありがとうEutan Tarawa!
…ん?虹?


ってことは夕立ちがあるってことじゃないか…
案の定豪雨に降られてずぶ濡れになりました。
往路よりも速度を出していて波飛沫も激しいから
もう海水なのか雨水なのか良く分からない。
幾ら熱帯とはいえ陽が低くなってからの雨は体力を奪われます。
これを2時間弱か…
無心で耐えます。


…雨とか以前に日没してない?
この舟って照明とかあるの?


真っ暗になってしまった…
広大な海の上で夜を迎えるのは山の中の夜とまた違った怖さがあります。
外洋ではなく礁湖なのであらぬ方向に漂流して
遭難してしまう恐れは少ないでしょうが、
往路で経験した通り礁湖は水深が浅いので座礁の恐れがあります。


ただの懐中電灯で海を照らしています。
ここを幾度と無く航海していて
目を瞑っていても通り抜けられるとかならともかく、
船頭が明らかに慣れていなさそうなのが尚のこと怖い。
同乗のお父さんが導いてくれることを祈ります。
どうにか…どうにか座礁せず着岸してくれ…


あれは見覚えのある砂浜!


生還したー!
Ambo Causewayです!
助かった…
これもまたキリバスらしさでしょうか。
キリバスの藻屑とならなくて良かった。


勝利の晩餐にHalf Cook Fish。
直訳すると生焼け魚…?
衛生面が非常に不安になる名前ですが
実際には中まで火が通っており、
カツオとキャベツのオイスターソース炒めみたいな感じでした。
これがhalf cookだとしたら、full cookはどうなるのだろう。


東方遊島録 第3日目

2024年04月27日 | 旅行

執念深さでは負けない。
嘗て渡航を断念せざるを得なかったあの国へリベンジです。


8:05、起床。
とってもリゾートなお宿です。
海を望むバンガローの雰囲気は最高。


まあ、僕が泊まったのはビジネスホテルみたいな
Efficiency Room(エフィシエンシー・ルーム)なんですけどね。
今日はぶっちゃけ何も予定がありません。
どうしようかな…


街を漫ろ歩きしてみます。
去年は行かなかったDarrit(ダリット)に…
とも考えましたが、見るからに何も無いので却下。


なのでUliga(ウリガ)へ。
既視感が凄い。
何も変わっていない。
1年しか間を空けていなければ当たり前か。


しかし、スーパーマーケットの品揃えはちょっと違いました。
生鮮食品が揃っている!


そして、沢庵が無い!
あんなに大人気みたいな雰囲気を醸し出していたのに
1年で姿を消してしまうなんて…
代わりに、同じく東海漬物の味キムチが陳列されていました。
東海漬物は相変わらず強いですね。


一応、初来訪の場所もということで路地裏のUliga Pier(ウリガ埠頭)へ。
貨物船が停泊するには小さいので、漁船用でしょうか?
海が綺麗です。


Uliga Pierの近くにあったマーシャル諸島にしては最大級の建物。
Nauru(ナウル)の文字が見えます。
ナウルの領事館とか?こんな大きいの!?
と思いましたが、Parties to the Nauru Agreement Office
(ナウル協定加盟国事務所)とは
太平洋のマグロ漁を管理するNauru Agreement(ナウル協定)の
運営にあたる為の事務所だそうです。


結局、何もせず海を眺めるのが最高の過ごし方だと気付き、
宿に戻ってテラスでのんびりしていました。


何やら崩壊した階段を見付けて
インスタ映えする写真が撮れないかと試行錯誤した図。
うーむ、のんびりしきれていない。


昼過ぎになったら宿の車で空港へ。


Amata Kabua国際空港(アマタ・カブア国際空港)。
2時間半前でもチェックインは出来ましたが、
航空券は届くまで待てと言われました。
航空券が届くってどういうこと?
国際空港なのに航空券の印刷機が無いのか…?


改めて空港の外で海を眺めてみます。
結局、何もせず海を眺めるのが(ry


入口が非常に分かり難いのですが、
空港の旅客ターミナルに入って左手に食堂を見付けました。
Chicken Yakisoba(チキン焼きそば)を注文。
上に薄焼き玉子が乗せられています。
カップ焼きそば風の縮れ麺。
この他にもラーメンなどがありました。
あと、この食堂に置いてあった新聞で知ったのですが、
5/3(金)はDelap Park(デラップ公園)で
World Tuna Day 2024(世界まぐろデー)祭をやるそうです。
参加したかった!


搭乗券が届いたようなので受け取って搭乗口へ。
「まだ入国審査官が来てないから、中で座って待ってて」
と言われて通されました。
入国審査官が来ていないのにゲートを開けたのか…


16:05発ON42便に搭乗。
中央太平洋の翼、Nauru Airlines(ナウル航空)です!
Nauru Airlinesは航空券比較サイトで検索しても
何故かほぼ検索に引っ掛からない不思議な航空会社で、
しかも以前散々苦労させられた通り
ナウルという国はビザを取るのが滅茶苦茶面倒な国なので、
Nauru空港(ナウル空港)で乗り継ぎさせられそうなNauru Airlinesを
わざわざ航空会社のサイトまで行って調べる人は居ないでしょう。


しかし、僕は4年前(2020/2/8)に見ています。
Nadi国際空港(ナンディ国際空港)でON41便に乗ろうとした際、
電光掲示板の目的地にNauru(ナウル)だけではなく
Pohnpei(ポンペイ)やMajuro(マジュロ)が表示されていたのを。
United Airlines(ユナイテッド航空)のものと比較して
知名度は遥かに劣りますが、
実はNauru Airlinesにもアイランドホッパーがあるのです。


さらば、マーシャル諸島よ!
こう見ると飛行機雲みたいな細さですね。
更に再訪することはあるのだろうか…


1時間のフライトでもちゃんと機内食を出すのは
Nauru Airlinesらしいですね。


改めて飛行機雲のようにか細い島が見えてきました。
ホップする先は…

(以降、ギルバート諸島時間UTC+12.0h)


17:10、Bonriki国際空港(ボンリキ国際空港)に到着。
あの日(2020/2/4)の絶望から4年を経て遂に辿り着きました!
世界で最初に日が明ける国、キリバス共和国です!
もう少し具体的に言うと、首都が置かれている
Gilbert Islands(ギルバート諸島)Tarawa Atoll(タラワ環礁)です。

このキリバスという国、想像の数倍旅行のハードルが高いです。
まず、航空便の数が極端に少ない。
その少ない航空便も4年前のようにしょっちゅう欠航する。
しかし、それにも況して何より厄介なのが宿の予約の取り難さ。
大人気で予約が取れない訳でも、絶対数が少ないからでもありません。
連絡が付かないのです。
大手予約サイトに一切載っていないことは当然として、
Googleマップに載っているURLはリンク切れ、
ネットの海から探し出したメールアドレスも待てど暮らせど返信が無く、
意を決して国際電話を掛けてみるも繫がらず…
最終手段としてキリバス政府観光局に直電して泣き付き、
そこから地元の旅行代理店に繫いでもらって
どうにか諸々の手配をすることが出来ました。

が、それで一件落着かと思いきや、
旅行代金の振り込みでまた一悶着。
送られてきた請求書は派手に計算を間違えている上に
必要な情報(受取人の住所等)が足りておらず、
自分で調べて補完する必要がありました。
更に、あのソマリアでさえ対応している国際送金サービスの
Western Unionがキリバスにはピンポイントで対応しておらず、
阿呆みたいに高い手数料を払って銀行から国際送金する破目に。
日本人はビザ不要なことだけが唯一の救いです。
これでビザまで必要だったらナウル超え確定だからな…


何はともあれキリバス入国です。
入国カードの職業欄に、
一応研究開発職だし研究者かなぁ
と思って"Researcher"と書いてみたら、
「貴方まさか何か研究する気じゃないでしょうね?
研究には許可が必要なのよ?」
と訝しがられました。
まあ、土地柄観光客より研究者の方がずっと多いんだろうな…
その所為なのかは分かりませんが、
本来1ヶ月の有効期限で付与されるはずのアライバルビザが
予定ギリギリの5日間分にされました。
飛行機が欠航したら1週間単位で滞在が延びそうだけど、
万が一そうなったらどうするのかな…


Bonriki国際空港外観。
長閑な国際空港です。
迎えに来ていた車に乗って宿に向かいます。


空港のあるBonriki(ボンリキ)と中心街のBetio(ベシオ)は
Tarawa Atollの東端と西端に位置している為、
宿までは結構な距離を走る必要があります。


マーシャル諸島(2023/3/27-29)
ミクロネシア連邦(2023/3/30-4/1)よりも発展途上な雰囲気。
今まで行った中だとツバル(2020/2/4-6)が近い気がします。
実際、Gilbert Islandsはツバルに隣接しており、
英国領時代はツバルと一緒にGilbert and Ellice Islands
(ギルバート及びエリス諸島)として統治されていました。


そして、今やオセアニアに2つしか残っていない
卒業予定の無い後発開発途上国がこのキリバスとツバルです
(ソロモン諸島も後発開発途上国だが、2027年に卒業予定)。
つまり、国連が正式に「オセアニアで最も発展が遅れている」と
お墨付きを与えた2ヶ国なのです。
これまで行ったことのある国で言うと、
カンボジア(2015/3/7-9)とかエチオピア(2017/2/15-24)とかのレベルですね。


これだけ細いと発展の余地も中々無いだろうしな…
いや、それはさっきまで居たマーシャル諸島も同じか。
マーシャル諸島との差は何処で出来たのか。


そんなキリバスですが、敬虔なカトリックが多いそうで
教会はとても立派です。
ステンドグラスまで配われているところもあります。
建材を仕入れるのも大変だろうに…


Betioがあまりにも遠くて日が沈んでしまいました。
この先はナイトドライブです。


「ガソリンを入れるからちょっと待ってくれ」
と言って運転手さんが車を停めました。
トタン屋根の下に無造作にドラム缶が置かれているけど、まさか…


細いチューブでドラム缶から給油し始めました。
色々と適当過ぎる。
これが乙四の無い世界線か。


ツバルと仲良く後発開発途上国だと言いましたが、
Tarawa AtollはFunafuti Atoll(フナフティ環礁)より面積も人口も
10倍以上違って文字通り桁違いなので、
ツバルでは見られなかったインフラもあったりします。
例えばショッピングモールだったり…


ラウンドアバウトだったり…


観覧車だったりです。
「タラワに(他の島へ渡る)"ferries"はあるの?」
と運転手さんに訊いたら、僕の発音が悪くて
「"Ferris (wheel)"ならこれだぞ」
と紹介されました。
一瞬どういう勘違いをされたのか分からなかった。


また、飛び石状になっている環礁の島々を繋ぐ
Causeway(コーズウェイ、土手道)もあります。
その中でも最長のものがBairiki(バイリキ)とBetioを結ぶ
その名もNippon Causeway(ニッポン・コーズウェイ)。
日本の無償資金協力によって昭和60年に建設され、
平成31年に改修されたものです。


日本との関わりという点で言うと、
Tarawaは太平洋戦争中に日本が掌握した中で
最東端に位置する場所の一つでもあり、
日本軍が玉砕したタラワの戦いの舞台になっています。
Betioには今も砲台やバンカーが遺されており、
島の形が変わるほど艦砲射撃を受けたとまで言われる
当時の激戦を偲ぶことが出来ます。


ということで宿に到着しました。
割とお洒落な雰囲気のお宿です。
部屋はビジネスホテル的な感じですし、お湯は勿論出ませんが。


夕食は宿の食堂で。
Black Beans(ブラック・ビーンズ)の鶏肉入りを注文。
名前的にはブラジル料理のFeijoada(フェイジョアーダ、2016/3/12)が
思い起こされましたが、
中華っぽい雰囲気の料理です。
「スパイシーでも大丈夫?」
と訊かれて大丈夫と答えたら、生姜の風味が効いていました。
太平洋での中華普及率は高いですね。


東方遊島録 第2日目

2024年04月26日 | 旅行

5:51、起床。
Antonio B. Won Pat国際空港
(アントニオ・B・ウォン・パット国際空港)のベンチは
悉く肘掛けのあるタイプで、
横になって寝るのに難儀しました。
寝返りを打てないから1時間毎に目が覚めてしまった。
まあ、今日はどうせ終日飛行機だから寝不足でも大丈夫だけど…


7:55発UA155便に搭乗。
この便名にピンと来た方も居るのではないでしょうか。


そうです、アイランドホッパーです!
元・米国領の島々を飛び跳ねるようにして
Guam(グアム)とHonolulu(ホノルル)を結ぶ空の各駅停車。
1年前(2023/3/27)にも乗ったあれです。
詳細は1年前の日記をご参照下さい。
満員だな…


今回は前回の学びを活かして右側の窓席を抑えました。
主にミクロネシア連邦内で左側よりも沢山の島を見られます。

(以降、チューク時間UTC+10.0h)


9:55、Chuuk国際空港(チューク国際空港)に着陸。
ミクロネシア連邦Chuuk(チューク州)Weno(ウエノ島)です。
コロナ禍が完全に終わってまた機外に出られるように
なっていないかと期待しましたが、普通に無理でした。
まあ、駐機している時間を考えると
出られたとして10分かそこらでしょうが。


お次はきちんと観光もしたあの島です。

(以降、ポンペイ時間UTC+11.0h)


12:29、Pohnpei国際空港(ポンペイ国際空港)に着陸。
ミクロネシア連邦Pohnpei(ポンペイ州)Pohnpei(ポンペイ島)です。
懐かしい…
というほど時間が経っていないので記憶が鮮明です(2023/3/30-4/1)
お腹が空いてきたから、ガソリンスタンドで売っていた
あのスパムおにぎりだけ買いに行かせて欲しい。
ちょっと長めに停まって荷物検査
(頭上の荷物入れに持ち主不明の荷物が残っていないか、
乗客全員に自分の荷物を取り出させる)をやっていたので、
機外の空気が入ってきてすっかり蒸し暑くなりました。


今回は中間区間でも乗客があまり減りません。
Honolulu(ホノルル)まで行くと言っている人が結構居ます。
前回はKwajalein(クワジェリン)で米軍関係者が大勢乗ったから
その分の席を空ける為に他の区間の乗客が少なかったのかな?


14:26、Kosrae国際空港(コスラエ国際空港)に着陸。
ミクロネシア連邦Kosrae(コスラエ州)Kosrae(コスラエ島)です。


子供達が旅客ターミナルの塀に腰掛けて飛行機を見ていますね。
Kosraeって結局どんな島なんだろうな…
今回も素通りです。


離陸後、昼食扱いなのかアーモンドの袋が出されました。
サンドイッチかスパムおにぎりくらい出して欲しかった。

(以降、マーシャル諸島時間UTC+12.0h)

17:11、Bucholz空軍基地(バックホルツ空軍基地)に着陸。
マーシャル諸島共和国Kwajalein Atoll(クワジェリン環礁)です。
全土が米軍基地になっていて駐機中の撮影が禁止という例の島です。
Honoluluに緊急搬送する急患が居るとかで救急車が待機していました。


軍事基地じゃなくてゴルフ場ならセーフでは?
と撮ってみた滑走路脇のゴルフ場。
軍事基地と併せてゴルフ場まで整備するなんて流石はUSA。
このゴルフ場を含めて空軍基地な気がしないでもないけど。
米国政府にはご内密にお願いします…


急患の容態確認で遅延してから離陸。
ただでさえ医療費の高い米国でこんな長距離の搬送を伴う入院って
一体幾ら掛かるんだろうか…
軍が負担してくれるのかな?


19:35、Amata Kabua国際空港(アマタ・カブア国際空港)に到着。
マーシャル諸島共和国Majuro Atoll(マジュロ環礁)に再訪しました。
1年前と全く同じ経路ですね。
まさか人生で二度Majuroを訪れることになろうとは。
マーシャル諸島が甚く気に入って再訪した
…のではなく、調査に調査を重ねた結果
これが最善手であるとの結論に至ったのです。
Majuro(マジュロ)も乗継地です。


歓迎看板が変わっている…
個人的には前の方が好きだった(懐古厨)
「乗り継ぎの人は(入国審査の窓口ではなく)左へ〜」
と言っていたけど、こんな時間に乗り継げる便なんてあったっけ?
もしかして、夜を明かす用のトランジットエリアがある…?


僕が乗り継ぐ便は明日の夕方発で、
Amata Kabua国際空港は夜になると閉まる(はずな)ので、
今夜はちゃんとホテルに泊まります。
2夜連続で空港泊は普通にキツいし…
送迎車に乗ってホテルへ。
一緒に乗った2人はまさかのKwajalein勤めの台湾人商人でした。
マーシャル諸島で野菜を育てる支援をしているのだとか。


夕食は勿論マグロステーキです。
わさびマヨとの相性が抜群!
個人的にはマグロの赤身は刺し身よりステーキの方が好き。
今回の宿はシャワーもキチンとお湯が出ました。


東方遊島録 第1日目

2024年04月25日 | 旅行

今年もゴールデンウィークがやって来ました。
先月末に西アフリカ旅行をしたばかりですが、
とはいえ良くも悪くも業務量は増え、仕事内容は高度化する一方なので、
今の内に大型連休は活かせるだけ活かしておかねばなりません。
色々調べてみたら、社会人ではもう無理だろうと諦めていたあの国へ
奇跡のフライトスケジュールで行けるようになっていたことが判明し、
しかも乗り継ぎの際に必要になる電子ビザも
以前取得したものがまだ有効期限内であると分かり、
これはもう行くしかないと決意した次第です。


17:55発UA841便に搭乗。
えらくガラガラだな…

(以降、チャモロ標準時UTC+10.0h)


22:15、Antonio B. Won Pat国際空港
(アントニオ・B・ウォン・パット国際空港)に到着。
1年しか経っていないのにまさかの再訪、Guam(グアム)です。
米国への入国に必要なESTAは
去年のミクロネシア旅行(2023/3/25-4/2)の時に取得したものが
有効期限2年間でまだ使えます。
中南米旅行(2023/4/28-5/8)の行き帰りも合わせて
一つのESTAを5回も使うことになろうとは。
…何ならまだ使うかも?

しかし、今回のGuamは純粋に乗り継ぎの経由地。
明日の朝にはもう出ます。
円安とインフレで宿泊費が高過ぎるので空港で夜明かしです。
円安とインフレのお蔭で日本人海外旅行客が減って
ゴールデンウィークなのに2週間前に予約しても大丈夫だった、
という利点もあったりしますが。


房総ドライブ

2024年04月20日 | 旅行

松田町に引っ越して千葉県は縁が遠くなっていましたが、
久し振りに行きたくなってきました。


という訳で、東京湾アクアラインを渡って千葉県へ。
静岡県へ行く時に比べて高速料金が高過ぎる。
大井松田-富浦と大井松田-大府がほぼ同額ってそんなことある?
距離は倍近く違うのに…


それでも房総半島に来たかった理由はこれです。
鋸南町の黄金アジ!
何度か挑戦してその度に大行列で断念していましたが、
遂にお目見えすることが出来ました。
肉厚でジューシーで最高です。


黄金アジからの記念切符回収の道の駅巡り。
前回(2023/2/19)実は記念切符が売り切れで買えていなかった
道の駅和田浦WA・O!の記念切符を入手して、
南房総の道の駅記念切符はコンプリートです。


そのまま外房をドライブして鵜原理想郷へ。
駐車場に車を停めて幾つものトンネルを抜ければ…


懐かしの理想郷に辿り着きました。
やはり美しい。


かつうら海中公園にしようかとも迷いましたが、
理想を追い求める姿勢を大切にしてこちらにしました。
忙しい毎日で理想を見失わないようにしたいものですね。


鵜原海岸の白鳥居。
こんなのあったっけ?


再訪ばかりするのもあれなので、
道の駅の記念切符回収がてら新規開拓もします。
こちらは道の駅むつざわ つどいの郷。
とっても綺麗で新しい雰囲気の道の駅ですが、
ここが新しいのは外見だけではなく…


この道の駅を拠点に太陽光発電や天然ガス発電を行って
地域のエネルギーを地産地消する、
マイクログリッドを構築している先進的な例として有名です。


周囲の住宅とスマートウェルネスタウンむつざわを形成しており、
台風により房総半島で大停電が起きた際にも
この一帯は最低限の電力供給が続けられたとか。
新しい時代の道の駅ですね。
天然ガスが採れる外房だからこそな面もありますが。


お洒落なイタリア料理店も併設されていたので一服。
地元の牛乳を使ったアイスクリームのアフォガードです。
ドライブとアフォガードの相性は最高だ…

もう一箇所、道の駅あずの里・いちはらでも記念切符を回収。
こちらは昔ながらの道の駅です。
睦沢の後だとちょっと見劣りしてしまう感が…
写真も撮り忘れました。
この後はアフォガードで掻き立てられたイタリア料理欲を満たすべく、
木更津でピザを食べてから松田に帰りました。
紀伊、伊勢、知多、渥美、遠江、駿河、伊豆、湘南、外房…
太平洋に面した町々はどれも違った良さがありますね。