お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

創価の役職が与えられると同時に、壮絶なノルマとの格闘が始まる

2016-09-28 06:09:00 | 日記
活動家になると、「役職」というものが与えられます。
これによって出る会合の数が増え、ノルマが与えられるようになります。
私の場合は、最初はB長だったと思います。
創価学会の組織の最小の単位がブロックで、その女子部の長ということです。
B長の面接を受けるとき、なぜかスーツで行くように言われます。
何となく、厳かな、大事なこととのような気持ちになります。
しかしB長というのは、次なるステップへの足掛かりでしかないので、面接でも面接官の女子部のお姉さんは優しかった気がします。
このB長の間に、幹部の心得を学んだり、功徳の経験を積んでいきます。
功徳の経験といっても、本当に功徳があったということは少なく、
「それって功徳だよ!」「それも功徳だよ!」と言われ、「これが功徳なのか」と学び、納得していく経験です。
たとえば、「嫌な上司が転勤になりました」「それって功徳だよ!00ちゃんがB長になって頑張ったから、嫌な上司が転勤になったんだよ!」
「会社で提案したらそれが通った」「それって功徳だよ!00ちゃんがB長になって頑張ったから、案が通ったんだよ!」
「また彼氏ができました」「え?今は00ちゃんにとってB長になった大事な時期。彼氏とのデートもいいけど会合もちゃんと出席しないと良くないことがおこるよ!」
なぜか彼氏ができたことだけは、功徳としてカウントしてもらえませんでした……。
こんな具合に、自分に起こった良いことを見つけては報告をさせられ、「功徳だ!」と認識させられていきます。
また、「功徳を素直に功徳と認識すれば、さらに新しい功徳がやってくる」とも教えられ、
「それって功徳じゃないような……」と思いかける自分の気持ちにフタをしていくのです。
そして気がつけば、会合に出なければ、役職を続けなければ、それらの良いことは起こらないのだという気持ちに徐々になっていきます。
そうした頃に今度は「地区リーダー」というブロックのひとつ上の地区幹部への話がきます。
地区リーダーの面接はかなり厳しいものだったという印象があります。
「本当に学会のため、(池田)先生のために戦う覚悟はあるの!?」と詰め寄られる感じです。
返事や挨拶など、大きな声でしなくては怒られるようになります。まるで軍隊のようです。
厳しいことをたくさん言われ、駄目だったのかなと思っていると、「おめでとう」と部長から電話がありました。
どうやら「地区リーダー」というものになってしまったようでした。
まるでベルトコンベアーに乗っているように、B長から地区リーダーへ。
地区リーダーになると、参加する会合はかなり増えていきます。
週に一度の地区協議会というのにも出なければならなくなり、月曜日の夜は必ず埋まるようになります。
この地区協議会というのは、壮年部婦人部男子部も一緒で、ノルマのすりあわせのようなことをする会合です。
あ、創価学会ではノルマとは言わず、「目標」といいます。
また週に一度は女子部の部での会合、その前の打ち合わせ、家庭訪問……週の半分以上は学会関連の予定でうまり急に忙しくなります。
また、自分が担当する部員さんというのもでき、今まで私が女子部のお姉さんからされていたことを、今度は自分の部員さんにしていくようになります。
たとえば、会合に出てくるように誘う、マイ聖教を購読するようにすすめる、選挙に自分で行くだけでなく、友達にも頼むように説得する。
こうしたことを、任用試験で学んだ知識や、会合で聞いてきた話などを駆使して部員さんに話し、活動家を作っていきます。
もちろん、ただ話をしただけではそう容易には活動家にはなりませんので、女子部のお姉さんたちが私にそうしていたように
お茶に誘ったり、ご飯をおごったり、お土産を渡したり、せっせと手紙を書いたり……涙ぐましい努力をします(相手にとっては非常に迷惑)。
自分がされて迷惑だと感じてきたことを、今度は「使命」としてやり始めるのです。
罪の意識はまったくなくはありません。こんなことされて、いやだろうなと思うこともありました。
だけど、これもそれもすべてその部員さんのためと心を鬼にして頑張るのです。
もうこの頃の私にはノルマが課せられていましたし、ノルマを達成しなければ何だか悪いことが起こるような気がしてしまっていたのです。
それに週に一度の協議会では、ノルマの達成確認のようなことが延々行われます。
仕事で協議会に参加できなくても、電話でノルマ(目標達成)の確認がされます。
協議会のある月曜日までには何とかしないと、という頭もできあがってきます。
ノルマ未達成だと幹部の人にも怒られますし、何とかならないの?と詰め寄られますし、無意識のうちにノルマを強く意識するようになります。
ノルマを達成するには、活動家を作るしかないのです。
聖教新聞の啓蒙にしても、実家暮らしの子ならマイ聖教をとらせれば新聞1のノルマが達成できますし、
実家を出て一人暮らしをしている子なんかだと、ご本尊を受けさせ、折伏1の成果を得ることもできます。
会合参加数にもノルマが設定されます。この会合は部員さん何人、家庭訪問何人……という具合に。
本来は個々人の幸せのための宗教のはずなのに、ノルマ達成のために、私はせっせと部員さんとお茶をしたり、悩み事を聞いたりするようになりました。
だけど、自分がノルマのため、自分の功徳のために動いていると認めてしまえば、心が折れてしまいます。
そこで「すべて部員さんの幸せのため」と頭の中をすり替えます。
これまで私が経験してきた「功徳らしきもの=本当は先輩によって無理矢理功徳認定されたもの」を思い出し、
この幸せを部員さんにも味わせてあげたい!と思うようになり……最後には「私はとてもいいことをしている!」となります。
罪悪感を感じることすら「部員さんの幸せを阻むことになる!」と自分を戒め、
「彼女が活動家になれば、彼女は私のように幸せになれる!」と思い込むのです。
本当はノルマが達成できなくて焦っているのに「このままでは広宣流布の達成を遅らせてしまうし、部員さんが幸せになれない!」
と考えてしまいます。
自分で自分をマインドコントロールしているかのようでした。
ノルマが達成されると、地区では褒めちぎられ、その時はたぶんアドレナリンが出て最高に気持ち良かったと思います。
時には体験発表という場を与えられ、その苦労、喜びなどを大勢の人の前で語らせられたりします。
こういうときは本当に嬉しく、達成感がありました。何より、いろんな人が褒め称えてくれます。
その時も、「ノルマ達成した!」とは思いません。
「一人の部員さんを幸せに導くことができた!」と思うのです。
自分の中では本当は「ノルマを達成するために部員さんを利用した」のに、その部分は完全に蓋をし、目をつむってしまいます。
実は数年前に覚醒するまで私はずっと、それらノルマ達成のための長年の活動を「たくさんいいことをしてきた」と思い込んでいました。
深い深いマインドコントロールの影響だと思いますが、どこかで気づけなかったのだろうかと思ってしまいます。
そして、本当は「ノルマ達成のためだった」と気づいた後は、激しい後悔に苛まれることになりました。

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