こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

惑星シェイクスピア。-【72】-

2024年07月01日 | 惑星シェイクスピア。

 さて、今回で第一部の最終回です♪(^^)

 

 と、ところが……今回、ここの前文に千五百文字くらいしか使えないと思いますので、何かこう第一部の終わりの総括(?)的なことも、言い訳事項も何も取り上げられないということで、どうしようかなと思ったりorz

 

 ん~と、まあこの小説三部構成なんですけど、第二部のほうのはじまりの第一章目は「蜘蛛のランペルシュツキィンと少女ウルスラ」と同じく、一見本編とあんまし関係ないような物語がひとつ挟まって、二章目以降もハムレットやギベルネスが何章にも渡って出てきません(笑)。

 

 ええと、ちょっと最初のほうだけ、東王朝とかリア王朝とか呼ばれてる隣国の政治事情のような説明が挟まって、その後ハムレット王子一行は今度はロットバルト州へと向かう……といったような話の流れかと思います(^^;)

 

 リア王朝の政治事情については、ディオルグが命を助けたというリッカルロ王子……彼がまあ、今はもう二十歳越えて成人してまして、そもそも何故彼が殺されそうになったかというと、「口が裂けていて醜かったため」お父さんのリア王に物心もつかない頃から嫌われちゃったという。そこでリッカルロ王子のお母さんは一度は深く愛していたリア王にあてつけるため、息子のことをディオルグに託して首を吊ってしまう。一方、リア王はといえば、次の跡継ぎ創作のため、すぐに別の貴族の娘と結婚。こちらにリッカルロの異母弟の双子の弟が誕生する。リア王はこの双子のどちらかを次の王にしたいのではないかとの噂だけれど、果たしてこの王位継承劇はどういうことになるのか……といったよーな、何やら重厚な物語なのかといったらそんなこともなく、まあわたしのシェイクスピア理解というのはそもそもが「薄っ!!」、「薄々気づいてたけど、マジで薄っ!!」てな程度のものですからね。設定その他極めていーかげんですので、第二部になったらまた、そこらへん順に言い訳してゆこうと思っております(殴☆)。

 

 それではまた~!!

 

 

       惑星シェイクスピア。-【72】-

 

「我が愛するメレアガンス州のみなさん、聞いてください!!」

 

 ディミートリアは円形闘技場の中心まで行くと、そこからそう呼びかけた。彼女は小柄であったし、普段の彼女を知る他の巫女たちであれば……そんな勇気があの小さなディミートリアのどこにあったのだろうと、間違いなく訝ったに違いない。

 

 だが、彼女のうっとりするような美しい声は、不思議と闘技場の隅々にまでよく響き渡っていたのである。ディミートリアの声の調子には少しも恐れているようなところはなく、彼女はあくまでも冷静に落ち着いた態度で、その場にいる人すべての心に直接訴えるかのように語りはじめた。

 

「この国は今、重税を課され、みながともに同じ苦しみによって鎖のように繋がれています。また、それゆえにこそみんな、自分の生活のことのみを考えざるをえず、さらなる苦しみの底へと落ちていかざるをえないのです。自分だけが生きていくのに精一杯なら、どうして隣に住む人に愛と慈善など施せましょう?わたしは、住民税や通行税、紡績税や染料税、薪税その他、以前までは税金のかかってなかったものについては廃止し、あるいはその税率を低くし、市民らの負担を軽くすることをメレアガンス伯爵に望むものです」

 

 この時、メドゥック=メレアガンスは、ディミートリアの巫女姫としての威厳に圧倒されるあまり――痛いところでも突かれたように、(うっ!!)となった。だが、彼女の美しいハシバミ色の瞳に見つめられると、何も言わぬわけにもいかない。そこでメドゥックはその場に立ち上がると、自分の背後に控えた貴族たちを越え、その後ろで固唾を飲んで領主の言葉を待つ州民らにこう宣言した。

 

「約束しよう!!余は必ず巫女姫の言うとおりにするということを!!」

 

 無論、メドゥックにはわかっていた。巫女姫マリアローザであれば、先ほどフランソワ騎士団長とともに退場していったとは。だが、このようなことを大衆に向かって言えるということは、彼女こそが本当に巫女姫なのだと、そう民衆らも考えているはずだと感じていた。

 

 円形闘技場はワッ!!という割れんばかりの歓声で一瞬にして湧き立ったが、巫女姫にはまだ話があるらしいと感じた彼らは、再びこの聖女ウルスラの生まれ変わりである生き神女の言葉を聴くべく、潮が引くように静かになっていった。

 

「さらに、わたしは貧しい人々に向け、昔はあったという食糧の配給制度を復活させるよう望みます……ですが、実質的に我がメレアガンス州が、みなさんの支払えない税金を肩代わりすることによって財政のほうが火の車だというのは、みなさんもご承知のことと思います。そのこと、間違いありませんね、カンブレー財務長官?」

 

 カンブレー卿は、立派な体格の、人徳ある英邁な人物であったが、この時巫女姫ディミートリアに名前を呼ばれると、驚きのあまり貴族席から十センチばかりも腰を浮かせそうになっていたものである。

 

「は、ははっ!!確かにその通りでございます、巫女姫。と言いますのも、王都テセウスから課される税があまりにも重いのであります……そこで、住民税その他、支払えぬ者は十分身辺調査をした上、財務省のほうにて肩代わりをしているのでして。ですが、いくら借金のためであれ、その者から碾き臼や下着まで奪ってはならぬと法律にもあります通り、税の代わりに家宅財産をすべて差し押さえ、没収すれば良いということでもございますまい。税金を支払うためにも何かの商売をするに当たっては、人の信用というものも大切でしょうからな」

 

「その通りです、カンブレー財務長官。そこで、みなさんにわたしはお聞きしたい……何故、そんなにも重い税金をわたしたちは王都テセウスから徴収されねばならないのですか?ここに、王都へ行ったことのある者はいますか?王宮の人たちがどんなに贅沢な暮らしをしているかを、その人たちならもしかしたら知っているかもしれません。そうなのです。わたしたち外苑州に住む者たちは、内苑七州に住む人々から『田舎者』であるとして笑われることもしばしばなのに、その内苑州に住む人々が楽をするために、わたしたちは紡績税、反物税、染料税その他、あらゆるものに税をかけられ、苦しまなくてはならないのです」

 

 この巫女姫ディミートリアの言葉は、ここメルガレス城砦に住む市民のみならず、メレアガンス州の地方郷士たちの胸に、特に強く響いたようだった。

 

「今ここに、そうしたわたしたちの苦境を救うため、星母神さまが王となるよう命じ、北方のヴィンゲン寺院からはるばる旅をして来た方がおられます。この方は、現王クローディアスの兄、エリオディアス先王の御子息で、ハムレットさまと仰せられる方。そして、クローディアスが今のように王の地位へ就くために、兄であるエリオディアス王を殺害するのに続き、まだ幼いハムレットさまも殺されかかったのですが――忠臣ユリウスがハムレットさまをヴィンゲン寺院までお連れし、そこでいずれは王となるためのあらゆる知恵を授けられ、優れた僧たちから高い教育をお受けになったのが、このハムレットさまなのです」

 

 この瞬間、ディミートリアが真っ直ぐに自分のほうを見つめ、彼の座る座席の闘技場と観客席を隔てる壁の近くまでやって来るのをハムレットは見た。とはいえ、彼としては不思議だった。何故といって、ハムレットはディミートリアと会うのはこれが初めてであり、さらにはオスティリアス修道院長を介して何か手紙のやりとりをしたというわけでもなく……まったくなんのコンタクトも取っていない状態で、今のようなことを突然言われたからだった。

 

「どうぞ、ハムレットさま、こちらへ。あなたこそ、次にこの国の王となるのに相応しいお方……わたしはそのように星母神さまから託宣を受けたのでございます。ハムレットさまが王に御即位なさった暁には、この国を、いえ、大陸を苦しめているすべての問題について、暁のように美しい光が差すであろうということを!!」

 

 この時、正午からさらにずっと傾きかけた太陽の陽射しが、ディミートリアの赤い髪に照り輝いた。普通であれば考えられぬことであるが、その時の太陽の照り返しには、人でない何者かの――神といった、人知を超越した存在の――強い力が介在していたのは間違いない。というのも、その瞬間、円形闘技場にいた人々は一瞬目がくらみ、巫女姫からも太陽からもほとんど同時に目を逸らすか、眩しいあまり腕などによって強烈な太陽光を遮らねばならぬほどだったからである。

 

 そして次の瞬間、その場にいた人々は見た。まるで巫女姫ディミートリアが、輝く太陽の光の中から、彼女が言ったハムレット王子を取り出したかのように……そこには、見目麗しい、人々が「これこそ我々を治めてくださるのに相応しい」と感じるような容貌の王子が存在しているのを。

 

 実際には、ハムレットは巫女姫ディミートリアの要請に応えなくてはなるまいと感じ、ただ、彼女がくぐったのと同じ隠し扉を通り、ディミートリアの招きどおり、彼女の隣に姿を現したに過ぎなかったのだが。

 

「メレアガンス伯爵!!それに、エレアガンス子爵も!聖ウルスラ騎士団の騎士たちも――今ここに、ハムレット王子……いえ、いずれは王となられるこの方に忠誠を誓うのです。もしこのことに反対の者があれば、今すぐこの場を立ち去りなさい。ただし、その場合は次のことをよく心に留めておくように。それは、巫女姫であるこのわたしに逆らうことなのではなく、星母神さまの御神意に叛旗を翻すことなのだということを!!」

 

 メドゥック=メレアガンス伯爵も、その息子のエレアガンス子爵も、慌てて闘技場の、ハムレット王子と巫女姫ディミートリアの前に出てくると、その場に跪いて礼をした。フランツとレイモンドのボドリネール兄弟はもちろんのこと、聖ウルスラ騎士団の騎士らも彼らに続いた。さらには、貴族の桟敷にいた者の中で、「これはのちのち権力に与るためにも、どうやらハムレット王子に忠誠を誓ったほうがいいようだぞ」と感じた者たちは、何十人となくこの行列に連なっていった。

 

 こうして、円形闘技場は煌びやかな衣服の身分高い人たちの群れで占められるようになり――「我が一族、そしてメレアガンス州のすべてのものは、今この時よりハムレット王、あなたさまのものでございます」とメドゥック=メレアガンスが忠誠を誓うと、ハムレットもまた伯爵に応えるように剣を抜いて宣誓した。

 

「我はこの名剣デュランダルの刃において、貧者を抑圧する富める者を打ち、また弱者を抑圧する強き者を打つことを今ここに約束しよう。この栄えある伝説の名剣に祝福あれ!!我はこの全宇宙の創造主、聖なる全能な、とこしえなる神に誓う。星母神が慈愛の甲冑と美徳の盾とを授けてくださったがゆえに、万民を守るため、ただ正義のためにのみ、この剣を振るうということを!!」

 

 途端、約二万人を擁する円形闘技場が、割れんばかりの喝采によって包まれた。またその声は、外で露店を出していた者たちやその客のみならず、近隣一帯に鳴り響くほどであったという。その場にいたほとんどの男たちは拳を振り上げこう叫んだ――「ハムレット王に祝福あれ!!メレアガンス伯爵に栄えあれ!!巫女姫さまと聖ウルスラ騎士団よ、永遠なれ!!』と。そして女性たちも子供も、誰もが総立ちとなって拍手をし、男たちとまったく同じ言葉を唱和した。これから、この国が重要な時代の転換点を迎えるだろうことを、この場にいる人々は理解し、この日この円形闘技場で起きたことは、一両日中にもメルガレス城砦の隅々にまで伝わったと言われる。そして、有力な地方郷士たちはこの喜ばしい知らせを自分たちの住む城壁町や村々などへ持ち帰り、メレアガンス伯爵の正式なお布令が到達する前から州民のほとんどがこのことを知っているほどであったという。

 

 さて、聖ウルスラ騎士団の騎士団長であったフランソワ・ボードゥリアンと、巫女姫の名を僭称していたマリアローザ・ウリエールのその後についてだが、ボードゥリアン邸にはその翌日には逮捕状が届き、フランソワは怪我が治癒次第、最高法廷へ出頭することが要請された。マリアローザには聖ウルスラ神殿に戻るか、ウリエール邸にて謹慎するかの選択肢が与えられたが、彼女はただの女、貴族の娘としてウリエール邸で謹慎することのほうを選んでいたのである。おそらくこの時彼女は、神殿に戻ることを選んだほうが、ディミートリアの温情の元、自分の育ての母とも言える三人の側近巫女らとともに少しは寛いで過ごせたはずである。

 

 だが、彼女の父親であるセスラン・ウリエールは、巫女姫に祭り上げた自分の娘が聖ウルスラ祭の例の馬上試合のあの時――フランソワ・ボードゥリアンが瀕死の重傷によって倒れたのを見て、巫女姫という身分のことすら忘れ、娘が彼の元へ駆けつけたその瞬間に、すべてのことを悟っていた。その時点では円形闘技場にいた者のほとんどが巫女姫が聖ウルスラ騎士団の騎士団長と姦通の仲だなどと察することまではなかったというのに……彼は即座にそうと知り、メレアガンス州における自分の栄耀栄華もこれまでだと瞬時にして理解していた。ゆえに、他の貴族らに続き、ウリエール自身はハムレット王子に忠誠を誓うことはせず、その場を自分の一族の者らとともに立ち去っていたのである。

 

 さらにセスラン・ウリエールはこののち、メレアガンス州を捨て、財産没収の憂き目に会う前に、内苑州の貴族の元へ嫁に出していた次女アニエス=デ・ラメイを頼り、そちらへ移住したようである。彼は自分のこの判断についてものちに、まったくの誤りであったと悟ることになるが、この時の彼にはそれが最善の策であるようにしか思われなかったというのは――確かに無理からぬ話ではあったろう。

 

 こういった事情により、マリアローザが実家へ戻ってくるとウリエール卿は冷たくあしらい、「何故もっとうまくやらなかったのだ」とか、「一体なんのために苦労しておまえのことを神殿へ送りこんだと思っている」とか、彼女が泣きながら父親のことを詰ると、「フランソワ・ボードゥリアンの前で、その爛れた股を一体何度開いたのだ、この売女め!!」などと、さらに酷い喧嘩言葉の応酬がこの父娘の間ではいつ果てるともなく繰り返されることになったのである。

 

 彼は家財をまとめると、地方荘園などは懇意にしていた貴族たちに売り払う約束を取り決め、牢屋へぶちこまれる前に自分の一族の者らとともに姿を隠した。こののち、メルガレス城砦のウリエール卿の大邸宅には、この家に長く仕える者たちが残り、マリアローザの世話をすることになった。この土地と家屋については執事のバルガスに与えられたのであり、ゆえに彼にはこの憐れな娘を法の名の元、牢獄送りへすることも出来たであろう。

 

 だが、いずれフランソワ・ボードゥリアンともども、どれほどの過酷な刑が課されるかと思うと、ただ非情なる父に利用されただけのマリアローザが憐れでならず、バルガスはヴォーモン卿の指示通り、彼女のことを軟禁状態に置くことにしたのである。何分、今まで神殿にて我が儘放題に育ってきた娘であるがゆえに、彼女に言うことを聞かせるのはなんとも骨の折れることであった。だが、バルガスやこの屋敷に残った者たちは、なるべく心をこめてマリアローザの世話をしていたようである。というのも、フランソワ・ボードゥリアンの怪我がある程度良くなり、彼が最高法廷にてどのような証言をするかはわからぬにせよ、減刑を望む気持ちから、マリアローザにたぶらかされたなど、自分の父のみならず恋人からも手酷い仕打ちを受ける可能性があり――本物の巫女姫でなかったとはいえ、それ自体は彼女自身の責任ではない。少なくとも巫女のひとりではあるとして、そのような心持ちによりバルガスの妻や侍女たちはマリアローザの取る必要のない機嫌を取り、我が儘をうまくあしらうようにしていたようである。

 

 重傷を負ったフランソワが、ベッドの背もたれにようやく寄りかかれるようになるだけでも二か月かかり、その間彼は地獄にも等しい苦痛を味わった。ラウールを車椅子に乗せ、ハムレットたちの後方から馬上試合の行方をじっと見守っていたギベルネスだったが、その後どうしてもこのボードゥリアン騎士団長のことが気になり、衛生官モンテスタンを通じ、彼の屋敷を訪ねたのであった。フランソワは激痛により、寝返りを打つのも困難なほどであったが、ギベルネスの診察と治療により、以降はっきりした回復の兆候が見えるようになってきた。その前までフランソワは(このまま俺は死ぬのかもしれぬ。だが、死に至るまで、このような地獄にも等しい苦しみを耐えねばならぬとは……)と、日々悔恨の思いに駆られつつ、彼は他に自分の手では何も出来ぬ長い一日を過ごしていたのだった。

 

「肋骨のほうは、自然にくっつくのを待つしかないでしょうね……」

 

 診察ののち、ギベルネスがそう絶望的に呟くのを聞いた途端、フランソワはある希望を持った。彼のその口調から、(どうやら、自分は死ぬことなく治るらしい)と感じたからだし、『手当てする』という言葉の通り、ギベルネスはフランソワの怪我に対し非常に同情的であり、色々と質問する間も実に丁寧な態度で、かといって妙に患者に対しおもねっているということもなく……ほんの十分も話さぬうちから、フランソワはこの医者に強い好感を抱いたほどである。

 

 このあと、ギベルネスは最低でも二か月か三か月の間は安静が必要だと言い、フロモントが処方している薬について教えてもらうと、最後に深い溜息を着いていた。

 

「ボードゥリアン騎士団長は、意志力の強い方であるとお察しします。ゆえに、傷が治癒するか、痛みを感じる時間が耐えられる程度、短くなったとすれば……おそらく、ご自身でおやめになるでしょうから、モルヒネを処方したいと思います」

 

「ギベルネ先生、そのモルヒネとやらは、貧民窟の連中が飲んで廃人のようになっているというあのアヘンのことではないのですか!?わたしは、衛生官である前に騎士として、そのようなものを用いることには断じて反対しますっ!!」

 

 フロモントは決して頭の固い男ではなく、むしろその逆であったが、アヘンに関しては用心していた。というのも、例の逮捕された悪魔崇拝の男は、その悪魔の薬物によって頭がおかしくなり、今回の凶行に及んだのであろうとの、もっぱらの噂だったからである。

 

「あなたが医師として警戒されるお気持ちはよくわかります。おそらく、探せば中毒性があまりなく、それでいてある程度痛みを麻痺させる効果のある薬草といったものはあるでしょう。ですが、今私たちの手許にあるのがケシの苞芽(つぼみ)から取ったアヘン以外ない以上、これを使うしかありません。起きていて目が覚めている間、ただ激痛に耐えるしかないというのは、本当に苦しいことなんです。一月も過ぎれば今より良くなるでしょうと言われても、それまでの一日一日の過ぎるのがどれほど長く感じられるか……『男なら耐えろ』とか、『騎士たる者の根性で』などと言われたら、私ならそんな相手のことは呪い殺してやりたくなるほどでしょうね」

 

 フランソワは長い言葉をしゃべろうとすると、肺と喉のあたりが詰まったようになり、結局はうまく話せなかった。ゆえに、このふたりの医師の会話に意見を述べることは出来なかったが、ただフロモントのほうを「頼む」というような必死の視線でじっと見つめた。そこでフロモントは溜息を着くと、「何度か試してみて、経過を見ましょう」と同意してくれたのだった。

 

 ギベルネスがモルヒネと呼んだものは、恐ろしくよく効いた。時と場合によっては、彼のような人物が王宮あたりにでも入りこみ、これとまったく同じ効能のものを難病に苦しむ王侯貴族の誰かに与えたとすれば……その時には、それこそ「瞬時にして病いを治す<神の人>」として、一時的にもてはやされもしようが、その後権謀術数により、今度は悪魔の使いとでも呼ばれ、拷問の末、歴史の闇へ葬られるのではあるまいかと思われたほどである。

 

 とにかく、フランソワにとってはギベルネスが診察にやって来た時からすべてが好転していった。単に彼がモルヒネによってフランソワの苦痛を除き去ってくれたというそれだけではない。薬によって痛みを忘れていられる時間が出来ると、彼の元には何人もの見舞い客が次々とやって来た。そのほとんどは聖ウルスラ騎士団の騎士たちであり、彼らはフランソワに特段あれこれ質問して聞くでもなく――まず第一には彼の傷の具合のことを心配し、あとはあれこれ四方山話をして帰ってゆくのであった。

 

「あの黒騎士のロットランスと青銅の騎士のテオドール、それに白銀の騎士のアビギネな。三人ともローゼンクランツ州のローゼンクランツ騎士団の騎士だったらしい。それで、三人とも例のハムレット王子にお仕えしていて、メレアガンス伯爵に味方になってもらおうとしていたってことなんだ」

 

「だけど、ほら……メレアガンス伯爵は良い方だけど、ほら、その……なんていうか、ちょっと優柔不断ってえか……ま、その気持ちもわかるじゃねえか。だって、王都テセウスじゃ、道端にゴミを捨てたってだけで明日には縛り首になるって笑えねえジョークまであるくらいなんだからさ。第一、代々ペンドラゴン王朝に忠実に仕え続けたボウルズ伯爵ですら、これ以上もない悲惨な形で拷問死を遂げているんだぜ。次は自分の番かもしれないと思ったら、もし俺が――なんとも恐れ多いことではあるが、もし俺が伯爵さまであったとしても、ハムレット王子にお味方しようとは、すぐには思えなかったに違いない」

 

「ハハハッ!!それにしても、あのお嬢さんの演説は俺たちにゃなかなか効いたな」と、キザイア・マイユが愉快そうに笑って言った。「ああ、そっか。フランソワ、おまえは自分の馬に蹴られちまったもんで、アビギネ……いや、ほんとはギネビアって名前のあのお嬢さんの俺たちに対する説教を聞いてなかったんだっけな。まあ、簡単に縮めて言えば、俺たちが騎士としてぶったるんでるもんで、俺やアラン・アッシャーなんかは女の彼女に負けたんだってえな話さ。やれやれ。ローゼンクランツ州では素質さえあれば女でも騎士になれるのかね。ここメレアガンス州ではまったく考えられん話だが」

 

 見舞いに来た騎士たちは、色々なことを楽しげに話し、その後どういうことになったのかを教えてくれ、その他「アビギネに説教されたので、娼館通いを暫くやめにゃあならん」、「なんだっけ?俺たちゃローゼンクランツ騎士団様と違い、魂の鍛錬が足りないということだったからな。ま、ああまで言われちゃ暫くは反省し、大人しくしてにゃあなるまいよ」などなど、面白おかしく語って帰っていくのだった。

 

 フランソワは長い言葉を話せなかったため、軽く頷くなどして顔の表情によってその意思を伝えるか、「ああ、そうか」といったような短い単語しか語ることは出来なかったが、大体のところ彼らがすべてにおいて上手くやっているらしいとわかり、ほっとしていた。また、フロモントが最後、ゴホンゴホンと白々しい咳をつくのを合図として、彼らはようやく重い腰を上げるのが常だったが――紋章官のマルセル・ド・ロクスリーがやって来た時、フランソワはモルヒネで痛みが引くようになってから書いた、ある手紙を彼に託していた。

 

 つまり、それは今後はフランツ・ボドリネールに聖ウルスラ騎士団長の位を譲るというものであり、何も自分がわざわざそのように手紙に一筆書かずとも、いずれそうなるであろうことはフランソワにしてもわかっているつもりであった。単に彼は、すでに自分が騎士団長という地位にまったく拘ってないことを示すため、また己の罪を懺悔するため、そのような手紙をしたためたわけであった。

 

 そして、マルセルにその手紙を託した翌日、フランツが見舞いにやって来た。彼もまたボードゥリアン邸へ見舞いにやって来たいとは思っていたが、自分という存在がフランソワの傷に障るかもしれないと考え、もう暫くの間は遠慮したほうがよいかもしれぬと考えていたのである。

 

 フランツはこの時、フランソワと目と目が合うなり泣きだしていた。「馬鹿だな」と、フランソワはその昔、自分とレイモンドの後をついて回ってばかりいた弟分に対し、笑ってみせた。

 

「べつに僕は、聖ウルスラ騎士団の騎士団長の地位が欲しかったってわけじゃないんだ……」

 

「わかってるさ。それに、おまえと俺の仲で、そう長ったらしいような説明はいらん。話のほうなら、みんなから色々聞いた。なんでも、巫女姫さまから直々の文書が届いたそうだな。もっとも、ディミートリアさまの直筆の文書などというのではなく、巫女姫の語った言葉を側近巫女が書き記し、さらにそれを神官どもが正式に法的効力のあるものとすべく、聖ウルスラ神殿神官庁の有難き判と封印のあるものが届いたってことなのだろうがな……それには、おまえを聖ウルスラ騎士団の騎士団長に命じるということと、兄貴のレイモンドを騎士として叙任するようにと書いてあったのだろう?」

 

「うん。そうなんだ」

 

 フランツは、ベッドの横にある椅子のひとつに腰かけると、フランソワが彼が想像していた以上に元気なのを見て、心からほっとしていた。

 

「ほら、マリアローザさまを悪魔崇拝教のクエンティスから身を挺して守ったことで……その褒美といったことだよね、ようするに。みんなとも相談したんだけどさ、兄さんには副騎士団長の地位に就いてもらうってことで話のほうはまとまってるんだ。だって、巫女姫さまからそのような有難い申し出があったのに、なんの地位にも就けないっていうのもちょっとどうかってことでね」

 

 このあたりの話についてであれば、フランソワはすでにレイモンドから聞いていた。彼の親友は「あの巫女姫さまも、一体何を考えているのやら」と皮肉げに言いつつ、それでいてレイモンドが内心ではこの上もなくそのことを喜んでいると彼にはわかっていた。フランソワ自身、親友が騎士として復帰した騎士団に、もう二度とは戻れぬことを心から悲しみつつ――そのこと自体はとても嬉しいのだった。

 

「あの娘……名をなんと言ったっけ?フランシスなんとかという……その娘と結婚する予定だと、レイモンドから聞いた。並いる貴族の娘たちとの見合い話をすべて袖にしてな」

 

「う、うん。父さんもさ、ようやくなんか色々、納得したみたいなんだ。兄さんも、そのう……あの綺麗な女の人と結婚するみたい。今じゃさ、屋敷の中で母さんがまた父さんに勝ち鬨をあげるようになった感じかな。ほら、僕もフランシスもそういう考え方はしないけど……母さん、『平民出の女なんかより、もっと立派な女性とレイモンドは結婚するそうですよ。おほほほ』なんて、嬉しそうにしょっちゅう言うんだものな。あ、これ、嫌味とかそういうんじゃ全然ないんだ。実際のとこ、一度うちに兄さんが紹介しに連れてきてくれたけど、これからは僕たち、家族みんなでそれなりにうまくやってけそうな感じなんだよ」

 

「そうか。良かったな」

 

 この時、フランソワは突然にして胸の奥が痛んだ。モルヒネの効果が消えかかっているからではない。彼のマリアローザは今ごろどうしているだろうかと思うと、胸が痛んだのである。レイモンドからは、ウリエール邸に現在は軟禁状態らしいとは聞いたが、それ以上のことは情報通の彼にもわからなかったらしい。

 

「その、さ……余計なことだったらごめんって思うんだけど、フランソワは巫女姫……じゃなくて、マリアローザさんとのこと、どうするつもりなの?」

 

「そうだな。なんにしても俺はまず、この傷を治さにゃならんだろうよ。今は俺からウリエール邸に手紙を出すことも、誰か使者でも出して物を届けることも出来んし……父親のウリエール卿が脱兎の如くメレアガンス州から逃げ出したと聞いた以上、誰かがあの娘には味方してやらねばなるまい」

 

「それは……ようするに、愛してるからってこと?」

 

「さてな」と、フランソワは微苦笑した。いつか、フランツとこんな話をする日がやって来るとは、彼にしても思ってもみなかった。「おまえもこれから結婚する身だと聞いたからな、一応後学のために少しくらい最後にそんな話でもしておこうか。残念ながら、俺とマリアローザのこれからの道は薔薇色に輝いているんじゃなく、ただ荊の苦しい道だけがある。そういう時、普通の男と女の恋人同士というのは、『それでもわたしたちの間には愛がある』とでも言える逃げ道があるに違いない。だが、俺とあいつの間にはもう何もない。いや、俺の側にはあっても、あいつに何もなければ、それは俺の中でもないに等しいものに変わり果てるだろう。何分、相手は普通の女ではないからな。父親から偽の巫女姫として仕立て上げられ、神殿でも何不自由なく我が儘放題に振るまうことが許されたんだ。あいつは名門騎士の家系の、聖ウルスラ騎士団の騎士団長としての俺にだけ興味と関心があった……そういうことなら、この先何をどうしたところで、俺とマリアローザの関係はうまくいかないだろう。だが、次に会った時、あの娘にとってはそういうことなのだということがわかっても、俺はせめてもマリアローザのことを愛しているという振りくらいはせねばならん」

 

「それは……どうして?」

 

 フランツには、フランソワの言っていることの意味がわからなかった。彼の兄のレイモンドであれば、おそらくすぐにその意味するところを理解していたに違いないが。

 

「俺がマリアローザと接見することは、おそらくこのまま二度とないか、あるいはあっても法廷で、お互いに相当距離を取ってということになるだろう。あの娘のほうで、俺のほうにたぶらかされて嫌々ながらこのような関係になったと言うのかどうか、そこのところはわからん。俺にとってもそこらあたりはどうでも構わないし、気にしない……」

 

 フランソワはそのまま話を続けようとしたが、「僕は気にするよ」と言って、フランツは彼の言葉を遮った。「だって、フランシスがもし……一度はお互いに愛してるって言いあった中なのに、何か都合の悪いことが起きて、突然そのことを否定しだしたら『なんだこの嘘つき女は』って絶対思うと思う。というより、僕だったら絶対許せないし、そのことで彼女に対して恨みの気持ちを抱かずにはいられない気がする」

 

(だからおまえはガキだというんだ)とは言わず、フランソワは一度溜息を着いてから、話を続けた。

 

「つまりな、あのマリアローザって娘はそのくらい世間知らずだという話なのさ。フランツ、おまえの可愛い恋人のフランシスであれば、世間ってものをある程度は知ってるし、処世術ってもんがどんものかも心得ってものがあるだろう。だが、あの娘は本当にそんなことさえ何も知らない。だから、父親のウリエール卿には捨てられ、今はどんな扱いを受けているかは知らんが、もう自分にはなんの後ろ盾もないと感じていることだろう。それで、周囲の人間の誰かれ構わず、こんな可哀想な自分を憐れんでくれ、自分は実の父親が権力を得んがため、巫女姫に祭り上げられたんだとでも……泣いて縋っていれば、まだしも可愛げがある。ところがだ、小さな頃から我が儘放題に育ってきているせいか、変にプライドの高い娘だからな。次に俺と法廷のどこかで会って、マリアローザが俺に対して『ひどいかどわかしを受けた』だなんだのと罵るのは構わない。だが、せめても俺くらいは……彼女が何をどう言おうと『愛している』とか、『それでも愛していたんだ』と言ってやらないことには……あまりにもそれは酷い話なんじゃないかということを、俺は言ってるだけの話なのさ」

 

「でも、それって結局ようするに……」

 

(愛してるってことなんじゃないの?)と言いかけて、フランツは口を噤んだ。彼は兄のレイモンドにも、フランソワと元巫女姫のマリアローザがどうなるかと、心配で聞いたことがある。今まで、巫女姫が姦通を働いたといった前例はないにせよ、巫女の姦通罪は告発されれば死罪であると決まっていることから――法律に照らして言えば、ふたりはともに死刑となるはずなのである。

 

『男と女のことはわからんよ』と、彼の兄は言った。『俺にしても、どういった経緯でふたりが恋に落ちたかを、多少なり聞いた程度のことに過ぎんからな。だがまあ、ただ一度見つめあっただけで、その瞬間に「ああ、この女だ」、「この男だ」と思い、「お互いにとってお互いがお互いのものだ」と直感しあうということはあるだろう。もちろん、それがただの錯覚で終わることもあれば、結婚し子供も成したものの、何故あの時そんなことを思ったのかについて、のちに後悔するってこともあるだろう。フランソワとマリアローザがどうなのかは……ふたり以外の他の誰にもわからないことなんじゃないか』と。

 

「とにかくな、フランツ。俺はおまえにはこれから結婚して幸せになってもらいたいという、これはそうした話なんだ。巫女姫ディミートリアが聖ウルスラ騎士団長におまえのことを任命したのだから、変に卑屈になったり、自分はこの任に相応しくないのではないかなどと、くよくよ悩んだりしないことだ。まあ、レイモンドがついているからそのあたりについては心配してないが、俺にせよ他の誰にせよ、その者こそが我々の騎士団長だということになったとすれば、みんなが必ず盛り立てていってくれる……騎士同士の仲間の絆は血よりも濃いものだからな」

 

 フランツとフランソワの間には、もうなんのわだかりもなかった。それは、室内で最初に目と目の合った瞬間からわかっていたことではあるが、この時、他の聖ウルスラ騎士団の騎士たちのみなが感じていたとおり――フランツも(彼ほどの素晴らしい騎士を失った)という喪失感と寂しさを感じつつ、ボードゥリアン邸を彼もまたあとにするということになっていた。

 

 その後、ハムレット王子一行は、メレアガンス伯爵の親書を携え、メルガレス城砦からロットバルト州へとさらに旅の駒を進めていったが、フランソワとマリアローザの裁判については、随分時間がかかって結審へ至っていたようである。セシル・ヴォーモンは連日のように出勤時と退勤時に、ふたりを擁護するための民衆の群れに行く手を阻まれたものだった。そこで彼は、日一日と増える「元騎士団長と元姫巫女」の助命を嘆願する人々に対し、「その嘆願書に署名を集めなさい」と助言していた。「署名した人の数が多ければ多いほど、あのふたりの罪も少しは軽くなるかもしれないからね」と。

 

 今では、聖ウルスラ騎士団のサイラス派だった騎士たちも、彼の従騎士だったセドリックも、父親のラウール・フォン・モントーヴァン卿も……フランソワ・ボードゥリアンのことを赦していた。というより、彼は罰のほうならばすでに十分すぎるほど受けていると、誰もがそのように感じ、市民たちの集めている彼とマリアローザの助命の嘆願書に署名することさえしていたほどである。

 

 また、セシル・ヴォーモンがこのメルガレス城砦における――否、メレアガンス州はじまって以来の大スキャンダルといっていい件に関し、時間をかけたことにはある理由がある。まず先に巫女姫マリアローザに危害を加えようとした悪魔教の崇拝者クエンティスの裁判の判決を下す必要があったこと、さらには時間をかければかけた分だけ……民衆たちのふたりに対する同情はより深く高くなりそうだと思われたということがある。

 

 セシル・ヴォーモンは大法官という、この州の法律に関し、最高位の地位にある者ではあるが、それでも<民意>というものを完全に無視するというのは賢いやり方でないということは、よく心得ていたのである。たとえば、クエンティスに関しても、母親はアルコール中毒者、父親は大工だったが怠け者で、夫婦仲は悪く、彼が幼い頃から働き他の弟妹たちを養ってきた……極貧といっていい貧しさが彼の元はあった正しい神への信仰を曲げ、ついには悪魔の囁きに負けたというのは、ヴォーモン卿にとっては「情状酌量の余地」があることのように感じられてならない。だが、法律に関してのみならず、<民意>に照らしてみても、クエンティスのことはヴォーモンは大法官として極刑に処さざるを得なかったのである。

 

 そのように最終的にクエンティスに宣告が下されるのは早かった。しかも、極刑と宣告されてのち、その二週間後には、彼は早々に処刑場へ引かれていったのである。その上、牢獄から処刑場へ至る間にも数え切れぬほど石つぶてを投げられ、大勢の民衆が睨むようにして見物する中、焼きゴテを体中に当てられ、さらにはその傷口に硫酸をかけられるといった拷問刑が行われてのち――処刑執行人の斧に首を刎ねられ、ようやくのことで彼は絶命していたのである。その後も、クエンティスの首は見せしめとして、長く公開処刑場にさらされたままであったという。だが、その生首にまでも、市民らは通りがかるごと、石を投げたり、呪いの言葉や罵り言葉を声も限りに叫んでいたと、メルガレス城砦の歴史書には記述が残っている。

 

 セシル・ヴォーモンはフランソワ・ボードゥリアンとマリアローザ・ウリエールの元に、それぞれ使いをだし、前もってどういったシナリオによって裁判が進んでいくかを知らせておいた。無論、その使い自体、大法官である自分とはまったく関係のない筋であることを偽装し、さらにはそうした文書は読んだら必ず燃やして証拠を残さぬようにと指示してあった。また、こうしたことを考えあわせてみると、確かにセシル・ヴォーモン卿は大した役者だったと言えたに違いない。彼は九人いる陪審員らが、最終的にふたりのことを無罪にするだろうとわかっていて――あえて、「自分はそのようなことは望まない」といった渋面を浮かべつつ裁判を進めていたのだから。

 

 ヴォーモン卿はふたりに、法廷において民衆たちが望むようなメロドラマを演じるよう前もって通達しておいた。こうしてフランソワとマリアローザのふたりは、互いの間の話になんらの矛盾も生じさせることなく、出会ったその瞬間、瞳と瞳が出会った時から恋に落ちたということなど、実際のところ、語ったことの半分以上が本当のことでもあったがゆえに、またこの結果に自分たちの命と人生のすべてが懸かっているとも理解していたことから……このふたりは変に演技がかってもおらず、毎回真摯な、敬虔といえる態度でこの法廷のほうへ望んでいたに違いない。

 

 この世紀の一大裁判については、民衆の誰もが見たがり、高い倍率の中、聴聞席に入ることが出来た人々は――その日、外に出てくるとマリアローザさまが何を語ったか、フランソワさまが何を言ったかと、興奮して話を聞きたがる人々に滔々と語って聞かせたということである。

 

 最終的に、法廷における焦点は、「このふたりに真実の愛があったか否か」、「もし真実の愛があったのであれば、このふたりを何ぴとたりとも咎めてはならない」といった方向へ導かれていき、聖女ウルスラと聖騎士エドワールの例の神話がかった話が最終的に引き合いに出され……元巫女姫マリアローザと、元騎士団長フランソワ・ボードゥリアンとは、大法官セシル・ヴォーモンの元、「無罪」を宣告されるということになったのである。

 

 ふたりはその後、メレアガンス州の田舎へ引っ込み、ボードゥリアン家が所有していた荘園のひとつにて、つましい生活をしながら夫婦として暮らしていったと、そのように言い伝えられている。だが、後世の人々はそれだけでは自分たちの想像力を満足させることが出来なかったのであろう。巫女姫マリアローザと聖ウルスラ騎士団の騎士団長フランソワの恋物語は、オペラやバレエ、演劇などに脚色され、のちの世において大人気を博するということになる。

 

 これらは、その音楽家なり脚本家によって話の筋がそれぞれ異なっていたり、結末が違っていたりするところが、おそらく面白いところであったに違いない。ふたりは出会ってすぐ惹かれあい、恋に落ちた、その後も人目を忍んで何度となく会い続けた、この際においてもふたりの関係はキスどまりだった、あるいは一度だけ思いを遂げたことがあったなど、それぞれ筋に違いがあったようである。また、聖ウルスラ騎士団の騎士団長と副騎士団長の決戦というクライマックスにしても、気の毒にもフランツは悪役に仕立て上げられる場合が多かったようである。あるオペラの筋では、この時フランツは悪巧みによってフランソワに勝利するものの、その彼の元にマリアローザが駆けつける、瀕死の恋人に彼女が口接けて終わるということもあれば、フランツとの友情との間で引き裂かれ、フランソワのほうでわざと負ける……といった脚色の場合など、様々なバリエーションが存在する結果となったわけである(大抵は、裁判についてまで描かれることはなく、円形闘技場がふたりが愛を確認しあうクライマックスとなり終焉を迎える場合が多かったようだ)。

 

 さて、実際のフランソワ・ボードゥリアンとマリアローザ・ウリエールはどうだったのだろうか。ふたりは、田舎の荘園に引っ込むと、いわゆる<分に応じた暮らし>というのを心得て生活し、地味ながらもフランソワは堅実な荘園経営をし、マリアローザは彼との間に四人の子供をもうけたらしい……ということが、その地方の記録として残っている。そのメートルランディア地方の人々の間に残されている話によれば、フランソワは荘園主として頼れる人物であり、人心を掴むのに長け、物惜しみをしない、快活で英邁な人だったというように言い伝えられているらしい。一方、奥方のほうはあまり人づきあいをしない気難しい女性で、いつでも都会の暮らしを懐かしがり、メルガレス城砦がどのように素晴らしい場所かを語り、自分は本来このような田舎に住むような人間などでない……とばかり、周囲に貴族臭を振りまいてばかりいたという。

 

 フランソワとマリアローザは時に、暫く口も聞かぬほどの喧嘩をすることもあったが、結局のところ子供の存在や、狩猟といった気分転換、さらには古い友人が訪ねてくることなどによって――自然と仲直りを繰り返していたというあたり、その時代の、どこにでもいる夫婦のように暮らしていたというのが真実であったようだ。

 

 さて、ここから舞台のほうはメレアガンス州からロットバルト州、さらにはバリン州や隣国のリア王朝のことなどへ移ってゆくが、この【メルガレス城砦編】については、最後に蛇足として<コレオレイナス食堂>のエピソードを付け加えておこう。ギベルネスは、ギネビアが何かばっちいものでもあるかのように放っておいた孔雀の羽を彼女からもらい受けると、それを<コレオレイナス食堂>のおかみに渡しておいたのだ。「次に、マルヴォアザンとその一味がやってきた時には、この孔雀の羽をちらつかせて『こっちにはボドリネールの旦那がついてるんだ!!」といったように脅すといいですよ」と。

 

 実は、事はこうしたことであった。ギベルネスはウィザールークが屋敷を構えるメレギア町からの帰り道、アヘンを調達するのにメルガレス城砦の外に広がる城壁町のほうへ立ち寄っていた。ギベルネスとしては、こうした大麻や麻薬の類に関するものについては裏の世界の誰それが幅を利かせている……といったイメージが強かったため、そのあたりの事情を地元民に直接聞いてみたわけである。すると、「マルヴォアザンとその一味?あんた、あんなつまらないチンピラと知り合いなのかい?」ということだったので、このあたりのシマは一体誰のものなのかとさらに訊ねてみたところ、「ボドリネールの旦那は確かに払いがいいね」という話であった。また、マルヴォアザンの一味というのは、少なくとも彼よりずっと格下の存在である――ということが、ほぼ同時に判明したわけであった。

 

 もっとも、<コレオレイナス食堂>のおかみはギベルネスから孔雀の羽なぞもらってもピクリとも嬉しそうでなく、彼女が笑顔を見せたのは手伝いの子供たちへチップを上乗せして食事代を払ったその瞬間だけであった。聖ウルスラ祭の間中、<コレオレイナス食堂>は大忙しだった。二階のほうは、子供たちを全員親戚の家へ預けて空くようにしてあり、三組の客を泊めていたし、妹夫婦や従姉妹その他にも交替で手伝いに来てもらったが、それでもいつも以上にてんやわんやの状態であった。

 

 おかみは何かの小さなことで難癖をつけられると、「夫に先立たれて云々」といったいつもの話をし、よよと泣き崩れることで許しを乞い、竈の暑い火の前で料理する間は精神病患者のようにブツブツ呟いてばかりいたものだった。「くだらないことで文句つけやがって」、「まったく、困ったうかれトンチキどもだよ」、「闘鶏や熊いじめででも大損すりゃいいんだ」……などなど、いつも何かのことでブツブツ不満を洩らしてばかりいた。また、そんな時に限って常連客から注文が入ったりすると、「聞いてるよ!次の次の次の次に作るから、待っとくんだね!!」と、鬼の形相で怒鳴っていたものである。

 

 さて、聖ウルスラ祭の前後も含めた約十日ほどの間、<コレオレイナス食堂>は実に繁盛し、おかみは夜中、ひとりで小銭の詰まった壺からクラン銅貨やリーヴル銀貨を取り出しては、「お金がたくさん!あんた、お金がこんなにたくさんあるよ!!お金がこんなにいっぱいあるのなんか、あんたが死んで初めてのことかも知れないね……」などと、夫にブツブツ幸せな報告をしていたものだった。その頬には、苦労の報われた者の、喜びの涙が月光に輝いてさえいたほどだったのである。ところが、子供たちも二階に戻って来、店のほうが大体のところ通常営業へ戻った頃のことだった。例のマルヴォアザンの一味が、聖ウルスラ祭で儲けただろう金を目当てに再び狼藉を働きにやって来たのだ。

 

「ババア!金だしやがれ、金をよォッ!!」

 

「聖ウルスラ祭の間、たんまり儲けたんだろ!?ああん?」

 

「ずっと見てたたんだぜェ、こっちは……てめェがよォ、客が壺にチャラチャラ小銭入れるたび、卑屈な笑顔を浮かべて愛想笑いするところをよォ!!」

 

 この時、店内にはギベルネスのようにガラの悪い連中相手に立ち向かおうという気概のある人物はひとりもいなかった。そそくさと店を出ていくのみならず、このどさくさに紛れて金を支払わず、無銭飲食を働き「ラッキー」と内心思っていた者までいたほどである。

 

「お、お母ちゃん……」

 

 食堂がガラーンとし、心配した子供たちが上から下りて来た時のことだった。おかみは二階の秘密の隠し場所にある六つもの大事な壺のことを思いだし、怯むことなく、細い両目を吊り上げていた。

 

「心配おしでないよ、おまえたち。いいから、そっちのほうに下がっておいで」

 

「なんだ、ババァっ!!ふふん、どうやら観念してようやくみかじめ料ってやつを支払う気になったらしいな」

 

 四人いた男たちのリーダーらしき男が、まるで代表するようににんまり笑ってそう言うと――おかみはギベルネスからもらった例の孔雀の羽をカウンターの下にある棚からゴソゴソ取り出していた。それからそれを男たちの前にずずい、とばかり見せつけるようにして叫んだ。

 

「おまえたち、これを見ろォッ!!これは暗黒街の教祖、ボドリネールさまがわたしにくださったものなのさァ!!わかったらとっととここから出ておいきっ!!それで、もう二度とその汚いツラ、この店に見せにやって来るんじゃないよっ!!」

 

「なんだと、このババァ。とうとう頭がおかしくなったんじゃねえのか!?」

 

 四人いた男のひとりが嘲るように言って笑ったが、残りの三人は違った。「ヒャハハッ!!」という、仲間内で一番若い男の笑い声を聞いても、一切笑うことはなく――「あの孔雀の羽は確かに、ボドリネールの奴のもんだろう」、「たぶんな。間違いねえ」などと真顔で話しあい、すごすご後退りすると<コレオレイナス食堂>から何事もなかったかのように出ていこうとしたのである。

 

「フハハハハァッ!!おまえたち、これが目に入らぬかァッ!!ボドリネールの孔雀!孔雀のボドリネールっ!!とにかく、わたしがボドリネールと言ったら、それはボドリネールなのさァッ!!」

 

 ギベルネスの言っていたとおり、本当にこの孔雀の羽にご利益のあることがわかり、おかみはすっかり鼻高々で調子に乗りまくった。実際、男たちのほうでは彼女が一言「ボドリネール!!」と叫ぶごと、一歩、また一歩と後ろへ下がっていったのだから、効果覿面という言葉は、この時のおかみのためにこそあるような言葉だったに違いない。

 

「く、くっそおっ!!覚えてろよっ!!」

 

 三人の男たちは黙って逃げるように立ち去っていったが、最後に若い男ひとりだけが、そんな捨て科白を吐き、ようやくのことで出て行った。弱い者に取り憑き、不法な方法によってしか金を稼ごうとしない人間というのは、いつの時代もどこにでもいるものである。だが、おかみはそんな連中の悪の権威に屈することなく、孔雀の羽ひとつと少しばかりの勇気で打ち勝ったのであった。

 

「さあ、おまえたち。心配おしでないよ。今日はもう、店のほうはこのまま閉めちまおう。母ちゃん、聖ウルスラ祭の間、一生懸命働いたからね。そのお金で、おまえたちにちょっとしたものなんかを買ってあげることが出来ると思うよ。それから、今日はお母ちゃんの作ったのでない、何か美味しいものでも食べにいこうね」

 

 六人いた子供たちはみんな、わっと喜んで、母親の元まで駆け寄って来た。こののちも、彼女の亡き主人の残したこの<コレオレイナス食堂>は繁盛し続け……小金が貯まった頃、ビールやワインを質のいいものに変え、食堂の建物が古びてきた頃には成長して大工になった長男が手入れをし、娘たちは嫁に行ったあとも親に対する恩を忘れず、時間のある時には必ず店を手伝いと――その後も悪い人間に足許を見られることなく、家族みんなで協力しあい、コリオレイナス一家は幸せに暮らしていったようである。

 

 

『惑星シェイクスピア』第一部、了。第二部へと続く。


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