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こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ピアノと薔薇の日々。-【8】-

2021年04月12日 | ピアノと薔薇の日々。

 

 ええと、今回の前文は↓の本文とあんまし関係のない話だったり(^^;)

 

 前回の【7】のところで、マキが「おお、ブレネリ」の歌詞に出てくるスイッツァランドを「天国的イメージ」として捉えている……みたいな話が出てきたんですけど、これは言うまでもなくもちろんスイス民謡です♪

 

 

 

 こちらはチェコ民謡

 

 

 

 ポーランド民謡です

 

 

 

 こう3曲続けて聴いて、「♪心が癒される~」なんて言ったとすれば、なんか心が病んでる気もしますが……なんにしても、マキが小さい頃悲劇的な事件を目撃して、これらの歌のイメージから――天国にスイッツァランドという名前をつけたらしいという、そうしたお話でした(^^;)

 

 3曲目の「森へいきましょう」あたりなんて……わたしが映画の脚本家か監督だったら、連続殺人鬼にこの歌を歌わせながら人を殺させるところだなあ、なんて思います

 

「♪アッハハ」のところで必ず斧で相手の男を殴りつけるという……あ、やっぱり病んでるんでしょうね(笑)

 

 あと、次の曲はあんまし関係ないんですけど、春なので

 

 

 

 この「♪ホーヨ、ホヨヨ」は何故か、一度聴くと忘れられませんよね(^^;)

 

 幼な心にも「なんで春の土手で弁当食ってるだけなのに、こんなに悲しそうなんだろう……」と不思議だったものです。

 

 では、次回はマキinパリの第2回目といったところかな~なんて思ったりm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

     ピアノと薔薇の日々。-【8】-

 

『ベニスに死す』を映画館で見た翌日の土曜日、マキは君貴が宿泊しているホテルのレストランで食事をし、そのあと彼のスイートルームのほうへ上がっていった。そして、日曜日は一日中ベッドの中にいて、時々ルームサービスを取って食べる……といったような、幸せな一日を過ごした。

 

 大体、君貴は月に一度は日本へ来るようにして、マキと数日デートして帰る――といったことを繰り返していた。そして、マキは恋人との月に一度の逢瀬を楽しみに、相も変わらず週に六日働くという、花屋の地味な事務員としての仕事をこなすという日々だった。

 

 だが、そんなふうにふたりの関係が半年ばかりも続いた時のこと、君貴はそれまでも何度となく口にしていたこと……『どうにか休みを取って、パリにでもやって来れないか』と聞いた。

 

『年末年始に、仲間内でちょっとしたパーティがあるんだ。男ばっかりだが、男にしか興味のない連中ばかりだから、マキが気を遣う必要はないよ』

 

「……無理よ。うち、年末年始に、そういうパーティのある場所へ花を飾りにいったりとか、色々あって結構忙しいの。それに、パリだなんて……わたし、フランス語はおろか、英語も話せないお馬鹿さんなのよ」

 

『そうか……あっ、マキがお馬鹿さんだって、肯定したわけじゃないぞ。ただ、普通はどこの会社も、年末年始は少し長めに休んだりするだろ?だから、そこに何日か足して休めないかと思ったんだ。マキに、出来れば俺の住む世界を知ってもらいたいと思って』

 

「少し、考えてみてもいい?」

 

『ああ。いい返事をしてくれたら、嬉しい』

 

 ――君貴からの電話を切ると、マキは絶望のあまり、暗い溜息を着いた。ついに、来るべき時が来た……といったように感じていた。

 

 どういうことかというと、君貴とこの半年ばかりつきあってきて、マキにはだんだんにわかってきた、いくつかのことがある。それは、彼が自分とはまったく違う世界に暮らす、真にハイクラスの人間だということだった。

 

 確かに、君貴は自分につきあって、さして軽蔑するでもなく、むしろ面白がって安い蕎麦屋や居酒屋やファミレスなどにつきあってくれる……けれど、話を聞いている実際の彼というのはどうも、結構な美食家らしかった。ニューヨークに新しく出来た△□のレストラン、パリに昔からある三つ星レストランなど――そうした場所で、仕事仲間や友人たちと食事することが多いらしい。いや、そこまでならまだいい。先週はサルデーニャ島へ行った、ドバイへ、シンガポールへ、デンマークに……どういう仕事の用向きだったのかも、大体のところ話してくれるのだが、マキは君貴がなんでも話してくれるのが嬉しい反面、だんだん複雑に感じるようにもなっていった。

 

 彼はもしや、世界中の巷々に色々な人種・民族の愛人がいるのではないか――といった、そうした疑いではない。いや、マキは時折そんなことを考えて不安になったりもするのだが、自分で直接はっきり「それ」と知ることがない限り、そうした不安や疑惑については切り離しておくことが出来た。

 

 マキは今、遅ればせながら英会話を自宅学習で習いはじめ、自分でも笑ってしまうことには、新聞(!)も取りはじめている。何故といって、彼がまるで「こんなことも知らない奴は馬鹿だ」といったような口調で、世界情勢について語ることがよくあるせいである。

 

(はー、それなのにフランス語までだなんて、とても無理だわ……)

 

 しかも、君貴は年末年始に『仲間内でパーティがあるんだ』と言っていなかったか?しかも、男ばかりのパーティ……マキの記憶にある限り、彼の口から女性の個人名が飛び出てきたようなことは一度もない。友人のなんとかがこんな馬鹿なことを言った――そうした話をする時、君貴は男の個人名しか口にしたことはない。

 

 そうした友人たちの集まりに、自分にも来て欲しいということは……普通に考えた場合、たぶんこれは君貴が自分との関係をそれだけ真面目なものとして考えてくれている、そう思っていいのだろう。けれど、マキはしり込みしていた。英語もフランス語もしゃべれないのに、そんな場所へ自分が出かけていって、君貴に恥をかかせないという自信が、彼女にはまるでなかった。

 

(少し考えてみてもいい?なんて言ったけど、どうしたらいいのかしら。実は年末年始なら、休もうと思えば休めなくもないのよね……)

 

 年末年始は、パーティなどの飾りつけで忙しいというのは、本当である。だがそれは、店の裏側の倉庫内は営業しているという意味で、表の店のほうは年末の28日から、正月の3日くらいまで閉めるのだ。

 

(でも、フランスのパリくんだりまで行って、ただわたしだけが恥かしい思いをして帰ってくるっていうことだって、ありえるわけだし……ううん。実際それが一番ありえそうっていうか、可能性として一番高いわ)

 

 マキとしてはこのまま、君貴が月に一度くらいのペースで日本へ来てくれる――という今の関係をずっと続けたかった。けれど、いつか今のような事態が起きて避けられない……ことも、頭のどこかで考えていないわけではなかった。

 

「そうよね。今回を逃したら、もうこんなに長く休みが取れるっていうことだってないんだし……」

 

 結局、マキはまるで気が進まなかったものの、溜息を着きつつ決断した。マキは君貴から電話の来た三日後くらいにそのことを話したのだが、おかしな話、自分から「来てくれたら嬉しい」なんて言っていた割に――君貴はマキの返事に慌てていたようだった。

 

「でもわたし、海外旅行ってこれが初めてなの。ちゃんと到着できるかどうかすら不安だし、ほんとに飛行場まで迎えに来てくれる?」

 

『ああ、必ず行くよ。そうだな……チケットの手配とか、こっちで全部やってもいいんだが、これからのことも考えると、マキが自分でやるか?もちろん、金のほうは俺が出すよ。クレジット番号を言うから、書き留めてくれるか?』

 

「いいわ。飛行機代くらい、自分で払うわよ。っていうか、すごく不安なの。フランス語が話せないのはもちろんだけど、君貴さんの男ばっかりの集まりにわたしなんかが行って、本当に大丈夫なの?わたしひとりだけ浮きまくって、誰が何をしゃべってるのかもわからなくて、ただ黙ったまま苦痛な時間を過ごすとか……ようするにわたし、怖いのよ」

 

 マキの電話の声色から、彼女がまったく気が進まないらしいのがわかって、君貴は胸が痛んだ。だが、自分のほうも頭の後ろのほうでリボルバーの撃鉄を起こす音が聞こえている……といった状態なのである。

 

『大丈夫だよ。俺も、出来る限りのことはするから……ただ、自分で招待しておいてなんだけど、こんな寒い季節にごめんな。冬のパリはとても寒いから、なるべく暖かい格好をしてきたほうがいい』

 

「わかったわ。そういうこともこれから、観光ガイドなんかで調べて、よくチェックしとく」

 

『うん。じゃあ、飛行機のチケットを取ったら、連絡してくれ。え?大丈夫だ。もうその頃は俺も、パリにいる予定だから。あと、ドゴール空港へは、必ず俺が迎えにいくよ』

 

「じゃあ、チケットを取ったら、また電話するわ」

 

 ――君貴が電話を切ると、レオンが怖い顔をして彼の後ろで腕組みして立っていた。

 

「あの子、パリに来るって?」

 

「ああ。だけど、彼女はあんまり気乗りしてないみたいなんだ。そりゃそうだよな。他の季節ならともかく、冬のパリは冬のニューヨーク同様寒い。なあ、どうせならもっと暖かい季節に、どこか別の場所で……」

 

「シャラップ!」

 

 本気で怒っているレオンに逆らえず、君貴は言われたとおり黙った。

 

「いいかい、君貴?これは重大なルール違反だって、僕は再三おまえに言ってきたはずだよ。それなのにずるずるあの子との関係を続けて……もう僕も我慢の限界だ。そろそろ白黒はっきりつけさせてもらうよ」

 

「だから、何度も言ってるじゃないか。悪いのは俺ひとりであって、マキに罪はないんだ。そりゃ、俺は構わんよ。俺がゲイだと知ってマキが離れていくなら、それはそれで仕方ない。そう思って諦められる……だが、そのことでマキがどんなに傷つくかと想像しただけで、胸が痛いんだ」

 

「そんなの、僕の知ったことじゃないよ。というより、おまえも少しくらい苦しみゃいいとしか、僕は思わないからね。僕とも、そのマキって子とも、同時並行でうまくやろうなんて考え自体、そもそもどうかしてるんだ。月に一度、僕が世界のどこかでコンサートをしてる時期を見計らって日本へ行き、彼女と寝る……それから僕のところへ戻ってくるだなんて、調子がいいにもほどがある。いいかい、君貴。誰がどう聞いたって、僕の主張のほうが正しいはずだよ」

 

 このあと君貴は、これまでにもレオンが何度となく繰り返してきたことを、今一度拝聴した。すなわち、彼らが関係性としては、同性婚しているのも同然な間柄であること、つまり、お互いの間に不貞行為があった場合――法的に言えば、その相手をも訴えることが出来るということである。

 

「だけど、僕と君貴は実際に結婚してるわけでもないし、社会的イメージが壊れるといった意味でも、わざわざ自分たちがゲイであることを公表する必要まではないと思ってることでも利害が一致してる。でも、君貴がそのマキって子とこれからもつきあい続ける……いや、もっとはっきり言おう。ヤリ続ける気満々だって言うんならね、そこまでのことをしてもらわなきゃ、僕はもう気が済まないっていう、これはそういう話だよ」

 

「わかったよ。べつに俺だって、レオンと結婚したからって、何か社会的に立場が危うくなるとか、そういうことはないからな。まあ、教会とか、そういった建築物については依頼がゼロにはなるか。けど、今はもう「あのホモ野郎には仕事を回すな」とか、そういう時代ではないからな」

 

「これでも僕は、君貴にずっと気を遣ってきたつもりだよ。そんなこと言ったって、蓋を開けてみたら仕事が一時的に激減したとか……キリスト教的古い価値観は、衰退しているようで、今もまだ結構根強い力を持っているものだからね。僕だって、『ピアニスト、レオン・ウォンがゲイをカミングアウト』なんて、色々ネットで言われたりなんだりしなけりゃならない。いや、僕はいいさ。だけど、君貴に迷惑がかかると思うから、お互い、『生涯誰とも結婚はしない』という取り決めをして、そこに落ち着いてるんじゃないか」

 

 レオンは君貴の隣に座ると、彼が素描しているオペラハウスの外観イメージを覗き込んだ。都合が悪くなると、いつでも彼はすぐ仕事に逃げ込むのだ。

 

「それ、上海に新しく出来る、オペラハウスのデザインだっけ?」

 

「まあな。もっとも、まだはっきり俺に決まってるってわけじゃない。他にも競合相手がいて――まあ、向こうのお偉いさんがいくつか出た案の中から、これが一番よかろうってな具合に、民主的に決めるんじゃないかね」

 

「君貴、好きだよね。僕の母国に等しい国を、名ばかり人民共和国呼ばわりするのがさ」

 

 君貴は、手だけは動かしたままで、笑った。チェルシーの彼の家では、冬はいつも暖炉で火が燃えている。レオンは自分の恋人の、暖炉の炎色に染まる横顔をじっと見つめていた。

 

「中国は、商売をするのに悪い国じゃない。だが、本質的に好きにはなれんな。これは俺が日本人だからってこととは関係ない。コンペティションに参加しないかという依頼が来たから受けた。もしうちに本決まりになれば、シドニーのオペラハウス同様、世界的に有名なランドマークになるだろうことは間違いない。中国は他の国とはシステムが違うから、そういう部分で厄介なところは多々あるにせよ、もし大多数の人間が「あっ!」と思うようなものを完成させることが出来たとすれば――俺の元にはまた大きな仕事の依頼がある。その循環が大切だっていう、これはそうした話だな」 

 

 君貴の浮気に関して、彼らふたりの間に温度差があるのはいつものことだった。そして、レオンは君貴が素描に集中している横顔を見て、(なんだか、いつも通りだな)と感じはじめた。彼が何より面白くなかったのは、今度の相手が『女』で、しかも『ヴァージンで純粋だ』などと君貴が抜かしたためだったのだが……(いつもと同じ浮気なら、僕もそう心配する必要はなかったんだろうか)と、恋人の冷静な顔を見ているうちに、少し落ち着いてきた。

 

 もし相手の女に本気で入れあげているなら、東京の花屋の女をパリに呼べ!とレオンが言った時点で――もっと焦って、なりふり構わず自分の計画を阻止しようとしていたはずだ。それなのに、『ゲイがバレることは構わない。だが、そんなことになったらマキが可哀想だ』なんて……レオンはむしろ、君貴のほうがどうかしているのではないかとしか思えない。

 

「それで、おまえ一体どうするのさ?僕は本気だよ。そのマキって女に、君貴には僕っていう長年の恋人がいるんだから、これ以上僕たちの間に入ってくるのはやめてくれってはっきり言ってやるつもり。実際のところ、もしそうなったらおまえ、どうするの?」

 

「そうだなあ」

 

 使い慣れたペンで、頭をがしがしかきながら、君貴は溜息を着いた。彼は設計のことで悩んでいるのであって、この愛人問題については、さして悩んでいないようにも見える。

 

「レオンはなんだか、マキのことで俺が何も感じてない人みたいな言い方をするが……それが俺が今回、罪を犯した罰として耐えねばならんところだということだろ?だからまあ、耐えるさ。マキが俺がゲイだとわかって、ショックとともに日本へ帰国する……一部始終を見守るよ。けど、あの子はそのことでグッサリ傷ついて帰るわけだから、俺がパリの街を案内したりなんだりするくらいのことは、見逃してくれるだろうな?」

 

 途端、レオンはいかにも「けっ」と言いたげな顔になる。

 

「そうだねえ。っていうか、おまえ自分で何言ってるかわかってんの?そのマキって子はヴァージンを捧げてすっかり夢中になってる男に裏切られて、惨めな気持ちで日本へ帰るんだよ?そんなことしたら、傷口に塗られる塩の量が増えるだけのことだとしか、僕には思えないんだけど」

 

「しょうがないだろう。まさか、マキがドゴール空港に到着した途端、『すまん、俺は実はゲイなんだ!というわけで、このまま日本へトンボ帰りしてくれ』ってわけにもいかないんだから。なんにしてもレオン、おまえの好きにしろよ。それでマキの心が俺から離れていくなら仕方がない」

 

「その言い方、なんかマジでムカつくんだけど!っていうか、君貴がとても自分の口からはゲイだなんて言えないっていうから、僕は……」

 

「わかってるよ!何もかもすべて、俺が悪い。それでいいだろ?俺は今、無罪の人間が罪もないのに苦しんだり悲しんだりするのを思って、自分が証人として立たなかったばっかりに……という、そんな卑劣漢の立場に立たされてるようなもんだ。ほんと、今年は早くクリスマスが終わって、新年がやって来て欲しいよ。なんでかと言えばだな、無原罪の子羊を屠って、あとはもうとにかく懺悔して過ごし、『自分はなんて悪い人間なんだ』と、神に赦しを乞いたい気分だからだ」

 

「ふん!そんなの、偽の信仰心しかない、ただの偽善者じゃないか」

 

「なんとでも言え!」

 

 レオンはこの日、ひとりリビングに君貴のことを残し、先に休むことにした。マキのことを彼がこれ以上放っておけないと考えたことには、いくつか理由があった。レオンにもうまく説明できないが、とにかく君貴はある瞬間から優しくなったのだ。それは、浮気している夫が、その後ろめたさゆえに、過剰なまでに家庭サービスし、妻に猫撫で声を使う……といった種類のことではなかった。それだってもちろん十分我慢できないことではあるが、君貴の場合はそれ以上だった。ようするに、そのマキという娘が及ぼした人格的影響によって――彼はイライラする回数が少なくなり、人前で痛烈な皮肉を言うのを控えるようにさえなったのだ(これには秘書の岡田も驚いていた)。

 

(くそっ!あったまに来る。なんで、よりにもよって僕が、こんな気持ちにさせられなきゃならないんだ。あの日本娘には罪はないだって?無原罪の子羊だって?冗談じゃないぞ。それでいったらなんだか僕は、楽園でエヴァに林檎を手渡した蛇のような役割じゃないか。僕だってべつに、なんにも悪くないのに……)

 

 何よりレオンがもっとも腹の立つのが――時々、君貴があの娘のことを考えているらしいと、はっきりわかる瞬間があることだった。そういう時、レオンはとりあえず、「君貴、人の話聞いてる?」と訊く。もちろん向こうは「ああ、聞いてるよ」なんていうふうにもごもご答える。だが、実際には大して聞いてなぞいないのだ。近頃では――というより、これは結構前からそうだったのだが、君貴とセックスしている行為の最中でさえ、寝室の片隅にマキという娘がいるように感じることさえある。

 

「君貴、おまえ、例の日本娘と僕とセックスするのと、どっちがいいと思ってるのさ?」

 

 一流フランス料理店ではっきりそう聞いてやると、流石の君貴も慌てた様子だった。周囲には、ドレスコードを守って着飾った御婦人や紳士など、そうした上品な人々がそれぞれテーブルを囲んでいる。

 

 もっとも、この時レオンは日本語で話していたので、まわり中フランス人だらけの環境で、彼の話す言葉を理解できていた人は誰もいなかったのだが。

 

「……どっちがいいとかいう、これはそういう話じゃないよ」

 

「ふうん。じゃあ、そのマキって子にはしゃぶらせてるの?」

 

 君貴は口許に運んでいたスープをこの時、はっきり吹きそうになった。

 

「レ、レオンおまえっ!今食事中だぞっ!!TPOをわきまえろ」

 

「大丈夫だよ。僕らの話してる言葉は、まわりの誰にもわからない。君貴、ここがどこだかわかってる?自分たちの話す言語が世界最高だとか自惚れてる、個人主義がもっとも発達した国だよ。僕らの会話になんて、誰も注目してない。だから、もう一度聞くよ。その子にもそういうことさせてるの?っていうか、もしそうならそれはおまえが何も知らない処女の娘にそう教え込んだってことだよね?僕の知る限り、女からは進んでおフェラなんていう下品なことはしたがらないって話だから」

 

「……させてないよ、マキにそんなこと。せっかく、食べる詩かというくらい美味しい芸術作品を食べてるところなんだから、集中させてくれ」

 

(あー、人前ではっきり言ってやってスッキリした!)

 

 レオンは心の中で口笛を吹いた。だが、オマール海老と手長海老のグリエが運ばれてきてからも、レオンは決して追求の手を緩めたりはしない。

 

「でもそれでいくと変だよね?その子、少年体型で胸がほとんどないに等しいんだろ?それでおしゃぶりもなしってことは……よっぽどセックスのほうがいいってことなんじゃないの?あ、そっか!わかったぞ。君貴はきっと、僕とするより、女のヴァギナのほうがいいと思ってるんだ。こんなに献身的に尽くしてる僕より、おフェラもしない娘のほうが……」

 

「レオン、いい加減にしろっ!ここは、予約を取るのも大変な店だってのは、おまえもわかってるだろ?俺はな、こういう格式ばった店には、マキと来たことはない。単に彼女が緊張して疲れるだけだろうってわかってるからな。これ以上おまえとこの会話を続けたら、出禁になって、二度とこの店にやって来ることはないだろう。だから、今この場で先に言っておく。マキとはもう別れるよ。それでいいだろ?」

 

 このあと、レオンは機嫌を直して、実に行儀よく食事をし、君貴が<詩>と読んだフランス料理のフルコースを、最後のデザートに至るまで楽しんだ。

 

 ところが、である。次に日本へ行ったら必ず別れ話をすると言っていたのに――ロンドンへ戻ってきた彼は、「本当に別れた?」と、悪魔のように厳しい顔をしているレオンに向かって、ただもじもじしていた。そして最後に小さな、消え入りそうなか細い声でこう言ったのである。

 

「すまない、レオン。何度もそう切り出そうとしたんだが……どうしても自分がゲイだとは告白できなかった」

 

「なんだってえっ!?今度という今度こそは、冗談じゃないぞ、君貴っ。僕と別れるか、それともそのマキって日本娘と別れるか、ふたつにひとつだって、あれほど……」

 

「わかってるよっ!だが、やっぱり無理だ。マキが俺のことを信じきってることを思うと……何より良心が痛む。こんな最低野郎の俺のことを、あんなに純粋な目で見てくれるのに。レオン、おまえだって、一度拾ってきた可愛いメス犬を捨てるとなったら、大体のところ今の俺と同じような気持ちになるはずだぞっ」

 

(拾ってきたメス犬ね)

 

 レオンはその表現が気に入って、一旦怒りの矛先を収めた。ゲイの恋人の前で、哀れなメス犬呼ばわりされるとは……マキという女に対し、レオンは少しばかり同情した。

 

「じゃあ、君貴が出来ないっていうんなら、僕が引導を渡してやるよ。そのマキって子、年末にパリであるカウントダウンパーティに呼びだしてよ」

 

「エンディミオン・クラブにか?そんなところにマキを呼びだしてどうする?あそこはゲイだけが集まる場所だから、女のマキは入れるわけがない」

 

「わかってるよ。べつに、男装でもさせればいいだろ?で、僕とおまえの連れってことなら、まあどうにかなる。そこで賭けをしよう。男装させたあの子に誰かが声をかけて口説こうとしたら――おまえがあの子の目の前で、僕のことを恋人だって紹介する。で、そんなことがもしなかったとしたら、僕がマキって子と話をつける」

 

 レオンは、一度君貴にキツく言って、マキの写真を撮って来させたことがある。第一には、どんな容姿の娘か知りたかったため、また、君貴は酔っていて男と間違えたというが、本当にそんなことがあるだろうかと疑っていたというのがある。

 

「そんなの、どっちにしろ、俺には地獄の罰ゲームじゃないかっ!!」

 

「しょうがないだろ。若い処女の娘とセックスしていい思いをした分の報いを受けるんだね。それで、これに懲りてもう二度と浮気なんかしないことだよ」

 

 ――といった経緯により、マキに電話した時にはすでに、君貴は腹を括っている状態だった。また、最初の電話で『年末にパリへ来れないか?』と誘い、『来てくれたら嬉しい』と君貴が言ったことには、理由がある。

 

 君貴が会うたびに毎回、『休みが取れてマキがニューヨークかロンドンあたりにでも来てくれたら嬉しい』といった話をするたび、マキの顔色は曇っていた。だから、今度もきっとマキは断ってくるだろうと楽観的に考えていたこと、また、無意識の内にも、もしマキがパリへやって来たら、あちこち観光案内してやろう……そう思い、レオンの存在を一時的に忘れていた、というのがある。

 

 さて、こうして君貴が言ったところの無原罪の子羊は、レオンという名の司祭に屠られるために、成田空港から飛び立ち、約12時間30分かけ、パリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港までやって来た。

 

 パスポートを取ることに始まり、マキにとっては何もかも初めてのことばかりだった。とはいえ、結局君貴がファーストクラスのチケットを取ってくれたことで――マキはプライヴェートな空間が守られた座席で、眠ったり、本を読んだり、食事をしたり、映画を見たりと……君貴にパリで会えるという喜びも相まってか、この12時間もの飛行時間が、それほど苦痛でなかったといえる。

 

 入国審査を終え、荷物を受け取ったマキは、キャリーバッグをごろごろ引きつつ、広いシャルル・ド・ゴール空港内を、恋人の姿を探して歩くことになった。ちなみに、マキが到着したのはドゴール空港のターミナル1であり、到着したのが3階、入国審査は4階、荷物の受け取りは5階……と、この間、マキは空港内の近未来的なデザインを目にして、(わあ。なんだか『2001年宇宙の旅』みたい)と、妙に感激し、興奮してしまった。

 

『本当は、マキくらいの若い子は、絶対ターミナル2の新しい建物のほうが好きだとは思うんだ。でも俺はあのターミナル1の古くさいSF的雰囲気がすごく好きなんだよ。ま、ターミナル1もターミナル2も、ポール・アンドリューっていう同じ設計者がデザインしてるんだけどさ』

 

 そして、実際のところ直に見て、マキには君貴の言いたかったことが大体わかったわけだが――一連の手続き終了後、マキはまず君貴の携帯に電話した。すると、すぐ携帯が繋がり、『マキか!?』と息せき切ったように言われ、彼女としてはそれだけでも胸がきゅんとときめいてしまう。

 

 このあと、マキは君貴の指示で、まずはエレベーターに乗った。そして7階にある駐車場を降りた途端、そこに愛しい恋人の姿を見出し、まずはお互い言葉もなく抱きあった。それから、「とうとう来ちゃった」と、マキは照れくさそうに言って笑った。

 

「疲れただろ?」

 

 君貴はまず、マキが肩にかけていたボストンバッグを自分の肩にかけ替えて、そう聞いた。

 

「ううん。わたしが自分でチケットを取ってエコノミーで来てたら、そうだったと思うけど……飛行機のファーストクラスって、馬鹿高いんでしょ?わたし、なんだか申し訳ないわ」

 

「マキが気にすることないよ。それより、ほんとごめんな。俺のほうが無理を言ったみたいで……」

 

 ファーストクラスの座席如きで自分の罪悪感を誤魔化しきれない君貴は、この時からすでに顔色が優れなかった。レオンは今、リュクサンブール公園近くにある、ゲイ仲間のカール・レイモンド所有の屋敷のほうにいる。君貴はマキに、超一流ホテルのスイートを取っておいたのだが、「こんなにしてもらって、申し訳ないわ」という彼女に対し、君貴はこの時も非常に良心が呵責したものである。

 

 君貴は、カールからルノーのメガーヌを借り、マキのことをパリ中心部にあるホテルのほうまで送ってきたのだったが、飛行機の中でも寝てきたとはいえ、やはり彼女は疲れていたのだろう。豪華な天蓋付きベッドの上へ、すぐ倒れ込んでいた。

 

(幸せすぎて怖いって、こういうことを言うのかしら……)

 

 マキがパリに到着したのは、12月28日の夕方近くのことである。29日と30日と二日かけて、君貴は恋人とパリ市内を観光して歩くつもりだったが――そのさらに翌日の大晦日に、運命の日が控えているわけである。そしてマキは、1月2日の午前の便で日本へ帰国するという予定であった。

 

 だから君貴は、この間もしマキと体の交渉を持つとしたら、それは不適切なことだと思ってはいた。けれど、ド・ゴール空港で自分と出会った時の、マキの嬉しそうな顔の輝き、それに、パリ中心部までやってくる間、車の窓外を眺める彼女のきらきらした瞳のことを思い返すにつけ……彼はやはり、自分の気持ちを抑えつけることがどうしても出来なかった。

 

(結局、俺は今日、明日、明後日と、ここでマキと過ごすんだ。そしたら、どう我慢したところで、明日か明後日の夜くらいには……)

 

 そう考え、君貴は一時的にレオンが設けた<運命の日の宣告>については忘れることにした。そうだ。自分がマキと恋人同士として過ごせるのは、もうあと三日ほどだろう。そしたら二度と彼女には指一本触れることさえ出来なくなるのだ。

 

「マキ……」

 

 君貴は救いを求める夢遊病患者のように、恋人が横になっているベッドまで、吸い寄せられるように歩いていった。

 

「えっ、あのっ、君貴さん……?」

 

 この時、マキにしても恋人の様子がおかしいなと、漠然と感じてはいた。車の中でも、いつもように雄弁な感じではなく――おそらく、<地獄の大晦日>ということがなかったとしたら、君貴にしても、今自分たちがいるのはセーヌ右岸だ、だの、そちらへ行ったらテレビのニュースでもよく見る凱旋門へ通じる道に出るだの……彼女が何を質問したわけでなくとも、自分からぺらぺらしゃべっていたことだろう。

 

 けれどこの日、マキは珍しくそうした気配を君貴から一切感じなかったため、むしろ自分から色々話していたほどだった。「寒いって聞いてたけど、それほどでもなかった気がするわ。一応、ロングコートを着て、ブーツも履いてきたし……でも、マフラーをすると少し暑いくらいかな」と言ったり、「自分がパリにいるだなんて、まだ信じられない気がするわ!」と、はしゃいでみたり――対する君貴は、「そりゃそうだ。空港内を駐車場まで移動してきたっていう程度じゃね」とか、「明日、観光に出かけたら、確かに間違いなく今自分はフランスにいるんだってことをもっと実感するよ」などと返事はしたものの、まるで、運転中は神経質になるタイプの人間のように、陰気な顔をしていたものである。

 

 もっとも、マキは車窓に映る、目に入るすべてが真新しく、パリの街並みを眺めているだけで、胸が恋でもしているようにドキドキしていたため、君貴の様子のおかしさに気づくのが遅れていたといえる。

 

「わかってる。まずは、お腹がすいたら下のレストランにでも、何か食べにいこう。あとは、ルームサービスでも取るとか……」

 

 けれどこの時、マキは君貴の気持ちを感じとって、自分からも彼にキスした。それで彼は、救いを求めて天使の像にキスする者のように、恋人の体に何度も熱心にキスを繰り返したのである。

 

 あとから思い返してマキが思ったことには――パリに滞在した最初の三日間、君貴は激しく彼女の体を求めてきた。彼にしてみれば、マキと抱き合えるのもこれが最後との、そのような切羽詰まった思いがあってのことだったのかもしれない。けれど、何も知らないマキがパリ滞在中に思ったのは、ふたりが会う環境が変わったことで、あらためて燃え上がるものが彼にはあったのかもしれない……ということだった。特に29日と30日の夜については、日中にパリ市街を観光したあとだったせいもあり、マキのほうでも情熱的に恋人のことを求めた。

 

 だが、結局のところマキが1月2日にシャルル・ド・ゴール空港から日本へ向けて旅立った時――打ちのめされた彼女が悲しみとともに思ったのは、(だったら、あのセックスは一体なんだったのよ!?)ということだったに違いない。

 

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

     


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