日時:12月7日
内容:休養日。最高執行役員会(理事2名)。
感想:
私から
孔子と孟子の大きな違いと
文化的概念としての大東亜共栄圏論に関する
研究成果を発表した。
まず
孔子の徳治論は
孟子により暴力革命容認論(放伐・易姓革命)へと
堕落、修正された。
よって
孔孟は別の思想であり
老荘と同様
大きく異なる思想である。
ちなみに
私は荘子の価値相対主義が嫌いである。
今
混迷する修羅の世にあって
必要な理想とは
ある種の純粋さを伴った
愚直なまでのプリミティブな
道徳観である。
よって
孟子のような中途半端なリアリズムは
却って
現実を革むる力はない。
むしろ
素朴な理想を唱導し
禅譲の聖君を希求した
孔子に回帰すべきだ。
その意味で
本来の大東亜共栄圏論は
孔子的な文化的王道論であり
日本が
孟子的な覇道の王権を志向したことは
大きな歴史的瑕疵であり罪過である。
何れにせよ
救済論の世俗的解釈や
中途半端なリアリズム志向は
結局
何等の現実的力を有せず
悪の勢力に併呑されて
終了となる。
ユダヤ教の世俗主義
キリスト教の解放の神学
イスラム教の伝統から逸脱した原理主義
マルクス主義
シオニズム
汎ヨーロッパ主義
汎アジア主義といった
思想の諸相は
本質と過ちの傾きが通底している。
今後は
古学的な歴史的遡及
古賢の魂の原体験、追体験が必要である。
原点回帰
あるいは
魂の共鳴とは
文献的な訓詁解釈でなく
商人(伊藤仁斎)や現場作業員(吉本隆明)の智慧
巫女のヌース、テオーリア
魂の想起に親和性がある。
よって
誰しもが愛知となり
上智を得る可能性があるのである。
といった論究がなされた。
今後は
更なる研究深化が待たれるとの
共通認識を確認し
静かに閉会した。
おわり
高橋研究員(社会思想史)