時節柄、新年の挨拶回りをしていて、訪問先にお子さんがいれば「はい、お年玉」とポチ袋を渡したりするわけです。
その時、お年玉の金額をどれほどにしたら良いのか?頭を悩ます方、多いと思います。その子供の年齢とか、そのご家族とのこれまでの関係や経緯を思い出しながら、適当な額を入れたポチ袋を予め準備しておくわけですが、普通、小さなお子さんに10万円なんて額のお年玉、渡さないですよね。適当な金額(相場)というものがあるでしょう。
小さな子供の場合、お年玉を使ったり貯金したりするのは(多くの場合)その親であり、そういう意味ではお年玉をあげるという行為は、その家族に対する「財政支援」(援助業界で頻繁に使われる専門用語)にあたり、つまり「子育てに使ってくださいね」というメッセージを込めた親に対する資金提供の側面もあるわけです。
子供が少し大きくなってくれば、その親の子育て方針にもよるのでしょうが、毎月、親から小遣いをもらっていて、自らお金を使うことが出来るようになっています。だから、その子供がお年玉を貯めたお金を、ゲームソフトに費やすのか、本を買うのに使うのか、新しい服を買うのに使うのか、野球のグローブを新調するのに使うのか、それは彼(女)の自由(お年玉を提供する側として「是非、自分の渡したお年玉で本を買って勉強するのに役立てて欲しいなぁ」と思えば図書券を入れて渡すのが一案だが、勉強と関係のない漫画本を買ってしまうかもしれない)。
自由であるがゆえに、子供なりにお金の使い道に悩むわけですが、それも大人になるための大切な訓練です。そう、お金(や時間)を有効に使うこと自体、(例え大人になっても)人にとって、実はとても高等な判断を要する能力であり、その人の「その後」を大きく左右するのだと、最近、切に思うようになりました。
で、例えばの話ですが、目の前にとても貧しい暮らし(金銭的・物質的にという意味で)をしている13歳の男の子がいて、両親はすでに亡く、飲んだくれで遊びほうけている伯父さんが彼の生活の面倒を見ているけど、学校には行かせてもらえない状態、だとしましょう。あなたは「その子はとても素晴らしい素質を持っているようだし、何とか健全な子供に育って欲しい」と願って、何らかの支援をしようとあれこれ考える。その時、その子供にお金(例えば100万円)をポンと手渡して、生活の足しにしなさいと言いますか?
まず中学生が100万円を目の前にしても、まともに使えるとは思えません(ですよねぇ?)。いますぐ必要な状態なんだから、ただ貯金しておいたって意味ないです。で、途方に暮れて伯父さんに相談すると、そのお金はたちまち巻き上げられ、一夜にしてパーッと飲むか、ギャンブルに注ぎ込んで「ハイそれまでよ」でしょう。下手すると、子供に「あれじゃ足らなかったよ~」と言わせて、さらに無心を重ねてくるかもしれない。
どうせなら、同じ100万円を使って、あなた自らが学用品を購入して与え、学費を援助して全寮制学校へ行かせてやる方がずっと効果的です。
でも、もし子供のご両親が生きていて、「お金さえあれば」学用品を購入し、学校へ行かせてやる意思をもっているならば、そのご両親に100万円をポンと手渡せば、最も自然に、スムーズに事が運びますね。
こんな風に援助のやり方には一長一短があって(個人間であれ、政府間であれ)、それは相手の「お金を正しく有効に費やす能力」を良く見極めたうえで、手法や金額を決めなければならないし、恐らく発展途上国への援助活動というものは、その政府が「お金を正しく有効に費やす能力」を健全に成長させるための糧となるべき活動なのだと思う。
・・・
そんなことを考えていると、こんな報道を見付けました。
「アフリカ向けODA3倍に、政府が検討開始」だそうです。
今の私、この記事を読むと色んな思いが一度に湧き上がってきて、その心の声を聞き分け難いほどなのですが、ざっくり整理するとこんな感じです。
・「3年前に小泉首相が3年間で倍増すると約束」したのに、また更に3倍ですか?いくらTICAD4やら洞爺湖サミットやらで「目玉」が必要なのだろうことは判るけれども、3倍もの援助を供与して、それを適切に執行する能力がアフリカ側に育っているのだろうか?それを適切に管理・監督する能力が日本側に準備できているのだろうか?
・「3年前に小泉首相が3年間で倍増すると約束して、その公約は達成する見通し」とのことだけれども、現場に身を置いていても、全く手応えがないんですよね。一体、アフリカのどこに費やされているのだろう?もちろんODAには技術協力以外にも、様々な形態の援助手法があるのだけれど。2013年までにさらに3倍って言っても、また何らかのマジックを使うのだろうか?アフリカへの援助を大幅に増やしますよというメッセージを高らかに謳いながら、現場にはまるで実感として伝わっていないという現実を、日本政府がどう言い抜けようが、かえってアフリカの人々からの信頼を失うと思うのですが。
・「中国などに対抗する意味からも一段の増額が必要と判断」しているなら、もっと日本・アフリカ間の経済活動や人の行き来を促進させる方途を研究してもらいたいですね。今、アフリカ各国には大挙して中国人(ホワイトカラーもブルーカラーも)が流入しています。もし本気なら、日本とアフリカを結ぶ直行便を開設すべきです(ケニア航空は中国への直行便を飛ばしています)。東南アジアや中東経由でも良いから、乗り換え無しでそのままアフリカ大陸へ辿り着くフライトを飛ばせば、「日本政府は本気だな」というアピールになります。十分な乗客数が見込めない?赤字の垂れ流しになるのは自明だからナンセンス?否、だからこそ、政府援助事業としてやる意義があるのだし、直行フライトがあるからこそ乗客(観光客、ビジネス客の往来)が増えるという側面もあるわけです。
・「日本のODA予算は財政再建の影響で06年までの9年間で35%減少しているが、中国などに対抗する意味からも一段の増額が必要と判断」という考え方自体、アフリカ(援助される側)の都合・ニーズではなく、日本(援助する側)の勝手な都合・思惑でODA予算が増減している「援助業界の内実」を見事に説明していて、それはそれで仕方ないのだが・・・やはり切ない。
・・・
さて、今日3日はケニアの将来を大きく左右する「ライラ陣営の100万人大集会」が予定されています。まがりなりにも公式に大統領として再任されたキバキ政権は、この集会を違法だと位置づけていますから、集会場を中心としたナイロビの要所に警官を配置するなりして、この動きを止めようとするのでしょう。そこをライラ側が強行突破するのか?衝突が起これば大騒動必至という状況で、キバキとライラは人々をどう動かすのか?そしてケニア国民(すでにこの言葉は死んでいるような気がする)はどちらの動きに同調するのか?
今回のケニアのような大量の死者を伴う政治騒動が過去に何度も繰り返され、今、また繰り返されようとしているアフリカ大陸。だからこそ、日本政府として、更なる援助活動を通じて支援を継続・拡大するのが正しい判断なのか?そんな大陸に関わるのはお金の無駄だと、フェードアウトするのが正しい政策なのか?皆さんの身近な例を想定して考えてみては如何でしょう?やはり相手次第ですよね?その相手の可能性とか本質を見極めないと結論が出ない。
今回のブログはやたらと疑問符が多い?そう、今の私の頭の中は疑問符だらけ。本当に来週、ナイロビに帰任出来るんだろうか?とりあえず、今日、東京へ戻ります。ナイロビ在住の皆さん、心からご無事を祈ります。
その時、お年玉の金額をどれほどにしたら良いのか?頭を悩ます方、多いと思います。その子供の年齢とか、そのご家族とのこれまでの関係や経緯を思い出しながら、適当な額を入れたポチ袋を予め準備しておくわけですが、普通、小さなお子さんに10万円なんて額のお年玉、渡さないですよね。適当な金額(相場)というものがあるでしょう。
小さな子供の場合、お年玉を使ったり貯金したりするのは(多くの場合)その親であり、そういう意味ではお年玉をあげるという行為は、その家族に対する「財政支援」(援助業界で頻繁に使われる専門用語)にあたり、つまり「子育てに使ってくださいね」というメッセージを込めた親に対する資金提供の側面もあるわけです。
子供が少し大きくなってくれば、その親の子育て方針にもよるのでしょうが、毎月、親から小遣いをもらっていて、自らお金を使うことが出来るようになっています。だから、その子供がお年玉を貯めたお金を、ゲームソフトに費やすのか、本を買うのに使うのか、新しい服を買うのに使うのか、野球のグローブを新調するのに使うのか、それは彼(女)の自由(お年玉を提供する側として「是非、自分の渡したお年玉で本を買って勉強するのに役立てて欲しいなぁ」と思えば図書券を入れて渡すのが一案だが、勉強と関係のない漫画本を買ってしまうかもしれない)。
自由であるがゆえに、子供なりにお金の使い道に悩むわけですが、それも大人になるための大切な訓練です。そう、お金(や時間)を有効に使うこと自体、(例え大人になっても)人にとって、実はとても高等な判断を要する能力であり、その人の「その後」を大きく左右するのだと、最近、切に思うようになりました。
で、例えばの話ですが、目の前にとても貧しい暮らし(金銭的・物質的にという意味で)をしている13歳の男の子がいて、両親はすでに亡く、飲んだくれで遊びほうけている伯父さんが彼の生活の面倒を見ているけど、学校には行かせてもらえない状態、だとしましょう。あなたは「その子はとても素晴らしい素質を持っているようだし、何とか健全な子供に育って欲しい」と願って、何らかの支援をしようとあれこれ考える。その時、その子供にお金(例えば100万円)をポンと手渡して、生活の足しにしなさいと言いますか?
まず中学生が100万円を目の前にしても、まともに使えるとは思えません(ですよねぇ?)。いますぐ必要な状態なんだから、ただ貯金しておいたって意味ないです。で、途方に暮れて伯父さんに相談すると、そのお金はたちまち巻き上げられ、一夜にしてパーッと飲むか、ギャンブルに注ぎ込んで「ハイそれまでよ」でしょう。下手すると、子供に「あれじゃ足らなかったよ~」と言わせて、さらに無心を重ねてくるかもしれない。
どうせなら、同じ100万円を使って、あなた自らが学用品を購入して与え、学費を援助して全寮制学校へ行かせてやる方がずっと効果的です。
でも、もし子供のご両親が生きていて、「お金さえあれば」学用品を購入し、学校へ行かせてやる意思をもっているならば、そのご両親に100万円をポンと手渡せば、最も自然に、スムーズに事が運びますね。
こんな風に援助のやり方には一長一短があって(個人間であれ、政府間であれ)、それは相手の「お金を正しく有効に費やす能力」を良く見極めたうえで、手法や金額を決めなければならないし、恐らく発展途上国への援助活動というものは、その政府が「お金を正しく有効に費やす能力」を健全に成長させるための糧となるべき活動なのだと思う。
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そんなことを考えていると、こんな報道を見付けました。
「アフリカ向けODA3倍に、政府が検討開始」だそうです。
今の私、この記事を読むと色んな思いが一度に湧き上がってきて、その心の声を聞き分け難いほどなのですが、ざっくり整理するとこんな感じです。
・「3年前に小泉首相が3年間で倍増すると約束」したのに、また更に3倍ですか?いくらTICAD4やら洞爺湖サミットやらで「目玉」が必要なのだろうことは判るけれども、3倍もの援助を供与して、それを適切に執行する能力がアフリカ側に育っているのだろうか?それを適切に管理・監督する能力が日本側に準備できているのだろうか?
・「3年前に小泉首相が3年間で倍増すると約束して、その公約は達成する見通し」とのことだけれども、現場に身を置いていても、全く手応えがないんですよね。一体、アフリカのどこに費やされているのだろう?もちろんODAには技術協力以外にも、様々な形態の援助手法があるのだけれど。2013年までにさらに3倍って言っても、また何らかのマジックを使うのだろうか?アフリカへの援助を大幅に増やしますよというメッセージを高らかに謳いながら、現場にはまるで実感として伝わっていないという現実を、日本政府がどう言い抜けようが、かえってアフリカの人々からの信頼を失うと思うのですが。
・「中国などに対抗する意味からも一段の増額が必要と判断」しているなら、もっと日本・アフリカ間の経済活動や人の行き来を促進させる方途を研究してもらいたいですね。今、アフリカ各国には大挙して中国人(ホワイトカラーもブルーカラーも)が流入しています。もし本気なら、日本とアフリカを結ぶ直行便を開設すべきです(ケニア航空は中国への直行便を飛ばしています)。東南アジアや中東経由でも良いから、乗り換え無しでそのままアフリカ大陸へ辿り着くフライトを飛ばせば、「日本政府は本気だな」というアピールになります。十分な乗客数が見込めない?赤字の垂れ流しになるのは自明だからナンセンス?否、だからこそ、政府援助事業としてやる意義があるのだし、直行フライトがあるからこそ乗客(観光客、ビジネス客の往来)が増えるという側面もあるわけです。
・「日本のODA予算は財政再建の影響で06年までの9年間で35%減少しているが、中国などに対抗する意味からも一段の増額が必要と判断」という考え方自体、アフリカ(援助される側)の都合・ニーズではなく、日本(援助する側)の勝手な都合・思惑でODA予算が増減している「援助業界の内実」を見事に説明していて、それはそれで仕方ないのだが・・・やはり切ない。
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さて、今日3日はケニアの将来を大きく左右する「ライラ陣営の100万人大集会」が予定されています。まがりなりにも公式に大統領として再任されたキバキ政権は、この集会を違法だと位置づけていますから、集会場を中心としたナイロビの要所に警官を配置するなりして、この動きを止めようとするのでしょう。そこをライラ側が強行突破するのか?衝突が起これば大騒動必至という状況で、キバキとライラは人々をどう動かすのか?そしてケニア国民(すでにこの言葉は死んでいるような気がする)はどちらの動きに同調するのか?
今回のケニアのような大量の死者を伴う政治騒動が過去に何度も繰り返され、今、また繰り返されようとしているアフリカ大陸。だからこそ、日本政府として、更なる援助活動を通じて支援を継続・拡大するのが正しい判断なのか?そんな大陸に関わるのはお金の無駄だと、フェードアウトするのが正しい政策なのか?皆さんの身近な例を想定して考えてみては如何でしょう?やはり相手次第ですよね?その相手の可能性とか本質を見極めないと結論が出ない。
今回のブログはやたらと疑問符が多い?そう、今の私の頭の中は疑問符だらけ。本当に来週、ナイロビに帰任出来るんだろうか?とりあえず、今日、東京へ戻ります。ナイロビ在住の皆さん、心からご無事を祈ります。