会社勤めのリストカットを繰り返す「私」を取り巻くのは、仕送りをせびる母、女癖の悪く倒れて意志の疎通の出来なくなった義父、愛を表現できをず暴力を振るう同棲している恋人。そんな「私」の前に現れた婚約中(その後結婚するのだが)の「あなた」。
ありきたりの設定、そしていわゆる不倫モノだ。
意図的に時系列を混ぜていることで「私」のもやのかかった世界を表現したり、「私」の語り口をあくまですっきりさせることで「私」の心の動きが鋭利な刃物のように読者に突き刺さる。
著者は知っているのだ。自己否定によって誰からも傷つけられずに済むぬるく温かな世界を。
この主人公の気持ちに添えない人にとっては、少しもおもしろくない小説だろう。しかしこの主人公の気持ちに少しでも沿うことができる人にとっては忘れがたい物語になるはずだ。