インターネットの憂鬱

仮想空間と現実の狭間で

コンテンツが重要な理由

2012年05月14日 | 雑感

前々回のこのブログで、googleが検索アルゴリズムを大きく変更した話を書いた。

不正なSEO対策を封じ込むためであろうこの施策で、インチキSEO屋は終了し、
正攻法で勝負するサイトが少しは報われるであろうと感じている。もっともSEO業者の中にも
努力と研鑽で得た的確なノウハウを持つ会社もあるし、グレーなことをやってでもきっちり結果を出す
会社もある。ただし、どちらも数少ない存在だと認識している。

さて、googleの検索で弾かれない模範的なサイトとは、以下のようなものだろう。

・不正とされる小細工をしていない 
・テキスト等、内容に整合性がある
・オリジナルの内容で情報の更新・追加がある
・ちゃんとしたトラフィックがある


つまり「小細工をせず、堂々とアピールし、中身も充実し、その内容で人気を集めて行くサイト」ということになる。
まあ、あまりにも当たり前すぎて「バカにするな。それが出来れば誰も苦労はしない」と言われそうだが、
これが本当のことだから仕方がない。

要するにホームページでは、「内容があって」かつ「それが魅力に思える」作りが重要だという話。
それがコンテンツと呼ばれる「中身」のことなのだが、それがない結果、小細工に走ることになる。

中身がない→見てくれない→アクセス数が増えない→SEO対策する→アルゴリズム変更→新たにSEO対策するという、
イタチごっこを続けることになる。あの手この手を駆使して、なんとか検索上位にもっていこうというのが、
これまでの図式だったが、これはSEO業者が悪いのではない。根本原因は「中身」であり「魅力」の有無なのだ。

中身がある→見てくれる→アクセス数が増える
本当に生意気な、上から目線の物言いで申し訳ないが、どうしてこの根本的な原理を考えないのか?
商品やサービスを売るということは、どういうことなのか、この部分をおろそかにしている経営者が実は少なくない。
逆に成功している経営者は、日夜そのことばかりを考えている。と、いうのが、これまでの私の経験上の結論だ。

そして今後、「コンテンツ」のないホームページは、その存在意義をどんどん失って行くだろう。

では、その「中身」や「魅力」を形にして表現するのは誰か?となると、経営者や社員が自らできるのなら完璧である。
しかし、ほとんどの場合は、それが苦手だったり不可能だったりする。そして、これはホームページ制作業者や
システムエンジニア、SEO業者にも絶対と言っていいほど出来ない作業でもある。

「誰に、何を、どうのように」アピールするのか? を考えるとき、ひとつの商品や物事を多面的に捉え、
その中からひとつの最適解を形にしていく作業は「編集」であり、そこでは「表現」の多様性や親和性が問われる。
そして、このようなコンテンツづくりで「何が最適で、何が支持されるか」を判断する基準は、
豊富な「経験」と多方面に渡る「情報量」に他ならない。

様々な人物に会い、様々な事象を目撃し、様々な仕事を手掛けること。硬軟、古今東西と広範囲におよぶ雑学的情報。
そして、それら経験と情報をひとつの形に紡いで行く訓練があってこそ「編集」の仕事は成立する。

当社の代表は長年、出版社で編集を務めて来た。かく言う私も、彼と組んで仕事をしたライターであり、他方では
フリーの編集者であり、さらには広告業界で多くの企業の広告制作やPR業務をお手伝いさせていただいてきた。
その経験に基づいた「コンテンツ」の提案と整備こそが、私たちの仕事であると自負している。

そういう点では、インターネットは「便利」な媒体=メディアだが、あくまでもメディアのひとつに過ぎない。
問題は使い方であり、使う人間の気持ちの在り様が大事なのではないだろうか。

と、いうわけで、今回は少しだけ会社のPRをさせていただきました。