インターネットの憂鬱

仮想空間と現実の狭間で

インチキIT社会の末期

2012年07月05日 | 雑感

このあいだ行った、もんじゃ屋の店内にあった貼り紙。



一連のステルスマーケティング騒ぎ、いわゆる “クチコミサイトのヤラセ問題” が表面化して、おおよそ一年。
この貼り紙も、少し以前から貼ってあったのだろうと想像がつくが、「日本の社会も、来るところまで来たな」と
少しばかりがっかりしたような気持ちになった。

ちょうどその頃、と言っても2ヶ月ほど前だが、消費者庁が景品表示法におけるガイドラインの改訂を発表している。
「インターネット消費者取引に係る広告表示に関する景品表示法上の問題点及び留意事項」の一部改定について

(以下抜粋)
商品・サービスを提供する店舗を経営する事業者が、口コミ投稿の代行を行う事業者に依頼し、
自己の供給する商品・サービスに関するサイトの口コミ情報コーナーに口コミを多数書き込ま
せ、口コミサイト上の評価自体を変動させて、もともと口コミサイト上で当該商品・サービス
に対する好意的な評価はさほど多くなかったにもかかわらず、提供する商品・サービスの品質
その他の内容について、あたかも一般消費者の多数から好意的評価を受けているかのように表
示させること。

違反かどうかの判断は、個々の案件によって変わってくるということだが、ようやく行政が対応に乗り出したというわけだ。
まあ、遅きに失していると思わないわけでもないが、とっとと取り締まって欲しいものである。

おかげで、こちらはますますインターネット広告を制作する際に、表現に神経を使うハメになってしまった。
ここまでインターネットメディアが発達し、当たり前のように使われている状況になると、
行政もそのチェックに本腰を入れざる得ないのか、あるいは「お仕事してます」アピールなのか、
以前に比べてインターネット広告の監視と違反摘発が盛んになっている。

とくに、健康食品関係での取り締まりが目立っており(薬事法や健康増進法がからんで摘発しやすい)、
先ほどの消費者庁、厚生労働省、あるいは自治体の福祉衛生局が、その成果をHP上で報告しているわけだ。

真面目な業者にとっては迷惑な話である。

これらの効果・効能に関する表示だって “限りになくウソに近い本当” で止めておけば良かっただろうし、
ヤラセだって、自分とその友達レベルで “自らの手で裏でこっそり” やっていれば、良かったのである。
要するに、良心から来る “後ろめたさ” を感じながら、グレーゾーンにしておけば良かったのだ。

それを拝金主義のIT屋は「初めから人を騙すことで金を得るビジネス」として、関連業者と結託して、組織的に、
巧妙に、そして悪辣に、好き勝手にやったものだから、社会問題に膨れ上がったわけである。
極論すれば、やっていることは詐欺行為なのだから道義的に看過できないのは当然だ。

だが、こんなことは、新聞、TV、雑誌の各マスメディアと芸能界が結託して、昔からやってきたことだ。
以前なら、“広告・PR”、“タイアップ” とかろうじて分かるような良心が残っていたものだが、
最近は “韓流ゴリ押し” や “ブームの捏造” にみられるように、もう体面もモラルも無いわけである。
アメブロを中心としたタレントブログにおける、愛用商品のでっち上げも相当なものだ。

本当の問題はそこではない。

先日、たまたま街中で聞いた中学生達の会話に、背筋がゾクッときた。

A「この間、家族と焼肉屋にいってさー」
B「なにそれ、焼肉屋のステマかよ?」
C「レバ刺し問題の火消しとか?」
A「ちげーよ、マジな話だよ。変な突っ込み入れんなよ(怒)」

一見、他愛もない光景なのだが、この会話の内容がエスカレートするとどうなるのだろうか?
人が人の言葉を疑うようになれば、それを気にして何も話せなくなるという状況が想像できる。
事実、家族と焼肉を食べた少年は、周囲に茶化されて一瞬でも気分を害したわけだし、
何よりも子ども達までが “ステマ” という、退廃社会の呪文を軽く口にするような光景が恐ろしい。
それはすなわち「人の言葉を疑え」ではなく、「人の言葉はウソ」という認識に基づくものではないのか。

最初のもんじゃ屋もそうだ。おそらく長年、地道に、少しボロくて汚い店で、真面目に作った、それなりに美味しい
そんな品物を出すような店が「うちはインチキをしていません」と、わざわざ貼り紙をしなければならない事実。

いよいよ、何もかもがあべこべだ。無理が通って道理が引っ込んだのだ。

これから育つ子ども達や、善良な人々は、何を信じて、何を指針に生きて行けばいいのか?
メディアリテラシーとか、情報リテラシーを考えられない人は騙され続けていけばいいのか?

インチキITメディアは、いまも世の中に人間不信と疑心暗鬼の種をまき散らし続けている。

これこそが許されざる大罪だ。