BB Staff Diary

余生といいながら余生でない?でも、確かに情報に疎くなってます。でも…哀しいかな…まだスケヲタです

1999年11月8日

1999年11月08日 17時04分45秒 | Pinky
週末に2回、スケカナに行っているまりりんからかーさ経由で連絡が入った。なんだかそういう生の声を連日聞くと、やっぱし、シーズン・インしたんだなあ~と。特に、シーズンが始まると、あれこれと氾濫しすぎてもう、海外のメールやレポなども気力がない限り目を通さなかったりする。だけに、日本語で報告がくると、私的には大変有り難い。いろいろと教えてくれてありがとね!帰国したらまたあれこれ教えてね!>まりりん&かーさ

とにもかくにも、エレーナ&アントンが満足のいくフリーを滑ったということで一安心。何しろ、SPの得点を見た時には真っ青になった。いくら1位でも4点代とは…。しかし、カナダに住む友人がTV放送を見たとメールをくれ、ジャンプはミスし、スピンもよろけ、リフトも失敗していたということがわかった。おまけに、その後からいろいろな噂が飛び交ったらしく、あまりのゴシップメールの多さでメールを見るのすら疲れてしまった。そろそろ、あまり有用でないいくつかのMLは止めようかとも思っていたりする。

 それはさておき、まりりんからは連絡がきたものの、BB代表Rodionはどうなった?どうやら、初日にはCROSS邸Faxを送ったらしいが(しかも、テレホタイムだったらしい)、ダメだったらしい。で、今度はその翌日に何故かMimakoのピッチに電話があった。そんで、今日は私の携帯に電話がかかってきた。

しかし、そのRodion、先ほどかかってきた電話によると、どこの区間だかわからないが(何しろ、何回も飛行機を乗り換えるらしい)、どこかの飛行機が欠航になったとかで、アメリカで足止めをくらい、帰国が1日遅れることになったと。「えっ???、ちょっと~、仕事、どうするのよ~???」と聞いた途端に電話は切れてしまった。笑い事ではないのだが…。

思えば、私もかなりの確率で飛行機の遅延には出くわしている。しかし、欠航というのは1度だけ。97年ネイションの時だ。帰りのデュッセルドルフ→アムステルダム間が霧のため欠航になってしまった。しかも、この時、仕事の関係で一足早く帰国しなければならなかった。なので、空港のカウンターで待たされている間、「ああ~。こんなところで足止めくらうなんて…。これで、もし帰国できなかったら、私、ゲルゼンに戻ってエキシビみたいよ~」と思っていた。でも、最終的には、バスでアムステルダムまで輸送される事になった。おかげでアムステルダムに着いた時点で、もう、成田行きの飛行機の時間ギリギリ。ターミナルをダッシュしなければならず、楽しみにしていたスキポールでのお買い物はお預けになってしまった。(あっ、でも、なんか1つくらい、慌てて買った記憶がある…)

実は、この時、行く時も成田からの飛行機が遅延し、予定していた乗り継ぎ便に乗れなかった。なので、その次の便に乗るまでにかなりの時間があったので、いろいろとお店を回っていたのだが、何しろ、これからスケート観戦を控えている身。誰かが荷物を持ってくれるワケじゃないので、今、買ってしまったらそれこそ荷物が大変だということで、帰りまでガマンしていたのだ。だけに、悔しかった出来事である。

あっ、話はRodionに戻るが、彼が電話で言ってきた事に笑ってしまった。確かに、帰国は1日遅れるらしい。で、Rodionは私達がいつ出発するのか聞いてきた。「11日の夜」と言うと、「じゃあ、10日の夜にチャットできるね!」と。

Rodionは帰国早々、チャットをするらしい。そして、ゲルゼン組も出発直前までチャットをしなければいけないらしい。

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