天と地の狭間で

2007年4月3日をもって、引っ越しを行いました。

力、ということ。

2005-09-15 | 静流
周知の通り戦国学園は「次世代の日本を担う人材を育成すべく設立された」学校であり、「文武両道の精神を掲げ」、「学園の自治は学生に任せられており、強者が弱者を支配する」と定められています。
「学園の自治は学生に任せられており」という条項と「強者が弱者を支配する」という条項が連結されている事により、戦国学園の統治原則は「強者」による支配なのでしょう。

さて、「強者」とは何でしょう。
強いとは、どのような事でしょう。
力とは無数に種類が存在しますが、どれを指すのでしょう。速度と質量を比較しても意味が無いように、定義の異なる事象に優劣を付ける事は……私には、出来ません。
学則の定める決闘において最高の勝率を誇る方でしょうか。
数こそは力と、より多くの人員を統べる組織の長でしょうか。
或いは最も多くの友を持ち、その方の為ならばと立ち上がりたくなる人の事でしょうか。

そのどれもが、私には素敵な事に思えます。
天と地と炎と水と、どれが一番美しいか価値があるかを決める事は必要なのでしょうか。どれも異なる美しさであり、どれも等しく大切。私は、そう思うのです。
他の方にとってそうでは無い事は承知していますし、意見が異なるという事こそが可能性であり明日への希望であると考えているのですけれど……自治とは読んで字の如く、自ら治める事。他を治めるには自らを律する事がまず肝要な事ではないでしょうか。

人間は自力で餌を確保する為に数年を要する脆弱な肉体と、様々な誘惑に極めて容易に陥落する惰弱な精神を持つ生命体です。故に群を為し社会を構成し、様々な制度を構築して種としての存続を計ってきたのでしょうけれど、このような事は他の種族も程度の差こそありますが行っている事。
他のどのような獣も成し得ない、人間という種族ならではの特質とは……己を知りたいと願い実行し、己自身を己自身で律する事が出来る、ということ。
それこそが、人の人たる強さだと私は考えます。

無論これは、私の定義。どなたに強要するつもりもありませんけれど……強くあれ、と定められた場であるならば、己の信じる強さを求めたいと、願うのです。
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2 コメント

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そうですね。 (風祭万里)
2005-09-15 22:44:00
四季が美しい、古い歴史を持つこの国の人はこんな素晴らしい言葉を残しています。剣に驕る人にはこの言葉を掛けておけばいいでしょう。



・・・奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し。猛き者も遂には亡びぬ、偏に風の前の塵に同じ。



あたしはたまたま信仰を持っていますが、そうでなくても同じ事だと思います。

それが主の意志であれ、世界そのものの意志であれ、あたしたちがかく在りかく生きているのはそうした何かの総意ではないのか、と。

それぞれに役割があり、それを全力で果たすことだけがあたしたちに求められることであって・・・事の正否は問うべきでは無いのかも知れません。あたしたちの手は、正義や真理に届くにはあまりに短いのだから。



之でよし百万年の仮寝かな(大西瀧次郎)
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それでも。 (静流)
2005-09-16 04:59:00
諸行無常・一切皆苦・諸法無我を知り涅槃寂静の境地に至らぬ限りは、胡蝶の夢と判っていても足掻くのが人間というものなのかも知れません。

……仏教で定義する所の悟りを開いた方は、既に人間とは呼ばない気もしますし。



全ての存在は有限であり、更に世界の命に比べたならば私達の命は瞬く間でしか無く、成し得る事は塵芥にも等しいのでしょうけれど、だからこそ。

その一瞬を諦める事無く、己の信じるままに生き抜きたいと願います。

何に対しても正面から向き合い、誇りを持って全力で対処して行きたい、と。
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