天と地の狭間で

2007年4月3日をもって、引っ越しを行いました。

風説、ということ。

2005-10-22 | 静流
世間一般に知られ、また信じられている事が必ずしも事実では無いという事は、良くある話です。
そして多くの人々が信じる事は、事実と異なっても真実とされてしまいます。これは天動説を始めとして多くの事例が証明している事ですけれど……今回は三つ程、そんなお話を。

「耳朶に視神経」
これは、多くの方が既に偽りであると御存知だとは思うのですけれど、一昔前に流行した風説です。
自分でピアスホールを開けようとした時に、針に押し出されるようにして白い糸のような物が見え、不思議に思って引っぱり出そうとしたら、プチンと切れてしまい……同時に、何も見えなくなる。こんなお話を、耳にした事は御座いませんか?
まぁ、少し冷静に考えたならば視神経がわざわざ耳朶を通る必要は皆無である事は判りそうな物なのですが、当時は信じる方も相当数いらっしゃったのです。

どんなに理論的に間違っていても、ニーズさえ存在するならば世間的に通用してしまう、端的な例ではないでしょうか。


「薩摩言葉は攪乱言語」
今現在も普通に信じていらっしゃる方が多い風説の一つで、薩摩言葉は江戸時代、公儀隠密に国情を知られぬ為に薩摩藩により作られた言語である……というものです。
しかし、これも良く考えたなら到底現実的では無い事が明らかです。
言葉を人為的に造り出す事は、不可能ではありません。容易であるとさえ言えましょう。
しかし、造り出した言葉を薩摩藩領内の人々にのみ教え広める事は至難を極めます。
薩摩藩は下級士族も農作業に従事していた国柄です。日々の農作業で手一杯の人々に、具体的にはどのように言葉を教えるのでしょう。慣れ親しんだ言葉を強制的に変更させる事がどれだけ難しいか、想像すれば誰にでも判る事ですが、しかもイントネーションも含めて正確無比に、極短期間で教育を済ませなければ公儀隠密を攪乱する意図は果たせません。
更に、この風説には上記の理由さえも些末事に過ぎない程の、致命的な理論の穴が存在しています。
はっきりと申し上げますが、公儀隠密対策に言葉を変更する等、御公儀に弓引く不埒極まる藩であると自ら立証するも同然の自殺行為です。
仮に御家取り潰しの危険を冒してまで護りたい機密があるならば、それこそ慎重に慎重を期して確実な手法を用いましょう。薩摩藩とて、伊達や酔狂で藩政を行っていた訳では無いのですから。
付け加えると、江戸幕府成立前後で薩摩言葉が変わったと記されている信頼のおける文献は、現在確認されていないようです。

これは、風説の一面だけを見て納得してしまう事は非常に危険であるという教訓に他なりません。


「日本海軍の砲撃精度」
日本海軍の御自慢の一つは、米英と比較して三倍以上の砲撃精度。これも、ほぼ常識とされる程に浸透している風説です。
さて、それでは日本海軍にとって極めて有利な状況をテストケースに検証してみましょう。
1944年10月25日午前6時48分、戦艦4隻・重巡洋艦6隻・軽巡洋艦2隻・駆逐艦11隻により編成され栗田中将が率いる艦隊は、サマール沖において35㎞という近距離にスプレイグ少将が指揮する護衛空母群を発見します。これは護衛空母6隻・駆逐艦3隻・護衛駆逐艦4隻から成り立っていたのですが……一目瞭然、まともな海戦にはならない戦力差です。
アメリカ軍護衛空母とは戦時急造型で基準排水量6730トン、速力18ノットで搭載機は21機、武装は12.7サンチ高角砲二門という貧弱な代物。そして護衛駆逐艦とは対潜水艦用に急造されたタイプであり、元々対水上艦用戦闘は考えられていなかったのですから。
レーダーの発達した太平洋戦争後期において、戦艦と空母が接近戦を行う等という事態は極めて珍しく、両者の特性を考えたならば結果は火を見るよりも明らか……の、筈でした。
兎にも角にも午前6時59分、距離3万2000メートルで戦艦大和の主砲により戦端は開かれます。長門・金剛・榛名の三隻の戦艦もこれに続き、利根・筑摩を始めとする重巡は35ノット以上という快速を利して相手空母に肉薄、駆逐艦群も日本海軍得意の雷撃体勢で迫りました。
ちなみに当時、戦艦大和の主砲命中率はアメリカ戦艦の三倍と喧伝されていた事は有名ですが、重巡利根の艦長であり日本海軍では名の知れた砲術専門家の黛大佐に至っては、利根の主砲命中率はアメリカ海軍の5倍であると豪語していました、が。
二時間あまりの交戦の結果は、酷いものでした。
護衛空母1隻・駆逐艦2隻・護衛駆逐艦1隻を撃沈した代償として、鈴谷・鳥海・筑摩・熊野の4隻の重巡を失ったのです。
原因は、あまりの主砲命中率の低さにあります。
この海戦における栗田艦隊の主砲・副砲発射弾数は、モリソンの「各艦戦闘詳報」によれば5千発を越えているのですが、命中弾数は20発前後。5倍当てると豪語した黛大佐の利根に限って見ても、初弾から100発以上撃ってはいるのですが命中弾は僅か1発でしかありません。それどころか、利根は逆にアメリカ駆逐艦から3発の命中弾を受けているのです。
利根の主砲は20サンチ、この時のアメリカ駆逐艦の12.7サンチ主砲よりも正確かつ遠距離射撃が出来る性能でありながら、実戦での命中率は相手の1/3でしか無かったのです。訓練で落ち着いて撃つ時と敵弾降りしきる中で撃つ時とで、同じ命中率が出る筈は無いのですが、黛大佐はこのように述べたと言います。「逃げ回る敵に砲弾は命中するものではない」、と。
頭の痛くなる言葉ですが話を戻しまして、戦艦大和自慢の46サンチ主砲に至っては、これまた約100発発射して命中はゼロ、綺麗に命中率0%です。
大本営海軍参謀であった吉田中佐は、戦後様々なマスコミにおいて大和の主砲命中率が低く見積もっても3万メートルで3%、2万6000メートルで6%と吹聴していらっしゃいましたが、少なくともサマール沖海戦においては事実と異なるようです。
しかもこの要因をスコールやアメリカ駆逐艦の煙幕の所為としているのですから困った物。
実戦においては自然現象・煙幕・砲撃・雷撃等はあって当たり前、これらの中で御自慢の命中率を示さねば、3倍も5倍も何の意味もありません。
結局この、近距離における空母対戦艦という圧倒的有利な状況下での砲戦における日本海軍の命中率は僅か0.3%。当時砲戦での命中率は、主砲の口径・天候・気温などで若干変動しますがおよそ3%とされていましたから、これは世界平均の約1/10という結果です。これがアッツ島沖海戦等になれば主砲命中率は0.22%、魚雷命中率は0%という事になるのですが……いずれにせよ日本海軍の砲撃精度が神懸かり的であった等という事実は、少なくとも実戦においては存在しないようです。

人という生命体は、信じたいと願うものは冷徹なデータに依らず信じてしまうものだ、という例だと考えます。


長々と書き連ねましたけれど、要するに。
誰かが何かを言う時は、その意見に相手を同調させようと試みている場合が多々あります。
耳に心地よい言葉でも鵜呑みにはせず、きちんと自分自身で分析し、判断する事が大切なのではないでしょうか、というお話でした。
……無論、今回の私の言葉も含めて、ですね。

3 コメント

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驚きました (風祭万里)
2005-10-22 16:56:28
何に驚いたって、貴女の知識にです。

改めて敬意を表します。迂闊でした。



とはいうものの、少々反駁を。

日本海軍の砲戦技量については、喧伝されているほど高くはないものの当時の世界第一流の水準にあったのは間違いないと考えています。

命中率三倍論については、あれはジュトランド海戦においてドイツ艦隊が通常訓練時とほぼ同じ命中率を記録した事が根拠なのですが、そもそもその前提が間違っている事が最近では明らかになっています。海戦時のドイツ艦隊の射撃成績は訓練時の1/3から1/4でしかなかったのですが、当時の日本海軍関係者はこの事実を知りませんでした。そして実際に、日本海軍が実戦で記録した射撃成績もほぼ同様に1/3から1/4に低下していました。

当時の砲術学校や連合艦隊でもこの事に対する危惧はあったようで、連合艦隊での図上演習では命中率は訓練時の1/3に落として判定して「水上砲戦での日米決戦に勝算は無い」と判断していますし、砲術学校でも「戦艦の砲戦は必中を期し近距離で行うべし」としていました。

「命中率三倍論」にしても「アウトレンジ戦法」にしても、戦後になって言われ出したもののようです。戦前戦時中の日本海軍では、戦艦の主砲戦距離は2万m程度で考えていました。



サマール沖海戦については、資料によって挙げられている数字が異なっています。モリソンのデータはかなりアメリカ海軍に甘いので、ここでは双方に割合公平な戦史草書と各艦の戦闘詳報にある数字を用います。

それによると、日本の戦艦4隻(大和、長門、金剛、榛名)は主砲弾527発を発射して命中弾は12、命中率は2.28%です。また、重巡洋艦6隻は1756発を発射、73発の命中弾を得ており命中率は4.16%です。

この数字は、先ほどの「実戦での命中率は訓練時の1/3以下」という法則から見ればそれなりに高い数字と言えます。特に戦艦榛名と金剛は高速を利して距離を詰めた事により距離2万程度での中距離砲戦を実施しており、命中率は4%程度に達していました。逆に戦艦大和と長門は遠距離砲戦に終始した為命中率が上がらず、特に大和に至っては1発の命中も記録していません。大和は戦闘中に敵魚雷回避のため明後日の方向に30分ほど直進を余儀なくされたためその分は割り引かなければなりませんが、それでも褒められた成績ではありません。

しかし何故、ある程度の命中を記録しておきながら戦果が少なかったのか。よく言われるように、徹甲弾が護衛空母の薄い装甲を簡単に貫通し起爆せず、不発弾になってしまいただ穴をあけただけだったからだというのが真相のようですが、これにしても相手が正規空母だったらどうだったかを考えれば結果は同じだったでしょう。そもそも空母相手の砲戦で、対戦艦用の徹甲弾を使うのが間違っているのです。空母のような燃えやすく防御能力の低い目標には通常弾を使うべきでした。こういう、咄嗟の柔軟性などで日本海軍は見劣りのする組織だったのかも知れません。



なお、黛治夫大佐は海軍砲戦の権威ということになっていますが、戦時中に海軍内で砲戦の権威として遇されたのは草鹿仁一中将(砲術学校校長、南東方面艦隊司令長官、兵学校校長)、猪口敏平少将(戦艦武蔵艦長として戦死)あたりだったことを申し添えておきます。



何か嬉しくなったのでついつい長々と書いてしまいました。ごめんなさい。

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なるほど。 (静流)
2005-10-24 03:51:41
戦争は基本的に好みませんが、そうであるが故に知らねばならないと考え学んだのですけれど……これは、ヒドラ市がシャカに闘いを挑むようなものですね。

やはり本職でもある万里さんの足元にも及びません。



ただ、世間一般に言われる程に神懸かり的な能力を誇っていた訳では無く、あくまでも世界一流の水準であったという事は更に納得出来ましたので、心より御礼申し上げます。



人は、好きな物は無批判に受け入れ信じてしまい、嫌いな物は無条件に否定して信じないと言う傾向のある生き物ですが……好き嫌いに関わりなく、事実を事実として知覚しようとする姿勢もまた、大切なのではないかと私は考えます。

己が信じる事は己自身の真実ではありますけれど、それは事実とはまた異なるものですし。



兎にも角にも、とても勉強になりました。

海戦関係はこっそり好きなので、また書くこともあるかも知れませんが、その際も御指導頂けましたならば幸せです。
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Unknown (アメリカ軍も・・・・)
2010-10-09 11:57:59
アメリカ軍も命中率悪いですよ。単独で行動する駆逐艦初月1隻を沈めるのに軍艦13隻をそろえても2時間もの時間と巡洋艦4隻だけで1200発の弾丸を消費しています。またスリガオ海峡会戦においても、アメリカ軍の戦艦と巡洋艦の命中率は0.6%程度です。勿論中距離~近距離のレーダー射撃ですよ。
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