ウロ

木の洞に頭突っ込み独り言

やっぱ嫌いだ

2017年12月24日 | 日記
朝刊に瀬戸内寂○の平和の句が載っていた。

排除 という文字に違和感を覚えたが
その正体はすぐには分からず 記事を読んで気がついた。
秋に某知事が使った言葉だ。

あてこすりかと思ったら
あてこすりどころかそのものズバリであった。
一応「句」そのものは平和を訴えるものだとはあるけれど。

……なんかなあ。
あの発言は発言で不快なものであったが
それは既に社会的に批判も制裁も受けているものだから
今更追い討ちをかけなくてもいいんじゃないの?
発言の影響力を考えたら
別のもっと内在されている問題を突くべきではないの?
誰も「不快」「変だ」と感じている事を
ほじくってまでやり玉にあげる必要あるのかしら。

以前にこの人の人生相談を聞いていて
無茶苦茶むかついてきた事がある。
著作は一本も読んだ事がないけれど 今後読む気も失せた。

切々と訴える相談者に
「私はこう切り抜けた。私はこうやって成功した」と述べるのみ。

あんたねえ……
今の立場にあるからそう言える事であって
海のものとも山のものともつかない頃に そう胸を張れたかね?

人に相談する時 成功談が聞きたくて そうする人はいないと思うよ。
それよりもしんみり「大変ですね」とまず返して欲しいよ。
そんな思いやりも機転もない人の書いたものなんか読みたくないよ。

愛読者がいるからの名声なんだろうけど
私は弱者の立場を理解出来る作家がいいなあ。
誰もが強いわけじゃない。

某知事も嫌いだけれど 今度ばかりは同情した。
追い討ちはよくない。追い討ちは。
コメント

バックナンバー

ブックマーク

  • RSS2.0

プロフィール

自己紹介
まんがと昼寝が心の友