ウロ

木の洞に頭突っ込み独り言

病院にもやもや

2012年11月30日 | 日記
昨日午後主治医の先生から話を伺う。

話しているうちに
「ええっ 入院からずっとお風呂入ってなかったの」と先生が声を上げる。
「シャワー浴は勧められていたようなんですが こちらのバス付きに移るまでは一度だけしか」
「だからか」
患部に薬を塗ってガーゼで保護するのだが、入浴しないため古い薬が流せず
上塗りする形になって層になっていたらしい。
医師はそうとは知らず「どうしてこんなぶよぶよがあるんだろう」と取り除いたのだが
「あれは塗り固められた薬だったんだ。どうりで治りが遅い」

風呂を断った父も悪いが
「治療に必要だから」と強行しなかったのは看護婦の怠慢じゃないか。
せめて私に事情を話して説得するよう要請すべきだったんじゃないか。
入浴も治療の一環だと認識するのなら、それこそプロ意識で強気に出ていた筈だ。

名鉄病院の看護婦さんの「さあ 今日からスパルタで行きますよ」が懐かしい。
入院前の状態まで生活能力を回復させるのだという意気込み。
患者のためと思えばこそ患者に恨まれても厳しく接する事が出来たのではないか。
放っておくのが一番楽なんだもの。

医師に感染の危険性について訊いた。
乳幼児が身内にいなければ心配ない。外出も勿論構わない。
父は家に帰っても一室に閉じこもっていなければならないと思い込んでいる。

看護婦が信頼できない。

着替えも一式重ねて置いておいたし、分からなくても少し探せば簡単に見つかる。
でもプライバシーの保護とでも言うのか、患者任せにする。
名鉄ではこんな事なかった。

最初のアナムネからして対応が違った。あまりに簡単だった。
病室使用の書類の行き違いも二度三度あった。
点滴でこんなにパジャマやシーツを汚された事もかつてない。

国公立病院だと看護婦も公務員待遇なのか? だからか? と疑ってしまう。
それともたまたまめぐりあわせが悪かったのかしら。



転居の話はその度変わる。
昨日は最後には「俺の死に場所は(今住んでいる家の)あの部屋と決めている。
そう考えて 作ったんだ」と言った。

嘘をつけ 嘘を(ああ 何度目のフレーズ)。
設計の段階であんたが意見を言った事があっただろうか。
いじくり倒した末に出来上がったウオークインクローゼットを
「いずれはトイレにするつもりで設計した」と言い張るのには呆れる。そんな配管してねえ。

そんな思い入れがあったのならどうして
「あそこを売って老人ホームに入る」なんて言えたんだろう。
そもそもがそれが発端で、それを真に受けた私がマンション購入を発案したんだ。
そうでなければ同居しているところだった。

痴呆と現実逃避の言い逃れと難聴と人の話を聞かない性格が入り混じり
どこでどう線引きをすればいいのか分からない。
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ぬきうち

2012年11月29日 | 日記
予約してあった病院に行く。
受付をしたら「血液検査」の予約まで出てきた。

してない。私の手元の予約票には診察しか載ってない。
「しないといけませんか」「先生のご指示ですから」

これをぬきうち検査と人は言う(言わない)。
採血の針も怖いが、それ以上に結果が怖い。
貧血がひどければ「やっぱり手術します?」と言われる。逃げ切りたい。
前回の検査ではあらんかぎりの手を尽くした。

食事に気をつけるのは当然。
飲み残しておいた薬を検査前半月に集中的に飲み、健康食品も摂り、
最後の裏ワザ「前日水分を控える」(軽い脱水症状にしておくわけだ)も使った。
おかげで「ま 次は検査要らないね」となり、今回も要らないと信じていた。
しかし当日予定表は私を裏切った。

「父が入院して一週間まともに食べてない」 言い訳を頭の中で繰り返す。

ところがぎっちょん。ヘモグロビンは11.9。
内診の結果も変化なしで様子見のまま。これなら逃げ切れるだろう。
検査をすっぽかす手もあるのだが、折角出来た総合病院との繋がり、もちっと引っ張りたい。
次回も血液検査をするようだから、忘れず対策を。


さて。その数時間前。
通院に間に合うよう慌ただしく朝の家事をこなしている時、電話が鳴った。
父からである。
「今日中に退院しろと言われた」
ありえない。前日概算請求が出る筈だし、退院が決まったらまず私に連絡をくれと看護婦にも言っておいた。
だが父が言い張るので、病棟に電話する。
「退院の目途がたったので主治医から今日にでも話がある」という伝達を父が取り違えたのである。

これは痴呆というより
補聴器を使っていない父は女性の早口が聞き取れないため
単語だけを拾って勝手に文章を作り上げた結果である。
分からないなら訊き返せばいいのに、それが出来ない。

というわけで三日連続、午前中自分の通院、午後父の病院となる。
おかげでちびっと痩せたぜ。
(実家に何かあると大抵は太るのである。食事時間が不規則になるのとストレスのせいで)


マンションに来ると言ったから 一覧を作った。
連絡先。購入品。父に確認をとり、サインを貰った。
そこまでしても「年内はやめた」の一言で終わる。今でなければ先でもない。
父の先送りは延期ではないのだ。
(この手を町の主治医に使って 一週間先の予約をとられて往生していたっけ)

段々どうでもよくなってきた。

衰えがひどくなってからでは転居は難しい。だから今のうちにと思う。
こちらに来てくれれば毎日でも顔が出せるし、会話があれば痴呆も進まないだろう。
頭が明瞭なうちに近所の地理やマンション生活に慣れておいた方がいいに決まっている。

しかしその一方で、転居に伴う煩わしさから逃げたい気持ちもある。
走り回るのは私。その上父の話は二転三転する。「来る」と言い「行かない」と言う。
強引に話を進めて引っ越しをさせて、全部を私のせいにされて
それでも毎日往復しなければならない。これが一体何年続くのだろう。

それくらいなら放っておいて、一度に苦しんだ方が簡単なんじゃないか。

自分で決めるのなら自分が一番楽な道にしよう。
運命が決めるのなら諦めて従おう。苦しいのは後悔だ。
望まない道を選んで望まない結果が出たら最悪だ。
たとえ怠慢でも今だけを考えて選んで、それで結果が悪い方がまだましだ。
先の事や親の事を考えて決めて裏目に出たら、残るのは後悔だけだもの。

部屋を買った時は、まだ母もいたけれど、
こっちに来たらあれもこれも出来る。散歩に連れ出せば少しは体力も回復するだろう。
衛生面も栄養面も私が管理できる。車の運転に慣れてきたら二人で買い物に行くのもいい。
などと考えたものだ。
当時の日記に「そうか 私は同居が嫌だったんだ。介護が嫌だったわけじゃない」とか書いていた。

今? 同居も介護も嫌だよ。何かをしてあげたいという気持ちがほとんど残っていない。

だからいいよ。少しでも自分の時間が長い方を選ぶ。
大事なのは選んで得たその時間をもっと大事に愛しむということ。


裏工作しなくても ほら 今回の血液検査 結果よかったじゃない?










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人間の順列

2012年11月28日 | 日記
特別室は最上階にあり、エレベーターを降りるとコンシェルジェのブースがある。
ばかくそ丁寧に案内された部屋は入り口横にクローゼットがあり、照明付き。
入って右手にばかでかいテレビと、応接セット。
左手にベッドと冷凍庫つき冷蔵庫。手前扉はミニキッチンとバスルーム。
バスルームにはホテルのようなアメニティグッズ(? シャンプーとかのセット)。

落ち着かねえ。

看護婦さんが入ってくる。
態度は慇懃だが、気に入らない。

「皮膚科でどう言われていたか存じませんが 帯状疱疹は伝染します」
えええ?
ネットで調べたら、乳児には水疱瘡として伝染るが、それ以外は心配ないとあったし
看護婦さんからも何の注意も受けてない。
ゴミ箱に使用済みのガーゼが無造作に捨ててあった事もある。
「だから無暗に出歩かないで下さい。売店には看護婦が同行します」

つまりこの階の「大事な大事な患者様」に万が一でも伝染すると困る
という事か。
つけたすように「免疫力の落ちている患者には命取りになります」と言った。
免疫力が落ちてるのはこの階の患者だけじゃない。

庶民の私らに他の大事な大事な患者様に迷惑をかけるような事はすんな
と言ってるように聞こえた。これは僻みだけど。

でも「伝染勧告」「外出禁止」はどの病棟でも統一すべきじゃないのか。
そんな簡単に感染するなら、あの病室のガーゼは何だったんだ。

天は人の上に人を作らんかったかも知れんが
人は人の上に人を住まわせている。病院でも。


父は外面良男だと前に書いた。
そとづらーは家の外の人間にまんべんなく愛想がいいと思っていた。
だが父の知人にも順位はあるようだ。
入院する少し前の事だ。葬儀に出席できなかった知人のお宅に訪問を済ませ
「これで義理が済んだ。ずっと気にかかっていた」と言った。
義理堅い人だからなと思った。
だが今回の入院で、出席できなかった同窓会二次の幹事への気遣いは全くない。
自分が行けない事を嘆くだけで連絡をどうするかの心配はなかった。

関わりの薄い人こそ、「お互い様」がないわけだから私は義理を通したい。
親しい人にはいつでも返せるし、また分かっても貰える。

順位をつけられるのも嫌だが、つける側には絶対なりたくない。



けなす代わりに誉める事をしよう。
今回の入院で、前に母が世話になっていた病院の良さがより実感された。

名鉄病院である。
内科主治医とは外来でのつきあいが長かったから、それで特別扱いもあったかなとも思うが
週に何度も外来診察の後に病室に顔を出し、
私と会えばいろいろな数値を示して病状と今後の方針を話してくれたし、
何日も会ってないなあと思う頃には電話をくれたりもした。
入院中に何度か日時を決めての面談もあった。
それが当たり前になっていた。

確かにあの女医さんは特別だっただろう。
でも、その前に入院した脳外科でも医師は何度か説明してくれた。
退院前にも揃って(脳外科医と内科医)面談してくれた。

セッティングは看護婦さんがしてくれたのか、医師からの指示だったのか。
どちらにしても病院側の方針なんじゃないか。
日頃から看護婦さんも、検温などで行き会った時は前日までの状態を話してくれたりした。

今の病院をけなすのは早計としても
名鉄病院を褒めるのはもはや義務とすら思える。
中にはそりゃ不快な医師もいたけれど病院側の姿勢に不満を感じた事はなかった。

娘が渡米前の予防接種で世話になったのも名鉄病院だ。
不作法とすら思える娘の問い合わせメールにも、丁寧に応じてくれた。
そこに地域医療を担う総合病院としてのプライドを感じた。

名鉄病院の特別室は、さてどんな感じなのだろう。
一般病棟と同じがいいな。


ところで。
特別室と聞いて、息子は「食事も?」と訊いた。
旦那も同じことを訊いた。
飛行機じゃあるまいしと答えたら、「特別じゃないわけないだろ!」と反論する。

恥をしのんでコンシェルジェさんに訊くべきか?
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無理だ

2012年11月27日 | 日記
昨日予定通りに昼寝をこなし(30分だが)まんがも読んですっきりした。
今週は私自身の通院予定が重なっている。出来ればキャンセルしたくない。
(あやうく今日の分慌てて変更するとこだったぜ)
体調を万全にして一週間過ごしたいんだ。

昨夕すっきりした頭で作り置き分と夕食を作っていたら電話が鳴る。
父からである。
「明日は来てくれるんだな」
この言い方。この言い方にむかつくのである。
月曜は雨だったし、身体を休めたかったので行かなかったが、火曜日は行くつもりだった。
だがこう言われると「なんで? なんか用?」と訊きたくなる。
別に用なんかないのである。着替えはたっぷりあるし、お金も置いてきた。

実家の整理がしたいと言い出す。
去年の母の入院騒動の時も「やっておかないといけなかった」事があったと
くそ忙しい時に、だが父は別に忙しくもないんだから勝手にやってくれていていいのに
ぐちぐちとため息をつきまくっていた。
それから一年。母は病院と施設の往復だったが、全部私がやった。
父は母の世話から解放されて自由だった。この一年。しかし結局何一つ整理してない。
「外泊するほどの入院期間じゃない。大人しくしていて」

思いつきでものを言って人を振り回すな。

電話を切って、それでもまあそこそこ気分よく家事をこなす。
娘も反省しているようで大人しい。いつもは回さない気を回す。
息子は息子で(昼間の私の八つ当たりが効いたのか)勉強道具を出してきた。
ゆっくりと風呂に入り、早々に寝る。

今朝は早朝覚醒もなく、5時過ぎまで寝ていられた。
予約の歯医者に行き、眼科は迷ったが、午後の事を考えて今日はやめておいた。
帰って気分転換してから父の病院に行こう。掃除機もまだかけてないしな。

帰宅直後に電話。
特別室に移った父からである。
「お前 何を勝手に手続してくれたんだ」
写真でしか見ていないが、応接セットまである部屋だもんな。いざ入ったらビビったか。
看護婦の説明も聞かず、決めたのは父だ。看護婦さんは細かくいろいろ確認していた。
それを聞き流し「それでええ それでええ」と言っていたのを私は聞いている。
金額に慄いた私が「2万円だよ」と繰り返したのだが、
「最後なんだから いいだろ」と言われたら、それ以上言えないではないか。

痴呆なのか。性格なのか。
歳が歳だから痴呆を疑うべきなのだろうが、それだけと割り切る事も出来ない。
話を聞かないのは昔から。私が何か言うのをいつも馬鹿にしてしか聞かないのも昔から。
金額に関係なく、私が合理的に最小限にまとめようとするのを
貧乏くさいと言わんばかりに鼻で笑う。それなら勝手にしろと言いたくなるわさ。

「とにかくその病室はあなたの希望どおりなのだから キャンセルは出来ない。
どうせ長い間じゃない」
「ここを出たら マンションに行く。すぐに住めるんだな」

わけねえだろ。
(私のマンションの近くに部屋が買ってある。電気は通っているがガスは止めてあるし
家具は何も置いていない。照明器具も揃っていない。電気製品は勿論ひとつもない。
何を実家から移すか、何を新たに購入するか。準備に最低二週間はかかるんじゃないだろうか。
これまでも何度も来いと言っているのに嫌だと言い、行くと言ってはそれを翻し。
全部揃えて誰も住まなければ劣化するばかり。内装がそうだ。改装した部分が傷んできてしまっている)

「すぐ来てくれ」

私は言った。「無理だ」
別に不可能じゃない。でも病院は午前中慌ただしいところだし、私だって忙しい思いをしたくない。
予定どおり気分転換して掃除して昼ごはん食べて少し寛いで、それから出かけたい。
「今病院から戻ったところなの。私だってまるきりの健康体じゃないの。無理したくないの!
病棟は午前中用事が多いから迷惑なの。昼過ぎに行くから それまで待て!」

そうだよね。時に、「無理」と突っぱねる事は大事だよね。


なんなんだろう。嫌と言えない性分でもないのだが
他者の期待や要望に可能な限り応えたいと思ってしまうらしい。
そのうえ相手に負担をかけまいと思うのか、自分の能力を実際以上に見せたいのか、
余裕でそれをこなしているように振る舞ってしまう。

それが招いた禍数知れず。

「無理」 その一言でいいのに。

しかしいつも思うのだ。
人の言う限界、人の言う無理ってどこまで何だろう。
自分が口に出した「無理」は怠慢じゃないのか。
私が自分を労わる事で相手を困らせているいるんじゃないか。
私の事情と相手の事情と、どちらが逼迫しているのか数字に出るといいのに。

いやいや。
父の「限界」は明らかに私より低い。
ゴルフに行ったが、帰ったら疲れたが父の限界で
うどんを食べに行く気力はあるが、名古屋駅までは行けないのが父の限界。


さあ。マンションの部屋をどうしよう。
紙にすべて書きつけ、父に一筆貰うか。
だがそれを証拠につきつけても、父はこういうだろう。「頭の中が真っ白で何も考えられない」

こういうとこ母そっくりなんだよな!
都合が悪くなると「忘れた」「考えられない」なんだ。
最初から逃げ場を作っているから、自分の言葉に責任を持たないんだ。


「すっごく欲深な兄弟がいたらいいのに」 私は逃避する。
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人生を投げたくなる日

2012年11月26日 | 日記
そんな日にぴったりの天気である。雨である。
月曜日の雨である。
まあ専業主婦にとっては何もしなくていいよ的天気なので
今日は一日のんびり過ごせばいい。
この記事を打ったら、パソを閉じ、息子の昼ご飯を作って、あとは寝る。
寝る。
夕方起きて娘の夕食を作って、明日の弁当のミートボールと冷凍用のハンバーグと息子の夕食を作る。
それを片づける頃に旦那の夕食である。これで一日終わる。

睡眠不足解消のために今日は寝る。寝るのだ!

私がぐうたらするのは 勿論ぐうたら気質だからなのだが
一番に、朝の弁当作りで一日のやる気の半分を使い果たすせいもある。

たかが弁当。だが品数だけで言えば夕食のそれに匹敵する。

たとえば今日。
冷蔵庫から取り出したのは、ささみと豚のひれ肉。卵三個。サラミ。
野菜室からリンゴ・レタス・パプリカ・キャベツ・ミニトマト。
りんごを剥いて塩水につける。旦那の朝食用。
キャベツを千切りにする。
ささみを開いて衣をつける。半分は息子の昼食用に残しておく。
ひれ肉を切り分け、半分に衣をつける。
パプリカを切る。
溶き卵の残りに二個分の卵を足し、卵巻きを焼く。
フライパンで衣をつけた肉と、ひれ肉の残りとパプリカを焼く。
サラミも軽く焼いておく。
ひれ肉を最後に残して味付けする。
このあたりで旦那の朝食のパンを焼いて出す。りんごを添える。
ホットドッグ用のパンを二本、一方にケチャップを入れ、トースターで焼く。
ひとつはカツサンド(キャベツ・ヒレカツ・マスタード)
ひとつはサラミサンド。これは旦那。旦那はこのところずっと昼はパンである。
弁当箱を出し、一段にご飯半分、残りにオイスターソースのひれ肉とレタス。
もう一段にささみかつのチーズ焼き・卵まき・パプリカとサラミ。ミニトマト。

ちなみに明日は
アスパラの豚肉巻き・ほうれんそうのおひたし・やきそば・ミートボール・他。
旦那のパンはやきそばロールと細長ミートボールサンドである。
残りは息子の朝ごはん。

材料の使い回しもだけど
フライパンの熱を無駄にしない為の調理の組み立ても大事である。
まな板と包丁を使う順番も。


専業主婦だかんな。
主婦ならあたりまえの事だが、あたりまえで終わってしまうのが切なくなる日もある。
今日はそんな日である。


土曜日に病院に行ったら「火曜日退院」と父に言われた。
最初の初見に「一週間」とあったから有り得ない話じゃない。
だがなんとなく「追い出される」感があってもやもやした。でも仕方ない。
火曜日の退院のために日曜日に済ませておくことがある。だが体調も維持したい。
それなのに息子と娘の要求が擦れ違い、その調整に余計な神経を使う。

私、私の為になんか何もやってない。

旦那がサポートしてくれる。一日車で付き合い、荷物も全部運んでくれる。
愚痴も聞く。それで何とか頑張れる。

「退院はまだ決められません」
看護婦さんに言われた。
はあ?
火曜日の病室移動を退院と勘違いしたのか、願望を現実と思い込んだのか。
痴呆のきざしか、もともとの人の話を聞かない性格ゆえか、見極めもつかない。

火曜日の退院でないのならこちらの予定も変わる。再調整。

火曜日に特別室が空くので、そちらに移る。
頼まれた父の友人の電話番号とテレホンカードを持っていったら
「次の部屋に移ってからでいいだろう」と言う。
見舞いに来てもらう事前提か。
母の入院の時は誰にも知らせなかったのに、自分は見舞いを望むのか。
そしてそのための「特別室」なのか。

一泊2万何千円也。
タクシーで行くと往復で3500円。もったいないから自転車で通う。
時給込みで4000円貰おうかしら。

日曜日の終わり。「せめて早く寝かせろ。物音たてるな テレビはイヤホン」(9時)
家人を蹴散らして布団に潜りこむのがせいぜいのうさ晴らし(旦那ごめん)。
明けた雨の月曜日。そして今から息子の昼食である。

ああ。人生投げたい。
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うまくまとめられるだろうか

2012年11月24日 | 日記
ボランティアの話と、日常。

父の病院に行く。
幸い祭日であったので旦那に運転を頼める。
実家に往復、病院に往復、合間に買い物を済ませる。
父が寝たきりにならないよう売店に誘う。旦那も付き添い喫茶室にも寄る。
行く前に点滴の管などをチェックしてくれた看護婦さんの手に見惚れる。
ああ 若い看護婦さんってええなあ。私がええと思うくらいなんだから
男の人なんてたまらんだろう などと不謹慎な事を考える。

父が言う。
「あれは点数になるんだろうな」
「は?」
「風呂に入れてやる入れてやるとうるさい」

勿論訂正する。だが聞いちゃいねえ。
80の余も人生やって、まして私は「出来の悪い」娘。
どんな正論も通らない。でも言うだけは言う。
看護婦さんのそれは「患者を清潔に保つ」という職務である。
気遣いという言葉も出かかったが、それは却って不適切であろうと飲み込む。
看護婦さんはプロ意識でそれを提案し促したに違いない。
だが父にそれは通じない。仮に思いやりであっても通じない。

最近話題にした「男女同権」と「ボランティア精神」両方に関わる問題である。

男尊女卑の世代だから、看護婦さんの医療に関わる者としてのプロ意識など理解しようとしない。
それは母も同じである。看護婦さんのみならずヘルパーさんのプロ意識だってそうだ。
この意識は一体何歳ぐらいの世代まで続いているのだろう?

両親は他人の善意を金銭に換算する。
「点数になる」発言がそれである。
お風呂に入れてあげると言われたら、たとえそれを職務と理解できないまでも
気遣いと受け取るのではないだろうか。

女性の職業意識も、他人の奉仕精神も、理解できない人種はいるのだ。

前回の記事のコメント返しを書きながら、あれやこれや考えた。
回りまわって行き着いた答えは「ボランティアを受け取る側の準備が私にはない」だった。
私だけじゃないだろう。社会的にすべてが未熟なのだ。
ボランティアをする側の意識はわりと簡単に育つ気がする。
だが善きにつけ悪しきにつけ、受ける側の姿勢は簡単には育たない。
浸透が難しい。
人間的成熟を要するのは、ボランティアをする側ではなく
正しくそれを受け取る側ではないか。

私が自分の中の偽善をうまく処理できないでいるのは、人間的に未成熟なせいなのかも知れない。


ずっと以前。高校生の時だろうか。
土曜の午後学校帰りの電車の中で、目の前にいた人のケーキの箱の底がいきなり抜けた。
呆然と突っ立つその人の前で私はしゃがみこみ、片づけを始めた。
我に返った当人がそれに続き、少し遅れて周囲の人がティッシュや袋を差し出してくれた。
私たちはそれを使って床に散ったケーキの残骸を掃除した。

その時私が考えていたのは、相手の苦境じゃない。
「なんで 土曜の午後なんだ。お腹が鳴ったらどうしよう」

何年も経ってから、最後に言われた泣きそうな「ありがとう」を思い出した。

また別の時、前に立つ女の人がどうやら痴漢にあってる、と気づく。
身動きならず、「痴漢ですか?」と声を上げて訊いた。
電車を降りたら、その人が追いかけてきて、やはり「ありがとう」と言った。

どっちも人助けになっていたのだろうが
私にその感覚はなく、目の前の事象に反射的に動いただけだった。

あんな風に何も考えず動けたら、それが一番いいんだと思う。
人助けが日常であれば、何も悩まなくてもいい。
でもその一方で。

新聞の投稿欄に、受けた親切を喜ぶ記事を見る。
親切を施した人にではなく、こんなささやかな事で喜ぶ事の出来る投書の主に私は感動する。

この落差をどうやって埋めたらいいのか。


あー やっぱりうまくまとまらない。


夫婦別姓の話を娘にしてみた。
娘は最初あっさりと「私はいいと思うよ」と言った。
だが彼女はその必要性も、その結果も知らない。私は説明する。
今でも通称として旧姓を使う事は出来るが、戸籍上は違う姓なのだからいろいろ問題が発生する。
だから戸籍の上でも旧姓のままという制度を作る。夫とは違う姓である。子供はどちらかの姓を選ぶ事になる。
娘は「それはいかん」と言う。「そもそもどうして姓に拘るのか分からない」

苗字が変わったくらいで否定される人間性って何なんだろう?

だがこれも意識の問題なのだろうか。
私は小説を書くが、大抵書き始めてから人物の名前を考える。
登場の段になって「ええっと」と本棚を見る。適当な苗字を選び、思いついた名前を打ち込む。
だから次の登場まで間があくと、忘れる。主人公の苗字が途中で変わった事もある。
タイトルも大抵そうである。
一話目を書き終わって「あ タイトルがない」と思い出す。
看板はどうでもいいんだ。どうせ忘れるんだから。

こういう人間だから「守らなきゃいけない姓なんてあるのか」と思う。

男女同権が進めば、男が女性側の姓を名乗っても面子がつぶれるとか、ないんじゃないか。
本当の同権って制度で作るものではなく、意識されなくなるほど自然になる事じゃないか。


まとまんないが、時間がきたので、ここまで。

息子が「どうぶつの森やる?」と訊いてきた。早くも飽きたのだ。ほらみろ。
だが私は一日が今短い。何もやっていないのに短い(父の入院前からである)。
この上ゲームなんて始めたら建設的な事はなにも出来なくなる。
「売れば?」
某さん ごめん。
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優しさの形

2012年11月23日 | 日記
最初に言っておく。
私は「優しいね」と言われるのが嫌いである。
自分の中のその部分に偽善を感じてしまうのだ。

誰かに小さな親切をする。
ほっこり幸せになる。
自分で「ああ 自分の為に私はこれをやったのだ」と自覚する。
それでも尚、ほっこり幸せになっている自分を嫌悪する。

誰かに思いやりを示す事も同様だ。
だから私は「対等」がいい。

普通の小さな親切もボランティアも本来は対等なのである。
私が誰かに何かをする。私はその事で満足感を得る。
相手もハッピー(だといいが)私もハッピー。これで対等。

高校の時に点字を習った。点訳した本を持って盲学校へ行った。
私にとって点訳は趣味・遊びであって奉仕ではない。
とても楽しく点字を学び、苦手の清書は友人が引き受けてくれたので
最初から最後まで、表紙作りまで、楽しんでやった。

註・点訳とは(この場合)点筆を使って、手打ちで点字を打っていく作業である。
平仮名とアルファベットと数字、点字特有の記号を使って文章を訳していく。
文節区切りなど特別な規則(改正される)があるので
素人は下書きを打って、講師に校正してもらい、固い紙に清書する。
今は点訳ソフトなどもあるらしい。印刷技術も向上している事だろう。

盲学校訪問も初めての経験で、目の前で私が打った本を
指で、常人が音読していくのと同じ速さで読み上げていくのを
驚きと喜びをもって拝見させてもらった。いや 本当にすごいんだ、速いんだ。

私は点訳を楽しんでハッピー、彼らも希望の内容の本を手に入れてハッピー。
同じ目線で向き合っていたつもりだった。

盲学校の生徒の挨拶に私は違和感を覚えた。
彼は強引に目線の位置を下から上に引き上げようとしているかに感じられた。
彼はもとから下じゃないし、でも上にもなって欲しくない。

点訳は好きだったから、その後も一冊点訳した。
でも講師の手引きなしには無理なので、それきりになってしまった。
私にはボランティアは出来ない。

私が自分のために楽しんでやった事でも
傍からみればボランティア活動となり
いくらそれが対等な人間関係の中での社会活動であると言っても
受ける側にその意識が根付いていなければ「してあげる」「して貰う」の図式が
出来上がってしまう。

社会的弱者の側に引け目がある限り、対等な関係には簡単にはなれない。


ダウン症の記事で、ちやこさんに返事を書きながら
何度も読み返した。本文より時間をかけて、かつてない程に真面目に書いた。
とても伝えるのが難しい。

人情や思いやりは大切である。許しも寛容である事も必要である。
それらに形はない。きまりもない。
私は自分の中にあるそれと偽善の境界がつけられない。だから嫌悪する。
したいという気持ちとしてあげたいという気持ちとしてあげたらいいという気持ち。
他の人には境界はないのかも知れないけれど、私にはある。

そして面倒になる(結局ここか)。

バリアフリーがいい。同じ目線がいい。
そうしたら何も考えないで済む。
私は下になりたくないが、上にもなりたくないのだ。
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父 入院

2012年11月22日 | 日記
昨日昼。父から電話。
病院からで「手術する事になった」と言う。
寝耳に水。
「今すぐ行く」と言ったら「病室が決まったら電話するから家で待て」と言う。

身支度して、思いつく入院用品で家にあるものを袋に詰める。
再び電話。「診察を受けないと病室は決められんそうだ」
はい? 診察前ですか?
町の皮膚科に行って総合病院を紹介されたらしい。あまりの悲壮感に思わず癌を疑ってしまう。
「とにかく行くから」
タクシーを呼び、荷物をまとめる。

外来に行ったが待合室に姿がない。受付で呼び鈴を鳴らすが反応なし。
診察室の一つが塞がっていたので、それが父かと暫し待つ。
看護婦さんが出てきたので訊く。
「今から病棟にご案内します って あら いない?」
椅子を指さし、「さっきまでここにいたのに」と言う。

トイレにも電話の近くにもいない。
売店に行ったのか、一階まで私を迎えに行ったか、待てども戻らず。
探しに行った方がいいんじゃないかと呼び鈴を鳴らすが誰も来てくれない。
うろうろ待つ。

「おひとりで病棟に行かれたようです」

ああ。その可能性も考えたが、まさか本当にやらかしてくれるとは。
短気というか人の話を聞かねえというか。

病室に行く。二人部屋。
早速個室の交渉をしたらしく、翌日から1万円の部屋、来週には二万数千円の部屋。
私の金じゃない。金じゃないけど
「温泉でも一泊二万出した事ないなあ」と思ってしまう。

入院計画書を見る。「帯状疱疹 経過観察・安静」とある。
手術なんかねーじゃんか!

町医者が「ひどい」と言ったのを勝手に「手術が必要なくらいひどい」と受け取ったのか
或いは本当に医者が「手術」と口走ったのか(だとしたら相当なヤブという事になる)。
だがここの医師はそう言わなかった筈で、父はそれを全く聞いていなかったわけだ。
入院期間も勝手に決めてるし。ここには最長で一週間みたいに書いてありますが。誰が最低で二週間?

持病の薬があるので実家に取りに行かないといけないし
パジャマも下着も揃えないといけない。
新品はないと言うから売店で買ってくる。
「お腹は?」「何も喰いたくない」 悲壮感に浸りきっている父はそう答える。
おにぎりとお茶を買ってくる。
それから実家往復し、戻ったら「腹が減った」と言う。
「おにぎり あるけど」「パンがいい」「分かった。サンドイッチ?」
売店に走る。大きい病院だから売店までが遠い。エレベーターの待ち時間が長い。

大方揃えて、さあ帰ろうという時になって
「ああ 明日たのしみにしていたのに」とため息をつく。
「何?」
「同窓会の流れで……」 希望者を募って某高級店に食べに行く約束だと。
「欠席の連絡したの?」 ってしてるわけがない。
ああ。そういえば電話の横に何やら葉書があった。あったが、もう一度の実家往復は無駄すぎる。
タクシーで5000円だぜ。
なんで先に言わんのじゃああ!

今朝旦那に実家に寄って貰う。葉書を見てもらうが、電話番号はない。
住所を聞いて104に問い合わせる。
初めてのお宅にあまり早朝もと、8時半まで待ったら「出た後」だった。
どんだけ遠いんだ。どんだけ気が早いんだ。
「携帯はお持ちじゃないですか」「多分持って出ていない」
多分じゃないだろ 多分じゃ。一応持っているなら試すぐらいせんかいっ!

あとは店に電話して伝言をお願いするくらいしか思いつかない。

私が代理で行って父の金で喰うという手もあるけどな!


動いている時は夢中で走り回っているが、帰宅するとどっと疲れが出る。
そうなると腹が立ってくる。

こんな(高級店で飲食)楽しみがあるのなら
参加しようという意欲があるなら
電話するたびに「なんとか生きてる」言うな!
入れてくれる病院があって、奔走してくれる娘(私だ)がいて、何が「最悪」じゃ!
私は今週早朝覚醒で慢性的に眠いんじゃ!

まー入院費の算段しなくていいだけ ましだけどな。
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ダウン症

2012年11月21日 | 日記
「ポストに本入れとくから回収しといて」と娘が言った。
持って出たはいいが、重くて荷物を減らす事にしたのだろう。
覗いてみたら図書館の本だった。ダウン症児とその家族の作文集みたいな。

出生前診断を題材に指導案を作っていたっけ。その資料だろう。
話題に何度か出て娘は「アメリカじゃダウン症の子も一緒に育ってる」と言う。
ダウン症への正しい知識もなしに出生前診断を受けさせるのは間違っている。
社会の受け皿がしっかりしていれば迷いが生じる筈もない。

おめーは子育てした事ねえかんな。私は思う。
ダウン症児は特別な子供じゃない。ゆっくり成長するだけの子供だ。
(尤も他の身体的障害を併発する場合もあるから健常児だとも言いきれない)
しかし私にはこの「ゆっくり」が問題となる。
三年ですら長かった。
知人に「あなたは子供に大人である事を要求してる」と言われた。
そんな私に子供の中の子供が育てられるだろうか。

作文を読んでいて「鬼婆にもなれる親子になれた」という一文を見つけた。
ダウン症児は天使だという言葉に縛られていた母親が
普通の親のように子供に腹を立ててもいいんだと解放された話。

ああ。そうか。そうだよね。
異常と見るも天使と見るも、それは差別に違いない。

ダウン症児と共に、周囲もゆっくり成長していくのだ。
だから社会から隔離してはいけない。
そこにいるのが当たり前になれば、その個性にも慣れていく(のだろう)。

でも私はきっとダウン症児当人に傷つけられる。
子供の無邪気すぎる一言に傷つけられるように。
その個性を受け容れるには、社会がもっと大人にならないと、いけない。

幼稚園の時、娘の学年に知的障害児が一人いた。
そのクラスの子は、先生がその子に振り回され、時に放置される事もあったと聞く。
同じ保育料を払って、これは不公平とも言える。
娘と同じ視点にいたのでは議論にならないから敢えてその話をする。
「アメリカは予備教員を置いていた」
やっぱり環境整備が先だね。

命の選別は間違っている。だが現実に重い命と軽い命が世界にはある。
理想を掲げるよりも、軽い命を「そうじゃない」方に移す方が実際的だろう。
ダウン症児だって普通に生きていける社会を築けば選別もなくなる。

娘はアメリカに行くまでダウン症という言葉すら知らなかった。
最初に出会ったのが、社会の中で生活する彼らだったから、彼女に偏見はない。
私の中にはある。
だから
出生前診断の話は私を憂鬱にする。自分の時でなくてよかったと思ってしまう。
受けるか受けないかの選択、産むか産まないかの選択。
理性では分かっても、現実問題として選択の余地がある事が苦しい。


娘が置いて行った本はまだ途中である。
最後まで読んだら私も少しは変わるかしら?
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たとえば こんな台詞

2012年11月20日 | 日記
「部屋の掃除は自分でやるから 勝手に入らないでよ」

と言われてみたい。

登校する息子と入れ違いに、息子の部屋に入る。
「○△$%×ー!」 私の雄叫びを聞いて嬉しそうに笑いながら出ていく。
ちゃうだろ!

掃除はしない。手を出したら終わりである。
だが窓は開けたい。
マンションなので北側の部屋を開けないと風が通らない。
しかしその窓までたどり着けない。

足の踏み場もないという形容。踏み場はある。子どもの歩幅に合わせてある。
目いっぱいに脚を開いてそこを通るより、足元を片づけた方が早い。
そうして術中に嵌る。

先日息子が「アイポッドがない」と言った。
「最後に使ったのはいつ。学校に持って行って 家で使った記憶あるの」
「ベッドにヘッドホンがある」
「だったらベッドしかねえだろ!」
「でもない」
ないわけない。ベッドと壁の隙間に落ちたに違いない。
私に言いに来るという事は私に探せという事なのだろうが
それは部屋中ひっくり返されても文句は言えないという事なんだぜ おい。

どこをどう漁ろうが、見られてやばいものはないという事なんだろう いえい。
エロ本の一冊もあれば私はこんなことしなくてもいいのに。
結局この時は私の指示で自分でベッドを動かし、「あった」となったんだけど。

「奇跡だ」
あほか。ロジックだ。ヘッドホンがここにあれば本体はそこだろ!



娘のバイト先の塾で、先日講習があった。
本部の人と、他の教室の講師たちが集まる。定期的にある。

その数日前(に限らず いつもだが)塾長にどたま来ていた娘は
記名式アンケートにあれこれ書き込んできた。
塾側の提案にも文句をつけてきた。
月曜日のバイトの時に「木曜日に来なさい」と塾長に呼び出されたと言う。

娘は教員採用対策講座に通っている。
先日派遣された講師があまりに酷いので、娘は大学の窓口に苦情を言いに行った。
改善(講師の変更)は望めないだろうが、事実を大学側に伝えておくことは大事だと私も言うは言ったが
実際に抗議に行くかどうかは自分で決めなさいと言った。
時に巻かれる事も、これから先必要になる。
「あんた 痛い目に遭った事ないものねえ」と言ったら「ないっ」とエバった。

自分は間違っていないと言うけれど、それがいつも通る世間じゃない。
だが学生のうちに妥協ばかりしていても仕方ない。
主義主張をするのはアメリカ留学の影響ではなく、こいつの性格である。

一方息子は、私が抗議するのも嫌がる。
中学で、高校で、結構理不尽な扱いも受けているのだが、彼には許容範囲なのだ。
相手の悪意や手落ちに気づかない事さえある。
その方が世渡りも楽だから、敢えて指摘したりはしないけれど。


娘と息子で性格はまるで違う。
だが部屋の汚さだけは同じである。
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悪意の連鎖

2012年11月19日 | 日記
実家の整理をしている。
母のパッチワーク作品をひとつにまとめた。
(ひとつにはまとまらん。衣装ケース二つ分である)
クリスマス小物も出てきたので、ベルと靴下だけでも病室に持っていこうと別にする。
床頭台の端っこになら置いてもいいだろうと。

だが、実家を出て、車の中で思った。
これを見せたら母は喜ぶだろうか?
「私の持ち物を漁っているのね」とは考えないだろうか。
最近ぼけが進んでわりと幸運な方(らしい)の妄想に浸っているが
人間の本性がそんな簡単に変わるわけもないから
これをきっかけに私への疑心暗鬼が目覚め、妄想を黒く染めるんじゃないか。

やっぱ やめとこ。

悪貨は良貨を駆逐する
悪意は善意を駆逐する ああ名言。なんちって。

病室にテレビを持ち込めないでいるのは母の悪意のせいである。
見学の段階でテレビつき床頭台がない事に動揺した私であるが
「持ち込んで頂いて結構です」と言われて安心した。
「イヤホンも個室だから必要ないですよ。電気代は負担して貰います」
一週間は詰所傍の病室で、安定したら移動するとの事だったので
それからでいいかと思っていたら、ヘルパーさんが「ラジオがあるといいね」と言った。
ラジオくらいなら手軽だから、善意のアドバイスだったのだろう。
イヤホンは要らないとの事だったから、置き型のを選んだ。
ヘルパーさんとの話のねたになればと小さな照明つきのを買ったのだが
母は「つけてみせてと うるさい。ここでサボろうとする」と消してしまう。

テレビを買っても、母はヘルパーさんに見せまいとするだろうか。
ヘルパーさんは番組を会話の糸口にするだろうが、それすらも「テレビ目当てで来る」と解釈されるのか。
そう考えると憂鬱になって
母の方から「テレビが欲しい」と言うまでは持ってくるまいと思うのだった。

これまでの私の善意も誠意も、下心という悪意に受け取られていたと知り、
その時はショックだった。今はもう慣れて呆れるばかりだけど。

天知る地知る己れ知る である。
誰にどう思われようと その時その時一生懸命だった事を私は知っている。
だからいい。
それを歪んでしか受け取れない人たちは、結局自分の首を絞めた。
私はもう一生懸命にならない。こうしてあげたいという気持ちも封じてしまう。
ああしたらいいだろうに と思う事は山ほどあるけど やらない。やりたくない。

何の負担もない、母の手作りのクリスマス小物を持っていく、という事さえ、やめる。

悪意には悪意を。だって私は善人でも聖人でもないもの。
善意には善意で報いたいとは思うけれど。



娘が正月の集まりに留学生を同伴したい という件で
義妹(義父母の隣に住む二男の嫁さん)に電話した。
「お正月の集まりの事だけど」
「まだ確定じゃないけど 私 仕事で抜けるかも知れない」と彼女は言った。
訪問介護の仕事をしている。元旦といえど、担当の曜日ならば休めない。
私も実家で頼んだ覚えがあるから、「仕方ないわね」と答えた。
「お義母さんは 日にちを変えると言い出したけど」
「誰かが都合悪くなるから同じだよね。いいんじゃない。あなたがいいなら」

私たちも手伝うが、やはり二男の嫁さんが要となる。
揚げ物をするにしても鍋を自分の家から持って来たり、油の始末をするのは彼女だ。
いないのは痛いけれど、誰にだって都合はある。
末の妹など「子供が起きなくて」と遅れて来た年もある。
三男の嫁さんは二年続けて欠席だったような気がする。

電話を切ってから
「ああ Yちゃん(二男の嫁さん)なりの抵抗かも知れないなあ」と思った。
義母は「迎える家の嫁がいないなんて!」と怒っているかも知れない。
でも自分の娘を叱らなかったんだから仕方ないよね。
大体がYちゃんというイマドキ珍しい嫁さんの価値が分かってないもんな。
二男にしても分かってないしな。嫁さんを大事にしてないもん。
(夏に 私の旦那が 自分の飲むアイスコーヒーを自分でコップにつぎ ついでに息子の分もついだだけで
二男の嫁さんは「おにいさん どんだけ働くの!」と驚いていた。こっちがびっくりだわ)

結局、留学生同伴の件はあっさり「別にいいんじゃない」だった。
今夜義母に電話して訊いてみよう。
その時にYちゃん不在の件も聞かされるかな。
彼女の存在の大きさを否定しないように、でもいなくても何とかなると伝えるには
どういう言い方がいいだろう。

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2012年11月18日 | 日記
選挙活動が始まる……

うるさい。

余程集中して聴かなければ、何を言っているのか分からない。
集中して聴いても、抽象的な言葉じゃ伝わってこない。

原発やTPPや外交問題などなど 一覧にして○×△をつけてくれたらいい。
あとはHPを作ってコメントを出せばよし。
住宅地でのスピーカー利用はやめれ。昼寝の(私のじゃない。子どもの)邪魔である。

かわむらは国民総ナンバー制に反対。
はしもとはそれも気に入らない。
私もナンバー制には反対。こうしてみるとかわむら政策は結構私に近い。
とにかく原発だけは駄目だ。絶対にやめなきゃ駄目だ。
経済が停滞しても衰退してもいい。もう「発展限界国」でいいじゃないか。
登り詰めたら落ちるだけなんだから。

このナンバー制なんだけどね
少し前のドラマ(社長役でおぐりしゅんが出ていた。ねくすといのべーしょんという会社名の)で
このナンバー制ソフトの開発が素晴らしいものであるかのように描いていたが
あれはどこぞからの干渉かしらと私は疑ってしまった。
ドラマを視聴する若者層にそういうイメージを刷り込もうとする誰かの。

管理が楽という事は監視も楽という事で
私ら国民は番号を刻印された羊となる。
まあ柵から出るつもりもないから別にいいといえばいいんだが(いいのか)
それにかかる費用とか、あれもこれも一枚のカードというのが気に喰わない。
今やる事じゃないだろ。

最優先すべきは東北の復興と、脱原発。
次に福祉の充実。福祉さえ約束してくれたら増税もええよ。
貯蓄しなくてもいいのなら食べていければそれでいい。

ああ うるさい。どこぞの誰かがスピーカー片手に叫んでいる。内容は全く分からん。
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死刑制度と夫婦別姓

2012年11月17日 | 日記
なんでこの二つを並べるか。

答え。
どちらも国連から改正を要求されているから。

余計なお世話。
これって、駆け馬神事に動物愛護協会が意見するのに似てる。
自分の価値観を押し付けるな。

私は死刑存続派だし夫婦別姓にも反対である。
偏屈なのか西洋思想にそぐわないのかと考えた。
そうかも知れん。

私は死刑に犯罪抑止力は求めていない。
尤も先日の一宮モデル殺人の犯人のような、性犯罪者に対しては
抑止効果も求めているかも知れない。さっさと殺して二度と出てこないようにしろ。

私は遺族が出来るだけ平穏にもとの生活に戻るために
犯人の存在を抹殺して欲しいのだ。
犯人に人権があるのなら、遺族にだってある。天秤にかけたらどちらが重いか。

無期の代わりに終身刑を設ければいいという人もいる。
そうなればおそらく判決例はいきなり増えると思う。
誰が養うんだ 誰が。
どこに収監するんだ どこに。

たとえ出てこなくても生きている事に変わりはないし。

処罰感情で死刑にしてはいけないと国連だか何だかの人は言う。
私はそこのところがよく分からない。

アメリカをハリケーンが襲った。
被害のあった地域でのガソリンの値段が10倍に跳ね上がったと新聞にあった。
その日のテレビでマラソンのために集まった人が災害ボランティアとして活躍していると報道されていた。

何かがおかしい。

私にはキリスト教国の博愛精神が分からない。
どうして博愛精神と自助精神が並び立つのかも分からない。

神戸でも東北でも、人々は宗教でも法律によってでもなく、ただ当たり前の事として助け合っていた。
その日本人を賛美するのなら、その精神を培った日本文化に口出しすんな!
死刑制度しかり婚姻制度しかりだ。
日本人も(改正するにせよしないにせよ)自分たちの信念を貫け。
外からくるものがいつでもいいものという考え方は捨てろ。明治はとっくに終わってる。


さて。

昨日の夫婦別姓の記事は、とても説明不足である。
読んで興味を持ったら自分で調べて自分で考えてくれたらいいというのが 私のブログ姿勢である。
(と書くとポリシックに聞こえるが ただの手抜きである。調べるのが面倒なんである へへ)
ポリシックというのは今浮かんだ造語だ。ポリシーがあるように見える という意味だ。えへへ。

男女同権の立場から言うと 夫婦別姓だけの問題ではなく
婚姻年齢の男女差(現行男18 女16)離婚後の再婚までの期間(女性のみ半年)
あとはなぜか、婚外子と実子の相続権の差というのも表にあった。

正式な婚姻関係で生まれた子供と婚外子で相続権が違うというのは当たり前に思える。
むしろ半分とはいえ認められているのが不思議だ。
私は婚姻を軽んじてはいけないと思う。
それは女性のみならず、社会そのものを保護するものだと思うのだ。

大体が婚外子の相続権自体おかしいのだ。
婚外子でも母親はいる。男女同権ならば父親からの援助がなくても母親側から相続すればいいだけの事だ。
どうしてここだけ「男系」なんだ?


男女同権と夫婦別姓を一緒に論じるべきでは、本来ない。
夫婦同姓でも別に「男の姓に入る」と決めなければよいのだ。
その思い込みこそが男女同権を阻んでいるのではないか。
結婚の段階で話し合えばいいじゃないか。
婿養子に入る事を男が屈辱に感じなければいいだけの事じゃないか。
今の親世代が「姓を残す」事に拘らなければいいんじゃないか。

縦のつながりより、個人の体面より、
最小単位の家族をまず大切にすべきだと私は思う。
コメント

カワムラ頑張れ

2012年11月17日 | 日記
詳しくは昨日と今日の新聞をご覧ください。

私は名古屋在住である。かわむら市長は好きではないが今回の事でかわむらさんが可哀想になった。
おおさかの人と東京のあの人は腹黒だ。

かわむらさんは東京の古だぬきに利用されたんじゃないのか。
おおさかの人がちっともなびかないから、かわむらさんに近づいて慌てさせ
おおさかの人が振り向いたから ぽい。そんな図式に見える。
おおさかの人はおおさかの人で口では「(かわむさらんの)人柄は好きなんですよ」と言いながら
どう見ても好きじゃないだろ 仲間はんごにしたがるのは目障りだからだろと思わずにいられない。

かわむらさんが減税に拘り過ぎるのはよくないとは思う。
市民としても年数千円の減税より福祉の充実の方が嬉しいし
そもそもが収入と減税額が比例するのはおかしい。

だが東北へのユニット支援(役所のスタッフを丸ごと送り込む)は嬉しかった。
惜しむらくは「感謝されてる」発言だが、それもまあ許そう。
学生の市交通定期の学割の「通学限定」も素晴らしい事だと思う。まあ当事者だからな。

思いつきであほな事もやらかしている。政治家として軽率なのは難点だが
腹黒よりましだ。裏切り者よりましだ。同胞を騙したり陥れたりする政治家は国民も何れ騙すだろうさ。


その後東京の人と話したらしいが
どんな飴を渡されのか。
そんなもの捨てて踏みつけて下品に高笑いして欲しい。
コメント

男女同権

2012年11月16日 | 日記
朝刊に夫婦別姓の見出しがあった。
そういえばそんな議題もあったなあと思い出す。
私は夫婦別姓には反対である。

日本の家族制度はある程度維持すべきものだと思う。
外国がどうあれ関係ない。風土なのだ。
ドライがいいと言われても日本はウエットな国なのだと
前にコラムで読み、「ああ そうだ」と気づいた。
どうして海の向こうばかりが正しいと思い込むのだろう?

家庭が盤石という事が子供の精神を安定させるのではないのか。
ひとつの姓のもと、最小単位を構成する意識は大切なのではないか。
親と子が違う姓なんて、兄弟で違う苗字なんて、私には受け容れられない。


記事には男女同権の問題まで一緒に論じられていた。

私は男女平等にも反対である。

そもそもが何をもって平等と見做すか。
大人にも子供にもおにぎりを一個ずつ配るのが平等か
体重や食欲に応じて配分するのが平等か。
結局平等を極めれば不平等となる。

小学校の教員は男女同じ給与である。
少なくとも平教員同士は同じ雇用条件である。

行事の時、高い場所で作業するのも重いものを動かすのも男の仕事である。
下で女性教員が眺めているのを、男性教員は「こういう時は男女平等じゃないんだよな」と呟いた。

男と女は、身体構造からして違う。
男に生理休暇は必要ない。男女混合の成人サッカーチームは存在しない。
女は体力的に劣る。そのかわり男にはない感性と器用さをもつ。

それぞれの弱点を補い合い、それぞれの特性を活かすべきなのではないか。
どうして強引に並べようとするのか。

男女同権を主張する人は、基本女性蔑視なんじゃないか?

おのよーこは好きじゃないが、ひとつだけ評価したい発言がある。
「男女平等? どうして私たち女が 男に合わせてやらなきゃいけないの?」


前に書いただろうか。
アダムの肋骨からイブが作られた理由。
頭蓋骨でもなく、指の骨でもなく。どうして肋骨なのか。

決して女性は男性の上に立つものでなく、同時に使役されるものでも踏みつけにされるものでもなく、
その胸に寄り添う存在とするために、神は男性の肋骨から女性を作ったのである。

女は(肉体的に)弱いから男に(外敵から)守って貰わないといけない。
だがその心の支えとして男性を守る事も出来る。

なーんて考えているわけでも実行しているわけでもないけどな へっへ。


男尊女卑からの決めつけによる不平等は是正すべきだが
それは完全に同等にするという事とは違う。
女性特有の権利を放棄しない限り、男女同権はあり得ないという事なのだが
そこまで理解しているのだろうか。
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