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おしゃべりなしっぽ

犬飼いのシアワセ、犬飼いの戸惑・・・
(えっ?お母さん、ボクは世界で一番かわいい犬でしょ)

「命」たちとの距離

2005-12-05 | 老犬介護・ペットロスなど
今朝、空はどんよりと重い灰色をしていた。
雨に変わるなら・・と不精を決め込もうとしたけれど、
放っておくとアイスバーンになりそうなので、この冬初めての雪かきをした。
シャーベット状の雪を片付け家に入ってテレビをつけると、
ワイドショーでは「子供達の安全」と「建物の安全性」についての話が続いていた。
12月の定番のクリスマスソングを盛大に鳴らしても、こっちの雲はしばらくは晴れないだろうと、気重になった。


先週の土曜日、3週間前に愛犬をなくした友人の様子を聞いた。
「犬の話を聞くのが辛い」という電話の後、しばらく連絡を取れなかった。
「犬を送るとき『バイバイ』と手を振っていた・・・私には分からない思いの深さがあるのよね。しばらくはそうっとしておくしかないと思うのだけど・・」という話を聞いた。

別れの情景を想像して胸が詰まった。
私だって彼女の悲しみに十分には寄り添えずにいるのだから、
彼女の近くにいる人たちの困惑する気持ちが理解出来ないわけではなかった。
その一方で「バイバイ」と言って愛犬と別れた彼女の気持ちを思うと心がいつまでもしくしくと痛んだ。

「今はそんな気持ちになれない・・・犬のことは見たくもない」
そうだよね。
でも、またいつかあなたとは犬の話がしたい。
出来ればうんと遠い明日ではなく、少しだけ遠い明日に。




自分の心の中にある「命」に対する距離感を思う。
Itから、He,Sheを経て、Weに至る過程・・・
放し飼いだった飼い犬はItに近いHeだったかもしれない。
その後飼った紀州犬はHeで、室内飼育のクーは限りなくWeに近い。
クーを「家族」として囲ったがために・・・犬と私が、私の中で「We」に近づく。




周囲に溢れる命がすべてWeになってしまったら、きっと私の心は収拾がつかなくなる。
悲しくて、切なくて、立っていることすら辛くなる。
疲れきってしまうだろう。
理論武装をしてみたり、気分転換をしてみたり・・・七転八倒する不器用な自分の心を罵ったりするだろう。

現実のこの時を共に歩いているたくさんの個々の命と、
それに連なっているたくさんの過去からの命と
今を歩む命が伝える未来の命と、
今ある命を愛しく思っている数限りない命達のつながりの全部を「We」で括ったら・・・




だから・・・
「彼女は彼女」
「彼は彼」
「あなたはあなた」
「クーは犬!」
けれど時々は 「みんなが『We』」
そんな心の自由さを私は大切にしたいと思う。





私達は、命の中で、互いの命を支えあい、命を見守り、命に見守られて生きている。
なのに・・・私の目の前で、社会は少しずつ・・・変化している。
命をItと思う人が増えているから、毎日・毎日、新聞に「殺」の字を見るんだよね。
何故?
命をItにしないために、命をItにさせないために、私に何が出来るのだろうと私は考え続けている。
命をItにしてしまうのは何故だろう?
命をItにしなければならない理由は何なのだろう?
もつれあった毛糸だまのようなひとつひとつの理由を解きほぐしていきながら
再び毛糸をもつれさせないように、もつれないための手立てを考えていけば、まだなんとかなるのだろうか。
命をItにさせないために・・・

シッポとお耳がカウンセラー

2005-11-16 | 老犬介護・ペットロスなど
たまたまなのでしょうが夏から秋にかけては、クーが交通事故になったり、
親しい人の愛犬が立て続けに虹の橋を渡ったり・・といった出来事が続いてしまいました。

あまりに次々で、自分の感情の切り替えが上手く出来ていない気がしています。


ペットロスを乗り越えることも難しいことですが
ペットロスの人をサポートしていくのも容易いことではないようです。

先週のことなのですが、
「お隣同士の家で、片方のお宅で飼っていらした犬が死に、
毎日のように犬を失くした方の家の人が、お隣の家にお茶を飲みに来ては
自分の家の愛犬がどんなに良い犬で、どんなに愛していたかを涙ながらに語られる。
話を聞かされる人は犬を飼っていないし、お隣が飼っていた犬に対してなんの思いもないから、
ただただ、迷惑でしかなくて困っている」
という話を聞いたばかりでした。

私の場合は、自分の犬がいて
犬を失くして悲嘆にくれる飼い主の心がよく分かります。
そうすると、分かっているだけに、自分も引き摺られてしまう別の辛さがあります。
また、話を黙って聞いていると「犬を失くして辛い」という悲嘆の中には、
家族の中で愛犬を失くした寂しさを同じ重さでは共有できない辛さとか、別の側面もあって、
犬が支えてくれていた事、肩代わりしていてくれたことの大きさを改めて感じたりもします。

ペットブームの背景の一つには、現代社会の孤立化という事情が隠されていて、
それも含めて考えていかないと、ペットの世界に巻き起こっている歪みを解決できないのではないかと思います。

「ペットロスサポート」は事業化もされてかなり盛んになっているのですが
ペットをなくした本人だけではなく、その周囲の人間に対する良いアドバイスってないものでしょうか?
ペットロスで、感情の起伏が激しくなっている人をサポートする側の心の持っていきかた・・というか。

「飼い主が孤立化する中でのサポート」という状況の難しさは、ますます多くなるように感じています。

特に「犬は犬と思いたい」世代の人間は、「犬が家族になっている」と認めることに抵抗があるようです。
実際は「犬は人間家族以上に大事な存在になっている」ということを認めないことが、
孤立化の中で、事態をより難しくしているようにも思います。
「犬が家族」と認めている人は、犬にお金をかけることや、自分がサポートを受けることにこだわらない分、
向き合うことも上手だし、立ち直りも早い気がするのです。


このごろ、時々

言葉の代わりに「シッポとお耳とすべすべの毛皮」を持っていたらよかったのにナァ・・・

と思ってしまう私なのでした。

ありがとう・・を伝えて

2005-11-14 | 老犬介護・ペットロスなど
まぁちゃんが、昨日虹の橋へと向かいました。
13歳でした。

まぁちゃんは、盲導犬候補生だったと聞いています。
臆病で、怖がりで、盲導犬にはなれませんでした。
盲導犬にはなれなかったものの繁殖なら可能だろうと飼育されたのですが、繁殖にも適さず
縁あって二歳のときに友人の所に貰われてきました。


「盲導犬候補生にたいする甘い幻想があった」と、友人は後に笑って言いました。
臆病なのに、飼育環境が次々に変わって混乱している犬を最後に引き取った友人は孤軍奮闘状態でした。

友人とまぁちゃんの係わり合いを見て、私は時々立ち尽くすことがありました。
言葉にするのは難しくて、上手く伝えられないのですが
友人の一生懸命さが、犬に近すぎて危なっかしい感じがしていたのです。


そのころ私は、犬を飼うのはしばらく休憩中でしたから、昔のままの「犬は犬」という感覚で
まぁちゃんの生い立ちも気にせずに、暢気にまぁちゃんと付き合っていました。
クーを飼っている今、あの頃の彼女の奮戦状態が少しは理解できる気がします。


まぁちゃんは私が名前を呼ぶとお腹を出して見せました。
それは私に気を許しているからではなくて、
この女は危険人物だからお腹を出しておくほうが安全みたいだ
とまぁちゃんが複雑な思考経路で思っていたらしいことを、後に気づかせられました。



まちゃんは初めの二年間は、居場所を点々としましたが
彼女の強い意思で、繁殖に使われることもなく、
11年間は家庭犬として愛されて暮らすことができました。
友人にしても、成犬としてのまぁちゃんを引き取ったのですから大変でしたが
「大型犬と暮らす楽しさは、飼い主が体力も気力も財力もすべてに安定しているときでないと経験出来ないこと」
と私は思っているので
まぁちゃんが縁あって彼女のところにやってきたのは、双方に幸せだったと思います。



やんちゃなクーが事件を起こすたびに
「クーちゃんは良い子だ」と彼女が呪文のように言い続けたのは
まぁちゃんのことで苦労した体験があったからです。

どんな子でも、そのままに受け入れて良いところを伸ばしてやる・・・
育て方の基本ですよね・・母としての力量不足なので、私にはうんと難しいけれど。


昨日は、まぁちゃんが本格的に闘病生活に入ってちょうど3週間でした。
飼い主が頑張ってきちんとした介護をしてあげられるだけの時間を作り
きちんとお別れする心の準備も飼い主にさせて、
あんなに穏やかな幸せそうな顔をプレゼントしてくれたまぁちゃんは偉かった・・と思うのです。
飼い主は電話口ではボロボロと泣くばかりなのですが、
「ちゃんとシッポを振ってサヨナラの挨拶をしてくれた」とお知らせのメールにはありました。

まぁちゃんを家族として迎え入れ、11年を過ごした友人の今の心を思うと、
私も涙が流れるばかりです。




まぁちゃんから、クーへ伝言がありました。
「ありがとう。クー、良い子になるんだよ」

これからしばらく、二匹分頑張らなければならないクーは
ストーブの温風噴出し口の前で真ん丸くなって寝ています。


まぁちゃんのこと
あれこれと・・・
・・・この1週間のこと・・・
お見舞い

お見舞い

2005-11-05 | 老犬介護・ペットロスなど
友人のワンコのお見舞いに行ってきた。

お見舞いと言っても、友人に会いに行っただけ。
手土産代わりに、この間送ったら食欲のないまぁちゃんが喜んで食べてくれたと言う、馬肉ジャーキーを持って行った。

友人は、髪を後ろで一つに束ね、創作活動に入った陶芸家みたいな格好をしていたが
初めに電話を貰った頃に比べたら、元気そうに見えてほっとした。

毎日往診して、まあちゃんに点滴をしてくださる獣医さんが良い先生で、
友人の心も支えてくださっているのだろう。
友人は、まぁちゃんを二歳の時から引き取って育てていて、まぁちゃんが環境に慣れるのは結構大変だった。

まぁちゃんは今もうんと人見知りで、側に寄せても平気なのはその獣医さんくらいだ。
友人はそんなまぁちゃんを誰にも任せられず、孤軍奮闘している。
私がこの間遊びに行ったときは、まぁちゃんは、ウォンウォンと跳びはねながら吠えてみせた。
だから興奮させないように、ドアの隙間から療養中のまぁちゃんの事をそーっと見た。

まぁちゃんは、新しいマットを敷いてもらい部分的にペットシーツを敷き、
洗い立ての清潔なバスタオルで巻いたクッションに頭をのせて、
穏やかな甘えん坊の顔をして、うつらうつらしていた。
そんなまぁちゃんを見たとき、なんでだか知らないけど
私は老犬介護のことがストンと納得できた気がした。

犬が元気なときは、犬はあんな顔はしない(と思う)
まぁちゃんは、嬉しそうな顔やしょんぼり顔や得意そうな顔や・・いろいろな表情をする犬だったけど、
今が一番幸せそうに見えた。
まぁちゃんの育ち方のせいもあって、友人はこの10年以上かなり苦労もしてきた。
けれど、今、10年かけて築いた人と犬との信頼感が、全部まぁちゃんの表情に現われているように見えた。
その表情から、うんとあったかいメッセージを受け取った思いだった。

三時間おきに起こされているから、介護はとっても大変なのだけれど
まぁちゃんのあの顔は、犬からの何よりの贈り物に、私には見えた。


このちょっとな~なくまごろうさんから私もまぁちゃんのような
「おかあさんのこと信頼してるね」ってお顔を見せてもらえれば飼い主冥利に尽きるってものだと思う。

お見舞いに行って良かったよ。
ありがとうね!まぁちゃん。
クーかあさんも、及ばずながらサポートするからね!!
頑張れ、ワンコ!!頑張れ、飼い主!!



・・・この1週間のこと・・・

2005-11-01 | 老犬介護・ペットロスなど
随分長く休んでしまった。

友人の犬が調子が悪くなって・・・
そのあと私も風邪を引いて・・・

来年は遊ぶのはちょっとお休みしようと
来年の分までもと、今年の1月から3月まで随分スキーに行ったのに、
寒くなってきたら、予定と気分が変わって「正月のスキーの予約~~」と急に大騒ぎになったり・・・
家の柿が豊作で、配って歩くのに疲れたり・・・忙しい1週間だった。



ブログを初めてから、こんなに長く書く事が出来なかったのは初めてだ。
忙しかったのは事実だけど・・・かなり凹んでいたのも事実。
クーの交通事故のときは、当事者だったからブログで自分の気を紛らわしていたけれど
今回は「犬」もそうなのだけど、飼い主の気持ちを受け止めての自分の感情の処理に困ってしまった感じだった。



党首が入院していた頃、党首から渡されていた課題っていうのは、
宇都宮直子著「ペットと日本人」という本のことで、すごく興味深かったのだが、
感想を書こうとすると、本一冊丸ごとアラスジを書いてオシマイ!の小学生の作文になりそうで纏められないままでいた。
そのあと読んだ養老孟司編著の「ひとと動物のかかわり」にも私なりの発見はあって
いつか二冊まとめて何とかしよう・・なんて思っているうちに、現実の方に先回りされてしまった。




友人の犬「まぁちゃん」には、ほんの二週間前に会ったばかりだった。
年を取って目が白内障になりだしてはいたけれど、まあ元気に見えたのに
その1週間後に、突然腰がふらつきだした。
友人から「老犬介護生活にはいりました~」というそれなりに元気な電話がきた数時間後
「立てないし、動かない。ご飯も食べないし、水も飲めない」という涙声の電話が来た。
病気になった犬と一人で向き合っているのは切ない。
携帯メールがひっきりなしに鳴った。
犬が倒れて2,3日は、彼女からのメールの度に私はネット検索ばかりしていた。




犬が年老いてくるという現実は、若いときはあまり辛くなかった。
親も元気だったし、自分はモット元気だし、別れの影を我が事として感じる想像力が欠如していたためだろうか?
「まぁちゃん」が年を取って来て、私もクーを飼いだして、彼女とは良くいろいろな話をしていた。

彼女は「自分が間違いなくペットロスになるだろう」と言っていた。
それでも「犬に対しては無用な延命はせずに、無理に食べさせることなどはしたくないと思っている」という事も言っていた。
私はかつて、食べなくなった自分の家の犬に、ご飯を手のひらに載せて食べさた過去があるのだけれど
毒餌を食べた飼い犬を、犬の生きる力に任せた時代も生きてきたから
「そんなもんか」などど思って相槌を打っていた。



が、いざ現実になると・・・人間の心はそんな風に割り切れるものじゃない。

食べられないときは、どうしたら食べられるのかと悩み、
おしっこのたびに立ちたくてあがく飼い犬の姿を見て切なさで胸がはちきれそうになり
状態が少し落ち着いて、なんとか食欲が出てきた状態になれば
今度はどこまでも介護をしてやりたい気持ちと、自分の身体と時間の板ばさみになって悩んでいる。

「最終的には犬は犬」と冷めた言い方をしていた彼女でさえそうだ。
彼女の様子に胸を痛めながら、自分に置き換えれば
クーと一緒に寝込んでいる我が姿が、はっきりと目に浮かぶ。


宇都宮さんが書いた本の中には
「60代を超える飼い主の方が、まだ死を受容する力がある」という獣医師の言葉が紹介されている。

「年を取ること、いつかは別れの時が来ることは生きている以上仕方のないこと」
という事はそれはそうなのだが、
周囲の人間から語られる言葉ではないと私は思っている。
心のうちから自然に湧き起こってこそ、自分の力になる言葉だと思う。

さて、では周囲の人間として出来ることは何なのか・・・私はこの一週間、この問いを繰り返している感じだ。




今となっては・・・なのだが、
まず、ずっと外飼いにする・・という強い信念を貫き通せる人は別として
排泄はトイレシートでも良いんだよ。。。ということを犬が若いうちにメッセージとして教えておいたほうが、
飼い主は楽だと思う。
「まぁちゃん」は老犬になってから室内に入ったのだが、排泄は外でする習慣を倒れるまで崩さなかったし
友人も室内で犬が粗相をすると叱ることが多かったようだ。
今は室内で排泄をしたら褒めているようだが、そのたびに犬が「えっ?良いの?」と戸惑った顔をするという。
犬は老犬になると頑固になってくる。
犬を柔軟に育てること、もしくは十二分に飼い主を信頼するように育てることはとても大切なことだと思う。
クーは・・・柔軟って言えば柔軟だが、飼い主は信頼されているのかナァ~~~。
ちょっと怪しい。。。かな?


それから、これは私の個人的な反省になるのだが・・・
友人が年を取って来た犬を不安に思う心を、私はきちんと受け止めていなかった気がする。
「まだ若々しいよ」とか「20歳まで生きる犬もいるんだって」などと
不安な気持ちを先延ばしさせる方向で、いつも会話を進めていた。
友人は神経が細やかだから、十二分に犬を世話はしていたが
不安な思いを先送りしたいのはだれでも同じだから、老犬対策の準備が足りなかったかもしれない。
老いを認めることも大事なのだと、足をすくわれてからつくづく思う。


犬を飼うには体力・財力の他に想像力も必要らしい。
犬はいつまでも子犬ではないし、いつまでも若くもない。
飼い主の側だっていろいろと状況が変わる。
あらゆる状況に対応できる強い心と身体とたくさんのお金を準備するか・・・
時々少し未来を予想して心の準備をしておくか・・・
なんだか地震対策みたいだなぁ。
結局何をするにしても「しっかりと危機管理能力を身につけなさい」ということなのだろうか?

あれこれと・・・

2005-10-26 | 老犬介護・ペットロスなど
昨日、犬友達から愛犬の具合が急に悪くなったと電話を貰った。
年齢的には、立派な老犬の部類だし、夏前にも一度、腰がふらついて歩くのが大変になった時があった。

私なんて、真正面からの犬育てはクーが初めてだから、何を聞かれても分からないのだけれど
彼女にしてみれば、誰かに話さずにはいられない・・という気持ちなのだろう。
話の受け手の私とすれば、犬も心配だが彼女が心配。

病気の急性期の場合、見守るしか手立てはないのだが
ちょいと犬の様子を見に行ける距離ではないので、
参考になる似たような事例がないかと、半日、HPやブログ散歩を続けた。

あちこち放浪してみて、改めて、生き物を飼うのは大変だと思う。
自分の親は初めから存在しているし
子供のことは、まさか自分が介護する側になるなんて思って産んではいないけど
犬の場合は、犬が自立しないことは分かっているし、人間より寿命が短いことも分かっているのに、なんで飼ってしまうのだろう。
最大の誤算は、今の犬が(今の私が)、私の側(犬の側)近くに居過ぎるという点。
だからって、これから、クーを庭で飼えるか、といったら・・・出来ない。
振り返れば大きな顔をした犬がいる幸せと引き換えに、どうやら私はとんでもないものを抱え込んだらしい。
何好き好んで、このアホ犬を飼ってしまったのだろう・・ふっと思った。


今朝、また電話が来て、犬は少し落ち着いて、昨夜は彼女も少しは眠れたと言う。
生き物全て、こんな風にあちこち調子が悪くなりながら緩やかに老いに向かっていくのだろうなぁ
(向かっていって欲しいナァ)と思いながら、昨日ネットの中で集めてきた情報を少しだけ伝えた。

情報が全て具体的に役に立つわけではないけれど、みんながそんな風にして頑張っている(頑張ったんだ)
という共有感のようなものは、心を支えてくれると思う。
素人の人間の役割としては、心を支えあえるということが一番大事なことかもしれない。


老犬介護の皆さん、読み逃げをしてしまいましたが、情報をアリガトウございました。
これからもよろしくお願いします。





    
さぁて、我が家の犬、なんだか微妙に太った気がする。
私が計算を間違えていない限り、クーは去勢済みの若い犬のスリム化作戦相当のカロリーしか取っていないはずなのに。
今朝、久しぶりに犬を抱えて体重計に乗ってみた(家族のいないところを見計らって)
体重、増えてる・・・やっぱり!!と犬を下ろして「さてっ」


んんんんんんんん~~~~~ん!!

増えているのは犬じゃなくて私の体重だった。
犬はどうやら冬毛に代わってモコモコしてきただけらしい。

私はクマのお母さんだから、もうすぐ冬眠に入るのかもしれないな!(ということにしておこう)

獣医さんのお仕事

2005-08-24 | 老犬介護・ペットロスなど
一昨日の夕方、チャンネルを切り替えていたら
「あしたをつかめ~平成若者仕事図鑑」ー超人気の仕事・獣医師密着ーという番組に行きあたった。

これから職業を持とうとする若い人向けにいろいろな職業を紹介している番組らしい。
私のような「私中心半径300メートル」の範囲内で生活している人間にとって
未知の分野の職業も多く、行き当たると見入ってしまう番組の一つだ。



今回は私も知っている獣医さん・・・
暇つぶしに見始めたのに、犬を飼い始めて認識した私の「獣医師像」以上の仕事内容に驚いた。


獣医の仕事は動物の病気を治すこと。
これは当たり前の基本中の基本。
で、つい二年前までは私の頭にはこれしかなかったのだが・・・
今回、番組中で私の心に残った事は二点ある。



まず、犬飼育の現場が、社会の高齢化に伴って「老々介護」になりつつあるという実態。

クーをずっと一頭で飼って、クーが天寿を全うした場合を想定すると
その次に私が犬を飼うと、最期まで責任を持って世話ができるか・・・と思う。
もしかしたら・・・クーが私の最後の犬?って思うときがある。
だから80歳で3匹の犬を抱える女性は私にはある意味で仮想現実だった。

獣医師は、高齢で動物病院に犬を連れてこられない女性の家へ犬の健康診断のために往診する。
犬の健康状態をチェックしたあとで、女性の話相手を小一時間して帰って行った。

経済や職種は、少子高齢化の流れの中で、変わっていく社会のニーズに対応していく。
獣医さんの世界もその流れと無縁じゃないのだな・・と。

だとすれば、犬飼い人と業界が一緒に考えていけば、
人と犬との楽しい関係がずーっと続く可能性はある。
獣医師の仕事の仕方に、新しい光を感じた。




二点目は、「番犬から家族になった犬」の命との向き合いかた。

私がチャンネルを合わせた時は
病気になって命の終わりが迫っている犬を家族が看護するため
獣医師が患畜の自宅に赴き、酸素吸入器の使い方等の説明をする場面だった。
人間の在宅介護の現場のようだった。

ある日、その犬の容態が急変し、犬は飼い主によって動物病院に運び込まれる。
医師は治療に当たるのだが、回復は難しい。
治療を受ける犬を見ながら、涙をこらえる飼い主の姿と
犬の名を呼び、涙を流しながら治療している若い獣医。
犬が死んだ後、獣医さんが犬の上に覆いかぶさって泣いていた。


私たちが犬を飼い続ける限り、犬の老いや死と向き合うことになる。
寿命の短い犬を、人間のように在宅介護するかしないかは
私にとってはまだ先の話で、漠然としか考えていない。
次の犬は考えて、おじいさんのクーは考えないなんて矛盾してるけれどね。

とにかく、犬は犬として・・などと今、言ってみた所で
現実となれば、まぁ違うだろうとは、薄ぼんやりとは自覚している。
だから、犬の看取り方については、研究課題として置いておくことにして・・・

犬の亡骸をバスタオルに包み、帰っていく飼い主さんを見送りながら
(飼い主がペットロスで苦しまぬように、ということだと思うのだが)
獣医師は、これからも飼い主と連絡を取っていくつもりだ・・という纏め方を番組がしたことが
私にとって「獣医さんの仕事の新しい方向性」の二点目だった。




先日、このブログに混乱したまま書いてしまったのだが、
友人の長年飼い続けていた犬が、16歳で命を閉じた。
私が電話をしたときは、このまま寝込むのではないかと思えるほどだったが
翌日、私が電話を貰ったときは少し元気になっていた。


私がクーの獣医さんを変えてしばらくしてから
彼女も愛犬の主治医を、クーの今の獣医さんに変えていた。

その動物病院に勤めている動物介護士さんが
私と彼女が電話で話した日の午後に、自宅にお悔やみに来てくれたのだという。
お花を抱えて現れたお姉さんは、かなり長い時間話相手をしてくれて、
犬を亡くした時の自分の体験談やつい半年ほど前愛犬を亡くした時の獣医さんの傷心ぶりを語り
愛犬のことを話す彼女と一緒に涙を流してくれたのだそうだ。

介護士さんと話した後、心がすーっと軽くなったと、彼女は言った。


「あなたが、クーちゃんを飼ってくれたから、私も良い獣医さんにめぐり合えた」
「一番大変な最後の一年を、信頼できる獣医さんに出会えて、良い時間を過ごせた」
電話はお礼の電話だった。
何もしていないけれど、廻り廻ってクーが感謝されてるよ・・・でも良かった。

花束を送るという行為までは、気の利いた動物病院ならするかもしれない。
けれど、それ以上の行為はなかなか出来るものではないと思った。



そんな出来事の後に番組を見たので
「愛犬を失った飼い主さんへのサポート」という考え方での獣医さんの存在意義を
「お仕事」として再認識した形となった。



若い人向けの番組だから、夢と希望がなくては困るけど
社会は私たちの必要性に応じて変化して行くものだから
「心優しい飼い主連合」が諦めないで主張し続ければ 
主張を拾ってくれる人がいるんだなあ・・・

犬の医療現場も人の医療現場も、人の思いを汲み取ってより良く変化していくことを、心から願いたいと思います。

電話したら・・

2005-08-18 | 老犬介護・ペットロスなど
抱えてるのが辛いから・・でも辛くさせちゃうと悲しいから・・パスしてね!ってバカヤロウだな、私。



さっき、友達に電話した。
電話口の声がくぐもっていた。
「体調悪いの?」と問うと
「犬が・・・・」
愛犬は16歳。
彼女のご両親が大事にしていらした犬。

「昨日は暑かったから・・・」
「今年は暑いし・・・・」と繰り返す彼女。
「去年より涼しい・・」
と言おうとして止めた。

この夏、彼女は、愛犬の体調に自分の体調を重ねてたんだと気づいた。


彼女の気持ちを思うと言葉がでなかった。
電話口で黙り込む私は、役立たずのオバサン!!





生き物だからね、いつかは別れる。
私たちは、そのことはわかっていて飼ってるんだけど。

ピーコはいつの間にかいなくなった。
でもあいつは半野良だった。
気の強い紀州犬は、最後は私が抱っこして移動させていた。
餌も手から食べていた。
今思えば、出来の悪い飼い主家族を良くそこまで信じてくれたって思うけど。
あいつは外飼いだった。

おしゃべりで、アンダーコートが半端じゃなく
手がかかること天下一品のクーは家の中にいる。
家の端っこから「おいらが主役」って叫んでいるようなヤツ。
もし、こいつがいなくなったら・・・


電話口の彼女
「昨日までここに居たのに・・何する気にもなれない」と言う。
そうだよね、そうだよね。
30分話して、少し声の明るくなった彼女に
「また話そうね・・・」とだけ言った。






午前中、私は草むしりをしていた。
一緒に庭に出た犬は喜んで跳ね回り、
性懲りもなくカエルにいたずらしようとして叱られ、
むしって集めた草を蹴散らしてまた叱られた。

プランターを飛び越え、水の入ったバケツをひっくり返し、
おとなしくなったな!と振り返ると
ひっくり返したバケツの水で出来た水溜りにお腹を全部つけたまま
私に向かい「二マーッ」と笑う犬がいた。

足から腹からドロだらけで得意そうな犬。
「室内犬なんだからね、分かっているの?」
「お母さん、またぎっくり腰になっちゃいそう」
と、ブチブチ言いながら17キロの犬を抱っこして風呂場に運んだ。
まったく・・余分なことばっかりして・・・サイアク!



クーが私にくれる迷惑なプレゼント
迷惑だけど笑っちゃう出来事
ささやかな日常と繰り広げられる泣き笑い
そんな今を大事にしよう!!と改めて思った。


今頃、ビーちゃんはおじいちゃんとおばあちゃんに会って
今までのお話を一杯してるんだって、オバサンは思うことにしたからね。



犬飼いは・・・・・本当に厄介だね。