今朝、空はどんよりと重い灰色をしていた。
雨に変わるなら・・と不精を決め込もうとしたけれど、
放っておくとアイスバーンになりそうなので、この冬初めての雪かきをした。
シャーベット状の雪を片付け家に入ってテレビをつけると、
ワイドショーでは「子供達の安全」と「建物の安全性」についての話が続いていた。
12月の定番のクリスマスソングを盛大に鳴らしても、こっちの雲はしばらくは晴れないだろうと、気重になった。
先週の土曜日、3週間前に愛犬をなくした友人の様子を聞いた。
「犬の話を聞くのが辛い」という電話の後、しばらく連絡を取れなかった。
「犬を送るとき『バイバイ』と手を振っていた・・・私には分からない思いの深さがあるのよね。しばらくはそうっとしておくしかないと思うのだけど・・」という話を聞いた。
別れの情景を想像して胸が詰まった。
私だって彼女の悲しみに十分には寄り添えずにいるのだから、
彼女の近くにいる人たちの困惑する気持ちが理解出来ないわけではなかった。
その一方で「バイバイ」と言って愛犬と別れた彼女の気持ちを思うと心がいつまでもしくしくと痛んだ。
「今はそんな気持ちになれない・・・犬のことは見たくもない」
そうだよね。
でも、またいつかあなたとは犬の話がしたい。
出来ればうんと遠い明日ではなく、少しだけ遠い明日に。
自分の心の中にある「命」に対する距離感を思う。
Itから、He,Sheを経て、Weに至る過程・・・
放し飼いだった飼い犬はItに近いHeだったかもしれない。
その後飼った紀州犬はHeで、室内飼育のクーは限りなくWeに近い。
クーを「家族」として囲ったがために・・・犬と私が、私の中で「We」に近づく。
周囲に溢れる命がすべてWeになってしまったら、きっと私の心は収拾がつかなくなる。
悲しくて、切なくて、立っていることすら辛くなる。
疲れきってしまうだろう。
理論武装をしてみたり、気分転換をしてみたり・・・七転八倒する不器用な自分の心を罵ったりするだろう。
現実のこの時を共に歩いているたくさんの個々の命と、
それに連なっているたくさんの過去からの命と
今を歩む命が伝える未来の命と、
今ある命を愛しく思っている数限りない命達のつながりの全部を「We」で括ったら・・・
だから・・・
「彼女は彼女」
「彼は彼」
「あなたはあなた」
「クーは犬!」
けれど時々は 「みんなが『We』」
そんな心の自由さを私は大切にしたいと思う。
私達は、命の中で、互いの命を支えあい、命を見守り、命に見守られて生きている。
なのに・・・私の目の前で、社会は少しずつ・・・変化している。
命をItと思う人が増えているから、毎日・毎日、新聞に「殺」の字を見るんだよね。
何故?
命をItにしないために、命をItにさせないために、私に何が出来るのだろうと私は考え続けている。
命をItにしてしまうのは何故だろう?
命をItにしなければならない理由は何なのだろう?
もつれあった毛糸だまのようなひとつひとつの理由を解きほぐしていきながら
再び毛糸をもつれさせないように、もつれないための手立てを考えていけば、まだなんとかなるのだろうか。
命をItにさせないために・・・
雨に変わるなら・・と不精を決め込もうとしたけれど、
放っておくとアイスバーンになりそうなので、この冬初めての雪かきをした。
シャーベット状の雪を片付け家に入ってテレビをつけると、
ワイドショーでは「子供達の安全」と「建物の安全性」についての話が続いていた。
12月の定番のクリスマスソングを盛大に鳴らしても、こっちの雲はしばらくは晴れないだろうと、気重になった。
先週の土曜日、3週間前に愛犬をなくした友人の様子を聞いた。
「犬の話を聞くのが辛い」という電話の後、しばらく連絡を取れなかった。
「犬を送るとき『バイバイ』と手を振っていた・・・私には分からない思いの深さがあるのよね。しばらくはそうっとしておくしかないと思うのだけど・・」という話を聞いた。
別れの情景を想像して胸が詰まった。
私だって彼女の悲しみに十分には寄り添えずにいるのだから、
彼女の近くにいる人たちの困惑する気持ちが理解出来ないわけではなかった。
その一方で「バイバイ」と言って愛犬と別れた彼女の気持ちを思うと心がいつまでもしくしくと痛んだ。
「今はそんな気持ちになれない・・・犬のことは見たくもない」
そうだよね。
でも、またいつかあなたとは犬の話がしたい。
出来ればうんと遠い明日ではなく、少しだけ遠い明日に。
自分の心の中にある「命」に対する距離感を思う。
Itから、He,Sheを経て、Weに至る過程・・・
放し飼いだった飼い犬はItに近いHeだったかもしれない。
その後飼った紀州犬はHeで、室内飼育のクーは限りなくWeに近い。
クーを「家族」として囲ったがために・・・犬と私が、私の中で「We」に近づく。
周囲に溢れる命がすべてWeになってしまったら、きっと私の心は収拾がつかなくなる。
悲しくて、切なくて、立っていることすら辛くなる。
疲れきってしまうだろう。
理論武装をしてみたり、気分転換をしてみたり・・・七転八倒する不器用な自分の心を罵ったりするだろう。
現実のこの時を共に歩いているたくさんの個々の命と、
それに連なっているたくさんの過去からの命と
今を歩む命が伝える未来の命と、
今ある命を愛しく思っている数限りない命達のつながりの全部を「We」で括ったら・・・
だから・・・
「彼女は彼女」
「彼は彼」
「あなたはあなた」
「クーは犬!」
けれど時々は 「みんなが『We』」
そんな心の自由さを私は大切にしたいと思う。
私達は、命の中で、互いの命を支えあい、命を見守り、命に見守られて生きている。
なのに・・・私の目の前で、社会は少しずつ・・・変化している。
命をItと思う人が増えているから、毎日・毎日、新聞に「殺」の字を見るんだよね。
何故?
命をItにしないために、命をItにさせないために、私に何が出来るのだろうと私は考え続けている。
命をItにしてしまうのは何故だろう?
命をItにしなければならない理由は何なのだろう?
もつれあった毛糸だまのようなひとつひとつの理由を解きほぐしていきながら
再び毛糸をもつれさせないように、もつれないための手立てを考えていけば、まだなんとかなるのだろうか。
命をItにさせないために・・・