goo blog サービス終了のお知らせ 

むらくも

四国の山歩き

船山ー中津山…徳島県

2017-04-01 | 祖谷山系

船山、中津山          ふなやま、なかつさん


山行日             2017年3月29日
標高              1043m、1446.8m
取り付き地点          船山東・中津山遊歩道
駐車場             なし(遊歩道路肩)
トイレ             なし
水場              なし
メンバー            ピオーネ、むらくも




吉野川の支流、祖谷川と松尾川に挟まれるようにして船山と中津山が聳え、南東に派生する尾根はマドの天狗から東に向きを変え台地を伝って寒峰に至る。
船山の標高は1043mのだらりとした山容だが、標高1440を超す中津山は、別名中津富士と云われており、どこから眺めても端正でほれぼれするような三角形をしている。

今でこそ、吉野川沿いの大歩危・小歩危には国道32号線があって、祖谷渓谷沿いにも県道32号線が走っているが、その昔にはそのような危険な崖沿いには道はなく、生活道あるいは修験道は峠越えに限られていた。
特に善徳や一宇、田ノ内から池田方面へ行くには中津山を越えてマタンドへ出るか、山風呂経由でマタンドへ出て出合へ行くかだったと思われる。
山風呂は早くから廃集落で旧マドからの道は歩く人もなく廃道となっている。
因みに旧マドはマドの天狗と中津山の鞍部にあって、昔は交通の要所だったところ。
辻及び加茂方面へは、ここから日比原へ下り、松尾川を渡って腕山を越えた。
また池田方面からは旧マドを通って、高野や小島へ、もしくは寒峰台地を伝って四つ方峠や寒峰峠へ出て佐野、京上、栗枝へと下ったと伝えられている。

マタンド、マドという不思議な響きのする地名は、なんとなく同じような意味合いが含まれているような気がするのだが、それはドが入り口とか出口の戸を指しているのではないだろうかなどと稚拙な憶測をしてしまう。
そうすると、ドの頭に冠するマタンとかマはなんじゃということになる。
地方にもよるが、集落入り口には庚申塔を建て、災いや魔除けとした。
塔やお地蔵さんは建てなくとも、峠からの各集落への入り口なので、地名にそのような意味合いの「マ」をつけた?
そうすると「タン」はなんじゃ、「谷」のことか?
そういえば、マタンドの東を下ると険しい竜ヶ岳の渓谷がある。
とすると魔谷戸が訛ってマタンド??
こじつけもいいところ、あほらしすぎるのでこの辺でとんでもない邪推は止めたほうがよさそうです。

どちらにしても古くからの地名には、現代の人には通じなくなった意味が込められていて、却って人を引き寄せる怪しい魅惑を秘めている。
というわけで、一昨年、旧マドに訪れて以来、船山から中津山を歩いてみたいと思っていたが、やっと行く気になった。
愚図な性格だ。



3月末になったこの時期に、もう雪はないでしょってなわけで、ワカンも軽アイゼンも持たず、遅くに自宅を出発。
祖谷口に架かる青い橋を渡って出合へ。
出合橋を渡ってすぐに左折し山手へのやや細い道に入る。

おっと、山手への道に入る手前に、祖谷川に架かる橋がありました。
千足橋といって、千足や山貝への集落に向かう橋です。
この道は以前から気になっていて、渡って西に行けば山貝、川崎へと向かうが、南東に走ると千足、そして地図ではその先破線になっていて、対岸に祖谷渓温泉のある田丸神社に出る。
うっし、近々に訪ねてみよう。
また一つ楽しみを胸に抱いて、先ほどの山手へのやや細い道を上がる。


      三叉路道標                   光明寺

くねくね上がっていくとやがて三叉路、そこには石柱の道標と不動明王の祠があって、直進すると本名下、五軒、黒川へ、そして刻まれてはいないがマタンドへ行くことができる。
中津山登山口(13km先)の道標に従い右折した。
1kmほどで光明寺に着く。
このお寺の山号は中津山、昔は旧暦4月23日に春祭り、7月23日に夏祭りが催され、境内では多くの人で賑わい、中津山山頂へ向かったそうな。(注、現在は新暦で行われている様子なので、念のためネット検索をかけてみたが、詳細不明)


                    中津神社鳥居
しばらく走ったところで標高646mピークの東側の尾根に出た。
そこには中津神社の鳥居と狛犬があって、傍らには中津山遊歩道案内板があった。
案内板によるとマタンドまで5.5km、マタンドから中津山まで4.5kmと記されている。
(中津神社の社は中津山山頂西下側にある)


                     国見山
景色が開けており、西に残雪の国見山がどんと聳えている。


                     三方山
南には祖谷渓谷の左奥に三方山が見え、真ん中寄りに田丸神社のある標高659mピークが、国見山北1343mの支尾根から流れ落ちるようにして渓谷の端っこにちょこんと座っている。


                   中津山への遊歩道
中津山への遊歩道脇は大規模な伐採地、斜面には植林された苗木がプラスチックだろうか、筒に入れられ林立している。
摩訶不思議な光景だが、これはシカの食害防止。


    劔先大明神道標                   駐車
簡易コンクリートの舗装された道はすぐに荒れたダート道になり、石が転がりガタガタ。
周りの景色は抜群なのだが、細くて左側はガードレールもなにもない急斜面、タイヤが滑り落ちると恐いので運転は慎重になる。
道の傍らにはところどころで木材を運ぶ中型トラックや、オフロード車、軽トラが停められていた。
人影はない。
劔先大明神300mの道標があったので、そちらへの道を走って尾根どおしに船山へ登ろうかと思ったが、止めてそのまま荒れた遊歩道を直進。
伐採地斜面上に船山らしきややだらけ気味な頂が見えている。
10:33、車を路肩に駐車し、出発。
伐採された斜面の作業道を上がる。


                       腕山
ジグザグッと登ると、やや北東方向に阿讃山脈が霞んでおり、大川山から竜王山らしき稜線がある。
西には腕山だろうか、ミツマタの白っぽい花の奥に聳えている。
腕山の北側には井川スキー場があるが、今シーズンはもう終了してるだろうか。


          作業道                監視カメラ
作業道はジグザグと緩い勾配で時間が掛かるが、直登しようにも伐採された斜面は雪が積もりゆるゆるベタベタと歩きにくい。
道の一部にネットが張られていて、カウンターか監視カメラのようなものが備え付けられている。
獣を、特にシカの頭数監視をしているのだろう。
遠巻きに避けて通過。


       船山山頂                  山頂標識
11:13、三等三角点。黒川が埋設されている船山山頂に到着。
傍らにはキティ山岳会の山頂標識があった。


                   国見山稜線
船山より350~360mほど高い国見山の稜線には薄く雪を纏っており、上空にはやや低い雲のわずかな隙間から、透かすようにして光が分散している。


          境界杭                 トラバース
尾根をやや東にずらして1090mピーク方向に歩き、やがて二重稜線を西側に乗っ越え、1090mをトラバースして鞍部へと下った。
どこで外れたのか分らなかったが、破線の道からは離れてしまい、随分上を歩いたようだ。


        伐採地                  東からの車道
標高930mまで下ったとき、前方に大きな伐採地が見え、その下側に車道らしきものが走っている。
12:01、右手からの破線のトラバース道と合流し、アスファルト車道が東から上がってくる広い鞍部に降り立った。
マタンドだった。
国土地理院地図では黒川から延びる林道があって、マタンド北東標高800mで途切れている。
その林道は松尾線で、どうやらその後マタンドまで造成したようだった。


           林道                 船山への遊歩道
舗装路は尾根左側を巻き気味に中津山へ向かっている。
そしてもう一つのダートな林道が尾根やや右側に造成されていて、南に向かっている。
後方を振り返ると、下りてきた尾根のすぐ東側を巻くようにしてダートな遊歩道が駐車したところへと向かっていた。


                    マタンド概略図
マタンドは要するに上図のように、1090mからの巻いた登山道2本と船山中腹からのダートな遊歩道、そしてアスファルト舗装の松尾林道と、中津山へ通じる舗装された遊歩道と、尾根右側から南に延びるダートな林道1本の合計6本が交叉する広い峠なのです。


          伐採地                 遊歩道終点
舗装された中津山への遊歩道は地図を見ると九十九折れの長い道、これを嫌って右側のダートな林道に足を運びすぐに尾根への作業道へ左折する。
ところがこれが間違いの元、歩いた林道は伐採地への作業道だったのだ。
鹿避けネットの続く作業道をジグザグに登り、1181mピークに達した。
シオアメなめなめ、雪で埋まった道を歩き、中津神社への道標がある遊歩道終点へ。


       祠とお地蔵さん                大師像
14:19、中津山山頂に到着。
大師像の裏には一等三角点・中津山の石柱が埋設されてるのだが、雪に埋まっていて見えない。


        黄金の池                    ベンチ
夏にはジュンサイが浮かぶ黄金の池も雪の下。
中津大権現さんにお詣りして、五つほどベンチの並ぶ展望所から三嶺や天狗塚方面を眺めるが、生憎、霞んでてよくは判らなかった。

何年前だろうか、以前にここで休憩した折に、同じ町内に住むご近所さんに偶然に出会ったことを思い出した。
その方は、すでに鬼籍の人。
山をこよなく愛した方だったのだが…、寂しいことだ。


                     寒峰
東南東には寒峰台地から続く寒峰の山。


         腕山                     尾根歩き
腕山の雪が積もった牧場が白く光り、右手には烏帽子山の特徴ある頭が小さく見えていた。
14:28、下山開始、復路は遊歩道ではなく尾根を忠実に追う。


      シカの根っこ齧り                  マタンド
シカが雪を掘って根っこを齧った跡があった。
鳴き声が聞こえていたので、先ほどまでここにいたのだろう。
積雪は25cmから30cmほどだ。
15:17、再びマタンドに到着。


  コンクリート際にあるマタンド道標          船山への遊歩道
道標には中津山へ3.7kmと刻まれていた。
1090mピークを東に巻いてつけられた遊歩道を歩き、15:48、駐車地点に帰り着く。

<後記>
自宅を出発したのが遅かったことで、岩場のある中津神社に寄ることが出来なかったのが少し悔やまれた。
尾根にはウリハダカエデやブナなどの自然林があって、秋の紅葉時期に合わせてもう一度歩いてみたいコースでした。
(注…2017年3月29日現在時点)普通車は松尾林道を走り、マタンドから中津山への遊歩道終点までは問題なし、ただし、カーブでの切り替えし要。また出合橋から光明寺経由して尾根上にある中津神社鳥居までは走れますが、その少し先から船山東中腹までは軽四オフロードか軽トラでないと走行困難。なお、マタンドから船山東中腹までのダートな遊歩道も荒れてなく普通車は入れるようでした。

駐車地点10:33ー船山山頂11:13ー12:01マタンド12:17ー遊歩道終点14:12ー14:19中津山山頂14:28-マタンド15:17-15:48駐車地点


YAMAPログ→こちら

コメント (37)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国見山敗退の記…徳島県

2016-12-12 | 祖谷山系

国見山            くにみやま



山行日            2016年12月7日
標高             1409.1m
取り付き地点         池田町川崎<山城町重実から国政橋を渡った対岸>
下山地点           山城町西宇<JR小歩危駅付近の吉野川に架かる赤川橋>
駐車場            なし<国政橋、赤川橋ともに国道32号線沿い広い路肩4~5台駐車可>
トイレ            なし
水場             赤川橋東標高おおよそ420mにある滝付近
メンバー           ピオーネ、むらくも



吉野川の小歩危付近に架かるやや小さめな橋が二本ある。
一本はJR阿波川口駅から32号線を3km弱走ったところにある国政橋で、この橋は1975年に早明浦ダム完成後の翌年に建造された吊り橋の歩道橋だ。
かつてはこの橋の下流を船で渡っていたらしいのですが、ダムの放流により危険だということになり橋が造られたとのこと。

二本目は国政橋より南に3km弱のところ、JR小歩危駅近くに同じく吊り橋で歩道橋の赤川橋だ。
初代の橋はこの地域の山林王であった赤川庄八さんが1921年ごろに架けたが、後に二代目の橋としてお孫さんの庄市さんが架け替え、その後山城町に寄付したものだ。
吊り橋の袂には記念碑と、庄八像が建っている。

いずれも趣のある橋なのだが、わがチマチマ隊の隊長であるチマチマおじさん、かつては坊主というニックネームで親しまれていたが、いつの間にか自ら改名してしまったおじさん、この橋に興味を示し、ここから国見山へ登ってみたいと言ってた。
その話を聞いたのが1年も前だろうか、今年になって登ったぞと、このブログにコメントを入れてくれた。
うっし、二番煎じになるが、番茶も出花、娘盛りは香りが良くておいしい。
なんのこっちゃ。



隊長からは橋二本の紹介があっただけで、ここから国見山へどう登ってどう下ったのか、情報は耳に入れていない。
国政橋を渡ってすぐに、右と左に二本の尾根があって、両尾根は南東にある標高897.5mにある三角点・正木を起点として派生している。
どちらの尾根を辿るか、行ってみて現地での判断に任せよう。
そして稜線を辿って、1018Pー1343P-1352Pを経て国見山山頂へ。
復路は1352Pまで戻り、中腹にある川崎から大歩危につながる破線の道と、赤川橋へ下る破線の道の三叉路への尾根を下り、赤川橋へ。

AM7時、妻と二人、自宅を出発。
気温は2度、夜明けのスキャットを歌いながら機嫌よく車を走らす。
突然、助手席の妻が、なに、それ歌ってるの?
ほたえ声の歌は何よ。

なにをゆうとんじゃ、夜明けのスキャットじゃが。
知らんのかい。

わたし夜明けのスキャットは知ってるよ、でもあんたの歌はスキャットやない。
なんなのかさっぱりわからんし。
誰が聴いてもゼッタイにわからんと思う。

朝食に食べたママ粒とタクアンを胃から口へもどしそうなくらいに気分が悪くなった。


     赤川橋                 32号線沿い広い路肩
急激に気温が下がったために、財田川は幻想的な川霧が発生し、まるで温泉の湯気が辺り一面もうもうと立ち昇っているように見える。
猪ノ鼻トンネル付近の気温は1度。
吉野川へ差し掛かるが、川霧はない。
吉野川の水温は財田川の水温よりも相当に低くて、気温との差がないのでこの日は川霧が発生していないようだ。

国政橋を通り過ぎ、赤川橋の様子を探りに先に寄った。
赤川庄八翁の銅像の建つ橋の袂には、通行注意の看板があった。
観光等の通行で万一事故が発生しても管理者は一切の責任を負いませんと書かれている。
合点、了解の助。
近くの32号線5~6台は止められそうな広い路肩に車を止め、一旦、橋を渡って、対岸の左右に林道があるのを確認した。

国政橋へと引き返し、8:35、スタート。


                  国政橋
1976年に建てられた橋なので、ちょうど40年になる。
冒頭にも触れたが、この橋の少し下流(川崎より)では船で川を渡ってたという。
地図ではすぐの対岸には集落はないが、中腹の標高500mから600mに正木集落があるので、生活道としての吊り橋だったのではないかと想像した。
正木へ通じる道が必ずある、この時点ではそう信じていて、その道は橋を渡って左側、写真の左尾根辺りではないだろうかと想像していた。


     グレーチングの歩道橋             踏み跡
ところが渡ってみると左には踏み跡がなく、川へ落ち込む急な崖。
踏み跡は右手についていた。
左手への道は長年の間に崩れてしまったのだろうか?
それらしい痕跡がないか目で周辺を窺ってみたがない。


      キシツツジ                     急斜面へ
右手の踏み跡を辿ってみた。
ブルーシート作りの小さな小屋の前を通り過ぎ、川岸の岩場に出てしまう。
ピンク色をした季節外れのキシツツジが咲いており、チンのような丸顔をくしゃくしゃっとほころばせた妻がラッキーと叫びながらカメラを構える。
道は途絶えた。
仕方がない、適当なところで取り付いて、尾根に乗っかろう。
斜面は50度はあっただろうか、これ以上の傾斜だと危なくて登れないぞという感じで、柔い土に積もった落ち葉でズルズル靴を滑らしながら這い上がる。
ロープは持ってきてない、少し後悔した。


        石垣跡                       茶花
岩をつかみ、小枝をつかみしつつ、頭の中ではおかしい、こんなはずではどこかに道があるはず、登りつつ考える。
だいぶ登ったところでハッと気づいた。
そうか、あれだったのか。
橋から右折してすぐの左上の幹に二段巻きテープが施されていたのを思い出した。
(帰宅して、偶然に撮った写真を拡大してみると写っていた(三段上の右「踏み跡」の写真))
うーん、なんだかなー、道には見えなかったなー、だけどあれしかないなー。

10:23、標高450m辺りに達したとき、石垣があって、その近くでお茶の木に白い花が一輪咲いている。
少し離れた緩斜面一面にお茶の木が点在していた。
ここは住居跡だったようやね、妻がポツリと呟いた。

いま、抹茶に凝っている。
朝目覚めてすぐに、そして食事の後で、パソコンの前で、寝る前に、なによりもお茶がとにかくおいしいのだ。
体にいいらしいと聞いているが、山間地の人はお茶を栽培して重宝したようだ。


        車道                   川崎国見山線
上のほうから車の走る音が聞こえてくる。
10:37、カーブミラーのある車道に飛び出した。
舗装されていて、いましがた走った車の轍跡がうっすらと残されている。
道の傍らに石柱があって、それには平成25年12月しゅん工、川崎国見山線と刻まれていた。


                  塩塚峰方面
車道の開けたところには枯れすすき、その向こうにはゆったりした稜線があって、塩塚峰らしい頂が谷の奥まったところに乗っかっている。
山肌の上下に見える集落は山城町にある中野と殿野のようだ。


     897.5m峰西尾根            折れた電柱?
ここで初めての休息を10分ほどとって、再び踏み跡のない標高897.5mから派生する西尾根に入り、しばらく進むと踏み跡が現れ、電柱のようなものが折れて転がっていた。
ポケットから地図を出して、現在地を確認したところ、川崎から正木を経て、大歩危へと繋ぐ破線の道だった。
時刻は11:05、登りだして2時間半にもなるが、標高はおおよそ600mの位置。
国政橋の標高が143mなので、その差460mも登ってない。
最近のスマホは便利で、歩いた道のりが即座に画面に表示される。
わずかに2km、2時間半もかかった。
日は短くて、この先は随分と遠い。
しかも赤川橋までの下りは不案内でどうなっているのか状態はわかっていない。

妻と相談して、山頂へ行くのを止めることにして、破線の古の生活道だった川崎大歩危間の横駆道を追って、赤川橋へ下ることにした。
当初計画よりは距離も累積標高差もグンと縮かまる。


         住居跡                   天狗岳方面
やがて土甕が転がり、石垣が現れ、屋根がつぶれ落ち、五右衛門風呂や洗濯機が転がるところに差し掛かる。
地図で確かめると、横駆道は三段描かれているが、一番下の三段目とその上の二段目とを橋渡しする道があって、傍に民家一軒描かれていて、いまそこに立っている。
(後日ログを確かめたところ、破線の道の上を歩いてはおらず、三段目と二段目の中間を標高600mの等高線に沿うように歩いていた)


            1018mP・1343mP、国見山
崩れ落ちた民家から続く踏み跡はやがて枝尾根にぶつかり、そこから尾根に沿って下ったところ、下には先ほど歩いた川崎国見山線の車道が見えてきた。
景色は180度南方向に広がっていて、1018mの尖がったピークと右奥に西祖谷山村と池田町の境界線がある1343mP、その右奥に小さく頭だけが出た国見山の山頂が映っていた。
国見山は遠い、目視3時間は十分に掛かりそうだ。


       川崎国見山線                  造成中
車道へ降りる法面は高かったが、幸い、下りる道は壁面にこさえてくれてた。
ホッ!助かった。

車道を歩いた。
しばらくのところで、全面通行止め、先では重機や人が動いている。
造成中のようだ。
想像だが、国見山の上登山口への舗装道に繋がるのではないかと思った。
完成はいつなのだろう?


      破線の道へ                    道消える
引き返した。
先ほど尾根から法面につけられたコンクリートの細い道のすぐのところに、破線の道と思われる踏み跡があったのでそれを辿る。
道はだんだんと藪になり、やがて途絶えてしまった。


      荒れた林道へ            住居地跡の開けた場所から
かまわず突っ切ったところ、林道に飛び出したが、利用されている気配はなく、荒れ放題。
11:50、石垣が現れ、前方に1018峰が見える開けた場所に出る。
地図には標高420mから480mの間に三軒の民家が描かれていて、そのうちの一軒が、林の中にぽつんと建っているのが見えたが、廃屋だった。
ミツマタコウゾを栽培していたのだろうか、ところどころに花芽をつけたミツマタの木が斜面に生えている。


                     大休止
廃屋から少し離れたところの空き地に座り込み、空を見上げながらお昼ご飯とした。
おにぎり二個、一個はチャーハン風、一個は梅干しとアラメの煮込み風。
牛乳が乾いた喉を潤してくれる。


    荒れ林道①                     荒れ林②
破線の道は途絶え藪の中、林道を追うことにした。
林道はときおり枝分かれしており、しばし立ち止まったり、迷ったり。


       小さな祠                 荒れた林道③
13:00、1018峰の西尾根先をグッとカーブするところに小さな祠が檜の立ち枯れの傍にあった。


                    林道④
崖になっていたり、うっとりするような自然林の中にあったり、1018峰中腹を南東に進む。
やがて林道は破線から外れ、尾根を登ってるのに気づいた。
来た道を戻って、破線の踏み跡を探したが、見つからない。
破線が続いている方向は深い谷になっていて、歩くにも難儀しそうな雰囲気だったので、尾根上に上がる林道を歩き、迂回することにした。


        炭焼き釜跡                  迂回①
突然林道はぷっつり途絶えてしまった。
踏み跡のない斜面を適当に横切りながら歩くしかない。
地図で1352峰の北西尾根の先にある破線三叉路をしっかりと頭に入れて、その尾根に向かって進む。

13:50、炭焼き釜跡の石組みが現れた。
道は獣道同然の状態だったが、たぶん、かつて炭焼きのために通った道だったのだろう。
その薄い踏み跡も途中で水平にゆくものと、下へ下る道と二手に分かれている。
エイヤッ、気合の占いで水平に辿った。


        迂回②                 破線のある尾根へ
苔で覆われた石ころや倒木を滑りながら歩いて、14:30、やっと目的の尾根に乗ることができた。
方向を北西に変え、下る。
14:45、尾根を横切るようにしてついている踏み跡に合流した。
目的の三叉路だったが、肝心の北西への踏み跡ははっきりせず、そのまま少し尾根を下って思い切り西に向きを変えた。
14:50、杉の落ち葉の上に白く塗装した金属製の器が転がっていて、その少し先から濃い踏み跡が現れ、ホッとする。
15:05、雨宿りが出来そうなちょっとした大岩。
15:15、炭焼きの石組み。
15:33、池田町三繩財産区の看板が現れ、岩を巻くようにして下ると次第に踏み跡が消え、岩ゴロに差し掛かる。
そこは地図に描かれた破線上で、谷へ向かってS字状にくるりっと巻いているところだった。


                     滝下部
七段になった小さな滝が流れていて、その下の沢を渡るが、踏み跡なく荒れており、再び踏み跡を見つけるのにやや難儀した。


       水の引き込み               右手の林道へ
水引き込みの機械だろうか、モーターのような音がウーンと唸っていて、そこから先は林道。
林道は左上へ行くものと右沢沿いに進むものと二手に分かれていたが、エイヤー、右に進む。
犬の鳴き声と車の走る音が聞こえてきた。


           廃車                   赤川橋袂
出ました!
朝、赤川橋を渡って確認しておいた場所に、そこには棄てられた廃車が…、あら懐かしや、出迎えてくれたのね。


       古い看板                    赤川橋
16:10、自分の体重でわずかに揺れる赤川橋を渡って、国道32号線へ。


      下流を眺める                 赤川庄八翁
小歩危峡を流れる水は結構急流で、遠くを見つめる分にはどおってことないですが、真下を眺めると足が竦む。
余談だが登りに使った国政橋は、NHK縦断こころ旅の火野正平さんが訪れた橋だそうで、正平さんは高所恐怖症なのでした。


       歩いた中腹尾根               32号線歩道
32号線を歩いて、国政橋付近の駐車地点に帰り着いたのが16:55だった。

国見山の稜線は昨年春に佐々連さんの計画で、徳善の有宮神社から川崎までをアンジーパパさんと三人で歩いたので稜線の様子は記憶に残っている。
歩きよい尾根だった。
そのときに地図を見たり、また佐々連さんの話を聞いたりして、東と西に横駆道があることを知った。
西は大歩危から正木を経由して川崎へ出る。
東は尾井ノ内を起点にして戸ノ谷、橋詰を経て、祖谷渓谷沿いに川崎へ出るが、途中、坊主谷を下って田丸、千足、山貝がある。
今回は横駆道を歩く計画ではなかったが、取り付き地点で失敗したことにより、奇しくも西横駆道の一部を歩くことが出来た。
これもなにかの縁だったのかもしれない。

国政橋8:35-10:35林道川崎国見山線10:45ー川崎国見山線通行止め地点11:23-11:55標高520m休憩ポイント(三角点・正木H897.5m南西)12:15ーこの日の最高到達地点<H840m付近>14:05ー破線道三叉路<H680m>14:50ー滝15:35ー赤川橋16:10ー16:55駐車地点(国政橋)


グーグルマップ(登山口などの位置がわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離、時間などがわかる地図)→こちら

コメント (21)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マドの天狗~寒峰…徳島県

2016-06-05 | 祖谷山系

マドの天狗、寒峰          まどのてんぐ、かんぽう



山行日               2016年6月2日
標高                1245.7m、1604.8m
登山口               三好市東祖谷高野
駐車場               なし(林道沿い広い路肩)
トイレ               なし
水場                第二小島谷川もしくは林道日和茶坂瀬線沿いの寒峰登山口より登った標高おおよそ1200m                    の沢(水涸れ注意)
メンバー              ピオーネ、むらくも




一年前に松尾川沿いの日比原からマドの天狗へと登り、廃集落であった山風呂へと下ったことがある。
その折に、マドの天狗から東に眺めた風景は、寒峰台地の先に寒峰が聳えており、ぜひここを歩いてみたいと思った。
それ以来周回することを念頭に、何度も地図を広げてルートを模索してみたものの、いい案が浮かばなかった。


                 当初考えたシッポの長い変形周回案

上地図に示すように、これならいけるかなというなんとも心もとない線を引っ張り、計画らしいものを作ってみた。
計画どおりに歩くとすると、わたしたち夫婦が要するおおよその所要時間は14~15時間、無理して出かけても、途中敗退は目に見えている。
車を寒峰登山口へデポし、高野登山口とを車で結ぶことも考えたが、デポに要する手間と時間は結構苦痛だ。
周回はすっぱり諦めた。

ピストン、しかも最短距離で…。
寒峰台地から尾根続きに歩いて落合峠・寒峰縦走路上の1556mピークへと歩く計画も止めて、林道日和茶坂瀬線沿いにある寒峰登山口から登り、時間がかかる寒峰峠へのトラバースルートは避け、尾根伝いに寒峰山頂へダイレクトに登ることにした。
この計画で一応、寒峰台地を歩き、マドの天狗と寒峰の山頂を繋ぐという二つの目的は叶えられる。
沿面距離はおおよそ18km~19kmだが、寒峰台地はなだらかで、林道歩きも若干あることから推定所要時間10時間から11時間、比較的スピード感のある歩きが可能だ。
エスケープルートは廃道になってなければ、四ッ方峠四方峠(誤りにつき訂正6/7)から南への破線の道を下って佐野へ出るか、もしくは林道日和茶坂瀬線を辿って佐野集落へ下るのが最もいい方法だろうか。
四ッ方峠四方峠(訂正6/7)から廃集落となっている里の江を経て、小島に下るのには廃道になっている可能性が高いことから頭から外した。
タイムリミットは13時とし、途中敗退も視野に入れた。



月齢26.3、下弦の月と呼ぶには幾分歳が往き過ぎてるだろうか、辺りはまだサイレントブルー色、上下に鋭く尖がったブーメランのような月が東の空に浮かぶ時刻に自宅を出発。
前日まで梅雨明けのころのような異常に暑かった気温は嘘のように下がり、香川・徳島県境の猪鼻トンネルでは12度だった。

空の色がようやく白んだときに、フロントガラスの上に小さな影が映った。
車は50kmほどのスピードで走ってるが、その影は一点をジッとして動かない。
不思議に思い目を凝らしてみると、大型の鳥が車が走る方向に同じスピードで飛んでいる。
なんの鳥かよくはわからなかったが、それだけのことだった。

阿波池田から高知方面への国道32号線から左折し大歩危橋を渡り、道の駅「にしいや」を過ぎてしばらくのところで剣山方面へ左折する。
左折地点から距離にして5.8km、時間にして9分ほどで第一小島橋を渡ったところで三叉路になる。
右に行くと剣山だが、小島・大日堂へと左折し、すぐの三叉路を右上への道に入る。
そこからおおよそ1kmほどで再び三叉路があって、右は佐野集落、左は高野集落(佐野2km、高野1kmと書かれた道標あり)となっているので左折し高野集落へ。
この春に訪れたときの車道わきの民家の畑ではハナモモや桜の花で鮮やかだったが、いまは辺り一面濃い緑に包まれていた。

6時過ぎ、高野登山口に到着。
車を広い路肩に止めさせていただき、6:32、民家の間のコンクリート製階段を上がり、畑道を通って杉植林へと入ってゆく。


     高野登山口            杉植林

いきなりの急登で一汗をかき、はっきりしたふみ跡のあるトラバース道とふみ跡のない尾根への分岐に差し掛かる。
倒れた木の枝には二段巻のテープが施されており、足元にはお馴染みの水を引くお黒いホースがあった。
トラバース道の先は、マドの天狗から寒峰台地へ10分ほど下った稜線に出るが、とりあえずは尾根を辿りマドの天狗山頂を先に目指すことにした。
尾根に乗ってすぐに黄色いテープがあったがその後は何もなく、適当に尾根を追う。
7:30、1167mピークの手前で紅白のポールが立っているところに出合うが、足元には小さな白い四角柱が埋設されていて、頭に三角点と記されていた。
国土地理院地図にはこの付近に三角点の記しはない。
位置としては、ちょうど、東祖谷と西祖谷の境界の上あたりだったが、何だろう?
景色が東に開け、西寒峰への尾根筋が見えていた。


    トラバース道と尾根分岐地点        紅白のポール地点から眺める西寒峰

岩場が現れた。
木の枝には地籍調査のピンクのテープが括り付けられている。
岩崖を右手に巻いた。
ピンクの調査テープは次々とくくられており、足元には新しい杭が打ち込まれている。
痩せ尾根の左は切れ落ちており、もしも落ちると止まりそうにもないような垂直に近い斜面だった。
痩せ尾根を過ぎると小さなアップダウンの歩きやすい尾根に変わった。


    1167mピーク手前の岩場             小さなアップダウン

8:00、三等三角点・天狗が埋設されている「マドの天狗」山頂に立つ。
テープとふみ跡は西北西中津山方向の尾根筋と、東北東方向に続いている。
空は生憎の曇で東と南に開けている景色もなんとなく冴えず、座り込んで朝食を摂ることにした。
おにぎり二個、牛乳で流し込む。

風は冷たく、ヤッケを着込んで、東北東方向へのふみ跡を辿り、そのまま直進し寒峰台地への尾根を下った。


       マドの天狗山頂                  寒峰台地への尾根下り

入口は灌木の茂みだったが、すぐに下草がフタリシズカの花咲く群生地になり、やがてテンニンソウの群生地に取って代わった。
北に景色が開け、青々とした腕山の牧場が見え、竜ヶ岳の崖っぽい特徴のある山容が目を引く。


                     竜ヶ岳と腕山

お~っ!
進む方向に寒峰台地の尾根が続き、そして寒峰や前烏帽子、烏帽子山など祖谷山系の秀峰が雲間から差す陽光で輝いているではないか。


                    寒峰台地と寒峰を眺める

空はまたたく間に晴れ上がり、スカーッとした青空が広がり、白い雲がぽかりと浮かぶ。
西寒峰から祖谷渓谷になだれ落ちる尾根のその奥には天狗塚の頭がちょっこり突き出していた。
西寒峰の尾根先に白い点のようなものが小さく光って見えているが、それは林道造成のために出た土捨て場で、林道は佐野集落から寒峰奥の井登山口へと繋ぐためのもので、いまは工事中となっている。


                  西寒峰の尾根と右奥に天狗塚

8:29、トラバース道合流地点の裸台地に出た。
鹿かカモシカだろうか、獣の新しい足跡がゆるやかな尾根先へと続いている。

あっ!
リュックの後ろに括り付けていたブヨ避けパワー森林香の入れ物が、どこで落としたのか、ない。
幸い空気が冷えているためブヨは飛んでなく、火は点けていない。

器具は普通の蚊取り線香の入れ物より少し高価で、通販なので一般のお店では買えない代物だ。
仕方ない、帰りに探そう。
というわけで、復路はトラバース道ではなく、再びマドの天狗へ寄ることが決定してしまった。


  トラバース道合流地点付近と獣の足跡        ゆるやかな尾根下り

ポポー、ポポーッ、ツツドリの賑やかな鳴き声がウツギの花咲く尾根に木霊する。


        ウツギの白い花                 ヤブウツギの花

ところが突然にツツドリの鳴き声が変わった。
ポポーポポーッ、ポポポポポポポーッ、アポアッポーッ!!
………
その後、鳴き声は聞こえなくなった。
たぶん、イタチかテンか鷹かフクロウか、他の動物か猛禽に捕食されてしまったのだろう。


            戸木                   モミジ

やがて、台地の広がる尾根に出た。
過去には背の高いカヤが茂っていたようだが、いまはシカが芽を食べているのだろう、足元低く笹やシダと一緒にわずかに生えている程度だった。
台地はいたるところに広がっていて、場所によって庭園のようだった。


           台地①                      台地②
 
カッコウの鳴き声がしきりと聞こえてくる。
9:32、尾根を下ったところのだらけた鞍部に着いた。
何十年前だろうか、カタカナラベルのコカ・コーラの瓶や古いゴミが散らかっていて、南にはくっきりとした道がついている。
そこは四ッ方峠四方峠(訂正6/7)だった。


      四ッ方峠四方峠(訂正6/7)佐野方面                    古いコーラ瓶

北の坂瀬側に下る道がないか確かめてみたが、判り辛かった。
南への道は佐野集落へと続くのだが、途中で分岐して一方は第二小島谷川の右岸に沿うようにして、里の江集落を経て、小島に至る。
里の江は7~8件の集落だったようですが、昭和53年には無人となり、国土地理院に記載されている破線の道はいまでは廃道となっている。
春に小島を訪れた時に、小島林道沿いの里の江への山道入口を探してみたが、入口はなくなっていた。
それらしいところから奥へと入ったところ、道は見つかったが、荒れていてもう誰も歩くものはいない様子でした。
里の江集落跡も、わずかに一軒の崩れかけた廃屋が残っている程度の状態になっているらしい。

峠からは登りになり、しばらくで1166mピークに到達。
そこを下ってると左手に林道のガードレールが見えた。
林道は日和茶坂瀬線の延長線だろう。


       坂瀬・小祖谷方面?                   境界石

ほどなく尾根は林道へと下ってしまい、何人かの作業者と何台もの重機が動いている工事現場に出合った。
よくはわからないが1166mピークを巻くようにつけられていた林道とは別に、北へ坂瀬側に下る林道を造成中のようでした。

林道を歩き、第二小島谷川の先にある寒峰登山口へと向かう。


         林道工事現場                 寒峰登山口への林道

第二小島谷川は豊富な水が流れ、道沿いにはアサガラの白い花が咲いていた。
左手山側に林道入口があって、そこを大きく回り込むようにして進んだところが寒峰登山口。
登山口入口は茂っており、すぐには登山口とは気づかない。
一本の目立たないテープが枝に巻かれているが、道標はなく、なんとも心細い印象だ。
茂った葉陰を覗きこむと、木の枝から括り付けられた栄養ドリンクの瓶がぶら下げられていた。


       アサガラの花                    林道沿い寒峰登山口

上るとそこは伐採後の植林地だった。
何本もの植えられた若い苗木が、シカに齧られないよう、細長い筒状のもので保護されている。
足元の道はカヤから、やがてテンニンソウの群生に覆われ、そして苔むした自然林の中へ。


       伐採後の植林地                     自然林へ

アカショウビンの鳴く沢を渡り、クネクネと尾根へと登る。
一部ふみ跡はわかりにくいところもあるが、ところどころについているテープやケルンを頼りにして、適当に検討をつけて登ってゆく。


          沢渡渉地点                  寒峰西尾根へ

標高1500を超えたところで、それまでの灌木の茂る尾根から、ガラッと異なる風景の笹原に出た。
前を歩く妻が「オオーッ!」と叫ぶ。
一頭の体格のいいシカが上からこちらへ向かって突進してくるのが見えた。
つられてわたしも「オオーッ!!」と声を上げたところ、シカは急ブレーキをかけ、反動で直角に方向転換し、そのまま斜面を駆け下り、あっという間に姿を消した。


                    寒峰山頂手前の笹原

寒峰峠方向への薄いふみ跡から逸れ、獣道の尾根を追っていると、途中にいくつかのシカのベッドに出合った。
やがて、獣道もなくなり、樹木もなくなった。
11:56、少し息が上がりかけた頃、山頂に到着。


          獣道を追って                   寒峰山頂

猛烈に空いたお腹へ、弁当をかき込む。
景色を眺めながら食べる弁当は格別にうまい。
これ以上の幸せはないぞよ。


                      三嶺~天狗塚

この空の色を見よ。
二人だけの世界だぜ。
そんな歌を、遠い昔にボーイッシュな女性歌手が唄ってたなー。

とりとめもないことを頭の中で考えていたそのとき、カメムシがひざの上で屁をこいた。
ウゲウゲー、臭いっ!
カメムシって田んぼの畔の草叢で潜んでいる昆虫と思ってたが、こんな高所にもいるんですね。

東には落合峠への長い稜線とその先に矢筈山が聳え、北遠くには香川の里山の五岳山やうっすらと青い瀬戸内海が見えている。


                 落合峠への稜線と矢筈山

いつの日か近いうちに落合峠への稜線も歩いてみたい。
そんなことを思いながら、山頂を後にした。
下る笹原の前方には寒峰台地の尾根とマドの天狗が見え、中津山の格好いい三角形の姿がどっしり構えていた。


              寒峰西尾根から眺めた寒峰台地

笹原をだいぶ下ったところに上下二本の細くて薄いふみ跡が寒峰峠方向に延びている。
どちらも獣道のような感じでしたが、一本は峠へのトラバース道ではないかと思った。

足元にシカの角二本が転がっていた。


寒峰峠分岐付近から寒峰峠方向を眺める            鹿角セット

おっと、尾根を一本間違えそうになった。
右へ修正しながらしばらく下ったところで、尾根を外して谷方向へと下る。


          ケルン                       沢渡渉

林道沿いの登山口近くまで降りたときに、一頭の小鹿が灌木の茂みの下で、罠にかかって暴れている姿があった。
足首からは細いワイヤーが木の枝に伸びている。
助けてやりたいと思う感情が沸き起こるが、押し殺して、その場を離れた。


    伐採後のテンニンソウ群生地                  小鹿

二人で、仕方ないねと呟きながら、しばらく林道を歩いて、林道工事現場から再び寒峰台地への尾根に乗った。
工事現場からさほど遠くない位置で、後ろ歩いていた妻が悲鳴を上げた。

足元にはバネ仕掛けのくくり罠が周りの土を跳ね上げ、小さな穴が開いていた。
おーっ!
これがエントツ山さんの足を括り付けて放さなかったあの強力なバネ罠か。

その先でもう一個仕掛け罠を見つけたので、妻に気を付けるように注意をしたところ、妻は何を思ったかストックで突っついた。
バッシーン!
一瞬にして土を跳ね上げる。
おとろしい力だ。

もうないだろうと思って、気を抜いて歩いたところ、今度はわたしの靴の下でバシーン!!
あ~あ~!三つもダメにした。
おら、知らね。
仕掛けた人に申し訳ないと思ったが、あの強力なバネを元に戻すことはようしないし、考えなかった。

その先でももう一個見つけた。
今度はなにもせずにやりすごす。


       林道と寒峰登山口付近                  鹿罠

罠の仕掛けられた尾根をだいぶ先に進んだところで、二頭のシカが元気よく飛び跳ねて遊んでいた。


          フタリシズカ                 ウリハダカエデの花

カッコウの鳴く四ッ方峠四方峠(訂正6/7)を過ぎたところで、右手に何かが音もなく同じ方向にツツーーーっと走る。
林道があって、車が走ってるのかなと思って覗いてみたが林道はなく、台地の草原が見えるばかり。
どうやらシカが走ってたようだ。

後方を振り返り見た。
寒峰から烏帽子山の稜線が聳えている。
寒峰の左下には登山口のある伐採跡植林地が、周りの深い緑の中でポツンとひときわ明るい緑で目立っている。


                 台地から烏帽子山と寒峰を眺める

15:23、再びトラバース道分岐付近の台地に差し掛かったが、トラバース道へと左折せず、パワー森林香の入れ物を探すため、マドの天狗へと登り返す。
しばらく登ったところで器具を固定していたひも付き金具を発見。
さらに200mほど先で器具本体を発見。
やれやれ、ホッ!
たかが1100円、されど1100円、年金生活の身には貴重なお金です。


                  再びトラバース道付近に

15:39、マドの天狗に帰着。
どっかり座り込み、熱いコーヒーを入れる。

山頂の傍らにはヤマボウシの花がそろそろ終わりかけていた。


        マドの天狗                      ヤマボウシ

重い腰を上げ、山頂を背にする。
途中、足にマメができた妻に、カットバンを施す。

1167ピークの岩場では左へ巻いたものの下方へ下り過ぎ、急斜面を四つん這いで登り返すのに、重い足には堪えた。


        地籍調査テープ              1167mピーク岩崖

トラバース道合流地点では、尾根を行き過ぎてしまい、慌てて引き返す始末、ほんと疲れました。
17:21、バラのアーチをくぐって、登山口に帰着。
額にはうっすら脂汗が滲んでました。

帰宅後、ビールを飲んで体重計に乗ったところ、普段の体重よりかなり増えていた。

歩いている最中に食べたものは…、おにぎり二個、比較的小さな弁当一箱、バナナ一本、饅頭一個、プリン一個、チーズ二個、カロリーメイト一個、牛乳ワンパック、青汁ワンパック、スイカ細切れ二個。
食べ過ぎ???


         杉植林地                      高野登山口

高野登山口6:32-トラバース道分岐6:56-8:00マドの天狗8:18-トラバース道尾根地点合流8:29-四ッ方峠四方峠(訂正6/7)9:32-林道日和茶坂瀬線工事現場10:03-寒峰登山口10:16ー11:56寒峰12:33-寒峰登山口13:35-工事現場13:48-四ッ方峠四方峠(訂正6/7)14:12-トラバース道分岐15:28-15:39マドの天狗15:51-トラバース道合流17:00-17:21高野登山口


グーグルマップ(登山口などの位置がわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離、時間などがわかりやすい地図)→こちら

コメント (120)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戸木…徳島県

2016-04-21 | 祖谷山系

戸木              とぎ



山行日             2016年4月15日
標高              1112.6m
登山口             東祖谷トゴエ
駐車場             トゴエ登山口傍に広い路肩あり
トイレ             なし
水場              なし
メンバー            ピオーネ、むらくも




昨夜(14日)は早々に寝てしまい、熊本で同日午後9時26分にマグニチュード6.5、震度7の大地震が起き、大変な被害があったことを知らなかった。
朝、妻が寝床を離れテレビを点けたとたんに、顔色を変えて「大変なことになってる」と叫んだ。
東日本大震災から5年、まだ復興半ばの日本はまた大きな地震が起きて甚大な被害を被った。
地震列島日本、マグニチュード5.5以上の地震は毎年どこかで発生している。

天災は忘れたころにやってくるという諺があるが、まだ忘れぬうちにやってきてしまった。
とはいえ、いつどこで起きるかわからないあまりにも大きな天災に対して、備えるにも限界がある。
後日、16日未明、再び地震発生、マグニチュード7.3、震度6強(のちに7に修正された)が襲い、14日以上に大きな被害が出た。
誰が最初の地震後に本震が来ると想像しただろうか。
これまでの地震の経験則から大きく乖離したことが起きてしまった。

発生した場所は中央構造線の真上、断層は北四国側を東に突き抜け伊勢湾を横切り、東京北部へ出て利根川辺りへ。
学説によると、ただちに豊後水道から東への波及はないということを言っているようだが、いつ、どこで、なにが起きるかわからない。
早朝に猪鼻トンネルを抜け、鯉のぼりの翻る吉野川を遡るようにして大歩危へ走り、祖谷方面へ左折したが、運転する間、言葉少なく重苦しかった。



今日の山は、祖谷のかずら橋の東にトンギって聳える戸木という山、標高は1000mをおおよそ112mほど超えている。
昨年、寒峰の西にあるマドの天狗を歩いたおりに、初めて登ってみたい山として意識した。
戸木は、トギもしくは平仮名でとぎとして紹介しているガイドブックもあることから、当て字ではないかと思うのですが、山名の由来はわからない。
百科事典によると、トギは年の暮れ、大晦日から正月に掛けていろりの火を絶やさぬように用意しておく薪木のことを言ったらしいが、そのことかどうか…。

登山口は今井集落から西に上ったトゴエという峠にある。
山名が戸木とするなら、トゴエは戸越となりそうなものだが、なぜか地図ではカタカナの地名となっている。
あんがい、戸木は錐のように尖がっているからトギで、その山裾の峠だからトギ越がちぢかまってトゴエになったのかも。
こんなことは推測にしか過ぎない。
実際の由来を知ったら、腹で茶を沸かすのだろう。

トゴエへはかずら橋近くにある今久保から延びている林道を走って、途中にある三方山登山口を経由しても行けるが、やや距離があり、三方山登山口から先は一部ダート道となっている。
距離が短く走りよいのはかずら橋を過ぎしばらく走ったところにある小島橋を渡り、すぐ右の「木村家」への標識がある熊谷林道へと入り、釣井集落、今井集落を過ぎ、しばらく走り上がったところにある。
なお、今井集落にある阿弥陀堂からも歩いてトゴエに登る山道がある。

9:29、トゴエにある広い車道の傍らに車を止め、尾根を西に回りこんだところにある手すりから登りだした。


     トゴエの戸木登山口道標           尾根へ上がる登山道        

のり面を上がったところには銅板巻き鳥居の柱だけが突っ立っていた。
徳島250山ガイドブックによると、過去の台風で壊れたらしい。
その左下には石臼で作った小さな石地蔵尊が祀られていると記載されていたが、ちょっと見にはわからなかった。

苔むした石ゴロの林床に出たが、ふみ跡は薄くて、どこが登山道なのかほとんど見分けがつかない。


     壊れた鳥居                      苔むした石ゴロ

尾根は岩場っぽかったので、外してやや右寄りに見当をつけて登って行く。


      ○○スミレ                        急斜面 

途中で尾根に戻ろうかどうしようか迷ったが、そのまま右寄りに登って、なおも続く岩場を適当に巻いてゆく。
白い花びらが足元に落ちている。
見上げるとタムシバがほぼ終わりかけの様子で、青空が覗き、光がまぶしくふりそそいでいた。
苔むした石がゴロゴロしていて、なんとも雰囲気がいいところだ。
右手には滑りそうな急斜面、ここでも左右どちらに巻くか迷ったが、そのままずりずり這い上がる。
登り切ったところが岩場の二重山稜。
谷間のやや右側をさらに右手側へ巻くようにして突き抜けると、足元には境界杭が現れた。
尾根筋を詰めてゆくと、大きな割れた岩や庇状の岩場に差し掛かったので、ここも右手に巻いて通り抜ける。


 小さな二重山稜(振り返って撮影)                  境界杭

ちょっとした岩場や二重山稜を通り過ぎたところで植林の急登に差し掛かる。
明らかに山頂目前の急斜面といった感じで、進行方向には幹に白ペンキで水という字と数字が施され、山頂への案内の目印となった。
最初の白ペン幹から20分で三等三角点・戸木が埋設されている山頂に到着、時刻は10:11。


   幹に施された白ペンキ、数字は「1」       三角点のある山頂

北東方向に景色が開けている。
写真中央の一番高いピークが寒峰、その右側のピークが西寒峰。
寒峰の左肩のところからチラチラっと烏帽子山の頂がちょっこり頭を出している。


                  寒峰方面ズーム

南西方向にも展望が得られた。
写真左端ピークが広瀬山、右に移って中央少し右側の一番高いピークが三方山。
手前の尾根が、うねうねとのたくりながら、その三方山方向へと続いているのが見える。

戸木山頂から熊谷峠を経て三方山へと続く尾根にふみ跡がないかどうか探ってみたがない。
潅木の茂るヤブが行く手を阻んでいる。


                       三方山方面

山頂に咲くタムシバ。
真っ青。
思いきり頭から空に突っ込んでブルブルブルッと洗ってみたいような透き通った空の色。

コーヒーを飲んで、10:35、下山開始。

登りのときには気が付かなかったが、植林の中に多くの松の木が残されていて、足元は松の落ち葉で癒される。


         タムシバ                  松尾根

岩の割れ目を覗いてみると、向こう側の光が漏れてくる。
二重山稜を通過し、やがて心地いい苔の生えた岩ゴロの林床へ。


     岩の割れ目                 林床

鳥居のある尾根末端に出て、のり面の手すりを下ってトゴエに下山。


         鳥居                          トゴエ

トゴエから眺めた中津山と、その右に聳えるマドの天狗。


                   中津山とマドの天狗

マドの天狗を88ミリにズーム。
山頂の右手中腹に見える青い屋根があるところが、マドの天狗登山口の高野集落民家。


                   マドの天狗ズーム

ドライブがてらに高野集落へ走ってみました。
写真は途中の林道から眺めた戸木のとんがり頭です。


                    高野から眺めた戸木

トゴエから戸木へは、登り40分、下り30分、普段の散歩程度の軽登山ですので、近くにある他の山と組み合わせるのがいいのですが、またの機会にして、妻の花散策に付き合い、春爛漫の祖谷の山村をあちこちうろきょろ。
特徴のある屋根の上には鯉のぼりがふわりっと風に揺れていました。


       シャクナゲ                     フデリンドウ

トゴエ登山口9:29-10:11戸木山頂10:35-11:03トゴエ登山口


グーグルマップ(登山口などの位置がわかりやすい地図)⇒こちら
ルートラボ(距離時間などがわかりやすい地図)⇒こちら

コメント (29)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東膳棚ー膳棚…徳島県(祖谷山系)

2015-10-01 | 祖谷山系

東膳棚、膳棚             ひがしぜんだな、ぜんだな


山行日                2015年9月22日
標高                 おおよそ1750m、1770m
登山口                つるぎ町木地屋片川沿い(県道304号線奥)
駐車場                なし(広い路肩)
トイレ                なし
水場                 なし
メンバー               アンジーパパさん、坊主さん、むらくも




飯豊山の山行を終え車を運転して、日付が変わったばかりの9月18日深夜に帰ってきた。
一日なにもせず寝た。
翌日19日、すっかり疲れはとれ、体力は回復したと思ったが、そうではなかった。
筋肉痛はないのだが、体が気怠く、ひどい疲れがどっと襲ってきた。
日課の散歩だけは済ませて、再び寝ようと思った。

そんな矢先に坊主さんから祖谷山系縦走路上にある膳棚周回に近々に行かないかとのメールが入った。
食事時間以外はひたすら寝た。
夜になって、膳棚行き22日決定の連絡が入った。
再び寝た。

20日、まだ気怠い。
唇の端が少し切れて痛い、けんびきのようだ。
けんびきとは讃岐の一部地域での方言で、肩凝りや、口内炎、風邪や疲れ等が出た時に使う。
寝た。

21日、体力が回復し、朝の空気が美味しい。
明日22日は予定通り、行けそうだ。

膳棚とは、徳島矢筈山から1kmほど東に行った稜線上にある。
南側は崖になっているが、膳棚付近の稜線上からは崖側に近寄るか、もしくは付近の岩場に登らないとわかりにくい。
東膳棚は膳棚からさらに東へ1kmほど行ったところのおおよそ1750mのピーク、近くにこじんまりした岩がある。
さらに東へ1kmあまり歩くと標高1703mの黒笠山に至る。

黒笠山が尖がりピークなだけに、こちらのほうが膳棚と比べて高そうな気がするのだが、実際には東膳棚がおおよそ50m、膳棚は70mほど高い。
矢筈山の標高は1848.8mなので、矢筈山~黒笠山(3.3km)への稜線は最大150mほどの下りがあって、あとは小さなアップダウン、なべて下りとなる。
因みに標高1519mの落合峠から矢筈山への距離はおおよそ3.1kmほど。
というわけで、落合峠から黒笠山へのピストンもありなんですが、こちらは今回ご一緒するアンジーパパさんが、過去に雷雨のなかを歩いてますので、少し趣を変え、片川を起点にして周回することになった。



早朝の気温は17度、家の周りで鳴くセキレイやモズの騒がしいなか、待ち合わせとした貞光へ向けて出発。
道の駅で二人を拾い、貞光川を遡るようにして438号線を走る。
空は雲間から青空が覗き、まずまずのお天気。
車中では飯豊山や、中津山ーマド周回山行などに話を咲かせたが、山行のおりに大量に流した汗の臭いが話題になる。

アンジーパパさんの話によると、汗は年とともにひどく臭うようになり、ある日、あまりにも臭くて、そのシャツは洗濯されず、奥さんであるがあべらさんがいきなり棄ててしまったそうな。
坊主さん得意の突っ込みが入った。
棄てられたのがシャツだけでよかったわ。
子育てを終わった男は、妻にとって邪魔な存在、いつ棄てられるか、そんな時代になっている…らしいのですが、男はまさか自分がなどとは思っていない。
ある日突然に離婚用紙を突き付けられ、やがて棄てられて、はじめて気がつくという鈍い動物らしい。
熟年離婚は増加の一途、わたしたちはすでに熟しきって、いまにも地べたに落下しそうだ。

不吉な会話をしながら、つるぎ町一宇にある岩戸温泉先の三差路で、438号線と別れ、県道304号線へと右折する。
片川沿いの集落の点在する細い道をしばらく走って、石ノ小屋へのピンカーブ手前の広い路肩に駐車、県道304号線はここで終わり、ピンカーブから上へと続く道は石堂神社へと通じ、そこから快適な登山道を歩いて、石堂山ー矢筈山へ。
健脚な登山者は、片川から石堂山・矢筈山を経て黒笠山を周回する強者もいる。
わたしたちはその1/4にも満たない距離を、ちまちまっと周回。

駐車したすぐ目の前には錆びた赤っぽい鉄の橋があり、橋を渡った山手側の新しく造設された林道では重機が動き作業を始めていた。
赤い橋は渡らずに、304号線を少し引き返したところにある立派なコンクリート造りの橋を渡り山手側へ。




7:46、植林された山手には小さな鳥居があって、ここから取りついた。
いきなりの急登、踏み跡はなく、たちまち息があがる。
目指すは南南東一直線、目標物は標高1100mのはっきりした尾根だが、植林地帯の中を歩いているので視認できない。
歩きだして10分ほどのところで、北西から西方向に景色が開け、石堂山から石堂神社への尾根が見えてきた。

アンジーパパさんが(石堂山手前にある)岩が見えている、と言うが目の悪い私には見えない。
帰宅して撮影した写真を拡大して、はじめてそれらしい岩だとわかる。
御塔石と石堂山の山名由来となった天然の石室、大工小屋石だろうか。
だとしたら石堂山山頂が見えているはずだが、左端の木の枝の陰になっている一段と高い山がそれかもしれない。

ところどころに大きな岩があったりして、しばらく植林のなかの急登が続く。
下草や笹などはほとんどなくて、歩きよい。




8:40、シャクナゲの茂るやせ尾根に出た。
木の枝には森林管理局が付けた境界巡視観測地点の赤いアクリル札がぶら下がっている。
目の前に大きな岩壁が立ちはだかった。
それを乗り越えたところで左手に景色が開けて、小さな枝尾根の向こうに一つ渓を挟んで尾根が見えてきた。




この大きな尾根、東膳棚から北北東に延びていて、登山者の方たちが時折使うマニアックなルートになっている。
わたしたちはその西にある尾根を辿っていて、東膳棚の少し手前で合流する予定にしている。

渓の向こうからオス鹿の鳴き声が木霊し、尾根上からはメス鹿の鳴き声も、メスはオスの鳴き声に応えたのではなく、わたしたちに警戒しての鳴き声のようでした。




ほんのり色づいてきた木の葉の前方に、急登のピークが見えているが、地図で見るとピークではなく、尾根上にある一つの肩。
矢筈山から続く稜線はまだまだ遠い。
ところどころでキノコ、フーフー、湯気の立つキノコ鍋が頭の中で浮かぶ。




森林管理局の方たちが切り開いたものと思われる、シャクナゲのトンネル。
あとあと、こんな踏み跡が続いているのかなと思ったら大間違い。
大岩が現れて進路を塞ぐ。
右に巻きながら攀じ登る。




急登の斜面を横から写真を撮ってみたが、傾斜角は45度を超え50度ほどありそうです。
登り切ると杉や桧の植林地やシャクナゲが混在し、ときどき鉈かもしくはのこぎりかで切り落とした枝の残る尾根となる。
右手上には桧の梢から膳棚と思われるピークが覗いていた。




自然林が開けてくる。
足元にはくるぶしほどの高さしかない背の低い笹。




標高は1500mを超えただろうか、足元は背の低い笹からやや背の高い笹に変わったが、葉はシカに齧られパラパラと枯れかけ、ダケカンバの林も現れ、やがてハリモミかウラジロモミのような林に。
11:24、標高1710m地点で東膳棚から北北東に延びる尾根に乗った。
足元には、背の低い笹の中に細くて薄いなりに、踏み跡がくっきり、これが片川へと下るマニアック・ルートのようです。




11:44、一旦休憩して、軽く小腹を起こす。
マダニを気にしながらも笹の中にひっくり返ったりしてくつろぐ三人。

虫がしきりと飛ぶ。
坊主さん、持参したパワー森林香に火を点けた。
たちまち、坊主さんの周りには虫はいなくなり、私の方に寄ってきた。
アンジーパパさんの頭のあたりでも逃げた虫がプンプン飛んでいる。




気の早い落葉樹はすでにテンバってます。
11:54、矢筈山、黒笠山間の稜線に乗った。




付近の二本の幹にはテープが施され、そのうちの一本は二段巻きで、ここが分岐であることを暗示している。
西へと辿ったところで比較的小さめの岩があった。
ここが東膳棚のピークだろうか。




景色が開けた。
南東に剣山と次郎笈。




南には三嶺から天狗塚へ続く山並。




12:19、笹の上に座りお昼ご飯とした。
おむすび2個と定番の牛乳。

三脚雲台にカメラを備え付けて、一タス二は…言った本人はヘラヘラ笑って、言われた二人は困った顔をして俯いた。




東方向に尖がり頭の黒笠山が樹幹越しにちらほら、それを背にして膳棚へ。




今年の紅葉、このままのお天気が続けば一気に進み、当たり年になるかも。
右手の窪地にはわずかな水溜まり、動物たちの足跡が点在。
13:10、右手下へとロープが施されていたが、そのまま岩場を直進。




前方はサガリハゲ山から滝下の天狗塚へいたる尾根。




南眼下には霧谷川の深い渓谷。
アサマリンドウがポツリと一輪。




後方に黒笠山。
天然桧のある先は岩が切り立っており、引き返すことにした。(身の軽い人なら岩場をそのまま直進することは可能)




引き返してロープのあるところから一旦下る。




岩棚の北側下を巻く。




どんどん巻く。




巻いて上へ上がったところで、一宇村白井線九号標識の立つところへ出て、稜線に乗ったところで引き返し、下山することとした。
下山位置を地図で確認する。




先ほど下ったロープを登り、岩棚をだいぶ過ぎた適当なところから下った。
あちこちにテンニンソウの群生地が目立ち、急斜面、ズリズリと滑り落ちる。




ガスが巻いてきた。
再び滑ってひっくり返る。
後方からおりてくる二人が茶化す。
「スライディングが上手やね」
「バカこくでねえ!こちとら必死じゃわい」

シコクブシ




バカ尾根が続く。
ルートを何度も確認した。
小さな枝尾根もいくつかある。




とうとう、違う尾根に迷い込んでしまったようだ。
地図を広げ、GPSで現在地を確認した。
目標とした1168mPの東の尾根にいる。
このまま下るか、それとも1168mPの尾根に戻るか、迷った。
迷いながら下ったが、だんだんと下るうちに右下沢筋から水の流れる音が聞こえてきたので、1168mP尾根の先へ出ることを決心。
傾斜はきつく谷もやや深かったが、幸い、沢水は少なく滝もなかった。




伐採されて放置された倒木を何度かまたぎながら、下った先は、新しく造成した林道の高い法面で崖になっている。
再び倒木を乗り越えながら右手の急斜面沢方向へと下って、林道へ降り立つ。

尾根直進先きの高い崖




時刻は16:25、やれやれでした。
橋を渡るブヒブヒ二頭。
口には煙草をくわえ、余裕の表情。
タバコは体に悪いきん止めなはれ!
何度言い聞かせても、言うことを聞かないブヒだ。
言うタンビにますます吸いよるきん、始末におえん。

急斜面を木をつかみながら下ったため、帰宅後、腕の筋肉痛が二日ほど続いた。




とりつき地点7:46-標高1710m尾根合流地点11:24-稜線分岐地点合流11:54ー12:00東膳棚付近12:43ー膳棚付近13:31-標高1168mP東の沢付近15:42ー下山口16:25-16:33駐車地点


※グーグルマップは→こちら(登山口などが解りやすい地図)
 ルートラボは→こちら(距離、時間などが解りやすい地図)

コメント (108)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする