goo blog サービス終了のお知らせ 

むらくも

四国の山歩き

大川山…香川県

2016-11-21 | 阿讃山脈

大川山               だいせんざん



山行日               2016年11月17日
標高                1042.8m
登山口               仲南町塩入
駐車場               なし(県道4号線塩入集落付近高い擁壁傍の広い路肩)
トイレ               中寺廃寺跡遊歩道沿い、大川山キャンプ場
水場                なし
メンバー              ピオーネ、むらくも



どこの山に行くか、直前まで妻と意見が分かれてしまった。
わたしは初めての山へ行きたがる悪い癖がある。
妻は花の山、展望のある山、登山道のしっかりした歩きよい山を選ぶ。
結論が出ず、夕方がきてしまった。
妻が買ってきた皮付きピーナッツ袋が、卓上にポンと置かれている。

ピーナッツ、遠い過去に現職総理大臣が起こしたロッキード事件というのがあって、そのときの賄賂に使った領収書の単位が、ワン・ナッツ100万円というのがあった。
表に出た賄賂のピーナッツの数は500個にもなる。
最近では大韓航空副社長が起こしたナッツ姫チョヨヒナ事件、このときはマカダミアナッツだった。
ナッツにはいいイメージがない。

1967年、大ヒットしたザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、失恋の歌だが迫力があった。

追いかけーて(ドドン)、追いかけーて(ドドン)
すがりつーきたいのー
  …
初めからー 結ばれないー 約束のあなたとわたしー(ドドドン)
ドゥドゥビドゥバ ドゥドゥドゥビドゥバ 
パヤ(ドドドン) パヤパヤ(ドドドドン)

その同じ年にはザ・カーナビーツが「好きさ好きさ好きさ」を大ヒットさせた。

好きさ 好きさ 好きさ 
忘れーられなーいんだ
おまえのすべてをーーー!!(絶叫)
    …
こんなにおまえを
好き 好き 好きーなーのーにー つれなくしないで もう逃がさない!!
I love you oh !
I love you
Yes I do
おまえのすべてを!!(絶叫)

いまは孫好きないいおばあちゃんになっているが、当時、女学生たちはこの歌を聴いて、失神・失禁した。
どいうこっちゃ!
そういうこっちゃ!
何の脈絡もないがとにかくナッツはすごいのだ。
妻の意思表示に折れて、ピーナッツが大好きなヤマガラのいる大川山に行くことにした。 



登山口は自宅から近い仲南町にある野口ダムの少し南の塩入集落。
妻がアンジ-パパさんから聞いた話しによると、四国電力の送電線鉄塔保線路が大川山への尾根に向かってついているのだそうだ。
ついでに駐車場所も教えていただいた。

野口ダム下には塩入温泉があって、評判の、いいお湯が出る温泉だ。
お風呂セットを車に積み込んで、朝ドラ「べっぴんさん」を観た後、遅めの出発。


       駐車地点                  県道三叉路
東山峠を経て徳島・三好へ抜ける県道4号線沿いの高い垂直な擁壁がある位置に駐車。
9:45、県道沿いの倉庫風建物から集落方向への道に入り、すぐにアスファルト舗装の太い道へ左折。


       塩入橋                   集落へ
財田川に架かる小さな塩入橋を渡り、道なりに歩く。
正面右の小山の上には鉄塔が立っており、送電線が東西に延びている。
アンジーパパさんから、県道から砂防堰堤が見えているので、堰堤方向左岸の道を歩くと登山口に行けると教えてもらっていたが、その堰堤がわからず、太いアスファルト道を直進してしまった。
そのアスファルト道は財田川右岸についている。
やがて頭上に見えていた送電線は後方に去ってしまい、かわたき山荘の傍をも通り過ぎる。
違う、引き返した。(後日に地図で確かめると、そのアスファルト車道は標高753.5m三角点・脇野の近くまで続いている)


        石垣の上のお堂             砂防ダム堰堤
お堂まで引き返し、その左側から延びている簡易コンクリート舗装のやや細い道へ入った。
後方の山中腹辺りから猿の激しい鳴き声がしきりと耳に届く。


     巡視路アングル                保線路上の樹木
砂防堰堤の道を挟んですぐ横の山側斜面に、紫色に咲くアキチョウジの花に取り囲まれるようにして鉄塔22番を示すアングルがあった。
細かくジグザグとつづれ折れに続く保線路は、よく踏み込まれており、快適だ。


                   南隣の尾根
真上から差し込む光の向こうに、標高673m三角点・脇野がある南隣の尾根が樹幹越しに輝いている。
真下の谷にはさきほど間違って歩いた車道が財田川支流に沿って延びているようだ。


      鉄塔下の保線路               ツルリンドウの実
20番鉄塔だろうか?
真下をくぐった。
すでに2つ3つほど鉄塔傍を通過したので、19番かもわからない。
最近、鉄塔につけている番号札をわざわざ確かめるため鉄塔をぐるっと回るのが億劫になってしまって、ついズルをしてしまう。
生気というか、若さというか、どんどん失われている証拠なのかもしれない。


     19番鉄塔?               四等三角点・中寺
またまた鉄塔傍を過ぎ、11:30、標高753.5三角点・中寺に到着。
一度は柞野道から、もう一度は江畑道から、二度この三角点のすぐ傍を通ったが寄ってはいない。
ほんの5分の寄り道が出来ていない。
気持ちに余裕のない証拠。
人間、余裕と、興味心を失うとおしまいだ。


      三角点から東へ            江畑・柞野道分岐
三角点から尾根通しに南へ、薄い踏み跡があるように見えた。
その方向に進もうとすると、妻に違うと怒られた。
妻は踏み跡の濃い東へとどんどん進む。
それは少し下り気味で、大川山への方角とは異なっている。
頭の中はクェスチョンマークだらけ、よく確かめることにして、道に座り込んだ。
ついでだ、バナナを食っちゃえ。
妻が遠くで何か叫んでる。
「こっちで合ってるから、こっちよ」
口をもぐもぐさせながら慌ててそちらへ行くと、以前に見かけたことのある中寺廃寺跡遊歩道の道標があった。
記憶力ゼロの男を夫に持つ妻は、不幸な星の下に産まれてる。


                  展望台より
柞野・江畑道を辿って、10分のところで以前に2度訪れた展望台に着く。
満濃池と城山が霞んで見える。
飯野山も見えていたのだが、写真には写っていなかった。


                    中寺廃寺跡
先ほどの道標のあった分岐まで戻り、そこから廃寺跡の遊歩道を大川山へと歩みを進めた。
廃寺跡は、仏ゾーンを中心に、願いや祈りゾーンなどがあって、仏堂、塔、大炊屋、拝殿、僧坊跡などが発掘整備され残され、錫杖などの法具や、灯明皿、石塔などが見つかっている。


          トイレ                   遊歩道
遊歩道にはバイオトイレがある。
ちょっと変わったトイレで、用を足すと、付属しているハンドルを回す仕組みになっている。
利用した妻は右に20回、左に10回回して、あー、くたびれたと嘆いていた。
ここから長くて急な簡易コンクリート道が稜線まで続く。


       たかんぼさん遠望            阿讃縦走路合流
12:30、阿讃縦走路に合流。
お腹が空いていたが、ヤマガラに逢うまで我慢の子。
ただただおしんでは気の毒だったので、コーヒーとお菓子でちょっぴし休息。


        畑小屋                    ツルシキミ
舗装された道から樹木の茂った縦走路へ踏み込んだ。


       縦走路紅葉①           縦走路紅葉②
終盤の紅葉は赤からやや地味な枯れ色が濃くなって、それまでの鮮やかな色合いからどことなく寂しさがにじみ出てくる。
人間世界で例えるなら、車の後ろに貼り付ける四葉マーク、一昔前はもみじマークと言ったが、そのもみじマークは落ち葉マークとも枯れ葉マークとも揶揄され酷評された。
それによく似ている。
なんとなく、どこか寂しい。
年に一度、おちおちしているとささっと過ぎ去られ、ほんの一瞬のこの時季にしか逢うことができない。


                  縦走路紅葉③
紅葉は里に下りており、標高は930~950mのこの縦走路では終わってるだろうと思ってたが、まだまだだった。
しかしこの様子だとあと3~4日もすればすっかり地面に落ちてるだろう。
足元は落ち葉でふかふか。
落ちた葉っぱはヤマモミジやウリハダカエデ、シロモジなどなど。


         大川神社裏               大川神社境内
縦走路から一旦車道に出、再び急な斜面を喘ぎあえぎ登ると、大川神社の裏の祠近くにある三角点に飛び出す。
大川神社は雨乞いと安産の神様。
安産は妻も子もとっくに必要なくなってるので、来年の雨乞いと、山登りの無事をお祈りした。


      キャンプ場管理棟                ヤマナシ
ヤマガラやーい、管理棟に行く。
シーン!
ツーともピーともチーともゼーともいわない。
ちょうど居合わせた管理棟の方によると、雪がちらつかないと寄ってこないそうだ。
時期は12月に入ってからだとか。
妻が、ピーナッツ持ってきたのにねって言うと、「置いておくと、いつの間にか来て、食べてるようだよ」とのこと。
しかし、妻は置かなかった。
なるへそ、これがナッツリターンか。
この時期、エサには困ってないだろうから、雪の積もるころにまた来よう。
ヤマガラに代わって、お腹の空いた二人はおむすび弁当に、肥える太ると言いながらガツガツ食らいついた。


      ヤマナシの実                   ナシ拾い
境内へ引き返した。
大きなヤマナシの木にたくさんの実が生っていて、ボトボト落ちている。
一つ拾い上げ、割って食べてみた。
ほんの心持ち甘い。
妻が三つほど拾い上げ、ザックに入れた。
今夜のデザートに出すのかい!


       車道のススキ                  展望台
13:55、急斜面をずるずる下り、ススキの茂る車道へ降り、再び廃寺跡の遊歩道を辿り展望台へ。


                  大川山と稜線
展望台から歩いてきた稜線と大川山を振り返ってみた。
左端が大川山で右側一番高く見えるところが標高おおよそ980mピーク、そのすぐ左脇暗部が阿讃縦走路合流地点の中寺道入り口のようだ。
大川山からここまで見た目には遠いが、意外と近く、おおよそ1時間で下りてきた。


      城山と満濃池                 鉄塔下
急な下り坂に差し掛かると、後ろを歩く妻が、独り言が多くなる。
滑るー、こんなとこに石があるやんか、乗らんようにせないかんし。
えーっ!こんなところに咲いてる、今日来てよかったー、逢いたかった花に出あえたしー。
あーしんど、下りはしんどいから、いかんやんか。


                     西陽
登りのときにも眺めた、東山峠方向の山並み。
午後のこの時刻、風景は西陽の光で乱反射する。


         淡い緑                   ホオノキ
道に大きなホオノキの葉が落ちていた。
見上げると枝にはまだ少し残っている。
妻がホオの葉はティッシュの代わりになるんでという。
ホオー、そんなんでけるん?破けて困るんちゃう?
大丈夫、大きいから少々破けても使えるんで。
硬うて、バリバリしとるし、ティッシュ代わりにして拭いたら、血が出るぞ。
ホオーかな?
ホオーよ。

ちーっとも大丈夫じゃないのは二人のノンコじゃわな。


      登山口に帰着       登山口へは簡易コンクリート道を上がり右の細い道へ

オナラが出た。
妻がすかさず、おまえ、くっさいニオイで、何をしよんじゃ、この山をおまえのテリトリーにしようとしよんかい!
あのなー……


 登山口は正面お堂の左へ         登山口は煙の立つ方向に
朝、県道から登山口付近にある谷合の砂防堰堤を目で探してみて、見えなかった原因がわかった。
朝の光は時間帯によって谷合に届きにくく、陰になって見えにくかったのだ。
いま帰り際になって県道から眺めると、堰堤コンクリートがはっきり見えた。

車を出して。塩入温泉に移動する。
途中、真っ黒くて大きないかつい体の猿が車道を横切った。
ふぇー、ゴリラみたいな猿だ。
おっとっと!
間違って赤い暖簾を押し上げて入ろうとして、何事もなかったことにして青い暖簾をわざとに手で威勢よく跳ね上げ男湯に入る。
脱いだものを一枚一枚丁寧に畳み、バッグに入れていた新しい肌着と入れ替え、体重計に乗り、一瞬の納得顔。
ツルッとすべりそうなタイルの床をおそるおそる歩き、シャーワーをしゃわっと浴びて、白く煙る湯船にどっぽん。
おーっ、おーおーおーっ!あーうっうー、いいお湯だ。
地下500mから湧き出る温泉は、少し白っぽく濁っていた。
湯上りにくつろぐ大広間では、テレビが大相撲を映し出し、大関昇進を狙う髙安は痛い2敗目、横綱を狙う豪栄道は5連勝、休場明けの白鵬と鶴竜が快進撃で面白い場所になっている。
風呂から上がってきた妻は、備え付けの血圧測定器で測ったところ、測定不能、めまいがしたのか畳の上にどたりと寝ころんだ。
しばらくしてもう一度測定した。
上が80、下が50の低血圧、風呂でのぼせたか、もしくは水分補給不足による一時的なもののようだった。

<本日のコースタイム>約15km、5時間20分、引くことのコースミス25分=4時間55分(休憩休息含む)
駐車地点9:45ー(ロス25分)ー登山口10:20-三角点・中寺11:30ー11:40展望所(東屋)11:50-12:30阿讃山脈縦走路合流地点12;35-三角点・大平12:45ー13:15大川山13:55ー三角点・大平14:15ー14:20阿讃縦走路分岐地点14:25-展望所(東屋)15:00-三角点・中寺15:10-登山口15:55-16:05駐車地点


グーグルマップ(登山口などの位置がわかる地図)→こちらへ
ルートラボ(時間・距離などがわかる地図)→こちらへ

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三頭山・青龍山…徳島県

2016-02-06 | 阿讃山脈

三頭山、青龍山             さんとうざん、せいりゅうざん



山行日                 2016年1月31日
標高                  734.2m、おおよそ860m
登山口                 美馬市美馬町貫通石
駐車場                 車道広い路肩
トイレ                 国道438号線沿い「太陽マーケット」(貫通石下)
水場                  なし
メンバー                ピオーネ、むらくも



4日前に歩いた池田町白地にある池田龍王山・禿ノ峰に続いて、今日も阿讃山脈の徳島側にある低山に登ることにした。
歩く予定の山は三頭山と青龍山の二山。
わたしたちの(といっても妻とわたしの二人だが)山歩きのスタイルは里山であっても同じ山には続けて登ることはほとんどない。
性格が飽きっぽく元来の浮気性なのだろうか、次々とできる限り歩いたことのない山を探しては登っている。
行く山が同じ山であったとしても、登山口やルートを違えて登るようにしている。
もしも同じ登山口・ルートであったとしても、それは季節を違えているか年数が経っているか、それとも妻の趣味とするある特別な花が咲いているときに限られている。

山は登れば登るほど、歩けば歩くほどになにかしら新しいことに気づき、新しい知識を教えてくれる
それはそれぞれの時間に見る風景や山を染める色合いや風や霧であったり、そこに生える樹々や咲く花であったり、棲む小動物や昆虫であったり、そして山に至る山間地での人々の生活や歴史であったりと様々なことを知ることができる。
長いこと何度も何度も通わないと理解したとはいえないだろう。

目新しい風景だけを追い求めていくことは、随分と浅はかなことだとは思うが、それでもやっぱり知らない山へと行きたがる。
長年このスタイルを変えられないし、変えようとはしない。
それは表面を一度だけすっとなぞって、それでわかった風な気持ちになっている中途半端な山への姿勢がそうさせているのかもしれない。

初めての山は心がワクワクする。
たぶん、それだけのことかと思っているが、それがどうしようもなく楽しいのだから仕方がない。
なんせ、山の数が多すぎて、一生かけても日本中の山どころか、西半分の山でさえ登り切れないほどある。
クライマーだのアルピニストだのはわたしからはとんでもないこととして除外して、ハイカーとして出かけてもそうなんですから困ってしまうのです。



というわけで、今日も生まれつきの浅はかな老夫婦は、こういうのを天然夫婦というのでしょうね。
天然温泉ならだれもが喜んでくれるのですが、ただの天然夫婦ではねー、うさんくさくて人間どころかお猿さんも喜びません。

早朝、空が白み始める時刻には川ではカモたちがガッガーと鳴き、その声で寝床から離れるのですが、今日は朝ドラもない日曜日、遅くまで眠りを貪る。
8時過ぎに、もそもそ起きてお湯を沸かし、ザック、ストックやらをわさわさっと準備して、美霞洞温泉方面へと車を走らす。


   太陽マーケット&手打ちそば           三頭山&青龍山周辺地図

まだ一月だというのにもう三寒四温が始まっているのだろうか、5~6日前に冷え込んだおりに降った雪で、いったん山は真っ白になったが、その後気温は上昇し雪は溶けてしまった。
今年はどうやら山への冬靴は履くことがほとんどないのかもしれない。
家から出るときにも冬靴は持参せず、オールシーズン用の靴を車に積み込んだ。

太陽マーケットから右、竜王山方面へと曲がったすぐのところに貫通石のモニュメントがあって、その広い路肩に車を止める。
アウトドア用のコンパクトな椅子を車外に持ち出し、いつも散歩用に履いているランニングシューズから登山靴に履き替え、ほんの少しだけ緩めに紐を結び元重清北小学校への太い車道を歩く。
(貫通石横から山手へと続く簡易舗装の細い道があって、本来はそこから登るらしかったのですが、後日になって知る)
時刻は11:15、こんなに遅く出発したのは里山ならではのことで、一月にしては寒くもなく暑くもなく、シャツ姿でちょうどよい。


        貫通石                    車道歩き(左下の道はR438)


歩きだしてすぐに右後方を振り返ると美しい段々畑が広がり、さらに後方には竜王峠あたりから派生する尾根が吉野川沿いにある美馬市へと緩やかに落ち込んでいる。




快晴だ、言うことなし。
シャツ二枚でもうすーく汗をかくが、顔や手の肌にはひんやりした空気がふれ、気持ちがいい。
歩きだして10分余りで道路沿い右手に広い駐車場があって、その先の三叉路には緑の看板があった。
看板には左折200m先でさらに左折し「山人の里」(重清北交流促進簡易宿泊施設)と記されている。


  右道路下に見えた三頭トンネル         山人の里への緑の看板と三叉路

擁壁にはイノシシのイラストが描かれ、重清北幼小学校の看板が貼り付けられており、そちらへ向かう。
廃校となった学校施設を宿泊施設として活用しているようでしたが、妻の話では、一昨年の日本百名山ひと筆書きに引き続き、昨年2百名山ひと筆書きに挑戦した田中陽希さんが瀬戸内海をカヤックで渡り、三嶺への途中でここに泊まったとのこと。


    道路擁壁にあった学校跡の看板            山人の里(学校跡)

なんだかよくわからないまま集落をうろうろっとして、学校の南側へ行ったところ、小さなお堂があった。
中村大師堂だった。

三頭山と青龍山はガイドブックである徳島250山(鳴門岳友会)に紹介されているのですが、事前に国土地理院地図を見たところ、車道が三頭山山頂傍まで走っており、三頭越と青龍山を挟み込むようにして一方は西へ回り込み、もう一方は三頭越と寒風越の徳島側中腹を抜け、竜王峠を越え香川県へと下っていた。
要するに車で走れば容易に山頂へ行ける山だったので、あまり詳しくは読んでいなかったのです。
事前に頭に入れてきたのは、「貫通石」と「中村大師堂」それと二座の位置だけで、大師堂にたどり着けばあとは簡単に登山道が見つかり、鼻歌で歩けるだろう。
そう思ってたのです。
ところがギッチョンチョン、大師堂から先へはどう進めばいいのかさっぱりわからない。
妻が大師堂のすぐ左側の細い畦道が登山道でその先に竹藪があるという。
そのとおりに進んだが、畦道などないし、竹藪が見えない。


       中村大師堂                      周りの畑

なにがなんだかわからないままに、大師堂の右側に細い畦道らしいものがあったのでそれを辿った。
畑の奥右側に竹藪があって、うすーくふみ跡が続いている。
登山道はこれだと決めつけてしまった。
なーんだ、大師堂左側でなくて右側じゃないか、250山ガイドブックは左と右を間違って刷ったんだわ。
人間というものは思い込みが激しい動物だ。
やがてそのふみ跡は雪の残る谷に消えてしまった。




ええーい!
なるようになるさ、上には車道があるし、たかが里山じゃないか。
とりあえずヤブの空いているところを目指して上へ上へと登っていくと、林道らしきところへ出たが、ススキやイバラが茂っており、あたり一面イノシシの巣だらけ。
つい先ほどまで居たのじゃないかと思えるような真新しい足跡も残されている。
そんな林道を二つ跨いで、三つ目を辿った。
上にガードレールと車道の擁壁が見えてきた。
擁壁は5mぐらいある高いものだった。




擁壁の根っこまで行き、右へと辿りアスファルト車道へ飛び出る。
妻は反対の左へと回り込み、同じく車道に飛び出す。
わたしは右利きで、妻も右利きなのだが小さいころは左が得意だったようで、こんなところでそんな癖がなんとなく出る。

車道からは北に1012.7m峰の形のよい三角のピークが聳え、その右奥に電波塔と展望台らしきものが小さく見えていたので、それが標高1059.8mの竜王山のようでした。
地図で確かめると1012.7m峰のすぐ奥が竜王峠で手前が寒風峠です。




車道を左、南へ歩くとすぐに二本の石柱が立つ広場だった。
広場を突っ切った奥の右階段を上がると、展望の良い東屋。
時刻は13:29、驚いた、予定時刻を1時間オーバー。
妻の話では中村大師堂あたりをうろうろしているときに集落から正午を報せるチャイムが鳴っていたとのこと。
最近、お腹が空かないんですよね。
それなのに、現在の体重は68年間の人生史上最高重量。
食べてないのに太る。
ときどき絶食もしてみる。
ところが中途半端にラマダーンの真似事などすると、ますます太る。
どうしてなのか?
ぷくぷく病という病なのか。




南への景色は絶景だった。
眼下に吉野川、対岸の町は半田町だろうか?
だとすると奥の山並みは腕山、日の丸山、桟敷峠を挟んで風呂塔、火打山、矢筈山や石堂山も見えているのだろう。




南東方向すぐ近くには、これから行く三頭山が見えていたが、その手前に樹木が生えてない小さなピークがある。
地図で見ると、ハングライディングサイトと言って、パラグライダーやハンググライダーの基地のようでした。




西北西方向に振り返ると、青龍山の頂。
徳島250山のガイドブックによると、青龍山には小さな祠があって、信仰の山だそうな。
青龍とは青く清くとうとうと流れる吉野川を指しているのだろうか。




写真を撮り終えて、さてお食事と思ったら、コンビニで買ったサンドイッチや飲み物をそっくり車に置き忘れてきた。
妻がサンドイッチとブルーベリージュースを分けてくれた。
ありがとね、優しいね。

食べ終えて、三頭山へ向かう車道からは北に景色が開けており、寒風峠~竜王山が一望できる。
手前にふもとの集落がありますが、右下方の枯れすすきの陰に、山人の里(小学校跡)の建物が見えています。




車道の傍らのそこここにお地蔵さんが…。
この道は、かつては金比羅さんへの古の路で、徳島側のあちこちから三頭越に通じている。
三頭越には鳥居があって、徳島側には金比羅大権現、香川側には三頭山大権現の額が収まっている。
昔は様々な方たちがこの道を往来していたことでしょう。

道左側に東屋があった。




東屋からは東に景色が開け、吉野川の蛇行する先には徳島市街が見え、その先に紀伊水道が見えているような気がした。
ひょっとして右側にうっすらと小さく眉山が写っているのでは…。




後日に気が付いたのですが、徳島250山のガイドブックによるとこの東屋の左側からふもとにある中村大師堂へと下るルートがあるらしいのですが、確認はしていません。
ハングライディングサイトのピークに登って、その奥へと歩くと、三頭大明神さんがあり、石には昭和61年4月吉日と刻まれていましたが、石柱の頭には古めかしい丸い重ね石が置かれていました。
もともとはかなり古いものだったんでしょうね。
新しく建立したようです。




さらに奥へ進むとキティさんの標識もあって、三角点のある三頭山到着、14:10でした。




帰路、サイトの傍の大きな木とその下の大明神全体を撮影。
さらに南にある三頭神社にも寄ってみました。




1月のわずかに雪の残る神社境内で、神妙に二礼二拍手一礼。
心が澄み渡りますな~。
南には樹幹越しに電波塔が…。




古い狛犬がありましたが、頭は相当に崩れていて、建立年月日もなにもありません。
神社から、再び来た道を引き返し、青龍山を目差します。
ここへ先に寄ったのは、下山ルートを確認したかったためで、もう一度往路のふみ跡のないヤブを歩きたくなかったのと、地図では林道が描かれてはいても、その林道がヤブ化している可能性が高く、当てにならないのを危惧したからでした。
三頭山への途中で北方向にふもとへ下っているしっかりした林道を確認したところで、安心して青龍山へと車道を進みます。




お地蔵さんを入れて、バックに寒風峠方面の山並みをパチリ。
広場を過ぎて、往路歩いてきた道とは反対の左車道へ。
ほどなく三叉路があって、そこには百笑一起の会が立てた標柱が二本。
一つには三頭峠入口、もう一方には青龍の祠入口と墨書していた。
たぶん墨でしょうね、消えないもんなんですね。




一句浮かびました。
「竹林の道に残るや雪景色」
う~ん、今一やな、なんやそのまんまやないかいなと言われそうな句、お粗末すぎましたわ(-ω-)/
うさぎのポロポロうんこに遭遇。




途中で三頭越への道から左折し、今度は古のニッサン・サニーと遭遇。
なんとも格好いい車じゃありませんか。
もしもエンジンが掛かれば、バッフォーン!ボロボロボロローンなんていう音が響くんでしょうか。
そして畑地跡の手前で右折し尾根の薄いふみ跡を追う。
15:10、小さな祠のある青龍山山頂に到着。
展望なし。




もときたみちを引き返し、畑地跡からは右折し小さく周回を試みる。
おやま、今度はリヤカーの赤錆びた台車が林の中に転がってました。
このリヤカーで収穫した高地野菜や果物を運んでいたのでしょう。
往事が偲ばれます。

車道に出たところがここ、これでは入口がわかりにくい。




車道からはくっきり吉野川と、先ほどまで居たハングライディングサイト。




そしてもう一度竜王山を眺めつつ、サイトで遊ぶ家族の子供たちの歓声を背にして、三頭山の下のはっきりした林道へ折り返すようにして左折し、下山開始。
道は広くてはっきりしている。
下るにつれ倒木があったりでだんだんと荒れてきますが、迷うようなことはない。
途中、道はいくつか分岐していたり、四つ角になっていたりするが、無視して直進したが、これが正解だったかどうか、後日ログを見て、一か所破線の交差するあたりで間違った可能性が大きいことを認めざるを得なかった。




やがて索道のある伐採地に出た。
集落と、山人の里の建物が見え、写真の真ん中には小さく中村大師堂が写っている。
道は直進方向と、左折して伐採地の中を歩き大師堂方向へと進むふみ跡の二つに分かれている。
しかし、大師堂へのふみ跡には伐採した後の枝などで、覆われており、歩くのに難儀する状態だったので、止めて直進した。
直進先にはおそらく車道があると思った。




直進のふみ跡は新しくできたふみ跡で、伐採のための作業道だろう。
作業道の先には重機が置かれ、車道へ降り立つことができた。
この作業道へ登山口として利用するには、やや入り口がわかりにくく、見た目にも重機の上に道があるとは思えない状態だった。
ましてや、重機がなかったら、なおのことわからないだろう。




山人の里の道を通り抜けるときに、大師堂を入れて、伐採地方向に写真を撮った。
中心より右側に小さく大師堂が写っている。
そして大師堂から左手奥へ一直線に向かった先が先ほどの伐採地で、ふみ跡に枝葉がかぶさっていた道があるところだ。
これは実際に現地に来てみて、方向を指で示されないとわからないルートだと思った。
方向を定めて適当に歩くしかなさそうです。
林道が入り乱れたり、その林道が長年放置され荒れている里山歩きは難しい。
いい勉強になりました。

16:33、予定より大幅に遅れて駐車している貫通石に戻ったために、途中の美霞洞温泉に入ることはあきらめて帰宅を急いだ。
車に積んでいたタオルや石鹸などのお風呂グッズは所在なさそうにしているように見えたが気のせいだったろうか。




貫通石11:15-山人の里(小学校跡)11:35ー中村大師堂11:54ー広場13:25-13:29東屋13:54-三頭山14:10-三頭神社14:22-広場14:36-青龍山15:10ー広場15:32-下山口林道入口15:43-山人の里16:17-16:33貫通石     (※コースタイムはルートミス多くあくまでも参考程度としてください)


グーグルマップ(登山口等位置がわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離、時間などが把握しやすい地図)→こちら

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾瀬山・登尾山周回…香川県

2014-11-26 | 阿讃山脈

尾瀬山、登尾山              おのせやま、のぼりおやま



山行日                  2014年11月23日
標高                   576.9m、887.3m
取りつき地点               仲多度郡まんのう町新目奥
下山地点                     同上   山脇
駐車場                  なし(路上広い路肩)
トイレ                  なし(近くのJR財田駅)
水場                   なし
メンバ-                 アンジ-パパさん、坊主さん、むらくも




山の神は恐れ多い。
その教えに逆らう者はどんな人間であろうとも生きて帰れない。
必ず祟りがあり、大なり小なり神の思し召しによって懲らしめられる。
例えば、12の付く日に山に登ってはいけない。
たちまちに体が硬直し、首が回らなくなる。
そして挙げ句の果てに木の下敷きになっておっちんでしまう。
特に12月12日は気をつけよう。
ところでなぜ、12日はダメなのか、それは山の神様に直接お伺いするしかないが、なにしろ会うことさえ憚られる恐れ多い神さまなのです。
村の長老達の言い伝えでは、なんでも12の日は山の神さまが木の数を数える日なんじゃそうな。
この日に山に入ると、地の底から響き渡るようなぶっとい声が聞こえてくると言う。
いっぽ-ん、にほ-ん………ん………足りん………ない。
おのれ、人間どもめまた切りおったな、許せん。

なのでこの日は決して近づいてはいけない。
ところで山の神様は女神様なのだ。
昔の人は口やかましい女房を「山の神」と呼んで恐れていたそうな。
ということで今日も坊主さんの誘いでアンジ-パパさんと三人でお山に出かけることにした。
うちんくの山の神はなんやしらんけんど、熟女三人で花散策に出かけて留守だ。
なんだか怪しげな熟女たちだが、古女房静かで留守がいい。

…なんのこっちゃ?



出かける山は久しぶりの阿讃県境尾根にある山で、標高900mに届かない登尾山。
JR讃岐財田駅に集合して、尾瀬山経由で県境縦走路へ出て、西に歩いて周回。
当初の計画では県境尾根の手前で東に振り、東山峠に出て西への尾根歩きと考えていた。
そして、登尾山を経た後、西にある標高807.6mから下山するということだったらしいのですが、わたしはなぜか思い違いをしてしまっていて、807.6mよりさらに西にある789.9mから下山し、財田駅のちょい西に降り立つつもりだった。

起床5時半、年老いて古ゴムのように伸びきった筋肉をエッチラ体操でほぐして7時前に自宅を出発。
財田駅の大きなタブノキの下でアンジ-パパさんと坊主さんが、いまかいまかと待ち構えていた。
むふふふ、佐々木小次郎よ、じれた時点ですでに負けじゃ。

車を東の新目の峠へと移動して、林道へ踏み分け入る。




あたりはうっとう暗くややガスっぽいし、もう誰も利用していないのか林道は雑草が茂りいやな感じ。




かまわずに突き進んでいくとトタン小屋にでくわした。
その左側には送電線鉄塔巡視路を示すアングルがあって、ここが本日の取りつき地点、四国電力麻線と記している。
山手34番方向の尾根に乗っかった。




年寄りはなかなかエンジンがぬくもらず、ヒ-コラドッコイ、亀のようにゆるゆる登る。
なんやしらん石柱が現れた。
明治45年3月常経新植、善通寺小林區薯と刻まれている。
二人がショ-リンクショと読むのかそれともコバヤシクショと読むのかで揉めている。
そんなことどっちゃでもよろしい。
ところで明治って45年の何月で終わったの?
調べた。
その年の7月30日までだった。
奇しくもこの年には未成年者の飲酒取締法が制定され、20才未満は酒が飲めなくなった。
わたしゃ15才でやけ酒を飲んだわ。




バンバン、鉄砲を撃つ大きな音が聞こえてきた。
メンバ-の中にそちらに向かってブヒブヒと叫ぶ人が一匹おいでた。
ヤメロ-!アホか撃たれるやろが!

アングルを追う。
尾瀬山至ると書かれた道標が括りつけられていた。




ワオ-!大きなヌタ場だ。
泥パックでお肌スベスベよ~ん。
んが-、この泥は危険一杯。
イノシシに着いていたダニや寄生虫などやその卵がわんさ居る。




ところどころに赤テ-プが施されている。
好き者はどこにでもいるもんですね。
と思って歩いてたら、標高573.4mにある三角点・大寺でその同類が残していったアクリルプレ-トを見つけました。




いつの間にか尾根道には陽がこぼれ落ち、小春日和といった趣になってました。




行く手には31番?鉄塔が。




尾瀬山公園の遊歩道に出て、奥に進むと尾瀬山山頂に到着、10:05でした。




ふふ-、あんたも好きね~。
ちょっぴし休憩したのち、アスレチック遊歩道を歩いて、南へ進むと、そこにはその昔に子どもたちのために作られた遊具がデンと坐っている。




ぶら下がったタイヤ。
遊び心一杯のアンジ-パパさんと坊主さん。




いまやススキや雑草の繁るアスレチック公園になってしまっていた。




天井から剥がれた板がぶら下がる東屋。
かまわずに尾根を進むがやがて車道が見え、法面がちょっとした崖になっており、ズリズリ木をつかみながら降り立つ。
車道ではキノコ狩りに来ていたご夫婦にお会いし、ご挨拶。




車道はアスファルト道で、尾瀬山の北裾に走る県道202号線の東西に繋がっていて、ここまで車で簡単に来ることが出来る。
車道を南に進むとカ-ブのところで三叉路になっており、さらに南への広いダ-トな林道へと入っていく。




阿讃県境尾根へ導く見慣れた道標があった。
その奥には通行止めのチェ-ンが張ってあったが、それを乗り越えたすぐのところの左側が県境へと向かう尾根道でした。




尾根回りではまだ紅葉が残っていました。
ポカポカと気持ちのいい天気、汗が滲みます。




標高650~700m、綺麗です。
痩せ尾根を越えて…。




歩く道は落ち葉でふんわか。
陽が差し込んで眩しい。
時刻は11時をだいぶ過ぎ、予定よりオ-バ-、東山峠へ行くことは諦めて、縦走路へ直進することにした。




ちょいと道を外して標高762.5m、三角点・多治に。
三角点に夢中のお二人と、その傍にあったマル米さんの点標。




今年の紅葉は随分と綺麗でしたが、遅くまで残ってます。
この位置で標高780~790mはあります。




780mを過ぎたところでオレンジの鉄塔が現れる。
真下から見上げたが随分と高くて大きい。
12:12、標高813m、縦走路と合流。




二軒茶屋方向に向きを変え、阿讃県境特有の広い縦走路(防火帯)を西に向かって進むと、やがて左島県側から、マイク放送が聞こえた。
阿讃サ-キットが近くにあって、ときおりバイク音が響く。
途中で大休憩、お昼ご飯とした。
やれやれ、ホッとしながら、サンドイッチとミニカップラ-メンを食べるが、ここまで飲料水は摂取しておらず、ラ-メンのお汁を一気飲み、うま-い。
普段、こんな食事ばかりしていたら、間違いなく脳溢血かなにかでぶっ倒れるでしょうね。

腰を上げて前へ進む。
伐採された開けた茅場で思いがけないお地蔵さんに出合う。
32番禅師峰寺・十一面観世音菩薩さん。




島方面に開けていて、すぐ左下中腹には林道が走っています。




落葉が始まっている感じのいい場所に来ました。




島の山並みが見えますが、烏帽子山や落合峠、矢筈山方面でしょうか?
目がいい人には剣山や次郎笈あるいは三嶺が見えていたのかもわかりません。




もう一個お地蔵さんが現れました。
坊さんが簪を買ったという歌の純信さんとお馬さんで有名な第31番竹林寺、文珠大菩薩さんです。




いくつかの鉄塔下を歩く。
オフロ-ドバイクに跨がった三人の青年と出合った。




ここにもオレンジの鉄塔が高く聳えていましたが、色の違いはなんでしょうね?




13:35、登尾山山頂に到着、一休み。




それから20分ほどで次のピ-ク標高807.6m三角点・指出に着く。
時刻は14:20。
ここからは下る一方、遅くとも16時過ぎには下山できるだろうと思った。




北東に向かってドンドン下る。
当初の尾根道は薄くて分かり難かったが、やがてはっきりした踏み跡になった。
短い足で倒木を跨ぎながらどんどん下る。




やがて伐採された見通しのいい尾根に出た。
座り込んで地図を眺めた。
座り込んだところは計画していたル-トから東に一つ外れた尾根上だった。
そのまま尾根を直進すると帰来川が流れる谷へ入ってしまう。
相当なヤブが待ち受けていることだろう。
引き返すようにして、谷を跨いだ。




林道に乗った。
ここはどこ?
林道は三叉路になっていた。
下っている左に道をとった。
歩いた。
行き止まりだった。
引き返した。
三叉路を、さきほどとは違う道に入った。
歩いた。
ここはどこ?(標高522mPのすぐ傍だった)


後方には傾いた陽に照らされた阿讃の稜線がやや赤っぽく見えている。
送電線鉄塔も見えている。




右手には尾瀬山から阿讃への尾根筋がくっきり。
道端に佇むのは靴紐を直すアンジ-パパさんの黒い影、熊かイノシシと間違うわ。
林道は標高479.4mピ-クを一周するようにしてグルッと巻いた。




クネクネ、トボトボ、モクモクひたすら歩く。
チャップリンの映画のワンシ-ンを思い出した。
道沿いからは大麻山や大高見山、善通寺五岳。
そして七宝山も見えている。
我が家まで随分と遠いな~。




延延と林道を歩いた。
薄暗くなった轟の滝に着いた。
なにやら女性の声が聞こえてくる。
空耳かと思ったが、間違いなく人声だった。
道端に車が止まっていた。
暗くて人の姿は見えない。
シ-ンと静まりかえった車の傍を通り抜ける。

その後も林道をクネクネモクモク歩いて下った。
トンネルのだいぶ手前で黒い影が動いた。
その影は林に入って行ったように見えた。
林の中は真っ暗だ。
トンネルを抜けて、民家の建つ車道に出た。
そこは朝車を止めたところだった。

長く辛い林道歩きでした。




駐車地点A7:47-取りつき地点(送電線鉄塔巡視路)8:16-10:05尾瀬山10:18-標高813m県境尾根縦走路12:12-13:35登尾山14:02-標高807.6m<三角点・指出>14:20-標高522m付近16:04-下山地点(駐車地点B)17:14==<車で移動>==17:19駐車地点A


※地図上左クリック→グ-グルマップへ

コメント (49)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海老済周回…香川県(阿讃県境尾根)

2013-03-22 | 阿讃山脈

海老済(三等三角点・点名)      えびすくい



登山日                2013年3月21日
標高                 595.1m
取りつき地点             観音寺市大野原町海老済石砂
下山地点                       海老済
駐車場                なし
トイレ                なし
水場                 なし

メンバー               単独




久しぶりの山。
ザックに靴に、カメラ、免許証、財布…OK。
イグニッションキーを捻る。
  …
うん?
まわす。
  …
???
ま・わ・し・た・ぞ。
  …
どいうこと。
バッテリー…か?
時刻は9時を回っている。
車は止めて、バイクで山に行くべきか、それとも修理が先か。
悩ましい。

退職して以来、車はほとんど乗らなくなった。
2~3週間は放置している。
洗車などは昨年の暮にしたきりすずめ。

修理は止めた。
直しても、またくそしばらく乗らないし。

バイクにしよう。
今日は朝から冷え込んで寒い。
薄手のセーターを着込んだ。
もちろん、ヤブ山用専科、虫が食っる。
パンツも何度も山で滑って転んで、お尻が擦り切れているやつ。
ザックは汚れて、元の色が分からない。
こんな姿でバイクで街中を走るのは気が引けた。

いや、なにくそ、これしきのことで、山を止めるわけにはいかない。
冷たい風を切って走った。
みんなが見てるような気がしたが、ほんとうはだれも見てない。
まれにひどい姿をして歩いてる人を見かけるが、そんなときは見ていいのかいけないのか、ドキドキして、でもパッと一瞬のうちに見てしまう。
そして見てはいけないものを見てしまったような落ち込んだ気持ちになって。
気にすると余計に気にしてしまう。

町を抜けて、田園風景を眺めながら曼陀峠へと走る。
ときたまの自転車で走るコースの一つだが、長い登り坂のため、50代後半あたりからこのコースは敬遠している。
民家の軒先では梅や気の早い桜、それにモクレンなどが一斉に咲き始め、菜の花とレンギョウの黄色い花が一層賑わっている。
五郷ダムの緑の湖面がピンクの影を映し込んでいた。

今日の予定は棒賀神社から支尾根に取りついて、南西にある阿讃県境尾根を南東に縦走し、旧曼陀峠から海老済へと周回することにしている。

その棒賀神社の下に着いた。
時刻は11時過ぎ。
体は冷え切っている。
邪魔にならない広めの路肩にバイクを止めて、神社へ上がってみた。
ダム上流から草刈り機のエンジン音が聞こえてきた。




小さな境内は草も生えておらず、手入れが行き届いている。
裏へ回って適当に登ってみた。
肩まで覆い被さる羊歯が行く手を阻んで前へ進めない。
右手へと方向を変えてみた。
ダメ。
左へと行ってみた。
ダメ。
諦めて車道に降りて、地図に載っている破線の道を探してみたが、破線と思われる入り口は崖になっていて、道があるとは考えられない様子。
神社傍から登ることはもう適わない。

再びバイクに跨がって、県道から別れて石砂方面への車道を走ってみることにした。
県道から5~600mくらいの間に小さな沢がいくつかある。
入り口にピンクのテープが枝にぶら下がっている。
その一つに入ってみた。
ところどころ枝打ちされた杉の木が行く手を阻んだが、心配していた羊歯はそれほどでもない。
斜面はたちまちに汗を吹き出さす。




立ち止まって、セーターを脱ぎ、ザックに仕舞い込む。
ヘッドランプを持ってくるのを忘れてることに気づいた。
日は多少とも長くなっている。
早めに降りるとしても、6時頃までは大丈夫だろう。
枝を両手でかき分けながら、我慢して登ると突然に快適な道に出合った。
どうやら、支尾根にでたらしい。




道などないものと思ってただけにうれしい誤算。
辿っていくと、幾つもの小さな祠がある一つの小さなピークに着いた。
樹幹から石砂の集落だろうか、が下に見えている。




祠は5~6基あって、てんでんばらばらの方向に向いている。
七宝山と観音寺の町が小さく覗いていた。




傍には鳥居があって、ほんの少し下ると、簡易なコンクリート舗装の林道が尾根まで伸びてきている。




雲辺寺山が里山独特の春の草息に交ざって、ドンと横たわっていた。
松などの木の匂い、羊歯などの匂いや落ち葉のわずかずつ腐葉していく匂いが入り交ざった匂いだ。

林道を車が上がってきた、その先には作業小屋が見えている。




そのまま行き過ぎようとして、ふとこの辺りに三角点のピークがあることを思い出し引き返した。
標高464.6m駒管山。
傍の木には○米さんの記した三角点標が括りつけられていた。
こんなところまで来ている。




畑が広がり、見晴らしがいい。
のどかな春の景色だ。




エンゴサクの仲間、ムラサキケマンだろうか、こういうのは弱い。
花を見る度になんの花だったかを思い出すのに、2~3日かかる。
人などは思い出さないこともしばしばなので、まだましか。
これはオオイヌフグリ、誰もが知っている野山の代表的花の一つだ。
などと知ったかぶりしてても、違うことがあって、あとで大恥を掻くこともしばしば。




これはスミレ。
スミレはわからん、とにかくなんとかスミレだわ。

一服入れて、煙草は吸わないので、食事にした。
最近、四国に上陸したセブンイレブンの小さなおにぎり弁当を広げる。
花粉症なので飲み物はヨーグルト、これ結構効き目があるのよな。
毎日飲んでる。
飲まないとどうなるか、大変な症状なのです。

 


畑が過ぎて、尾根筋はややヤブいてきた。
しばらく我慢して突っ切ると、阿讃県境縦走路に飛び出た。
広い、快適、山の上とは思えない道が続いている。
右に行くと金見山方面、左折する。

こちらの山並みと谷筋は川之江方面だろうか?
正面の山の中腹に道が走っているのが見える。
高速道路だとしたら、徳島道かも?




見覚えのある林道石砂線にクロスした。

こちらは先ほど歩いた支尾根、小さく作業小屋が見えている。




雲辺寺と谷間の石砂集落。
ヒーッ!と一登り踏ん張って標高595.1m海老済の三角点。




四国の道に合流。
お地蔵さんが静かに佇んでいる。
ほどなく車道に出て、しばらく雲辺寺方向に歩くと。




旧曼陀峠の大きな看板に出合う。
ここから左折して、地図の破線を辿る予定だが、踏み跡があるようなないような。
ここは深く詮索せずにささっと北への支尾根へと入ろう。

道の上の山手へと分け入り、しばらく尾根の薄い踏み跡らしきところを辿るとありました。
えらいことはっきりした道です。
林道でしょうか、しかし、轍のあとは薄くあるものの最近は使われてないようです。




展望抜群のところにでました。
三豊平野と遠くに弥谷山・天霧山と我拝師山などの五岳山。

古に、この道を歩いた人たちは、ここで一休みしたことでしょう。




再び山道になりました
先ほどの古い轍の跡はどこから来てつけられたものでしょうか。
ひょっとすると有木本村からの林道があるのかもしれません。
やれやれ、里に降りてきました。




時刻は16時前、日はまだ高い。
降りてきたところを振り返ってみましたが、登り口は塞がれていて、道はここからは見えません。
民家では梅などの花が満開でした。




下山。
振り返って撮った写真、左の細い道から降りてきた。
砥川に架かる小さな曼陀口橋。




手入れされた小さなお堂。




桃源郷に迷い込んだような気にさせられます。




午後の暖かい陽差しです。




県道へ出て。
石砂へ。




止めてあるマイ・バイク。
オフロードバイク・セローのようなかっこいいバイクとは雲泥の差。
最近はおっさんでさえ乗らないヤマハメイト。
しかし、セローは250ccですよ、70ccのメイトとなんでガソリンの伸びしろが一緒なん?
セローもリッター35~40は伸びるとか。
やっとれん。

帰宅した途端に鼻が詰まり、目が猛烈に痒くなりました。
急いで風呂に入り、花粉を落とし、目をくり抜いて掃除しました(ウソ)。
鼻もブラシを突っ込んで喉の奥までゴシゴシと、出来るものならやってみたい。
杉花粉の舞い散る中へ飛び込んで歩いた一日でした。




取りつき地点11:40-祠と鳥居のある山頂12:21-駒管山12:33-<昼食20分>-阿讃県境縦走路13:26-551P14:16-595.1P海老済14:30-旧曼陀峠15:00-下山地点15:40-16:07取りつき地点


※地図上左クリック→グーグルマップへ
            

コメント (34)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島の峰~竜王山…香川県

2013-02-13 | 阿讃山脈

島の峰・竜王山         しまのみね、りゅうおうざん



登山日             2013年2月9日
標高              おおよそ950m、1059.9m
登り口             琴南町明神
下山口             琴南町久保谷
駐車場             道の駅「ことなみ」およびまんのう町役場美合(出)
トイレ             道の駅
水場              久保谷沢(三頭峠より438線方面へ下る谷筋の沢水)

メンバー            佐々連さん、むらくも




ことなみにある島の峰にひょんなきっかけで行くことになった。
佐々連さんとは1月26日に約束をしていたが、当日の朝、裏山ではゴーッと凄まじい風の音。
寝ぼけマナコで携帯メールを佐々連さんに送った。
「チューシー、又の日にしよう」
末尾にハートマークは入れなかったが、即返があって、2月9日になった。
26日には行かなくて良かった。
山の上では風速15mの強風だったらしい。
行ってたら、帽子も鼻汁も飛んだし、この軟弱な身体のことだ、帰宅して熱が出たに違いない。

島の峰、一つの山ではなく、山塊だ。
その最高峰の標高おおよそ950m(以下、本ブログでは島の峰とする)、香川県ではあの大滝山(946m、徳島県境にあるが)よりも高いが、ちっとも有名でない、マイナーな山だ。
一番高い山が竜王山1059.9m、二番目が大川山1042.9m、3番目が竜王山の東にある1005m峰、4番目がたぶん島の峰の隣に聳える982.1m峰、5番目が大川山の西にある976.7m峰、6番目が982.1m峰の東で渓を挟んで958m峰(たぶん)。
なので島の峰は7位だろうか?
標高としては県下10傑に入りながら、それでも他の圧倒的に低い山より知られていない不遇の山なのです。

島の峰、土器川上流の前ノ川と同じく明神川によって丸く囲まれた山域で、近くには同じく土器川支流の真鈴川の南東県道108号線沿いに土器川源流があって、野田小屋川・明神川に挟まれた辺りから阿讃の山にかけての一帯が、勝浦という地名となっている。
その勝浦の横畑地区には里山の畑としての有名どころがあって、毎年、蕎麦の花咲く時期にはテレビで放映されちょとした話題になる。

山はまだ雪の季節、蕎麦の花にはちーと早すぎるが、出かけてみることにした。
コースは道の駅「ことなみ」から島の峰縦走、そして阿讃県境にある竜王山に抜け、寒風越もしくは三頭峠、あわよくば柾木へ下山することにした。

ひょっとして、ひょっとするのでヘッドライトを準備することにしたが、闇夜の山歩きはしたことがない。
ブルブルッ!
自慢じゃないが小さい頃から「おとっちゃま」な人間です。
頭に「いかさま」が着いて、「いかさま、おとっちゃまなやっちゃな」(讃岐弁)とよく言われた。
関西弁で言うと、「ほんまに、けつの穴のこんまい奴やわ」(こんまい?…讃岐弁でした、ちっこいが正解)

暗闇の山なんて、なにが出てくるかわからん、おとろしい。
佐々連さんの後ろに着いていこう!

けつの穴が小さいとどうなんや!
どうでもええけど、関西弁て下品やな~。



この日、日の出は5:55 6:55、日没17:42。
薄暗いが、ちょっと頑張れば5時半 6時半から登り出すことが出来るし、夕方は6時過ぎまでライトなしで歩くことが出来るだろう。

朝4時起床、5時半佐々連さんを迎えに行く。
前日の晩から冷え込んだ、おはようと挨拶する言葉も寒さで口がスム-ズに動かずモゾっている。
438号線沿いの気温観測板は零下5°
ドッヘ-!こりゃ山の上はカチンコチンだわ。
雪は少ないがアイゼンはいるかな?一応、ザックに詰め込んどこう。
二人であ-だこ-だと話ながら道の駅「ことなみ」で自転車を降ろし、準備。
いざ、登り口まで自転車で車道を駆け下りようと思ったら…、あじゃ-、自転車のチェーンロックの鍵がない。
一瞬、佐々連さんの冷たい突き刺さるような視線がわたしに容赦なく降りそそぐ。
アイタタタッタ!

自転車は2台、幸いなことに1台はキ-ロックでなくダイヤルロック、助かった。
1台を道の駅フェンスに括りつけ、車でまんのう町役場美合(出)の駐車場へ移動。
下山後、一人は道の駅で待機してもらい、一人は自転車で車を取りに行く。
分担は決まっている。
男は黙って行動すること、そういうこと。

すったもんだで、7:13、役場美合(出)を出発。
ちょっと頑張れば5時半 6時半には登り出すことが出来る?
5時半に迎えに行った時点で頑張る気持ちなんぞ爪の垢ほどにもなかったくせに。 
アハハ、こんなもんでしょう。

山を見上げると、小さく電波塔が見えている。
あそこだ。

細い畑道を縫いながら民家をすり抜ける。
犬に吠えられる。
やばい、今日は三連休のしょてっぱなだ。
みなさん、寝てるだろうに。
急いで逃げるように斜面を駆け上がったら、車道に飛び出た。

南に景色が開けた。
真鈴川の谷と右手中腹に下福家集落、稜線鞍部が真鈴峠のようだ。




そのまま車道を歩いて電波塔まで行くことにした。
懐かしい、1970年代か80年代頃と思われるようなトヨタのタウンエースワゴンが道端に打ち捨てられている。




電波塔が近づき、すぐに無線中継所の施設に、時刻は7:51。
ここは島の峰の西端に位置し、534mPと587.8mPの丁度中間地点になる。
島の峰稜線歩きの始まりだ。
辺りは前日に降った雪でうっすらと地面を蔽っている。




8:04、587.8m三角点・西峰に。
防火帯のような林道のような、林道にしては地面がシャメりすぎているが、
これが前の川から上がってくる破線の道だろうか?




8:38、六地蔵さんに出合った。
六地蔵にもさまざまあるが、明治に建立された金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵のようでした。
町の結界の守護神、もしくは厄除けでしょうか。
一個、前へ倒れている。

少し離れたところに一基のお墓。
大正7年に建立されたもので、32才のまだ若くして亡くなられた女性のものでした。
時代の変遷とともにお墓の形は変わってきたが、このお墓は舟形と駒形の中間のような形をしている。
山中に建立したために、この形になったものと思われる。

お参りを済ませて、少し歩いたところに峠道と香川県が埋設した石柱があった。
「県」は旧字の「縣」と彫られていた、かなり古い物のようだ。
道は前の川と中熊集落を結ぶものだろうか。




展望が開け、梢の間から北北西に笠形山の稜線が見え、西には麓に前の川集落と名頃集落、そしてその奥に大川山が見えた。




9:46、753m峰、三角点・中熊に到着。
細い幹に小さな三角点標識、米に○囲みのマーク、米米クラブでもなさそうだし、まるこめ味噌でもなさそうだしと思ってたら、佐々連さんがマルコメさんが標したものだと言う。
ご存じの方のようだ。
わたしも他の山のどこかで目にしたことがある。
どこの山だったか思い出せないが、やはり、阿讃のどこかの山だったような気がする。

登り始めて2時間半が経っている。
一休み入れることにして、佐々連さんはレジャーシートを広げた。
わたしは小さなお尻マット、雪の上ではこれが結構温かいのだ。

コーヒーときんつば、甘~いのとほろ苦~いのとが微妙に口の中で交ざって、ゴックン、喉の奥へと流れ込む。




ここから方向を北東から南東へと変え、いよいよ島の峰の最高峰へ向かうことになるが、その前にもう一つ楽しみにしている剱山神社に会わないといけない。
下っている途中からは中腹に中熊集落の屋根が茂った樹幹からちらりと見えてきた。
集落への道だろう、十字路の分岐があって、近くに小さな祠があった。
祠の中には山の神さまが鎮座している。

すぐに右へとる道があった。
無視して尾根筋を追う。
地図をポケットから取りだし、神社の位置を確かめる。
この辺りのはずだが、それらしいものがない。
右手下へと降りてみたが、ない。
もう一度地図をたしかめ、再び尾根に上がった。
目が右に左に辺りを彷徨うが、ないものはない。

二人であーでもないこーでもない、しゃべくりながら探すがやっぱりない。
諦めて先へ進もう。




細尾根の急登に差し掛かった。
景色が開けた。

大川山、そして北東に雨島峠。




いままで歩いてきた尾根と、その向こうに笠形山の全貌。




「狛犬はどこ?」「剱山神社はどこ?」
念仏のように唱えながら先に歩いていた佐々連さんがいきなり大きなおっさん声で「あ”った~
お”~、狛犬だ~
この狛犬は完璧にちん顔だ。
目を剥いて、牙を出して、吠えてるわ。
どこかの誰かさんと同じように笠のとれた石灯籠の穴からちんを覗いては喜んだ。
やつの知能レベルはあたしゃやと同じらしい。ヌワッハッハ
(ところが石段を上がると祠があって、安徳天皇像があることを、後日に知ることとなる、悔しい)




佐々連さんと歓びの握手を交わしたあと、島の峰の最高峰を右に巻いて939.6峰三角点・美合へ、時刻は11:04。
雪は融けてしまって、三角点がニョキッと芽を出していた。
どんな木になって、どんな花が咲き、実が生ることやら、オホホホ、楽しみだ。




引き返して、11:20、本日のメ-ンイベント島の峰最高峰へ到達。
ここで食事とした。
パンと牛乳をモシャグビっと流し込む。
先を急ぐ縦走中の食事は忙しくて、楽しんでいる暇がない。
とか言いながらチャッカリ25分も休憩して、再びスタート。




最高峰から二つ目の頂でうっかり方向を間違えそうになった。
修正して、ほぼ938.6m峰に近づいたなと思われるところで、林道跡に廃車が転がっていた。
なんだかヤブいてて歩きにくい。
12:25、やっとの思いで、三角点を見つけた。




点名は沖野。
ところどころに着いている赤テ-プは株切集落の方向を指している。
982m峰への尾根道を探したが、見つからない。
何度もコンパスで方向をたしかめつつ、やっとこさススキの中をかき分けて、薄い踏み跡を発見。
少し歩いて、そこからはもう使われていない林道歩きにした。
尾根は想像以上にヤブいてて歩けそうにない。
しかし、林道も途中からカヤとイバラが茂って、なんとも歩きにくいところだった。




開けた。
南東の一番高いところに竜王山のアンテナが聳えている。
まだまだ遠いじゃないか。
寒風越はどれじゃ?
あの鞍部辺りかな?グッヘ-




巻き道を漫然と歩いていたところ982mをとおり過ぎてしまった。
尾根に這い上がったところ綺麗な道がついていて、本日初めての一人の足跡を雪の上に見つける。
大きな足跡で歩幅もガッツリと広い。
しかも、登りでだ。

13:33、982m峰三角点・川東に到達。
トレースは戸石・水ヶ本方向へと下っていた。




予定では(いい加減な予定ではあったのですが)この時刻に竜王山と考えていた。
しかし、そんなには甘くはない。
大幅に遅れている。
すぐに出発。
歩きよく気持ちのいい尾根道になった。

浅木原への分岐を横目にとっとと歩く。
道標は「東浅木原」となっている。
佐々連さんの説明によると浅木原集落はこの尾根を分けて、北東と南西との二つあって、東浅木原は北東側だとのこと。




14:27、割れ地蔵さんに出合う。
ここからが阿讃県境尾根だ。
道は広くて立派だ。




14:32、阿波竜王山に到着。
展望台には6~7人もの先客の方たちが思い思いに景色を楽しんでいた。
ベンチにて一休み。
コーヒーとバナナを流し込む。




とりあえず寒風越まで急いで行こう。
歩いてみて、行ってみて、それからどうするか考えよう。
急坂は阿讃尾根の特徴、持ち上げる足が引きつりそう。




佐々連さんと前後しながら、やとこさ、竜王峠、時刻は15:22。
お一人の方の足跡が寒風越の尾根へと続いている。
竜王山をピストンされた方のようだが、どこから登ったのだろうか。





一等三角点・竜王山(1012.9m)を経て、寒風越へ。
時刻は15:38。
ここから三頭峠まで2400m。
4~50分程度で行けるだろうか。




しかし、甘かった。
昔、金毘羅さん詣での賑やかな峠道だった、おっぱい地蔵さん(天宇受売命…あめのうずめのみこと)の待ち構える三頭には約1時間後の16:33に到着。




わたしゃは甘い甘い人間だ。
「あまちょろ~い」
時間をよう読まない。
こんなんでよう山歩きをやっとれるわ。

ちょい昔、空気の読めないやつを、KYと言ったが、いまや死語になった。
若者言葉はあっという間に変遷する。
なんのこっちゃ、話がすぐ逸れる。

柾木へ下山することは諦めた。
このまま強行すると、ひょっとすると、ヘッドランプの出番になるやもしれぬ。
トイメンの猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)さんを拝んで、とっとと下山。
竜王山からのトレースは、久保谷へと向かっていた。




久保谷にある小さな滝はつららが出来ていた。
出口が見えましたぞ。




438号線車道から仰ぎ見る空は縞模様の雲が薄いあかね色でした。
当初、下山予定の柾木を眺めながら、道の駅へ。

車を止めている役場美合(出)まで自転車でひとっ走り。
気温は朝より少し上がって氷点下2°、下り坂を走る風の冷たいこと。
駅で待ってた佐々連さん、身体が冷えきったのか、ガチガチと震えてました。

お疲れさんでした。
島の峰、マイナーな山ですが、歩きごたえのあるいい山です。




6:35道の駅「ことなみ」7:02~(車)~7:08まんのう町役場美合(出)7:13-無線中継所7:51-587.8m三角点・西峰8:04-753m三角点・中熊9:46-剣山神社10:49-939.6m三角点・美合11:04-11:20約950m島の峰最高峰11:45-938.6m三角点・沖野12:25-982m三角点・川東13:33-14:32竜王山(1059.9m)14:51-竜王峠15:22-寒風越15:38-三頭峠16:33-久保谷下山口17:28-道の駅「ことなみ」17:40~(自転車)~17:52まんのう町役場美合(出)


※地図上左クリック→グーグルマップへ移動

コメント (27)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする