牛ノ峯 うしのみね
標高 895.5m
登山口 内子町石畳
駐車場 あり(水車小屋)
トイレ あり(水車小屋、地蔵堂双海側広場)
水場 清水川沿い
同行者 ピオーネ
山へ登る季節、いつも迷ってしまう。
四季それぞれに何度も訪れることができればこんなにも悩むことはないのですが、そうそうに行くことができないと分かっているだけに、選択は重要な問題です。
牛ノ峯は丑年のお正月かもしくはその前年の暮れに登られている方も多い。
丑年の昨年には漫然と(毎年のことですが)過ごしてしまって、行くのを忘れていた。
今年は寅年、あとひと月ちょいでうさぎさん、次の丑年まで待ってるとわたしもうこの世にいないかもしれない。
いや、きっと、神様はご存じで、わたしなどがこの世でのうのうといつまでも生きていくのには相応しくない人間だと…もう十分に生きただろうという声もはらほろと聞こえてくる。
実のところ、人間はいつまでも生きていいというものでもないらしい。
歴史に残った格好いい生き方をされた方は長生きされた方がいないこともないが、若くして亡くなられた方が多く、しかも惜しまれて亡くなっている。
そんなことはどうでもいい、全然、そんな有名な歴史上の人物とは月とすっぽん、ダイヤと石ころの違いだし、牛ノ峯、いつ登るかの話だ。
桜の咲く頃か、それとも里山の木々が紅く焼ける頃か、きっとどちらもいいのでは、忘れなければもう一度登ることにして、時期は晩秋のこの時期、柿の実も随分と赤くなっているだろう。
昨日まで、口喧嘩して、どこに行くとも言わずに黙って寝てしまったが、朝5時に起きてみると、寝ているはずの妻がもう起きて台所でごぞごぞしている。
このまま黙って行くのもなんとなく心苦しいし、一言声を掛けてみた。
すると、返ってきた答えは「え~っ!今日は布団を干さないかんし~」だった。
変だな~、いつも家事のことなんか後回しにして山に行くのに、はっは~、ちょっと拗ねてるな。
今日の山は「水車小屋があって、屋根付き太鼓橋があって、石畳の宿があるのやで」とちょいと押してみた。
「…、いまから準備してたら遅うなるわ」
もう一言付け加えてみた、「里山は紅葉のラストシーンやし、山の上から眺める双海の海岸はきれいやで、そや、帰りにゆうやけこやけ海岸ドライブしよう」。
「ほな、行こか」
わんちゃんの散歩に行っている間に妻の山行きは準備万端、朝食は朝マック。
大野原IC7:00-伊予IC-国道56号線-226号線-(途中、鳥居元橋・弓削神社・石畳の宿を見学)-水車小屋登山口10:00
国道56号線を走っていると内子町中心街に入る手前で中山川に架かる屋根つきの鳥居元橋が道右手に見えてきた。
急いで車を路肩に止めて、渡ってみた。
かつてはこの腐敗防止対策としての屋根付き橋、この辺りにはかなりの数があったらしいが、だんだんとコンクリート橋に架け替えられて、現存するものは少なくなっているそうだ。
渡ってみるとなかなか快適だ。これだとただ単に生活道だけでなく、夏には小さな縁台か椅子なんかを持ち出して、夕涼みや花火ができたでしょうね。
国道から226号線へと走り、石畳地区に差し掛かる。
道から見える段々畑、後方にはなだらかな牛ノ峯の稜線。
弓削神社の傍に静かに佇む地蔵堂と春を待つ枝垂桜。
斜交いに帽子をかぶった粋なお地蔵さんと対照的にきりりとした顔のおじぞうさん。
弓削神社に架かる太鼓橋。
渡って弓削神社に参拝
さらに車を石畳の宿方面へと走らせると、途中に水車小屋があって、下方に清水川橋。
ガッタン…ゴットン…、水車小屋は石畳地区の方たちの手によって、復興再建され、いまも現役で活躍。
石畳の宿へ。
柿の実が朝の陽を受けて、いまにも落ちそうな気配。
石畳の宿。
中から女性の方が出て来られて、見学していきますか?と親切な言葉をかけていただいたが、時刻はすでに10時近く、牛ノ峯に登ることを告げて外からの写真だけにさせてもらった。
上の写真左に小さく映っているお地蔵さんをアップ。
軒下に吊るされていたトウキビ。
段々畑はよく手入れされていて、斜面や畔は綺麗に草が刈られ、日本の原風景を保っている。
ここでの風景は過疎地とか限界集落などという言葉は無縁に見える。
水車小屋に再度戻り、車を駐車。
ほんの少し車道を西に歩きトイレ横にある登山口へ移動。
10:00、山道へと歩みを進めるが、畑から作業をしている方たちが「今から牛ノ峯に登るんかえ?」「手伝いに来たのかと思ったが~」。どうやら大豆の天日干し作業をしているようだった。
「はあはあ、ご苦労さんです」ここは笑って誤魔化して素通りするしかない。
傍らでは21と記された丁石のお地蔵さんが、のっぺり顔で見送っている。
畑の傍を登っていくと、奥まったところに栗畑。
標柱に文字が刻みこまれている。
左 うしのみね。
ここは清水川の上流、小さな滑床を這うように冷たい山の水が水車小屋へと流れていく。
林道が山頂近くまでつけられた所為だろう、あまり歩く人もなく、道は石が転がり荒れている。
丁石のお地蔵さんがところどころで迎えてくれる。
当初は右岸、やがて左岸、そして林道へ飛び出す。道を渡り、山道へ。杉と檜の混林。見上げる空はわずかに梢から差し込む光。
やがて右岸へ渡るところで標柱。
大正13年に建てられたもので、9丁25間 五十崎町自転車商○○○と刻まれている。
当時の自転車商といえばお金持ちでしか自転車が買えなかった時代、かなりなお店でしたでしょうね。
1928年(昭和3年)、小豆島を背景に描かれた「二十四の瞳」に登場した大石先生が、自転車に乗って通勤した話は有名ですが、その頃でさえ羨望の的だったようです。
ツルリンドウの実。
厳しい顔の6丁地蔵さんとヤブコウジの実。
道は沢から離れ、尾根へと登る。少し笑顔の2丁地蔵さん。
再度林道に飛び出る。道を横切り、手すりのある山道へと進む。一丁地蔵さん、笑っているように見えた。
右 かみなだ 左 うちこ
明治17年の常夜灯。
右奥には内子側の地蔵堂、銀杏の葉はすべて落ちており、梢には一枚も残っていない。
峠を越え双海側の地蔵堂へ。
牛ノ峯地蔵尊と書かれた標柱。
地蔵堂の傍らのお地蔵さん。
静かな峯に突然の鐘を突く音。
双海の町、そして内子の町にその透きとおった音よ響き届け。
地蔵堂を横切るようにして、少し双海側に下りると、突然に景色が開かれ前方は一面の青い海と島影。
そこはトイレがあり、広場になっていてベンチが備え付けられていた。
どうやらパラグライダーの基地のようで、林道が双海側と内子側とを通過する地点でもあるようでした。
11:30、ベンチに座って、大休止、56号線の道の駅で買ってきたお寿司と熱い味噌汁、そしてコーヒー。
眼下には遠く九州、そして伊予灘、双海の海岸。
お腹がいっぱいになったところで、林道をほんの少し東へ歩み、切り返すようにして峠に出て、稜線の山道を歩く。
冬イチゴの実がなる踏み跡を辿り、12:30、牛ノ峯山頂。展望はなく過去に祠があったと思われる場所でした。
再度、ベンチのある広場に引き返し、海岸線にある船泊まりの小さな港と、松山まで続く海岸線の特徴を目に焼き付ける。(スィングパノラマ画像)
落ち葉を踏みしめながら下山。
足元からカサコソ晩秋の陽だまりの音が耳に届く。
下山は双海側へは下りずに、元来た道を忠実に内子側へと折り返す。
段々畑跡地へと降り立つ、水車小屋のある駐車地点はもうすぐそこ、小屋横の車が見えている。
朝に畑作業をしていた方たちは、大豆を綺麗に並べ干して、引き上げたのかもう誰もいない。
代わりに水車を見に来られた若い女性の歓声が響き、三脚を立てたカメラマンがシャッターを切っていた。
下山、14:15、水車小屋はそれぞれに3基あり、段々畑と山を見上げる位置のこの小屋の裏にも水車がついている。
帰路は双海の海岸へと走り、赤い灯台のある小さな港で家族連れで釣りを楽しむ風景と、砂浜からの伊予灘の海のきらめきを眺めながらでした。
そこから時折ちらっと見える牛ノ峯、桜と菜の花咲く頃にもう一度、来たいものだ。
水車小屋登山口10:00ー11:27パラグライダー広場12:00-牛ノ峯12:30-パラグライダー広場13:07-14:15水車小屋登山口
(参考)226号線路ぞいには石畳の宿、しだれ桜、弓削神社、水車小屋などの案内標識があります。