1年前の今日、平和で幸せな日々が終わりを告げた。
ローズが去り、ノリは不振。
オープン戦では神だったヘクター・カラスコは大炎上を繰り返し、チームは下位でもがいていたけど、まだプレーオフ圏内を目指すのに望みは十分ある位置だった。
「仕事すべき人は仕事しろー」
とか、怒りの声を上げたりもしていた。
それもこれも、平和で幸せな日の一こまだとはまだ気付きもせずに。
あの週末、土日は大阪ドームで日ハム戦をやっていたのだけど、私はまさかこんなことになるとは思っていなかったので、友人・天月育ちゃんと映画を見に行ったり彼女の家で泊り込みでDVD鑑賞会をやっていた。
土曜日には、岩隈が開幕10連勝を達成していた。
日曜日、DVDを楽しんでいる最中に友人たちからメールが届くまでは───
確かに、幸せだったのだ。
たとえ、チームの負けがこんでても。たとえ、最下位に沈もうとも。
一年前の今日、余命宣告された。
暑くて永遠のように長くて、それでいて恐ろしく短いあの夏が。
大好きな野球を、泣きながら見る日々が始まった。
あの平和で平穏で幸せだった日々を返してと、どれだけ涙を流したかわからない。
今私が応援して日々その勝敗に一喜一憂しているチームは、あの涙の日々の末に生まれたもの。
その半分は私がこよなく愛してきたチームのメンバーだった選手たち。
でも、このチームはあのチームとは別のもの。
一見、平和な日々が戻ってきたように錯覚することもある。
でもこの痛みもこの怒りも生涯忘れることはない。
あの夏を、心の底に沈めたまま。
本物の平和で幸せな日々は、戻ってこない。
二度と。
あのことがあったから、球界は良くなった?
改革が始まった?
そんなこと、言わせない。
あんなことになる前に、打つ手はあった筈だ。
あの苦しみに前向きな意味を与えるということは、今後何かあった時にも前向きな言い訳を与えることにつながる。
苦しみ、痛み、悲しみ、怒り。
その全てに良い意味を与えることを私は絶対許さない。
「6月13日」
2004年猛牛泣き言総まくり
【追記】
たくさんのトラックバック・コメントありがとうございました。
コメントには皆さんの様々な思いが溢れており、またそれに対する私のレスも記事では書ききれなかった思いをたくさん綴らせて頂いております。
新たにこの記事をご覧頂いたみなさま、お時間があればコメント欄も記事の続きと思って是非お読み下さい。
ローズが去り、ノリは不振。
オープン戦では神だったヘクター・カラスコは大炎上を繰り返し、チームは下位でもがいていたけど、まだプレーオフ圏内を目指すのに望みは十分ある位置だった。
「仕事すべき人は仕事しろー」
とか、怒りの声を上げたりもしていた。
それもこれも、平和で幸せな日の一こまだとはまだ気付きもせずに。
あの週末、土日は大阪ドームで日ハム戦をやっていたのだけど、私はまさかこんなことになるとは思っていなかったので、友人・天月育ちゃんと映画を見に行ったり彼女の家で泊り込みでDVD鑑賞会をやっていた。
土曜日には、岩隈が開幕10連勝を達成していた。
日曜日、DVDを楽しんでいる最中に友人たちからメールが届くまでは───
確かに、幸せだったのだ。
たとえ、チームの負けがこんでても。たとえ、最下位に沈もうとも。
一年前の今日、余命宣告された。
暑くて永遠のように長くて、それでいて恐ろしく短いあの夏が。
大好きな野球を、泣きながら見る日々が始まった。
あの平和で平穏で幸せだった日々を返してと、どれだけ涙を流したかわからない。
今私が応援して日々その勝敗に一喜一憂しているチームは、あの涙の日々の末に生まれたもの。
その半分は私がこよなく愛してきたチームのメンバーだった選手たち。
でも、このチームはあのチームとは別のもの。
一見、平和な日々が戻ってきたように錯覚することもある。
でもこの痛みもこの怒りも生涯忘れることはない。
あの夏を、心の底に沈めたまま。
本物の平和で幸せな日々は、戻ってこない。
二度と。
あのことがあったから、球界は良くなった?
改革が始まった?
そんなこと、言わせない。
あんなことになる前に、打つ手はあった筈だ。
あの苦しみに前向きな意味を与えるということは、今後何かあった時にも前向きな言い訳を与えることにつながる。
苦しみ、痛み、悲しみ、怒り。
その全てに良い意味を与えることを私は絶対許さない。
「6月13日」
2004年猛牛泣き言総まくり
【追記】
たくさんのトラックバック・コメントありがとうございました。
コメントには皆さんの様々な思いが溢れており、またそれに対する私のレスも記事では書ききれなかった思いをたくさん綴らせて頂いております。
新たにこの記事をご覧頂いたみなさま、お時間があればコメント欄も記事の続きと思って是非お読み下さい。
昨日のフルスタでも近鉄のユニフォームを着ている人を
見かけました。それも大阪ドームを本拠地にする前の
藤井寺時代のユニフォームでした。
今、地元にプロ野球がある日常に大きな喜びを感じていますが、
それは大きな悲しみの上に成り立っていることを
決して忘れてはならないと思います。
それに、新しいものを作るために合併された訳では
ないですし。
》あんなことになる前に、打つ手はあった筈だ。
あの苦しみに前向きな意味を与えるということは、今後何かあった時にも前向きな言い訳を与えることにつながる。
同感です。やることをやった上での
決断とは当時も今も思えません。
昨年の今日からの出来事を、決して忘れません。
>それに、新しいものを作るために合併された訳では
ないですし。
まったくですね。時折「合併があった『おかげで』できた」ような言い方をする人や報道に出会いますが本末転倒とでもいいますか…
仙台に新球団が生まれたことはもちろん良いことではありますが合併を撤回したって出来ることですから(苦笑)
あれがもし近鉄だけのお家事情でなら最終的に泣く泣く納得していたかもしれません…。
ただ、そこへ至るほどに追い詰められた背景は近鉄だけの問題ではなかった、バファローズはよってたかって殺されたのだと思っています。
あの苦しみをそう簡単に美しく昇華されてしまっては、また誰かが泣きながら野球を見る日が来てしまう気がしてなりません。
NPBがどんなに許せないことをしたのか、決して忘れず訴えて行くのは結局野球を見捨てられなかった私の義務かなと思う今日この頃なのでした。
結局「なぜ合併だったのか」とか「それしか選択肢はなかったのか」とか
根本の部分がうやむやになったままなので これからも経営が苦しくなった球団がそうなる可能性は大いにあります
改革元年などと言われていますが NPBやオーナーたちが本気で球界の行く末を考えているとは到底思えない昨今の動き(とくに腐れジジイの復帰)を見ていると あたし達の大好きなプロ野球は選手はファンのみんなは 一体どうなっていってしまうのか いつまでも不安感は拭い去れません
>結局「なぜ合併だったのか」とか「それしか選択肢はなかったのか」とか根本の部分がうやむやになったままなので
そうなんです。
選手会も当初まずそれを訴えていたのですが、1月にネーミングライツが認められていればこの展開はなかった筈で…
その後西武の二軍がインボイスに名前を売ることもたいした議論なく簡単に認められて、じゃあなぜ近鉄はダメだったのか?とやりきれない思いでした。
本当に、NPBは何も変わっていない。
あんなこと、二度と許してはいけないのに。
同じ思いです。
涙しそうになりました。
前年オフのローズと小久保の去就を見て、「ジャイはパリーグを潰そうとしてるんちゃうか?」とその時は半ば冗談交じりに言っていた言葉が真実味をおびてきて、恐ろしくなったことも思い出しました。
>バファローズはよってたかって殺されたのだと思っています。
怨みは一生消えません。
礒部が例の「妥結」会見で「・・・これからもパリーグ・セリーグ・・・応援してください」と言ってなかったら、野球見ることすらやめてたと思います。
1年と1日前に帰りたい。。。
その頃ホークスファンの友人が「来年はウチは無いかも…」と言っていたけれど無くなったのは結局ウチの方でした。
「総まくり」から飛ぶことが出来ますが命名権売却が却下された2月初めの日記に
「2球団消して10球団1リーグとかいうやつの消える2球団のうちの一つにされたらやだなぁ」
みたいなことを書いていたのを、後で自分で読んでガクゼンとしました。
私は礒部ファンだったので、とにかく礒部が選んだ球団を応援することにして今に至っています。
「結局応援しに来るんだろ」「合併は成功だった」と言われるのが嫌で、北川たちを応援したくてもオリバ側には決して座るまいと決めました。
「たかがファン」にこんな苦しい選択を強いたあの出来事とそれに加担した者たちを、私も生涯許すことが出来ないと思います…。
ほんと、時計が戻せるならどんなことだってするのに。
この日、「Blue Wave」も(その時点で名前は消えてませんでしたが)解体を余儀なくされたのは事実ですから。
私は、敢えて、選手そして大好きなGS神戸を支え続ける為に、オリバを選びました。
そして大島さん、竜太郎、小倉さん等々を違うユニフォームで見る事になりました。三輪さんもまだまだプレーできたはずです。
「球団合併はどうしていけなかったのか」
それぞれ選択肢は違っても、あの合併で傷ついた人達は、語り継いでいかなければならないのかもしれませんね。
>「たかがファン」にこんな苦しい選択を強いたあの出来事とそれに加担した者たちを、私も生涯許すことが出来ないと思います…
この苦しみは「合併を決めた人達」にはどう思われているのでしょうか・・・
一人PCの前で泣いている怪しいOLでした…
野球を見ることを捨てた方も多いですよね。
私にはできませんが、どれだけ傷ついて悩んでの結果かと思うと知人の決意を聞いて、苦しかったです。
合併問題だけはトントン拍子。
ほかの課題は遅々として進まず…
ぼたんさんも書いていらっしゃいますが、「改革元年」という前向き(な印象を受ける)表現でマスコミの多くもお茶を濁しているような気がします。
「改革元年」とか・・・
世間一般の認識はその程度。
今季の大阪ドームの初試合、開幕戦ではなかったとはいえ、近鉄が存続していたら(開幕権があったとかそういう話は別にして)多くのファンが集結してたであろうその日。
スタンドには閑古鳥が鳴いていた。
その日のプロ野球ニュースでのデイブ大久保のコメント・・・
「合併反対とか言うのなら球場に行けよ」でした。
何も分かってない、この人。
デイブだけじゃない、きっと誰も何も理解していない。
合併反対だったからこそ、合併球団の初めての本拠地の試合には絶対行くまいと決意した人間の気持ちなど・・・
想像もつかない葛藤の末、野球を見ることすらやめてしまった人間の気持ちなど・・・
9.23までは「合併球団は絶対に応援しない」と心に決めていました。
それがあの日、礒部が「バファローズファンの皆さん、本当に申し訳ありません」と言って頭を下げた時、「もういいから、アンタの行く方応援するから」・・・に変化しました。
今になって思えば、もし礒部が合併球団に「分配」されていたら、合併球団を応援していたのでしょうか?私・・・
合併を進めた人らに「結局応援するんや」と言われながら・・・
今でもオリの試合は気になります。
トレード。
前チューに引き続き今度は阿部健ですか!?
いや、そりゃマエカーは好きですよ。
けどそういう問題じゃない。
涙を流しつくして両チームに「分配」された選手が、ようやく気持ちを切り替えて新しい一歩を踏み出した途端、交換要員ですか!?
戦力補強なら金銭でいいじゃないですか!
(オリックスは選手数多いですけど)
宮内も三木谷も、よっぽどカネ出すのが嫌なんでしょうかね?
よりによってあの球団というのが辛いです。
近鉄を潰したのはあの球団偏重のマスコミだと今でも思ってますから、恨み(逆恨みですけど)は相当のものなのです。
健太は結構好きだったから(真宏はもっと好きでしたが・・・←関係ない^^;)、余計ショックです(T_T)。
マエカーも健太も勿論応援はしますけど。
あれから1年経つのですね…
うちの私生活は1年経ってもあまり変化がない
球界は見た目は変わったが中身があまり変わってないような気がします
さいんさんの書かれてるとおり、あの時何か打つ手がなかったのだろうか??と未だに思います
で…現在
関西のマスコミは新球団できたのにも関わらず相変わらず偏重してるし、あの方が復活するとの情報もある
私は選手が真剣にプレーする姿を見たい!!
そのための環境をよりよくしていただきいと切に訴えたい!!
と昨年のあの出来事から1年後の今そう思います
(固い話で申し訳ございません)
初めは申し訳ないけれど他人事でした。
パリーグが好きで、年に1カード宮城球場でのロッテ主催試合をまたーりと観戦する程度でした。
ニュースなどで、ナベツネの「たかが選手」「1リーグ構想」
をきいて腹立たしくは思っていましたが・・・・・・。
そうこうしているうちに、やれ新球団だの、ホリエモンだの、本拠地は仙台だのとだんだん身近な問題となり
いったいどんな展開になっているのだろうと調べているウチにこちらに辿り着いた次第です。
大きな力でゆがめられてしまったファンや選手たちの気持ちが
伝わってきます。
そして、なんの縁もゆかりもない北の街に住むことになってしまった選手たちを精一杯応援せずにはいられないというのが今の気持ちです。
私は近鉄ファンだったのでどうしても近鉄が消滅したという視点でものを言ってしまうのですが、「ブルーウェーブ」のファンだった人はもっと複雑だったんじゃないだろうかと思っています。
「オリックス」ではなく「ブルーウェーブ」のファンだった人はブルーウェーブの名前も失い、やっぱり解体されたことに違いはないのに、オリックスの名前が残っているというだけでチームを失ったという扱いはされませんもんね。
私は「オリックス」という会社には速やかにチームを手放し球界から撤退して欲しいとは思っていますが、それが再びの合併や解散などという最悪の事態を招かぬように祈ってやみません。
イーグルスのユニフォームを着たBWの選手たちのことは、オリバを応援することに決めた皆さんの分まで応援しますね。
それにしたって異常なことには違いありませんが…。
>りょう#9さん
お仕事中に泣かせてしまってすみません(苦笑)←といいつつ私も仕事中に半泣きで書いてる変なOLでした(爆)
私の周りにも、プロ野球自体から興味を失ったオールド近鉄ファンがいます。
K先輩と同じで私も礒部や梨田さんが「それでも野球を嫌いにならないで欲しい、応援して欲しい」と言わなければやめていたかもしれません…。
>合併問題だけはトントン拍子。
>ほかの課題は遅々として進まず…
本当に、そこは今でも最も釈然としない部分のひとつです。
命名権売却は即日却下したくせに、そんな重要なことはトントン拍子に進むというのが許せませんでしたね。
>K先輩
「改革元年」という言葉は嫌いです。
古田ですら使いますけど、言葉はリッパでも結局球界は何も改革されていませんし。
2リーグ制、12球団が残ってめでたしめでたしという論調はずっとありますね。その度に消えた球団のファンがどんな思いをしているかを慮りもせず。
どうしてこんなファンの気持ちを代弁してくれる人が誰もいないんだろう、それが悔しいです。
礒部がオリバに分配されていたら…
どうでしょう、私はごめんなさいと言って球界から背を向けていたかもしれません。それほどオリックスという会社が許せないので…。
トレード話についてはまた一両日中に記事にするかもしれませんのであらためて。つーかアベケン…(涙)トレード出すんならプロテクトすんなよ…(号泣
※私も関西マスコミには相当恨み持ってます。
>やなっちさん
球界は何も変わっていませんね。パの顔ぶれがほんのちょっと変わったことと、イベントが変わった程度。
選手がシーズン中に去年のようなコトに煩わされるなんて二度とあってはいけませんね。
スーツ姿なんかでなくユニフォーム姿を見たいのですから…。
でもそうは言って欲しくないんですね。
ただ、イーグルスが誕生してくれた「おかげで」、近鉄とブルーウェーブの選手のうちオリックスのプロテクトに漏れた選手が一緒にプレーできる場が出来たということ、それは悲しい中にも嬉しい事でした。
それでなければ、プロテクトに漏れた選手たちは他の10球団にバラバラに分割されていったはずですから…。
ぶっちゃけライブドアだろうが楽天だろうがその他の企業だろうがなんでも良かったけれど、新しいチームを作ってくれたことに関しては感謝したいと思います。
仙台の新しいファンの皆さんには、選手たちがあの苦しみを経てイーグルスでプレーできる幸せを味わっているだろうこと、そんな選手たちを寂しくも嬉しく見つめているファンがいることをほんの少しでも理解して頂けたら嬉しいと思います。
そして傷つき疲れた彼らを末永く暖かく愛してやって下さい。
でも、次に行った試合(オリックスか近鉄か忘れましたが)で、横断幕が揺れていることで「大変だ…」と、ようやく事の重大性に気づきました。
日ハムを応援しながらも、ライトに目を奪われる日々が続きました。
それでも、「ひょっとしたら撤回が…」と、一抹の望みは捨てていませんでした。
対戦相手のファンは非力ですが、一緒に戦っているつもりでした。
私にとっての「あの日」は9月8日ですね。。
それまでは、希望は捨てていませんでした。
売却ならまだしも合併なんて、絶対にありえないと思っていましたからね…。
最後の最後まで諦めまいと心に決めて戦っていました。
私にとっては6/13は「余命宣告をされた日」。
9/24が命日(ほんとは9/27だけど…)のように思っています…。
その間にも何度も打撃を受けてはいますけどね(苦笑)9/8もその一つです。
私にとっても、情けない思いや 苦々しい思いをかかえて過ごした一年でした。
私なりの思いをまとめてみようと試みましたが、私の文章力では無理でした・・・
さいんさんや皆さんの思いをいつも心にとめていようと・・・思っております。
>大きな力でゆがめられてしまったファンや選手たちの気持ちが伝わってきます。
>そして、なんの縁もゆかりもない北の街に住むことになってしまった選手たちを精一杯応援せずにはいられないというのが今の気持ちです。
私が言うのも変ですが、そう言っていただけると本当に嬉しいです。
大事に育ててきた娘を、遥か遠くに嫁に出した親の心境なので。
さいんさんの言葉を借りるなら、「末永く暖かく愛してやって下さい」。
ただ、私自身はいつまでイーグルスの応援を続けられるか分かりません・・・
「嫁ぎ先」?フルスタへ喜び勇んで行ったのに、言いようのない疎外感にさいなまれて帰ってきたのです。
所詮、楽天は近鉄ではないし、フルスタは大阪ドームではない。
距離の問題ではなくて。
合併でなく球団売却&本拠地移転だったなら、疎外感など感じることはなかったはず。
返して欲しい、あのチームを。
球団名も、親会社も、本拠地も、何でもどこでもいいから、あのメンバーのあのチームを、返してください。
じっくり読んでいただいて…ありがとうございます。
いつか、こんな私たちの思いが過去のものとして鬱陶しがられるような日が来るのかもしれませんが、それでも折に触れて「2004年に何があったのか」「そのためにどれだけ踏みにじられた『たかがファン』たちがいたのか」を訴えていこうと思います。
>K先輩
「あのチームを返して欲しい」
それはすべての近鉄バファローズのファンの心の叫びだと思います。
私もフルスタへ行きましたが、確かに表現をお借りすれば「嫁に行ってよその子になってしまった」ような気分もしました。手元にいた子が、遠くへ行ってしまってよその人の「うちの子」になってしまったような寂しさは感じました。
でも、大阪にいてホークスやファイターズやマリーンズやライオンズを応援している人が沢山います。
うちの地元の子じゃなくなったけど、私は仙台のイーグルスを応援し続けていくのだろうと思いました。
そのあたりについてはちょうど、別記事に書こうと思っていた内容と被るのでそちらでゆっくりと書きたいと思います。