day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

「蟲師」

2007-04-16 | エイガ。
原作をよく(もしくはある程度)知っている映像作品は見る方も難しい。
漫画→実写映像作品は尚更難しい。
文章が原作になっているものなら、そのイメージは読み手によって実に千差万別に捉えられているものであり、映像化された時にそれが自分の受けていたイメージと大きく違ったとしてもそれはやむを得まい。そもそも作品を生み出した作者が描いたイメージと読者のイメージが一致しているとは限らないのだから。
しかし、漫画作品となるとそのイメージはかなり絞られてくる。
当然ながら、漫画作品は作者の中のイメージを読者の視覚にダイレクトに伝える表現方法なのだ。
その奥にこめられたメッセージをどのように受け止めるかは読者次第ということになるが、文学作品に比べればある一定の決まったイメージを読者に与えていることは間違いない。




私はこの原作のコアな読者というわけではない。
知人から借りて何度か読んだ程度である。
優しくさりげない筆致と作品のテーマ、世界観は穏やかで静かに語りかけるような、囲炉裏端で年寄りから聞く昔話のような、そんな作品で非常に地味なものだと思う。
これがアニメーションになったと知った時にも少し驚いたが、この作品は原作の色合いや雰囲気を壊すことなく秀逸だった。(これも数回見た程度だが)



さてアニメになっただけで驚いたのだが映画になったということで更に驚いた。

漫画→アニメが成功する例は多い。
原作のイメージと大きく変わっても成功と思えるものもあるが、近頃では原作の世界を損なわずに動かし音をつけてその世界を完成させたかのように思えるものもある。
「蟲師」のアニメは後者に分類されるだろう。
だからこそ、この実写映像化は難しいのではないだろうかと思った。

原作を知らないなら知らないまま映画そのものとして楽しむことが出来るだろうに、なまじ原作を知っていると、そのイメージとのギャップとどう折り合うかという作業が必要になる。面倒だ。が、見ずにはおれないのも人情というものである。

蟲師
〔原作〕漆原友紀
〔出演〕オダギリジョー・蒼井優・大森南朋・江角マキコ 他
〔脚本・監督〕大友克洋

【今回はあらすじ抜きで。多少はネタバレってますが】



構成としては原作のストーリーから数本を選び出し再構成して、この独立した一本のストーリーの各段に配した作り方になっている。さらにそれをまとめるためにオリジナルの展開を追加したという格好だろう。
一話完結のシリーズものとしてでなく1本の独立作品として描くには、主人公ギンコ自身にまつわる物語は避けて通れなかったのだろう。ギンコが何故銀髪で片目という容姿になったのか、過去の記憶を失いギンコという名を持ったのかを語る「眇の魚」というエピソードがこのストーリーの縦糸となっている。
そこへいくつかのエピソードを横糸として絡めながら、しかし布としては縦糸が足りないようにギンコの過去に大きく関わった蟲師「ぬい」のその後との邂逅を付け加えている。
それは大友克洋なりのこの物語の結末だったのだろうが、ここは賛否の大きく分かれる部分なのだと思う。
ギンコのエピソードを縦糸としてしまった以上、原作のいちエピソードと同様に
「こうしてヨキという少年はギンコとなりました」
というさらりとした結末では済ますことは出来なかったのだろう。
しかし、この追加部分が「ぬい」と「ヨキ=ギンコ」の切なくも美しい結末を過剰に宿命めいた、重苦しい、やりきれないものへと変質させてしまったのではないかと思う。

この冒頭でくどくどと書いたように、私はとりわけ原作付の映像作品が本当にイメージ通りに再現される可能性など稀有だと思っているし、特にそういう期待はしていない。
だから、ギンコのイメージがどうの、探幽がどうの(しかし蒼井優の探幽は可憐だった…)、というつもりはないしこの作品のエピソードとしてもともとのエピソードに改編が加えられていることに対してもさほど騒ぎ立てる気もない。

むしろ、映像は非常に美しかったし蟲の表現も思った以上に良かった(密集してるのは気持ち悪かったけど…)し原作を知る者の中ではかなり好意的な感想を持った方なのではないかと思っている。
実際、先に見てきた友人からは怒りの声を聞いていたし、レビューなどを見てもかなり酷評されているが私はそこまで酷いとは思わなかった。

ただ、ラストの終わり方だけはどうにもいただけない。

ふんわりと余韻を残したような原作の終わり方に倣いたかったのかもしれないが、そうするには少々この映画は「踏み込み」過ぎていた。
トコヤミと変化してしまったはずのぬいがこの世にとどまり、どのようにトコヤミと共存していたのか、ぬいに連れ添っていた男の役割は何なのか、そしてギンコがぬいに施した処置はどういったものだったのか、うやむやのまますぱんと物語の尻尾が切り落とされたような感じがするのだ。

きっぱりとした結末を示さず余韻を残すラストと、なんの結末もつけずにうやむやのまま切り落とすラスト。
これは似て非なるものだと思う。

老婆となったぬいがただひたすらヨキに執着しているのにも違和感がある。
それでは彼女は先に亡くした夫や息子よりもヨキに対しての執着の方が強かったというのだろうか?

こういうアクの強い登場人物になってしまったぬいを、これまたアクの強い江角マキコが演じることによって「蟲師」という作品には強すぎる異質なモノになってしまったのではいないか。
このラストを迎えるまではまだ許容範囲内だったのだが、ラストで台無しになってしまった感があるのが残念である。
また、原作付作品が陥りやすい「原作を知らない人間には理解し難く、原作を知るものには物足りない」という穴に嵌りこんでしまっていることが、せっかく美しく仕上がっているこの作品の評価を落としてしまうのだろう。


ただこの作品を退屈だと断じてしまうのだけは乱暴だと思う。
2時間以上ある作品だが私はその時間を冗長だとは思わなかったしラストの尻切れ具合を思えば物足りないくらいだ。
つまりは、これを退屈だと思う人には、派手でどたばたしたエンターテイメント作品が向いているということだろう。

そもそも、見る人を選ぶ映画だったということだ。
Comment    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★E×Fs6回戦@札幌ドーム【ス... | TOP | ☆E×H4回戦@フルキャスト... »
最新の画像もっと見る

post a comment