人生には色んな大小の分岐点がありますが
2004年6月13日はそんな中で大きな分岐点のひとつでした。
正確に言うと、そのニュースは友達からのメールで齎され、
私は「またまたぁ」と笑ってやりすごしていましたが
時間が経つにつれそれが本当に公式で発表されたということを知るに至って
とてつもなく大きな不安と、「それ」が回避されるという微かな希望に
胸が押しつぶされそうになりました。
暑くて長い夏でした。
でも終わって欲しくもない夏でした。
もしかしたら助かるかもしれない、
そんな話に一喜一憂し、
それでもお偉方には何も通じないのだと絶望もし。
夏が終わったら、
秋が来たら、
大好きなチームがばらばらにされてしまう
消えてなくなってしまう
だから夏が終わって欲しくない
ずっとそう願っていた夏でした。
試合の内容とか頭に入らない、
勝っても負けても、いつも試合を見ながら泣いていました。
大阪ドームに毎試合通うために、
いつもなら野球より優先する吉川晃司のライブも大阪公演だけに我慢して。
それでも、願いは届かなかった。
あのどうしようもなく悲しい夏の、始まりの日が6月13日でした。
今は、あの時生まれた新しいチームを卵の時から見続けていて
失ったチームの身代わりとしてではなくとても愛しく可愛く大切に思っています。
そんなチームを再び得られた私はとても幸せだと思います。
彼らが「チーム」としてそこに存在してくれているということ
それだけで幸せです。
どんなに思うように勝てなくても、
どんなに監督が気に入らなくても、
それについて文句を言ったりしてる、それですら幸せです。
7年前のあの日までは、
来年も7年後も10年後も20年後も
近鉄バファローズを大阪ドームのライトスタンドで応援しているだろうと思っていました。
今のような未来を、どうして想像できたでしょう。
だからこそ、「今」大切なものを、
ちゃんと大切にしたいと思います。
何度も繰り返し書いている同じようなことを書いてしまいましたが、
いくつかの日付には、こうして確認すべきことだと思ったので書き留めておきます。
2004年6月13日はそんな中で大きな分岐点のひとつでした。
正確に言うと、そのニュースは友達からのメールで齎され、
私は「またまたぁ」と笑ってやりすごしていましたが
時間が経つにつれそれが本当に公式で発表されたということを知るに至って
とてつもなく大きな不安と、「それ」が回避されるという微かな希望に
胸が押しつぶされそうになりました。
暑くて長い夏でした。
でも終わって欲しくもない夏でした。
もしかしたら助かるかもしれない、
そんな話に一喜一憂し、
それでもお偉方には何も通じないのだと絶望もし。
夏が終わったら、
秋が来たら、
大好きなチームがばらばらにされてしまう
消えてなくなってしまう
だから夏が終わって欲しくない
ずっとそう願っていた夏でした。
試合の内容とか頭に入らない、
勝っても負けても、いつも試合を見ながら泣いていました。
大阪ドームに毎試合通うために、
いつもなら野球より優先する吉川晃司のライブも大阪公演だけに我慢して。
それでも、願いは届かなかった。
あのどうしようもなく悲しい夏の、始まりの日が6月13日でした。
今は、あの時生まれた新しいチームを卵の時から見続けていて
失ったチームの身代わりとしてではなくとても愛しく可愛く大切に思っています。
そんなチームを再び得られた私はとても幸せだと思います。
彼らが「チーム」としてそこに存在してくれているということ
それだけで幸せです。
どんなに思うように勝てなくても、
どんなに監督が気に入らなくても、
それについて文句を言ったりしてる、それですら幸せです。
7年前のあの日までは、
来年も7年後も10年後も20年後も
近鉄バファローズを大阪ドームのライトスタンドで応援しているだろうと思っていました。
今のような未来を、どうして想像できたでしょう。
だからこそ、「今」大切なものを、
ちゃんと大切にしたいと思います。
何度も繰り返し書いている同じようなことを書いてしまいましたが、
いくつかの日付には、こうして確認すべきことだと思ったので書き留めておきます。
今年も交流戦で白いボールのファンタジーを歌いました。
先日の神宮、片山10点献上大炎上後にw
やはりこの日を忘れられそうにありません。わたくしも。
オフシーズン、藤井寺球場に行けば吉岡選手や高村投手らバファローズ選手が練習で訪れていました。石渡二軍監督はファンの前ではいつもニコニコ愛想のいいおっちゃんだった。いつでも彼らに会えた当たり前の日々。
ああ。。もう彼らは帰ってこないんですよね。
球場が取り壊されたという報を聞いてから一度も前を通らないようにしてます。
無くなった姿を実際に見るのが辛い。認めたくないのです。
さいんさんが「何度も繰り返し書いている」のは当然だと思います。熱い思いはいつまでも変わらないのですから。
偶然、ここにたどり着きました。
どの名前で書けば通じるか思い出せないので、匿名のような感じで失礼します。
私は新球団に顔を出していましたが、自分の居場所には出来ませんでした。
結局新球団と縁ができた近鉄戦士を愛していたのだと思います。
現在特定の応援球団はありません。
気持ちに折り合いをつけられなかったので仕方ないなと思いつつ、根無し草のような野球観戦を時々しております。
ある時期の自分にとって、さいんさんのブログは心の支えでした。
言葉にならない気持ちが、こちらで整理できました。
ステキな仲間に囲まれて、どうかお元気でお過ごしください。