day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

平安なる眠りを

2010-01-20 | ヤキュウ。
子供の頃から、父が野球をやっていた関係で野球が好きだった。
高校野球を熱心に見ていた私がプロ野球に興味を持ったのは小学校の高学年になってから。
関西の子供がよくひっかかる網だと思うが、毎日ラジオから流れる六甲おろしに洗脳されて阪神ファンになった。

それからしばらくして、「江川事件」が起こった。

本来のルールは良く知らないが、とにかく巨人が何か「ずる」をして江川が巨人に入り、
そしてその犠牲となって小林繁が阪神に来るのだということは判った。
子供だった私を「アンチ巨人」「アンチ江川」に駆り立てるには十分な事件だっただろう。
そして恨み言も言わず潔くカメラの前で語る小林繁がとてつもなくカッコよく思えたものだった。


私が大阪ドームに通い始め近鉄バファローズのファンになって暫くしてから、
梨田監督、真弓コーチ、小林コーチの体制で「男前三人衆」と呼ばれるようになった。
そういえば、前川の髪を切ってグレさせたのは確か小林さんだった。
病気で阪神を追われた山村宏樹に、近鉄でやりなおさないかと電話をしたのは小林さんだったそうだ。
優勝した時の投手陣は酷いもので、防御率5点台で優勝なんて前代未聞だとか言われたけど、梨田監督に言わせれば「小林さんのおかげで防御率は酷くても勝てる投手陣だった」。


そしてその梨田監督に呼ばれて、小林繁は北海道日本ハムファイターズのコーチとなった。
今年から一軍で、対戦する私たちにも姿が見えるところにいたはずだった。



人の命ってあっけない。
あまりのあっけなさに人はしばし沈黙するしか術がない。


私をアンチ巨人にしたあの事件の28年後、日本酒のCMという場を借りて当事者同士が対面しあの時のことを語りあった、その時の映像が今、繰り返し流されている。
球団のエゴとエゴがぶつかり合って談合してついた折り合いは、振り回されただけの二人の選手の人生を変えてしまった。
「お互いしんどかったね」と江川卓に声をかける小林繁の眼は潤みながらも優しい。
まだ遣り残したことが山ほどあった筈だけど、この蟠りだけは溶いてあったことが今となってはせめてもの救いだと思う。



あなたのことは決して忘れません。
やすらかにお眠り下さい。
ありがとう、『小林繁』。
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