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幸せの青い鳥

誰かが死んだら涙が出る、心の綺麗な人間になりたい。(3月26日)

ひびをうめるもの

2005-11-17 23:31:22 | 父と私
人間は、食って寝ると大体生きていられる。
でも、そのうちトイレに行きたくなったり、体が汚れるので風呂に入ったりする。歯も磨く。

起きて、食って、歯を磨いて、食って、トイレに行って、風呂入って、食って寝る。
それだけでも生きていけるけど、これだけだと起きている時間の大半(具体的には10時間ぐらいだろうか)が余る。
余った時間は大体皆仕事している。お金がないと大体のことはできないし、最悪食えなくなって命の危機にもなったりするからだ。
労働法で休みはきちんと定められているので、仕事のない休みは、テレビを見たり買い物にいったり、
テレビを見たりして好きなように過ごす。

では、働きたくても働けない人は?
好きなことをしたくても、するツールを持っていない人は?

特養に勤務を始めた頃、私は高校を出たばかりの18歳で、福祉のふの字も知らなかった。
回廊式の特養のだだっ広い食堂に、1日中座らされているお年寄りを見るのが可哀想で、胸が痛かった。
現状を変えようと、「流れ作業はやめよう」といった趣旨の発表を施設内の学会でやったり、入浴が終わった後レクをやったりして、何とかお年寄りの「楽しみ」を作ろうと一生懸命だった。

父が倒れ、一緒に時間を過ごすようになって、何ができるか考えた。
そうだ、外出しよう。外にいって、おいしいものを食べて、一緒に買い物しよう。
しかし、外出して食堂に入ると、絶え間なく流れている有線や音楽で耳がガンガンしてつらい。
外にでて知り合いに出会うのは嫌だ。
じゃあ、本はどうだろう。間違い探し。ジグソーパズルは?
後遺症で対象物は二重三重に見え、細かいものは見えない。
私が考えた「外出して、本を読んだり、ジグソーパズルをする」なんて、全部私自身の視点から考えた
「楽しいだろうと思うこと」だった。
父が好きなのは、庭で柿の木を見ること。柿の木を見上げながら、ずっと目をこらしている。
家の畑が綺麗なこと。草ぼうぼうの現在をいつも嘆いて怒っている。

特養の頃から、自分の価値観で、車に乗って遊びに行ったり、買い物に行ったりできないことが可哀想だと思っていた。高齢者も障害者も、健常者と全く同じ行動はできないのだということをわかっていなかった。自分と同じように朝から晩までフルで遊ぶことが「楽しい」ということの最善の形だと思っていた。
しかし、「楽しいこと」って人それぞれ。健常者と同じように動けば、高齢者や障害者の方が早く疲れるし、場合によっては何もせずゆっくり休んでいた方が快適になってしまう場合もありうる。
残された力の中で、今ある環境で楽しみを見つける。大事だと思う。

これからの、長い長い父の人生の一日一日を、何で埋めよう。
来年こそは、畑を整備してちゃんと草取りしたい。

ああめんどうくせえ

2005-11-17 23:30:32 | 父と私
ハイ、もうすぐ介護保険の改正だね☆
ああもうげんなりだよ。コイツのせいで俺は正社員になれないんだぜ。

うちのパパはユニット型の特養に入所してて、介護度5なので現在の利用料は月約8万くらい。
しかーし、改正後からこれに+約3万で計約12万になるかもしれないという恐ろしい現実が・・・!
洒落にならんよ、こりゃ。冗談交じりで「こんな安い給料なら辞めちゃうワヨ!」なんて主任にいってるが、3万上がったらマジで職替えなきゃいけなくなっちゃうよ。
+3万にならないためには、所得段階が2段階か3段階に認定されなきゃいけないのだが、
そのためには私の健康保険の扶養枠から父を抜かなきゃいけなくて、そのためにはー・・・・

あーもうイヤだ。
なんでこんなに農協やら役場やらに行かなきゃいかんのだ。
昼休みの殆どが潰れてます、最近。

りはびりそのご

2005-11-17 23:30:05 | 父と私
しばらくゴブサタでございました。
今、父はどうしているか。

最近の生活の中心はリハビリにいくことです。病院から特養まで、歩いて5分くらい。
傾斜が何箇所かあるのですが、どうやらなんとか自力で車椅子をこいで行き返りしてます。
最初は相談員と私で送り迎えをしてましたが、だれが付き添っても手伝わせず自力でこいで来るので、
相談員が「もう大丈夫なんじゃない?」と一言。
そうだなあ。大丈夫かなあ。本人超やる気だし。でも、小さいけど交差点があってチョット不安
なんだよね。
というわけで、一度飛馬姉のように、隠れてコッソリ見ることにしました。
まあ、大丈夫かな。交差点気にしてるし。
父には、「一人きりで行動する自由」も必要なのかと思う。
「俺はできるんだ」という自覚があるから。

というわけで、最近は自力でリハビリの行き返りをしています。
病院には売店もあるので、買い物もできるようにしようかなと思う。
しかし、以前ちょっとのつもりで始めた日本酒が、後々バンバン量が増えてしまった
(あんなに飲まなければ2度目に倒れなかったかもしれない)ので、
絶対甘いものを買いすぎないよう(糖尿だから)しなければいけない

りはびり

2005-11-17 23:28:45 | 父と私
父が特養に入所してほぼ1ヶ月。入所当時から父がいっていた「病院でリハビリを受けたい。」
話がぜーんぜん進んでいないのは私のせいだと分かりました。ハイ。


看護員、医師、父の担当介護員、相談員から言われていた。
『担当医師から、リハビリの話はOKが出ました。PTに連絡しておくので、PTからの連絡を待ってください』昨日、連絡はまだ来なかった。
最近何かにつけてイライラしている父がその話をし始めた。『リハビリはどうなってるの?』
父の最近の様子で今は「チョット待っててね」とか「また今度ね」なんてのらりくらりが通用しないと分かったので、「明日電話して聞いて見るね」ときっぱり言っておいた。
朝。PTに電話。「いつでもいいですよ、好きなときに来てください。」
ああそうですか。看てくれるなら別にいいよ。昼休み、父にいつでもいけると報告しにいくと、「さっき看護婦の○○が来て、○○先生(担当医師)から電話があったから、毎日リハビリに行きたいっていっといた。もし週1回しかいけないなら、(効果がないから)いかない。」
え?なんでここで担当医師が出てくるわけ?担当医師だって、前回往診時にPTからの連絡を待ってくださいって言ってたじゃん。だから私直接電話したのよ。モソモソ喋るから嫌いだけど電話したの。
看護婦に聞いてみると、昨日往診があり、担当医師にありったけの思いをぶつけたらしい。そして担当医師が重い腰をあげて電話をくれた、と。いや、でも別にもういいし。今さら。
とりあえず担当医師と電話で連絡を取り、『PTと直接話をしていつでもいけるということになりました』と伝えたかったのだが、病院に電話しても不在との事。折り返し病院から電話してくれるということだったので、直接自分がいるデイサービスに回してくださいと伝えておいた。
自分の仕事が終わった後、結局電話が回ってこなかったので「かかってきませんでしたか?」と看護婦に聞いたら、「ああ、掛かってきました。いつでも来ていいですって。」
私に回してくれっていったじゃない。なんで回して欲しかったかって言うと、担当医師とPTとダブルブッキングになってたからよ。直接担当医師と話して話を整理したかったの。

疲れすぎて、言葉も出ない。
ちなみに私は父が倒れてから昼休みに休んだことなんてほとんどありません。アンタと一緒にしないで。

 とりあえず『いつでも好きなときに』いける予約は取ったのだが、(いろいろ思うところはあるがあえて言わない。それで向こうがいいというならそれでいい。リスクが挙がったらけちょんけちょんに罵ってやる)実際にいついくか。具体的に挙げていかなくてはならない。そのためには、誰が、何時に病院~特養の送り迎えを出来るかということを検討しなけらばならない。
相談員と相談し、行きは相談員、帰りは私が昼休みに迎えに行くことになった。相談員、私どちらかが都合が悪い日はリハビリにいけない。
そう特養の介護員に伝えると、「僕らが病院送迎をやりますよ。ヒラガさん昼休み毎日じゃ大変でしょ。もう特養に入所してるんだから、こちらに任せて。」。
はあ。それはそれで嬉しいですけど。安請け合いすぎませんか。入浴で忙しくて、日中は介護員の影も見えない場所で、確実に送迎ができると思いますか。うちの父に「ちょっと遅くなった」「ちょっといけなくなった」は通用しない。とたんに怒りだし、暴れだすだろう。それが脳梗塞の後遺症、感情失禁のひとつなのだ。ハデに泣き出したり、笑顔が泊まらないだけが感情失禁じゃない。激しい感情は止める事ができなくなり、時に娘の首を絞めたりする。欲しいのは「確実に、この時間にいける」という確実性。特養のマンパワーでその確実性はない。ずっと現場で働いてたのだ。それくらい分かる。実際にやれば現場にかなり負担がかかるだろう。

介護員と私の間に相談員が入ってくれ、リハビリにいつ行くかは1週間ごとに父と私で決め、送迎は原則相談員と私。二人がいけない日で看護員・介護員が入れる日があればお願いする。確実に送迎が確保できない日はリハビリを休む。そういうことにした。
私と同じ視点でモノを看てくれるのは、今相談員しかいない。ありがとうございます。

むかつく。腹が立つ。当たり前のように人の優しさがあると思っている父にも、ぼんやりとした確証だけで安請け合いする介護員も、受けられるか受けられないかわからない曖昧な日程のリハビリ室も、1ヶ月後にやっと腰を上げる担当医師も。自分ばかりが最大限のリスクを考えて動いている。でも周りの関わる人たちはなんとなくやってる。

だれも父のことを真剣に考えてくれていなかった。
やっぱり自分が全部やらなければいけなかった。

きのかおり

2005-11-17 23:27:46 | 父と私
今家のなかは木の香りでいっぱいです。
本日念願のスロープが入荷。(木(コンパネ)で作ってもらった)

昨年の10月頃から、パナルジンの副作用で肝機能障害が出て、父はかなり暴れるようになってしまった。医療拒否、食事拒否、殴る、首を絞める、閉じこもる、本当にどうしようもないので家に連れて帰ってみることにした。それしか思いつかなかった。散髪に連れて行った。まあ、あっというまにご機嫌改善。
それはそれでよかったのだが、その10月以来、再び暴れだすリスクがあると分かったためほぼ毎週父を家に連れてきている。(最近はたまにさぼったりするけど、それでも出かけるなど理由がなければ連れて帰ってくる)月~金の平日普通に8時間勤務し、(しかも介護で、しかも安月給で)土日は父の介護。ああ在宅介護にならなくってよかった。最近は慣れてきたが、やり始めた頃は結構体調を崩していた。
 うちはかなり古い家なので、廊下と土間(土間なんだよ)の高さは40cmほどあるし、畳の生活なのでテーブルも椅子もなかった。最初は、車椅子を廊下の横につけ、(廊下の高さと車椅子の座面の高さが一緒)廊下に移乗し、座椅子に乗せて、座椅子を引っ張ってコタツにいれるというテクニックのいる方法をとっていた。がー、これは正直しんどい。父は大柄で重い。それと、父は床に足を伸ばして座るのは股関節が痛いらしく父にとっても大変だった。
が、まあ5月ごろまでそのままの生活でした。改修したら楽だろうなあ、と思ったがまた面倒くさい病が出てきてやりませんでした。5月にやっとデイのメンバー(職員)を5人くらい頼んでベットを運ぶ。ベットは離れにずっと置いてあったのだ。祖母が使用していたパラマウントベット。
同時期に畳の茶の間をフローロングにしてもらった。今よくよく考えれば、畳だって別に車椅子が入るので改修なんかしなくってもよかったなあと思ったりするのだが、まあやっちゃったもんはしょうがない。
畳の上にソファーとテーブルっておしゃれじゃないし。金も無いのにそれだけの理由かよ。
もうひとつ、父が入院して以来茶の間は物置のようになっており、それを綺麗にしたかったという理由もあったりしました。いやあ、だめだな自分。掃除しようよ、普通に。わざわざ床板直すことないじゃん。
で、直してもらったのだが、1週間くらいで床板はムクムクと膨れ上がり、ありえない新期造山帯。車椅子どころか健常者も余裕で転ぶような超盛り上がり(本当に超)ができてしまいました。なので、スロープの見積もりの際にそれも見てもらう。後日社長さんから電話が来て、「さすがにひどいので、ただで直させてもらいます。」ええ。すいません、ボロ屋で。多分床の湿気が原因ですけど。

住宅改修って面倒くさい。
まず電話。この電話も面倒くさい。まずは実際にうちにきてもらい、目でみて確認して見積もりを出してもらうのだが、工事をする会社が営業している平日は私がいないので、わざわざ休みの日を選んで来てもらう。他人が家にくるのは嫌だ。家の中って見られたくない。汚いし。でもやってもらった方が私が楽なので、もちろん来てもらう。盆前に終わるかなあと思ったが、1日で完了した。
やり始めればアッというまに終わるもんだ。何やってたんだか、といつも反省する。

5月の茶の間改修は15万。スロープは5万。施設入所している人間は、自宅の住宅改修に補助が出ない。

えがおをたもつのはむずかしい

2005-11-17 23:27:11 | 父と私
はああああああああああああああああああああああああああ。
疲れたなあ。

というか、疲れたときしか更新しないブログですが(笑)。満たされてると書く気もないのね。
鬱憤のはけ口だもん、ここ。

最近父は機嫌が悪い。二人で小さないざこざばかり起している。
遡れば日曜、父がふと「使ってない離れの電気とめた?」と聞いたので、「いや、まだだよ」と答えた。
すると父は、「○○電化センター(近所の電気小売店)」へ電話しなさい」というので、「いや、それは電力会社へ電話しなきゃ・・・」というと大激怒。違う、違う、と父は訴えるんだけど、私はなぜ電気屋に電話しなきゃいけないか分からない。「お父さん、電気は電力会社との契約でしょ、だから電力会社へ電話して・・・・」と説明しても、「違う、そうじゃない、そんなことじゃない」と怒り出し、じゃあと
実際に○○電化センターへ電話してみれば、やはり電力会社へ電話してくださいとのこと。そう父にいうと「あんなおばさん(実際におばさんがでたが)じゃあわからないんだよ、本当にもう・・・・」
ああ。父が何を言っているかさっっぱり分からない。

自分が正しいと分かっていると、よけいに腹が立つ。むかつく。
分かってるのは、自分の正当性を主張した所で父の怒りは収まらないということだ。
でも、こちらの腹が立てば立つほど、やりこめてやろう、正しいって思い知らせてやろうと思って口論はどんどんひどくなる。にこにこ笑って、「そうだねえ、私が間違ってたよ。全部お父さんが正しいからね。全部お父さんの言うとおりにするから。ごめんね。」といえばそれで収まるのだが、こちらに余裕がないと本当にそれができない。

悲しいけれど、正しいだけではうまくいかない。
うちの父子には、時に笑って嘘をいうことも必要だと思う。
あの時一言、「電気はもう止めたよ」といえばよかった。
っていうか、とっとと止めておけばよかった。
だってめんどうくせえんだもん。

ああ、むかつくなあ。腹が立つなあ。最近ずっとイライラする。はああ。
でもこれが普通なのかもしれない。4月から7月までは本当に機嫌がよかったけれど、これからの時期は今より機嫌が悪くなると思う。そしてそれが父の本当の姿なのだ。
はあ。笑顔の練習しておこう。

さいきんかいてないな

2005-11-17 23:26:22 | 父と私
最近ふたりぐらしを更新していない。
大部屋の病院から個室の特養に移り、父が大分安定しているからだ。
安定していると、つらく思うところも無く書くこともあまりない。

今日は土曜日。午前中は用事があったため、夕方に父を迎えに行く。
今日はお客さんが沢山いたようだった。同級生、おばさん。皆さんありがとう。
父の同級生の方は結構いろんな方が面会に来てくれる。お歳暮&お中元でつながりを濃くして、いろんな人に頻繁に来てもらうのもいいかな。なにしろどう頑張っても私は父と同年代になれない。

いちねん

2005-11-17 23:25:49 | 父と私
1年だ。

去年の今日、父は倒れていた。
去年の今日、私は東京へ引っ越す10日前だった。
去年の今日、引越し先で仕事と職場を探すのを手伝ってくれた友人に「東京に行けない」と電話した。
その友人の前でだけ泣いて、電話を切ってから泣いて、泣いて、泣いた。
それ以来、東京に行けなくなったことで泣いていない。

未だに正社員には戻れてないし、お金も毎月マイナスだけど、父はうんと元気になった。
自分の自由の代わりに、父と和解した。私は「いい娘さん」になった。
もう4時になる。早く父のところへいかなくちゃ。

さいしょのひ

2005-11-17 23:24:41 | 父と私
ハイ、パパ無事入所。はいりました。

昨日の話。9時半ごろ病院にいきました。休みなんで、もっとマッタリ寝ていたかったが、父のリハビリが9時半からなので見学しに行った。
父は、毎日通院して外来でリハビリを受けたいらしいが、特養の内情を知っている私としては多分それは無理であろう。病院~特養を送迎してくれる看護員がいないからだ。
本人は「一人でもいける」といっているが、微妙。段差多いし。
んで、せめて特養でリハビリが出来るよう、最後に父のリハビリをみて参考にしようと思ったのだ。
麻痺側のマッサージと、四点杖を使用した歩行訓練。それだけ。
毎日理学療法士が関わっているのに、装具のネジの緩みを違う病院(浜リハ)で直してもらってるぐらいだから・・・・
でも、どう頑張っても私は午前中父に関われないので、私としても外来リハは、できることならやってほしい。体を動かすことは、父にとってかなりストレス発散になっている。
リハビリ終了。装具用の靴を2足頼んでおいた。人生の中ではける靴が1足きりなんて、かわいそすぎる。
なんだかだるくて、頭が重くて一回うちに帰った。生協の中古ビデオコーナーで、780円で買った「ピンポン」のクライマックスを見て、水道代を近所のおじさんちに払いに行って、12時前に特養へ車椅子を取りに行った。
今の車椅子は、病院の車椅子である。今日からは、特養の車椅子に変えなければならない。実は、前日に相談員から「車椅子がない」という話をされていた。ショートステイがいっぱいいるので、今はないとのこと。おいおい、明日必要なんですけど。事前に父の担当君に聞いたら、「いっぱいありますよ~」とのんきな返事が返ってきたので、ならいいか、と安易に信じていた私。失敗した。
で、昨日からどうしようかなあ、最悪社協から借りようかなと思いながら特養に向かった。やっぱりというか、社協は施設入所者には車椅子を貸してくれないそうな。介護保険の方針は、特養も在宅復帰を目指してといってるくせに、特養入所していると自宅の改修費用はでない。言ってる事逆じゃん。家も直せないのに、どうやって帰るんだよ。余談だが。
結局、入居している個人の車椅子をショートに使用し、ショートの人が乗っている車椅子を父に貸してくれることになった。これも問題だと思うが。そもそも、新館のオープンにあたり、新しい車椅子はティルト型しか入らなかったと言うのだ。相変わらず偏ってるな。
父は170cm以上あるので、小さいかわいいお年寄り用の、ほとんどの車椅子は父にとって小さい。
特養の中で1番大きな車椅子を持ってきてくれたが、それでも小さい。身障手帳でオーダーすることになった。相談員はしきりに失敗したなあ~と言っていた。私も全く同じ気持ちです、ハイ。
でもまあ、うんと小さいわけでもないので、とりあえずよかった。これくらいなら父もこげるだろう。
 車椅子をもって、病院へ戻ると父は昼食を終えた所だった。一緒に食事しようと思って、うどんをかっていったのだが間に合わなかった。お世話になった看護婦さんに挨拶。補助さんに挨拶。病院の皆さんありがとう。父は退院します。約1年の入院だった。なんとなく涙が出そうになった。何度も忘れ物を確認して病室を後にした。もう病院に入院することがないで欲しい。ずっと家と特養で、元気に暮らして欲しい。

さいごのひ

2005-11-17 23:22:47 | 父と私
今日は最後の日である。明日父は病院を退院して、特養に移る。

昨年8月1日から入院して以来、ほぼ1年。
4月に一ヶ月間浜松リハビリ病院に転院したけど、ほぼ1年間ずっと病院にいた。悪かったと思う。
1年間、知らない人と4人部屋で暮らすのってどうだろうか。
どこまで「自分は病気だから」で割り切れるだろうか。もう病院で治すところなんかないのに。
でもうちに連れてくることは出来なかった。
仕事に行って、家でお父さんと一緒に過ごして、そんな生活が続けれられなかった。
無理だと思ったのでやめた。

特養は個室だ。でも、どんな所でもいい所もあれば、悪い所もある。
犬がいる。新しい人間関係も、作っていかなければならない。
どうなるか分からんが、まあ、そのつど考えていこう。

父はとりあえず住所変更はしないことにしたので、本当にただ病院から、隣の特養に移るだけだ。