2024年9月1日(日)
「共に苦しみ共に喜ぶ」
1コリント12:12~26 清水和恵
中国、唐代の大詩人「詩仙」とも呼ばれた李白(701-762)の作品に
『将進酒』があります。その中に「天わが材を生ずる。必ず用あり」という
一節があり、意味は「天は私の才能を認め期待して、この世界に送ってくれた。
だから私は必ず社会の役に立つだろう」
彼がそう思ったのは、自信がたっぷりあったからではありません。
才能がありながら、なかなか芽が出ない33歳の頃の作品です。
まだ何もできていないのです。不安や焦りもあったでしょう。
けれども、李白は天の意志ゆえに、今生かされ存在していると考えました。
古代中国では天には、二つの意味があります。①宇宙、運勢、運命
②万物の支配者、創造主 もし、②の意味で李白が使ったとするなら、
聖書のメッセージそのものです。
人は神から与えられた使命、才能、役割、働きがあります。
一人ひとりはかけがえなく、その人にしかできない役割と働きそして
使命をもちあわせています。それは生きている限り続きます。
李白流に言えば、私達は神から見込まれ、この世界に送られ
生かされていて、用があるのです。
それならば出来ないことを嘆きあきらめるのではなく、神が自分(たち)に
付与された出来ることは何かを見出し、そして僅かでもやってみるほうが
有意義で楽しいのではないでしょうか。
私達の現実は、いろいろありますが、○○だから出来ないと初めから
決めつけるのではなく、出来る方法をみんなで考えたり、
一人では難しくてもふたり以上で力を合わせるならいろんな
可能性が広がります。
そうすると、きっと共に苦しみ共に喜ぶ恵みや醍醐味があると思います。
天上の友(それは私達にとって、心に思う天に召されたすべての方)は
私達を応援しています。私達に「生きている限り、この地上であなたに託されている
ことがあります。それをしっかり見つめ担い、存分に生きて!」
と励ましのメッセージを送っているのではないでしょうか。
パウロは教会をキリストの体にたとえています。
私達はそのパーツであり、有機的に繋がっています。何でも出来る人はいませんし、
何にも出来ない人もいません。神はそのように人間を創造されました。
また教会は、今いる信者と牧師だけの集まりではありません。
この教会の先輩たち、教会員の家族、わたしたちの友人・知人、地域の方々、こどもたち。
そして今日、記念している天上の友、この礼拝にお集まりくださった方々、
これまで新発寒教会に集い関わってくださったすべての方がキリストの体である教会を
構成しているのです。ここに集まる人の群れが教会です。
パウロは人間の体が互いに配慮し合っているように、キリストの体である教会も
互いに配慮することが大事だと述べています。
ですから「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分が共に喜ぶのです。」(26節)私達は繋がりながら連動しています。
互いを尊びそれぞれの賜物(神の恵みの贈り物、李白が言うところの「材」)を
生かしあいながら、「あなたがいなくてよかったではなく、あなたがいて本当によかった、
あなたと出会えてうれしかった」といえる教会(キリストにある共同体)を
つくっていきたいと願います。