2024年7月21日の礼拝メッセージ
「天井から」 マルコ2:1~12 清水 和恵
中風の男と4人はイエスのいる家に向かいます。
その家では集会がもたれ、イエスは話をしています。
彼らが玄関についたとき、すでに大勢の人がいて中に入ることはできません。
それは彼らにとって、大きな障壁のようでした。しかし諦めません。
彼らの次なる行動は、屋上に上りイエスのいるあたりの屋根を剥がしたのです。
(当時の家の屋根は材木の梁と木の枝を編んでその上から粘土で覆う
簡単な造りでした。)
天井に大きな穴ができました。
そこから、4人は中風の男を床ごとイエスのもとに吊り下ました。
想像すると家の中は大変です。何やらバキバキと剥がす音がして、
突然上から土や木の枝、ごみや小さなくずがいきなり降ってきたのですから。
彼らの行動は無茶、非常識、大迷惑です。けれどもイエスはけして非難することもなく、
彼らの信仰を見て中風の人に「罪の赦し」を宣言し、癒しました。
もし5人が玄関で、諦めてしまったら、何も起こらなかったでしょう。
いえ、行くだけ無駄だったと肩を落とし、再びイエスのもとに行こうとも
思わなかったでしょう。
「押してもダメなら引いてみな」という言葉がありますが、
5人はまさにそれをしました。諦めないで可能性を求めて方法を変えてみる
臨機応変さと行動力が彼らにあったのです。
一方、家の中の人たちは、天井に穴が開いて人が入ってきたことによって、
視点と発想の転換を迫られたのです。思ってもみないところから入ってくる人の
存在は、驚きと豊かな気づきをわたしたちに与えてくれます。
「こうでなくちゃいけない、こうあらねばならない」と、「常識」
に囚われている間は何も起こらないのかもしれません。
ときに「とんでもない非常識」と思えるような行動が、
何かを変えていくことがあります。
イエスに出会う入口は一つだけではありません。
5人のひたむきさが、別の入り口を見出すことになったのです。
しかも人々は事の一部始終をみて、しまいには神を賛美しはじめます。
5人の行動とイエスのふるまいが人々の胸に響き、人々を変えました。
そして奇跡が起きたのです。
※おまけの話
このお話は、どの場面を切り取っても絵になるというか、印象的で
映画(動画)を作れそうです。
そんな話を、礼拝後のお茶の会でしていたら、教会員のTさんが
「この聖書のシーンを描く映画をみたことがある」と言うではあり
ませんか。
やっぱり!と思いました。
圧巻は天井の穴から、中風の男を床ごと吊り下げる場面でしょう。
4人は天井の穴から家の中を見下ろして、「あとはイエスさん。
あんたにまかせたよ!」とこれから起こることを見守り
ワクワクしていたのではないでしょうか。
「おい、何やってんだ!迷惑じゃないか」
きっと人々の罵声が飛び交っていたでしょう。
癒された男が床をかついで歩き始めます。人々の中を通り、光あふれる家の外へ
向かいます。
そのシーンは、感動的です。
もしわたしが脚本家だったら、この話の前後を書いてみたいです。
中風の男と4人の関係はなんだったのでしょう。4人は何をしていて
どこで中風の男と出会ったのでしょうか。
彼らのその後、イエスに従い倣う者となったかもしれませんね。