ふたりの兄弟 ルカ福音書15:31∼32
―11/24 札幌地区礼拝交流 礼拝説教要旨―
三好 祐輝(月寒教会牧師)
この物語の登場人物、お父さんは神さま。
兄は当時のユダヤの人々。弟は取税人や娼婦、病人、異邦人といった、
当時のユダヤ人社会では罪人として軽蔑されていた人々、
そしてまた、私たちのような、ユダヤ人ではないけれど神さまと
イエスさまを信じるようになったキリスト教徒を指していると
考えられています。
この物語を読むとき、私はほっとした気持ちになります。
それは、神さまは、この例え話の父親のように、ほんとうに
優しいお方だからです。キリスト教において、罪とは神さまとの
関係の断絶のことを指すそうです。罪という言葉は原語では「的外れ」
という意味で、盗みや殺人など、何か悪いことをしたというよりは、
正しい方向、つまりは愛である神さまの方を向かずに、自分中心に
生きているという意味なんだそうです。
弟は、自分勝手に生きるために自らお父さんのもとから
離れ去りました。罪に生きて、死んだも同然でした。
しかし、弟が飢えてお父さんのもとに帰ってきたとき、
まだ遠くにいたにもかかわらず、お父さんは急いで迎えに来てくれました。
神さまとはそういうお方であると、イエス様は教えてくださいました。
この物語のお兄さんは弟に嫉妬し、弟にだけ甘いとお父さんに腹を立てます。
しかし、お父さんは決してお兄さんを愛していないわけではありません。
二人の息子、そのどちらをも愛し、再び家族の輪の中に誘っておられるのです。
そして、私たちもその家族の輪に加わりなさいと招いておられます。
イエスさまは、あなたたちは神さまに愛されているのだから、
互いに愛し合いなさいと教えてくださいました。
私たちは時に憎みあうことがあるかもしれませんが、
私たちを造った神さまは、私たちを愛してくださっている。
だから私たちも神さまに喜ばれるように生きていけたらと思います。