2024年12月1日の礼拝
「女性の沈黙?」 1コリント14:33b∼40
清水 和恵
このテクストをみなさん、どう読まれるでしょうか。
聖書を読むとき、私たちは聖書の書かれてあることはみな
正しいと思っているのではないでしょうか。
しかし、聖書を読むときは、当時の時代背景を考慮し、
かつ注意して読む必要があります。
聖書は西欧社会において人々の生活や価値観に良くも悪くも
大きな影響を与えてきました。キリスト教会が権力を持ち支配
していた時代に、聖書は誤りなき「神の言葉」として権威をもって
教えられてきました。たとえば今日の聖書は、明らかに女性を差別する
表現ですし、男性優位社会を支えるのに役立ったと思いますが、
はたして正しき「神の言葉」なのでしょうか。
コリント教会は、自由で開放的な雰囲気があったと思われます。
神の前に誰もが平等であって、女性の指導者や預言者が活躍しておりました。
(『彼女を記念して』エリザベス・フィオレンツァ。
『パウロとコリントの女性預言者たち』アン・ワイアなど参照)
パウロも彼女たちの働きを否定していません。
ところが「教会では婦人たちは黙っていなさい。
婦人たちには語ることが許されていません・・・・・
わたしがここに書いたことは主の命令と認めなさい」と語るパウロは、
とても高圧的ですね。
家父長制の縛りのある時代、女性たちは沈黙を強いられましたが、
教会で語り続けました。私たちの聖書の読み方によっては性差別
(他の差別も)を補強し増幅することがあると思うのです。
聖書のメッセージは多面的です。その聖書をどう読んでいくのか。
行間に埋もれてしまった声を聴きとることも大事です。
創造的な聖書の読み解きにチャレンジしてみたいと思います。
言語化されてませんが耳を澄ませば、聴こえてくる声やメッセージがあります。
【おまけの話】
歴史をふりかえるとこれまで、「女性」というだけで差別され、
その豊かな才能や働きが埋没させられ日日の目を見ることはなかった
事例が、わんさか出てきます。
どの分野においてもそうですが、実にもったいない話だと思います。
一人のたぐいまれな才能をもった画家を思い出します。
17世紀イタリアのアルテミシア・ジェンテレンスキ(1593∼1652)という女性の画家は
女性であるというだけで認められず、美術教師から性被害を受け、その後の
教会での裁判でも2次被害を受け、巷でもだらしない女というレッテル貼りが
なされるなど、貶められてしまいます。しかし1970年以降、再評価される
ようになりました。そのあたりは美術評論家の若桑みどりさんなどが、
紹介しています。
かのじょの作品に「ホロフェルネスの首をはねるユディト」が、あるのですが
聖書続編のユディト記をモチーフに描きました。同時代の巨匠、カラバッジョ
(1571∼1610)も同名の作品を描いているのですが、全然迫力が違います。
最も違うのは女性の描き方、一目瞭然です。断然、ジェンテレンスキのほうが
迫るもの、訴えるものがあり惹きつけられます。
この作品は、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。
観に行かなくちゃ・・・と思っています。

カラバッジョ「ホロフェルネスの首をはねるユディト」

アルテミシア・ジェンテレンスキー「ホロフェルネスの首をはねるユディト」