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新発寒教会ブログ

札幌市の新発寒教会ブログです。

日本基督教団新発寒教会 ご案内

日本基督教団新発寒教会のご案内です。

牧師 清水和恵

定期集会は以下の通りです。

主日礼拝 毎週日曜日午前10時半
聖書を読み祈る会 毎週水曜日午前10時半

新発寒教会の地図

良い香り 2:14∼3:3

2025年02月08日 | 礼拝メッセージ要旨
2025年2月2日 礼拝
「 良い香り 」   2コリントの信徒への手紙2:14∼3:3
                  清水和恵

 1月の札幌は暖冬で、雪が少ないのも5年ぶりでホッとしていたところ、
2月になって辻褄を合わせるかのように大雪の日々です。
雪が嬉しいのは観光客と子どもたちでしょうが、雪国に暮らす者にとっては
大雪の影響は生活に直結しますから、戦々恐々でもありますね。
 しかし、わたしたちは雪解けのあとの美しい季節を知っているので、
なんとか冬を過ごすことができるのでしょう。

 春になると、散歩が楽しくなります。
特に5月、花々の咲き匂う季節が待ち遠しいのですが、散歩をしていて
庭先から花の香りが漂うと、ふと足がとまります。
 札幌でいえば、ライラックでしょうか。ライラックが咲くと初夏を感じます。
ところで、ライラックは札幌市の花ではなく、木です。
札幌市の花はすずらん。清楚で香りがよく人気があります。

 良い香りは人を癒します。
心身をリラックスさせ、ストレスを軽減させると言われています。
パウロは、福音を伝えることは、キリストを知る知識の香りを漂わす
良い香りと言い表しています。
 さらにパウロは良い香りを漂わすにふさわしい人は誰なのかを問います。
それは神の言葉を売り物にして(水増しして)、神の言葉の質を下げる
ような人たちのことなのか。そうであってはならないと語ります。

 またコリントの教会の人たちは、キリストの良い香りであり、
キリストの手紙だとも語ります。(2:17)
 手紙は時に人を励まし慰め温かい気持ちにしてくれます。
受け取って嬉しい手紙は、何度も読み返したり、宝物のように捨てずに
とっておくのではないでしょうか。

 私達は良い香りを漂わせキリストの手紙としてこの世界に送り出されて、
出会う人にキリストを伝えていきます。
 人を力づける優しい香り、喜びの知らせを伝える嬉しい手紙でありたいですね。

※こぼれ話
 先日たまたま観ていたTV 「徹子の部屋」で俳優の佐久間良子さんが
出演していました。ご自身の宝箱を持参され、50年間、大切にとってある
宝ものを披露していました。
 それは、50年前、佐久間良子さんの芝居を観ていた黒柳徹子さんからの
直筆のはがきでした。徹子さんは佐久間さんの芝居をすばらしいと、率直に
感想を書いたのです。
 徹子さんのはがきは、佐久間良子さんを大いに励ますものでした。
さらにそのハガキを今でも大事にとってあるのを、徹子さんもまた「まあ、うれしい」
と喜んだのです。
 7円のはがきでした。そして半世紀の時をこえて、再び人と人をつないで
いるのでした。
 
 便利な時代になりメールやラインで、すぐに繋がることができるように
なりました。でも、その多くはごみ箱に行くことが多いかな、きっと直筆の便りにはかなわ
ないのでしょう。たとえ読むに難しい筆であろうと、j直筆はその人らしさや思いが
伝わり味わい深さがあるのだと思います。

最近めっきり手紙を書くことも少なくなった自分への反省もこめて
手紙をやはり書くとしましょう。
 それにしても切手代が・・・・。


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苦難の時に 2コリント1:3~11

2025年02月01日 | 礼拝メッセージ要旨
2025年1月26日礼拝

「苦難のときに」    2コリントの信徒への手紙1:3∼11
                    清水和恵
 Ⅱコリントの信徒への手紙は、一つの手紙ではなく5つの手紙が合わせられたもの、
しかも時系列に並んでいないと言われています。
手紙の著者パウロの研究者である青野太潮さんによれば、
③1:1~24 ①2:14∼7:4 ③の2 7:5~10 ④8:1∼24
 ⑤9:1~10 ②10:1~13:13(『パウロ書簡』p125 岩波書店)です。

 本日の箇所は、コリント教会とパウロは不和の状態にありましたが、
その後和解したときに書かれたもの(聖書の配列は最初ですが3回目の手紙)
と考えられています。 
 苦難と慰めという言葉が繰り返し使われています。
「慰め」はパラクレートスという言葉で「傍らに呼ぶ」「共にいる」という
意味です。ヨハネ福音書では、聖霊のことを慰め主と呼び、私達が
苦難の中にいるとき、神さまを呼ぶと聖霊が傍らに来ると記されています。

 ここでパウロは慰めは苦難を耐える力であるというのです。
誰も苦難を経験しない人はおりません。
「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、あまりいい意味で使われません。
つまり、苦しい時だけ神様を思い出し頼るけれども、そうではないときは神様を忘れている
状態を批判する言葉だからでしょう。こういうのを「げんきん」というのでしょうね。
けれども人は苦しいとき、何とかして救われたいと思って祈るのではないでしょうか。
苦しい時の神頼みは大いに結構と思います。

 8節からは、パウロが生きる望みさえ失うほどの苦難を味わったこと、
死の宣告を受けた思いをしたことを書いています。
そのとき、パウロはどうしたでしょうか。
パウロは自分を頼りにせず、神を頼りにしたのです。
まさに「苦しい時の神頼み」です。
 パウロは死者を新たに命を与え生かしてくださる神が、
まさに死者同様の自分を救ってくださらないはずがないと、
神にこそ希望を抱きました。

 招きの言葉にローマ5:3~5を選びました。
ここには苦難から希望へ至る道筋が記されています。
苦難は避けたいのが人の本音でありましょう。
しかしパウロは苦難を誇りとするというのです。
それは、苦難が苦難に終わらず、希望へと必ず導かれることを
信頼したからに他なりません。

 1月19日、琴似中央通教会の夕拝に招かれて説教しました。
教会の看板には星野富弘さんの言葉が掲示されていました。
「人々は何故か苦難をまず不幸と結びつけて考えますね。
苦難は不幸であるという先入観があるのですね」 

 そのあとの言葉はどういうものであるのか、思い巡らしてみました。
おそらく星野さんも、パウロと同じようなことを思っていたのではないでしょうか。
つまり苦難は必ずしも不幸ではない。希望への道が備えられているということです。

 私達は苦難の為に辛い日々を送ることがあります。
そんな時、神様を頼り呼んで(祈って)慰めを受けたいと思います。
きっと神様は誰かを私達のところに遣わし、助けてくださるでしょう。
イエスも「あなたがたはこの世では苦難がある。
しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」
(ヨハネ16:33)と語ります。
 「勇気を出しなさい」「は「安心しなさい」とも訳せます。
 なんと心強いメッセージでしょうか。

※こぼれ話
 ギデオン協会の聖書は、文庫本サイズで持ち運びに重宝します。
 いつでもどこでも、聖書の言葉に触れることができるのはいいですね。
 もう一つ、重宝するのは「折りにかなう助け」が記されていること
 です。
 その中に今日の聖書の言葉 2コリント1:3~4がありました。
 
 


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へびのように賢く、鳩のように素直に マタイ10:16∼33

2025年01月25日 | 礼拝メッセージ要旨
2025年1月19日の礼拝
「蛇のように賢く、鳩のように素直に ] 
 マタイ10:16∼23
          清水和恵

 弟子たちが福音を告知するために派遣されるにあたり、
イエスはメッセージを送ります。
しかしその派遣は狼の群れに羊を送り込むような危険なものです。
迫害の予告がされ、悪しきものとの闘いが予想される厳しいものです。
それをふまえて「だから蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と
イエスは語ります。

 蛇のような賢さ、それは「分別のある、思慮深い、賢明な」
という意味があります。釜ヶ崎で聖書の読み直しをしている本田哲郎神父は
「蛇のように感性鋭く」と訳しています。「蛇は体全体を地にベターっとつけて、
全身を触覚にしてそのつど確かめながら進む。貧しく小さくされた、
社会的に弱い立場の人たちの、身を守るすべとしての敏感さを言っているのです。」
(『釜ヶ崎と福音』岩波書店)

 そして鳩は古代イスラエルでは平和、無邪気のシンボルとされていたようです。
鳩が世界的に平和の象徴になったのは、NHK娯楽教養番組「チコちゃんに叱られる」
(24年4月放映)によると、ピカソがきっかけだったそうです。
「ゲルニカ」という大作に表現されているように平和を追求したピカソは、
鳩をよく描き娘にもパロマ(鳩)という名前をつけるほど鳩を愛していたようです。
素直と訳されている言葉は、混じりけがない、純粋とも訳せます。
悪に染まるなという意味でしょう。ちなみに本田神父は「率直に」と訳しています。

 狼といえばマタイ7:15で「偽預言者に気をつけなさい。彼らは羊の皮を身に
まとって、あなたがたのところに来るがその内側は貪欲な狼である」とあります。 
羊の皮をかぶった狼、これは正体を隠しているということです。
たとえば詐欺はそうでしょう。うまい話は用心、要注意です。

 1月18日、有田芳生さん(ジャーナリスト、衆院議員)の旧統一協会についての
講演会を聞きました。この集会は全国統一協会被害弁護団北海道主催で、札幌キリスト教連合会
も協賛しました。代表の内田信也弁護士が、キリスト教会にも呼び掛けてくださいました。

 旧統一協会は、正体を隠して巧みに人を勧誘し、洗脳していきます。
信者の方は、真剣に人生を考えるまじめな方が多いと聞きます。
被害者救援をライフワークとして取り組んできた郷路征記弁護士が、
会場で隣りに座っておられましたが、「正体を隠して布教して被害を生んでいることが問題。
正体を隠すような布教は法律で禁止すべき」と発言されました。
当日は会場周辺を統一協会の街宣車が「信教の自由を守ろう!」とアピールしていましたが、
統一協会への「宗教弾圧」だと抗議をこめているのでしょう。けれどもその前にあなたた
ちがすることがある!と違和感と怒りを感じました。

 平和の尊さは、元安倍首相も言いました。しかしその平和とは、同じ平和という言葉では
ありますがイエスの平和とどう違うのでしょうか。石破現首相は、クリスチャンですが
神社参拝をしています。靖国神社にも「真榊」を奉納しました。
それをどう考えたらよいのでしょう。
今年の2・11集会では、辻子実さん(『侵略神社』著者、恵泉バプテスト教会員)が
講師ですが、ヒントが与えられると思います。

 今年はへび年ですね。私達はイエスに遣わされる群れですが、
羊の皮をかぶった狼の群れの中に送りこまれるような、
ヘビーな重たい年になるでしょうか。
 クリスチャンとして生きるということは、世の中で軋轢を生み葛藤する場面も
あるでしょう。しかし「重荷を背負う者は来なさい。休ませてあげよう」
と言われるイエスに信頼してこの1年を歩みたいと思います。
 さらに言うと、辛くなったらイエスは「逃げなさい」(23節)とも言うのです。
ちょっと安心です。エスケープルートは用意されています。
イエスの言葉に聴きつつ委ね、ささやかでもできることをしたいと思います。

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惠みの管理人 1ペトロ4:7~11

2025年01月18日 | 礼拝メッセージ要旨
2025年1月12日の礼拝
惠みの管理人    1ペトロ4:7~11
           清水和恵
 「〇〇組のA君は『カリスマ美容師』で、東京で成功しているんだって・・・」
そんなことを高校の同窓会で小耳にはさみました。
たしかに彼は、ひと際、会場でも目立っていました。
担任の先生の両隣にはA君と、プロのミュージシャンとなったK君が座っていました。
K君もカリスマ性抜群でした。
 同窓会があったのは、ちょうど『カリスマ』という言葉が流行り出した頃のことです。
ここでのカリスマとは、超人的な能力や、人を魅了するような特別の資質を指すようです。

 一般的に広まったのは、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバー(1864∼1920)が
20世紀初めに社会学用語として使ったことによるそうです。
しかし、もともとのカリスマ(ギリシア語)とは聖書によると「神の恵みの贈り物」
という意味で、特定の人ではなく、すべての人、それぞれに与えられているものなのです。
つまり人間の自力では得られないものです。

 各自、その賜物の良い管理人として互いに役立てるようにと、聖書は語ります。
所有ではなく神様から預けられているのです。
管理人は英語の聖書でマネージャーとありました。
マネージャーは、責任ある役目ですが、信頼されなければ務まりませんから、
私たちは神様から信頼と期待が寄せられていると受けとめることができます。
恵みの賜物を教会においても、職場や学校や地域や家庭などあらゆるところで、
互いに生かしあえたらいいですね。

 手紙の読み手は、1世紀末の小アジア(現在のトルコとおおよそ重なる地域)の
キリスト者たち。ローマ帝国の迫害や周囲の無理解による嫌がらせを受け
困難の中にありました。共同体のなかには、夫や主人の礼拝する神とは
異なる神を礼拝する女性や奴隷がおりました。

 しかしそのような家長(主人)に従わない行為は、社会の秩序を覆す行為を表し危険視されました。
ですからペトロの手紙を読むと、迫害から身を守るための妥協策のような勧めもあります。
けれども抑圧され苦悩しながらも個の尊厳と解放を求め妥協しないで、信仰の喜びに生きた
(生きようとした)人々がいたことも伺われるのです。
キリスト教が「奴隷と女性の宗教」と揶揄された一端を見る思いがします。
神の前の平等の教えは、抑圧差別された人々にとっておおいに魅力的で
希望であったでしょう。
 かくしてキリスト教はローマ帝国内に浸透していき、
地中海世界をかえていく道を辿るのです。

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エスケープルート マタイ2:1~12

2025年01月11日 | 礼拝メッセージ要旨
 2025年1月5日の礼拝
   エスケープ・ルート    マタイ2:1~12
              清水和恵

 東の国の占星術の学者は、イエスに出会ったのち、
ヘロデ王のもとへ帰らず「別の道」を通って帰って行きました。
別の道とはなんでしょう。
登山を例に言いますと、登山者は時に最悪の事態を避けるために
山行計画の変更を余儀なくされます。
その場合の別のコースをエスケープルートと言います。
言い換えると危険回避の脱出路(別の道)です。

 学者たちもヘロデのもとに帰るその道を行くと危険だと悟り、
いわばエスケープルートを選んだのです。 
ヘロデは野心家で猜疑心が強く、恐怖政治を行いました。
ですから自分の地位を脅かすものは、身内ですら殺しました。
ヘロデは誕生したばかりの「新しい王」の出現に不安を覚え、
幼子を殺そうとしたのです。ところが学者たちは、ヘロデに従わない、
ヘロデに幼子の誕生を知らせないことでヘロデに抵抗しました。
それは彼らにとって「新しい道」でもありました。

彼らが捧げた黄金,乳香、没薬は仕事道具だったという説もあります。
それらは高価で貴重なものですが、イエスに捧げました。
いうなれば今まで生業にしていた大事なものを手放して、
別の生き方を選択したことなのだと思います。
そして、もはや過去への執着や今まで抱いていた価値観から解放されたと
いうことです。国の高官、王の参謀のような立場の人たちが、
なぜ、そんな大胆な選択ができたのでしょうか。

 それは幼子イエスに見え(まみえ)、遠路遥々、東の国から星をたよりに
追い求めてきた真理を確認したからです。
イエス・キリストとの出会いは大きな喜びであり、
別の道(別の新しい道・生き方)へ導くものでした。

 マタイのクリスマス物語(1∼2章)では夢、主の使いが重要な役割を担っています。
危険回避のため、神のメッセージとしての行くべき道を伝えています。
その道はいのちを守り生かす道です。学者たちはその道を選び旅立ちました。

 新しい年、わたしたちも神のメッセージを道しるべに、
 新たな道・生き方へ導かれてまいりましょう。

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