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新発寒教会ブログ

札幌市の新発寒教会ブログです。

日本基督教団新発寒教会 ご案内

日本基督教団新発寒教会のご案内です。

牧師 清水和恵

定期集会は以下の通りです。

主日礼拝 毎週日曜日午前10時半
聖書を読み祈る会 毎週水曜日午前10時半

新発寒教会の地図

連帯に生きる 2コリント9:6~15

2023年09月16日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年9月10日礼拝
連帯に生きる 
  2コリント9:1~15
       清水 和恵

 2コリントの手紙8~9章は、コリント教会に対するエルサレム教会支援の呼
びかけが主に記されています。
コリント教会はマケドニア地方の教会より豊かであるのに、
エルサレム教会への献金は消極的であったようです。
それはなぜだったのでしょうか。

コリント教会は設立当初、社会的に弱くされた人が主なメンバーでした。
(1コリント1:26)ところが、パウロがコリントを去ったあと、
裕福な人たちが加わったようです。ところが残念なことに教会の中で、
対立や分裂が起きて一つになれない事情がありました。
また他者への関心が薄くなり、自己満足的な信仰になってしまったのでしょう。
パウロは主にある連帯の豊かさを説きます。

教区幹事であった小西二巳夫牧師がよく言われていたのは、
「献金なき連帯は絵に描いた餅」。
その意味では私たちの教会は会堂建築において、
そうではない恵みの経験をいたしました。
連帯に生かされたのです。
だからこそ感謝しつつ、大いに喜んで連帯していきたいと思います。
連帯はけして一方的ではなく、相互に生かしあう業です。

応援のメッセージが全国から、キリスト教内外からたくさん寄せられました。
ほとんどが、知人、友人、恩師、先輩、後輩で顔を思い出すこと
ができます。
けれども、なかには知らない方からの献金やお便りがありました。

「神さまの大いなる働きに参加させてください。
 つながる喜びを共有させてください」
 なるほど、献金するとは神様の働きに参加することだと教えられました。
 そしてまた、つながる(連帯する)喜びを味わうことが
 できるのです。
 わたしたちも、ささげることによって、想像を遥かにこえた
 神様の大いなる素晴らしい業を見せていただきたいと思います。

 知人、友人だから応援しよう!というのなら納得するのですが、
 さすがに知らない方の応援は、感謝やうれしさを超えて、奇跡のつながり
 としか思えません。私たちを信頼して、祈りのうちに覚えて支えてくださった
 のです。他の宗教はよくわかりませんが、他者のために祈り支えるのは
 キリスト教の特徴なのかもしれません。
 わたしたちの知らないところで、わたしたちのために祈る人がいることを
 覚えます。

 他者に関心も心もよせず、自分の満足のためだけに生きる人は結局
 自らを貧しくさせてしまうように思います。
 たとえば花咲か爺さんの昔話は、わたしたちに、自分のことだけでなく
 他者のことを考え思いやる心は何を産み出すのか伝えているように
 思います。
 

 パウロは「贈り物」としてのイエス・キリストに感謝し、
 ささげることを惜しまなかったイエス・キリストにお応えし、
 ささげる者としてキリスト者、教会が歩んでいくことを
 呼びかけています。
 
 新発寒教会は会堂建築をとおして、たくさんの恵みをいただきました。
 尊い捧げものをしてくださったお一人おひとりに心から感謝いたします。
 わたしたちも、捧げ連帯することをとおして与えられる恵みを
 喜びたいと思います。

 

 

 

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あのころはタビタがいた 使徒言行録9:36~43

2023年09月09日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年9月3日 主日礼拝

あのころはタビタがいた 使徒言行録9:36~43
                清水 和恵

 タビタがやもめたちと暮らしていたのはヤッファ、
現在のテルアビブ(イスラエル第2の都市)。
古代から貿易で栄えた町でユダヤ人以外にも様々な人が行き交い生活していました。
タビタには「ドルカス」(ギリシア語でカモシカと言う意味)という別名があり、
ギリシア人との接触があったと考えられます。 

 タビタは「女の弟子だった」(36節)とありますが、
この言葉は新約聖書の中でここにしか出てきません
。彼女の存在や働きがヤッファの教会の中で、
忘れ得ぬほど大きなものであったことを思わせます。
使徒言行録を記したルカの共同体では、タビタを「弟子」と認めたのでしょう。

タビタは数々の善い行いや施しをしていた人でした。
とりわけ、やもめたちと一緒に下着や上着を作っていました。
旧約の時代から、孤児、寡婦、寄留者(外国人、難民)は社会的弱者と言われ、
生きるのに極めてリスクの高い人たちでした。
ちなみに旧約に登場するルツは、寡婦であり寄留者でありましたから、
二重の重荷を背負っていた人物ですが、このルツはダビデのルーツになる人と、
聖書は書いています。

 タビタはやもめたちに職業訓練をして自活できるようにしたのです。
ところがある時、やもめたちにとって大切な人であるタビタが、亡くなってしまいます。
そこで呼ばれたペトロがタビタを生き返らせます。これは身体的な意味ではありません。
やもめたちの心の中に、タビタが生き返ったのです。
それはやもめの悲しみ嘆きを神さまか聴き、そこに神様の力が働いたことを表しています。
やもめたちはタビタが、彼女たちのために作ってくれた下着や上着を見せまました。

こんな会話が聴こえてきます。
「あの頃はタビタがいて、こんなことがあってね。タビタがこの服を作ってくれたときは、
こんな思い出があってね。タビタって、こんな人だったよね」 
これはやもめたちがタビタの遺品を持ち出しながら、彼女を記憶する営みと思います。

 ドイツ語で記憶するという言葉は「心に刻む」と言う意味があるそうです。
「刻む」とは強い言葉ですね。けして消えてなくならないようにすると言う意味でしょう。
やもめたちは、タビタを心に刻みました。生き返ったのはタビタだけではありません。
やもめたちも、タビタを想起し心に刻むことによって再び生きる力を取り戻しました。
そしてタビタは死んでもなお彼女たちと共に生き続けたのです。

※おまけのはなし
 ルツはダビデのルーツだった。
 語呂合わせ、ダジャレみたいですけど、覚えやすいかなと思います。
 マタイによればそのあとずっと系図をたどると、イエスにつながると記しています。
 あの系図(マタイ1:1~16)には、4人の女性の名前が登場しますが、みんな
 「わけあり」です。なぜ、かのじょらの名前が記され記憶されたのでしょう。

 中学・高校と通った月寒(つきさっぷ)教会は、一般の地名として知られる「つきさむ」
 ではなく、アイヌ語の「つきさっぷ」を呼称としています。
 北海道の地名はほとんどアイヌ語からきています。新発寒はしん「はっちゃむ」になります。

 その月寒教会にタビタ会と言うグループがありました。
 「有職女性の会」で、月1度、仕事帰りに夕食を共にする集まりでした。
 中学の頃、1~2度なぜかその集まりにでて夕食をいただいたことがあります。
 50年も前になりますね。今でこそ、共働き夫婦や働く女性は当たり前の感じがしますが
 当時は、働く女性は本当に珍しかったと思います。
 わたしは子ども心に「働く女性って大変そうだけど、かっこいいなあ」と思っていたのでした。

 タビタ会は、聖書のタビタからとったものです。
 当時のわたしには、タビタがどんな人物か知りませんでしたが
 美味しい食事を食べることができるのでひそかに
「タベタ会」と呼んでいたのでした。

 
 

 


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星空を仰いで 詩編8:1~10

2023年09月03日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年8月27日 礼拝
 星空を仰いで  
 詩編8:1~10
     清水 和恵

 人は遠い昔から星空を眺めて暮らしてきたのだと思います。
だからこそ、世界各地に星々をめぐる神話や伝説が生まれ、語り継がれてきたのでしょう。
都会の喧騒を離れ、大自然の中に身を置き、そこから見上げた星空に、
わたしは何度、自分のちっぽけさを思ったことでしょうか。

 詩人も星空を仰ぎ、神の創造された悠久の宇宙に感動し、神を賛美し
「人間とは何者なのか?」と問うています。
 近代神学の父と呼ばれるシュライエルマッハは18~19世紀に生きた
ドイツの神学者、思想家ですが
「宗教の本質は幼児の受動性をもって、宇宙を感受することだ」と述べています。

 2~3節には、「天に輝くあなたの威光をたたえます。幼子、乳飲み子の口によって」
とありますが、言葉を流ちょうに話すこともできない赤ちゃんや幼児、またその泣き声も
神の栄光を讃えると歌われています。
経験の豊富な人生のベテランや雄弁な者が、必ずしも神を賛美するわけではなく、
弱い者、小さな者によってそれがなされるというのです。
シュライエルマッハの言う受動性すなわち、神からの働きや恵みを受けとめる力ゆえに。

 今日、8月27日は宮澤賢治の生誕日。
彼も星空を仰いで、童話や詩、短歌を創りました。代表作は「よだかの星」や「銀河鉄道の夜」。
「銀河鉄道の夜」は、親友と山に登り、星空を仰いで語り合った思い出が一つの
モチーフとも言われています。
賢治もまた幼児の持つような受動性と宇宙を感受する力をもっていたのでは
ないでしょうか。神や宇宙と交信するセンスがあったのでしょう。

 今日は賢治の作品によく登場する「りんどう」や「りんご」を講壇に飾ってみました。
彼の遺した言葉があります。
「われらに要るものは、銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱である」(農民芸術概論概要)

今夜も夜空を眺めながら、賢治そして2500年前の詩人の言葉の意味と、
宇宙を創造し私たちを尊い者として創られた神様を思い巡らしたいと思います。
私たちを包む宇宙は、私たちが何者であるのか、奥深いチェロのような響きをもって
静かに語りかけてくれるように思うのです。




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剣を取る者は皆、剣で滅びる マタイ26:46~57

2023年08月26日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年8月20日 主日礼拝
剣を取る者は皆、剣で滅びる  
   マタイ26:47~56
       清水 和恵

 「剣を取る者は皆、剣で滅びる」
 これは当時の格言ともいわれていますが、
イエスの言葉として受けとめたいと思います。(イエスなら言いそうですね)

ここで記されている「皆」が、強いアクセントになっていて戦慄を覚えます。
剣を取る者はすべて、剣で滅びるのです。

沖縄の伊江島に阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんという
農民でクリスチャンの方が、この言葉を身をもって訴えました。
伊江島では戦後、2/3が米軍基地にブルドーザーと銃剣によって奪われました。
伊江島の農民たちは、自分たちの土地を再び戦争に使ってほしくないとの思いで
非暴力で、土地返還,基地撤去運動に関わっていきました。
その運動のリーダーが阿波根昌鴻さんでした。

 いま、私たちの国は「台湾有事」をあおられ、大軍拡、大増税をもって
再び戦争への道を歩む「戦前」の様相です。
人間の愚かさ、罪深さ、よく深さを聖書の言葉は照射しているのです。

今こそ阿波根さんたちの平和への祈りと知恵と行動に謙虚に学ぶときでは
ないかと強く思います。

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今こそ平和を!詩編46:2~12

2023年08月19日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年8月13日礼拝
今こそ平和を!   
 詩編46:2~12
   清水 和恵

詩人は揺れ動く世界を知っています。
天変地異や、悲惨な戦争によって破戒され混沌とする
世界を比喩的に歌っているのです。

10節には神がなされることが記されています。
一つは地の果てまで戦いを断つこと、もう一つは武器を破壊すること。
それを仰ぎ見よ!と歌うのです。
戦争を否定し、非武装、非暴力で平和のために働かれる神を仰ぎ見よ!というのです。

その神が人間に語ります。「力を捨てよ。知れ。わたしは神。
国々にあがめられ、この地であがめられる」(11節)
何の力でしょうか。これは人の力です。

けれどもわたしたちは、何をするにしても力が欲しいと思います。
しかしその力が一体、何のためにどのように使われるのか、
問われているのではないでしょうか。
たとえば、戦争をする力、人を支配し、差別する力、あらゆる暴力、
神のようになろうとする力・・・・・
それらに対しては「捨てよ!」と言われます。

逆に、平和実現のために働く力はたとえ小さなものであっても、
神は祝福し豊かに用いてくださるでしょう。
戦争は人間の手で止めることができるはずです。
私たちが今こそ平和を!と真に願うなら不可能ではありません。

神は平和実現のために、神と共に働く人を求めているのです。

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