2023年10月15日 主日礼拝
忘己利他(もうこりた)
ルカ福音書12:13~21
清水 和恵
忘己利他(もうこりた)。
この言葉は比叡山の延暦寺を開いた最澄の教えと言われています。
「己れを忘れて他を利するは,慈悲のきわみなり」
自分を忘れて、他者の幸せのために力を尽くすのは愛の究極の姿である
という意味です。これは仏教だけでなく、キリスト教やユダヤ教、
イスラム教にも似た教えがあります。
聖書の申命記には、収穫感謝の際、レビ人、寄留者、寡婦、孤児を守りなさい、
と言う勧めがあります。レビ人は土地を持たない祭司をする部族、寄留者は外国人、
現代で言うなら難民も含まれるでしょう。
寡婦は夫に先立たたれ、孤児は保護者がいない子どもたち。
社会的に弱者とされている人々の命、生活、尊厳を守りなさいと、
聖書は語ります。2500年も前、社会福祉という概念がなかった時代に、
このような人権思想があったことに驚きます。
イエスのたとえ話に登場する金持ちは、豊作の恵みを独占しようと考え,
感謝と分かち合いは思いも浮かびませんでした。
自分さえよければ他人のことはどうでもよかったのです。
イエスは問います。
本当にそれでよいか。
そのような生き方でいいのか。
私たちはこの手にあるものが神様の恵みであることを覚えたいと思います。
そしてその恵みは、多くの人の手によって生み出され支えられています。
だからこそ、神に感謝し他者のためにわずかでも力を出して、
恵みや実の分かち合いをしていけたらと思うのです。
それが神様の前に豊かに生きることだと、イエスは語るのです。
※おまけの話
「もうこりた」
教会員のある方が、礼拝終わってから「もうこりた」と
牧師が言うから、またダジャレかと思ってました。
と、おっしゃられました。
おおまじめで、話しているつもりですが、
ダジャレが言えるほど余裕と技量が欲しいくらいです。
でもへたなダジャレを聴かせられる皆さんは
やっぱり「もう懲りた」と、つぶやかれるのではと
思うので、やめておきたいと思います。
ほどほどに。