2023年11月12日礼拝
「隣人になった人」
ルカ福音書10:25~37 清水和恵
「善いサマリア人のたとえ」はエリコ街道と呼ばれる,
エルサレムからエリコにくだる道の途中が舞台です。
エルサレムからエリコまでの標高差は、1000メートル。
ちょうど手稲山山頂がエルサレムだとすると、エリコは手稲区の麓です。
けっこうな高低差。
この話は手稲山を毎日仰ぐ手稲区民には、リアリティがありますね。
そのエリコ街道で、追いはぎに襲われ瀕死状態になったユダヤ人のそばを、
祭司やレビ人(神殿の御用にあたる神に仕える人)は無視して通り過ぎ、
その後に来たサマリア人は十二分な介抱と世話をして助けるというお話ですが
「困った人には親切にいたしましょう」という単なる勧めを超えています。
当時、歴史的な背景があってユダヤ人とサマリア人は断絶状態でした。
しかもユダヤ人によって軽蔑され差別されていたサマリア人の彼が、
祭司やレビ人と同じように
通り過ぎてもおかしくはないのですけど
瀕死のユダヤ人のそばを離れず助ける行動に出ます。
この話の聞き手のユダヤ人にとっては、衝撃的な話に違いありません。
それにしてもサマリア人は、用意がいいと思います。
傷ついた旅人に、油とぶどう酒を注ぎ(消毒と痛みを和らげ)
包帯をし、自分のロバに載せ、宿屋に連れていって介抱した。(34節)
とあります。油、ぶどう酒,包帯は旅の必需品だったのかもしれませんが
ひょっとしたら、サマリア人は自分を守るための道具として持参して
いたのではないか、自分もまた旅人と似たような傷ついた体験を過去に味わった
のではないか。とさえ、思い巡らしてしまいます。
さて、たとえ話を終えたイエスは「私の隣人とは誰か?」と問うた律法学者に語ります。
「誰が襲われた人の隣人になったと思うか」。
イエスによれば隣人とは「なる」ものだというのです。
祭司・レビ人とサマリア人の行動の明暗を分けたのは何でしょうか。
公民権運動の指導者キング牧師は説教でこう述べています。
「祭司とレビ人は今この旅人を助けていたら、自分はどうなるかを考えた。
しかしサマリア人は自分がこの人を助けなかったら、この人はどうなるかと考えたのだ。」
(『良き隣人であること』)
サマリア人は瀕死の旅人を見て「憐れに思い」(原意は断腸の思いになって)介抱しました。
旅人の痛み、苦しみを「我がこと」のように感じたのです。
祭司やレビ人になくて、サマリア人にあったのは「共感力」であり
「他者への想像力」ではないでしょうか。
これらは、差別や対立を乗り越える力だと思います。
イエスは私たちにも呼びかけています。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」
※おまけの話
「行って、あなたも同じようにしなさい!」
イエスのシメの言葉は、インパクトがあります。
「行って」
あなたの今いるところから、出て行って、行動に移して
と背中をおされます。
思い出す詩があります。
宮澤賢治の有名な「雨にも負けず」。
そこに「行って」という言葉が
使われているのです。厳密には、詩と言うより、手帳に
走り書きに書かれたメモのようであり、賢治は人に見せ
発表するために書いたのではなさそうです。
没後に遺品のトランクから、手帳が発見されるまで
誰の目にも触れることもなかったと思われます。
東に病気の子どもあれば
行って 看病してやり
西に疲れた母あれば
行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って こわがらなくてもいい
と言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないから やめろと言い
・・・・・・。
賢治は、おそらく「善いサマリア人のたとえ話」
を読んで 深いインスピレーションを与えられたと
思います。「行って あなたも同じようにしなさい」
とのイエスの言葉が、賢治の心に迫ったのでは
ないでしょうか。
「雨にも負けず」のモデルは、内村鑑三の弟子である
齋藤宗次郎だと言われています。
彼はクリスチャンであり、非暴力に生きた人でした。
クリスチャンであるために迫害を受けますが、かえって
迫害する人のために祈り、困った人がいるとすぐに飛んで行って
助けたと言われています。
賢治は齋藤と交流がありました。
こんなエピソードがあるのです。
病気の妹のトシを斎藤が見舞うとき、キリスト教の話
とくに復活についてよく話したそうです。
齋藤が行くとトシの顔色がよくなり、賢治は自分に
できないことを、齋藤が来て福音を説いてくれることを
大変感謝しました。「永訣の朝」を作ったとき、
賢治が読んで聞かせたのが齋藤宗次郎だったそうです。
また、賢治は花巻や盛岡の教会にも通って牧師や信徒とも
交流がありました。
小学校5年の担任は照井真臣乳(てるいまみじ)、クリスチャンでした。
賢治少年にどんな話をしたのでしょうか。
聖書の話を聞かせたでしょうか。
賢治が後に出会う齋藤宗次郎に、賢治の作文を見せたと言われて
います。
彼自身は熱心な仏教徒でしたが
キリスト教にも関心があり、聖書をよく読んでいたと思われます。
「銀河鉄道の夜」や「よだかの星」などの作品は、
その影響があると思います。
1933年9月21日に賢治はなくなります。
今年は没後、90年。
彼はいなくなったけれど、作品をとおして
サマリア人のように「行こうとした」
彼の思いが今も伝わってくるのです。
「きっと、みんなのほんたうのさいはひを さがしに行く」
(『銀河鉄道の夜』 最終形第四次稿)