2023年12月24日 クリスマス礼拝
地には平和 ルカ2:8~14
清水和恵
讃美歌「もろびとこぞりて」の作者は18世紀に生きたドッドリッジという牧師です。
原詩の中の1節の直訳は「主は来られます。破れた心に包帯をするために。
血を流している魂を癒すために。そしてその恵みの宝で、貧しい人たちを豊かにするために」
非常に直截的な表現ですが、ここにドッドリッジの示すイエス・キリストの降誕の意味と
目的が表されています。イエス・キリストはまるで医療者のようなイメージです。
包帯と言えば、ガーゼです。傷口の保護や止血のために用いられます。
ガーゼの名前は、中東のガザに由来すると言われています。
ガザは古くから高品質の織物製品を生産してきました。
ところがそのガザで今、ガーゼが不足しています。
連日のイスラエルの空爆によって、2万人を超える死者、数万を超える負傷者、
避難者が出ていると報じられています。
安全であるはずの病院が爆破されています。
新発寒教会は今年のクリスマスを「平和を祈る」として歩んできました。
クリスマス献金をガザ支援の為に献げます。
1枚の写真を紹介します。
イエスが生まれたとされる、ベツレヘム(ヨルダン川西岸地区)にある
福音ルーテルクリスマス教会の礼拝堂の中に置かれたクリッペ
(キリスト降誕場面の模型)は、瓦礫の中にイエスがケフィーエという
パレスチナの抵抗を表す白と黒の布に包まれています。
例年はツリーを飾るのですが、今年はガザに思いをはせるため、
このような展示をしたそうです。
教会のミュンサーイサク牧師はショートメッセージを発しています。
今年のパレスチナのクリスマス
瓦礫の下のこども
インマヌエルの神は わたしたちの痛みと苦しみのなかで
共におられる
神は抑圧された者と連帯する
ベツレヘムのこどもはわれわれの希望
ガザの子どもたちと戦争被害にあったすべての人にとって
今日のガザで 神は瓦礫の下にいる
神は手術室にいる
もしキリストが 今日生まれるなら
瓦礫の下に生まれるだろう
われわれはすべての子どもが殺され、瓦礫の下から
引き出される中に キリストのイメージをみる。
戦慄の走るメッセージです。
経験したことのある人でしか、このような言葉の紡ぎかたは
できないのかもしれません。
でも、耳を傾けたいと思います。
甚大な人権侵害の中にあるガザにキリストは生まれるということ。
それは痛み、苦しみ、悲しむ人のもとに、キリストは来られ共に痛み苦しみ
悲しんでくださることを表しているように思います。
パレスチナの人々は「地には平和」を祈り、クリスマスの希望を
持ち続けています。あきらめていないのです。
その希望を支えているのは神への信頼と彼らに
連帯する世界中の人々の存在です。
もしあきらめるとしたら、それは支え連帯する者がいなくなったとき
なのかもしれません。
「地には平和」これは思想、信教などあらゆるものを超えた
普遍的なクリスマスのメッセージです。
今私たちにできることは何でしょうか。
大量虐殺を止めること、破れ傷んだ人々に包帯を差し出して、
その痛みを和らげること。自分のことだけでなく、視野を広げて世界で
何が起きているのか知り祈ること、献げること,,,,。
私たちにできることは限られています。
けれどもどんなことでも、私たちの小さな祈り、思い、勇気、
行動からキリストが示した平和への道が開かれていくのでは
ないでしょうか。
私たちがキリストと共に平和のために、一人ひとりの命と尊厳のために働く時、
クリスマスの希望は消えることはありません。
【おまけの話】
メッセージの冒頭に、ティッシュを使った手品を披露した。
おまけのおまけの話だが、今の子どもたちには、チリ紙、ハナ紙は
通じない。手品はマジックと言わないと通じないことがわかった。
披露した手品は、ぼろぼろになったティッシュを元どおりに直すと
いうもの。そこから私たちの心をまるでお医者さんか看護師さん
みたいにイエスさまが癒してくださるよ、ということを伝えたかった。
そして「もろびとこぞりて」の話へとつなげた。
破れた心に包帯をするために。
血を流している魂を癒すために。
これは残念ながら、讃美歌21には反映されていない。
かろうじて讃美歌1編の112番の4節
「しぼめる心の花を咲かせ」のしぼめる心が
破れた心(ブロークンハート)に対応しているよう
だが、これでもリアリティがない。
おびただしい傷ついた人を癒すには、チームが必要なのでは
ないだろうか。今こそキリストと共に働く人が求められているだと
思う。いろんな働きがあるだろう。地の平和のために
自分にできることは何か、考え行動する者でありたい。