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新発寒教会ブログ

札幌市の新発寒教会ブログです。

日本基督教団新発寒教会 ご案内

日本基督教団新発寒教会のご案内です。

牧師 清水和恵

定期集会は以下の通りです。

主日礼拝 毎週日曜日午前10時半
聖書を読み祈る会 毎週水曜日午前10時半

新発寒教会の地図

新しい朝を待とう ヨハネ福音書1:1~5

2024年01月06日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年12月31日
新しい朝を待とう ヨハネ1:1~5 
           清水和恵

 音楽家メンデルスゾーン(1809~1847)は、多くの功績を残しましたが、
その大きなものはバッハ(1685~1750)の音楽の復興でしょう。
バッハのマタイ受難曲の再演を100年ぶりにはたします。
 メンデルスゾーンもバッハもプロテスタントのルター派信者でしたが、
宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546)の作詞・作曲「神はわが砦」(讃美歌377)
の旋律を、作品に採用しています。その一つ、メンデルスゾーンの交響曲「宗教改革」は、
ルーテル教会300年を記念して作られたものです。

今日の礼拝では、クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929~)の指揮、ウイーンフィルで第4楽章
のCDを聴きます。ドホナーニの父、ハンス・ドホナーニ(1902~1945)は第2次世界大戦下、
ドイツルター派の牧師、神学者であったボンヘッファー(1906~1945)と共に
ユダヤ人を支援しナチス抵抗運動に加わったためにドイツ降伏の1か月前に
処刑されます。実はクリストフ・ドホナーニは、ボンヘッファーの甥で、
1945年、彼が16歳の時に父と叔父を亡くします。
(ドホナーニは、「荒野の7人」にも出演した若き日のジェームズ・コバーンに
 似ているような気がします)

 そのドホナーニが、ユダヤ人であったために生前も死後も差別・迫害された
メンデルスゾーンの作品の指揮をするというのは、大変感慨深いものを覚えます。
メンデルスゾーンは、裕福で恵まれた環境に生まれ育ったと言われていますが
父親は家族がユダヤ人であることで差別されるのを避けるために
一家でキリスト教に改宗します。
メンデルスゾーンの死後、ナチス統治下ではユダヤ人であることを理由に彼の音楽が
禁じられ、ドイツのライプチヒにあった銅像も破壊されたのでした。

 のちほどボンヘッファー作詞による「よき力に守られ」を歌いますが、
この讃美歌は1944年の年末に彼が書いた原詩をもとに作られました。
これは獄中から婚約者マリーアに宛てた手紙の末尾に添えられていた極めて
個人的な詩ですが、完璧に韻を踏み何度も推敲を重ねて書かれたようです。

 最初に「よき力(複数)に囲まれ」と始まるのですが、余命幾ばくもなく
自由を奪われた獄中にあって、何がよいのでしょうか。
研究者によるとこの力とは、天使たちの力を意味するそうです。
天使は神から遣わされた人たちのことです。実際には家族や、彼を理解し支援し
連帯する人々のことを言うのでしょう。
そしてどんなときも共にいてくださる神の力を表していると思います。

 5節目に「わたしたちは知っています。あなたの光が夜、輝くことを」とありますが、
これは「光は闇の中で輝いている」ヨハネ福音書の1:5節と響きあっています。
私たちはしばしば苦しくて悲しくて、光も希望も見えない暗澹とした状況に
置かれることがあるでしょう。
 しかしヨハネもボンヘッファーも、私たちに語ります。
明けない夜はなく、必ず新しい朝が来ることを。
それがすでに闇の中に始まっていることを。
闇に打ち克つ光は私たちの命の光であることを、
信仰のまなざしでそれを確かに見ることができるのです。

今日は12月31日、まもなく新しい年が私たちを迎えます。

*******************************
 Von guten Machten  (よき力あるものに)
   詞:ディ―トリッヒ・ボンヘッファー  訳:宮田光雄

① よき力あるものに つねに静かにとり囲まれ
不思議に守られて慰められ わたしはこの日々をあなた方と共に生き
あなた方と共に 新しい年へ入っていきます。

② 今なお,旧い年はわたしたちの心を苦しめ、今なおいとわしい日々は
わたしたちに重荷を負わせています。
ああ主よ、脅しの下に立たされたわたしたちの魂に、救いを与えてください。
その救いのためにあなたは、わたしたちをお造りになったのです。

③ そしてあなたがわたしたちに、苦い杯を 溢れるばかりに満たされた
苦難の杯を与えられるのなら、わたしたちはそれを感謝しておののくことなく
あなたの慈しみ深い愛の御手から受け取ります。

④ しかし今一度、あなたがわたしたちに喜びを、この世にたいするまた、その太陽の
輝きへの喜びを贈ってくださるなら、わたしたちは過ぎ去ったことを思い起こします。
そのとき、わたしたちの生はことごとく、あなたのものになるのです。

⑤ あなたが暗黒の中にもたらした蝋燭の火を、今日暖かく明るく灯してください。
もし出来ることなら、わたしたちをもう一度共におらせてください。
わたしたちは知っています。あなたの光が夜、輝くということを。

⑥ 深い静けさが周りに広がる時、目に見えなくてもわたしたちの周りを包む世界に
充ちるあの澄んだ響きを、わたしたちに聴かせてください。
あなたの子らすべての気高い賛美の歌を聴かせてください。

⑦ よき力あるものに、不思議にも守られて 何が来ようともわたしたちは心静かに
それを待ちます。朝に夕に、そして来る日ごとに神はつねにわたしたちの傍らに
おられるのです。
                            1944年12月

※この詩に関する詳しい解説を、宮田光雄さんは「ボンヘッファーとその時代」新教出版社
 「ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想」岩波現代文庫に記しています。

2023年12月31日 礼拝説教資料

【おまけの話】

メンデルゾーンは多才な人だったと思います。
ドイツのライプチヒにある彼の家は記念館に
なっていて訪れたことがあるのですが、彼の
水彩画が展示されていて、その素晴らしさに
舌をまきました!
ライプチヒに行かれる方は、ぜひどうぞ。
「天は二物を与える」のですね。

ボンヘッファーの「よき力に守られ」は天使のことで
あるならば、そしてその天使が神から遣わされた人々
であるなら、今日のガザにおいても人々は世界中に
天使を見出しているのだろうと思います。

ボンヘッファーが、過ごした最後の1944年クリスマスと
大晦日は、今年2023年と曜日が同じです。
12月24日、12月31日は日曜日でした。
 ボンヘッファーに牧師補研修所で指導を受け
大きな影響を受けた、ゲアハルト・エ―ベリング
(1912~2001)は、牧師であり、ルター研究で
知られた神学者ですが、ナチスと闘ったドイツ告白
教会に属していました。ベルリンのヘルマースドルフ
教会での1944年のクリスマス説教のタイトルは
「暗黒の年、1944年の降誕の祝い」

 説教は「戦争は壊滅状態であった」と言う言葉
 から始まっています。
 戦争末期、ドイツの町が次々と壊滅していく中で
 1944年はまさに暗黒の年であったのです。
 ナチスの加害性、そして戦争による町の壊滅を見て
 どう受け止めたのでしょう。
 そのような状況にあるとき、どんな説教をしたの
 だろう?と興味がありました。
 
 全文を記載できませんが、その一部を紹介しましょう。
 暗黒の中に響き渡る天使の「恐れるな!」
 を聴き取りたいと思います。
 
あなた方は、この降誕の夜に皆で喜び祝うことが許されて
おります。貧しく苦しみを担う方たち,病んでいる方たち
が喜び祝うのです。なぜならわたしどもは、すべての貧しさ
苦悩、孤独、肉体とこころの病までも、ご自身に引き受けて
くださる救い主を得ているからであります。
   (1944年12月24日 ゲアハルト・エ―ベリング)
        「ドイツ告白教会の説教」教文館より。

2024年、神の平安が豊かにありますように!
 


 

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地には平和 ルカ福音書2:8~14

2023年12月30日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年12月24日 クリスマス礼拝
地には平和  ルカ2:8~14 
         清水和恵

 讃美歌「もろびとこぞりて」の作者は18世紀に生きたドッドリッジという牧師です。
原詩の中の1節の直訳は「主は来られます。破れた心に包帯をするために。
血を流している魂を癒すために。そしてその恵みの宝で、貧しい人たちを豊かにするために」
非常に直截的な表現ですが、ここにドッドリッジの示すイエス・キリストの降誕の意味と
目的が表されています。イエス・キリストはまるで医療者のようなイメージです。

 包帯と言えば、ガーゼです。傷口の保護や止血のために用いられます。
ガーゼの名前は、中東のガザに由来すると言われています。
ガザは古くから高品質の織物製品を生産してきました。
ところがそのガザで今、ガーゼが不足しています。
連日のイスラエルの空爆によって、2万人を超える死者、数万を超える負傷者、
避難者が出ていると報じられています。
安全であるはずの病院が爆破されています。
新発寒教会は今年のクリスマスを「平和を祈る」として歩んできました。
クリスマス献金をガザ支援の為に献げます。

 1枚の写真を紹介します。
イエスが生まれたとされる、ベツレヘム(ヨルダン川西岸地区)にある
福音ルーテルクリスマス教会の礼拝堂の中に置かれたクリッペ
(キリスト降誕場面の模型)は、瓦礫の中にイエスがケフィーエという
パレスチナの抵抗を表す白と黒の布に包まれています。
例年はツリーを飾るのですが、今年はガザに思いをはせるため、
このような展示をしたそうです。

教会のミュンサーイサク牧師はショートメッセージを発しています。

 今年のパレスチナのクリスマス
 瓦礫の下のこども
 インマヌエルの神は わたしたちの痛みと苦しみのなかで
 共におられる

 神は抑圧された者と連帯する
 ベツレヘムのこどもはわれわれの希望
 ガザの子どもたちと戦争被害にあったすべての人にとって

 今日のガザで 神は瓦礫の下にいる
 神は手術室にいる
 もしキリストが 今日生まれるなら
 瓦礫の下に生まれるだろう

 われわれはすべての子どもが殺され、瓦礫の下から
 引き出される中に キリストのイメージをみる。

 戦慄の走るメッセージです。
 経験したことのある人でしか、このような言葉の紡ぎかたは
 できないのかもしれません。
 でも、耳を傾けたいと思います。

 甚大な人権侵害の中にあるガザにキリストは生まれるということ。
それは痛み、苦しみ、悲しむ人のもとに、キリストは来られ共に痛み苦しみ
悲しんでくださることを表しているように思います。
 パレスチナの人々は「地には平和」を祈り、クリスマスの希望を
持ち続けています。あきらめていないのです。
その希望を支えているのは神への信頼と彼らに
連帯する世界中の人々の存在です。
もしあきらめるとしたら、それは支え連帯する者がいなくなったとき
なのかもしれません。
「地には平和」これは思想、信教などあらゆるものを超えた
普遍的なクリスマスのメッセージです。

 今私たちにできることは何でしょうか。
大量虐殺を止めること、破れ傷んだ人々に包帯を差し出して、
その痛みを和らげること。自分のことだけでなく、視野を広げて世界で
何が起きているのか知り祈ること、献げること,,,,。

 私たちにできることは限られています。
けれどもどんなことでも、私たちの小さな祈り、思い、勇気、
行動からキリストが示した平和への道が開かれていくのでは
ないでしょうか。

私たちがキリストと共に平和のために、一人ひとりの命と尊厳のために働く時、
クリスマスの希望は消えることはありません。





【おまけの話】
メッセージの冒頭に、ティッシュを使った手品を披露した。
おまけのおまけの話だが、今の子どもたちには、チリ紙、ハナ紙は
通じない。手品はマジックと言わないと通じないことがわかった。

披露した手品は、ぼろぼろになったティッシュを元どおりに直すと
いうもの。そこから私たちの心をまるでお医者さんか看護師さん
みたいにイエスさまが癒してくださるよ、ということを伝えたかった。
そして「もろびとこぞりて」の話へとつなげた。

破れた心に包帯をするために。
血を流している魂を癒すために。

これは残念ながら、讃美歌21には反映されていない。
かろうじて讃美歌1編の112番の4節
「しぼめる心の花を咲かせ」のしぼめる心が
破れた心(ブロークンハート)に対応しているよう
だが、これでもリアリティがない。

おびただしい傷ついた人を癒すには、チームが必要なのでは
ないだろうか。今こそキリストと共に働く人が求められているだと
思う。いろんな働きがあるだろう。地の平和のために
自分にできることは何か、考え行動する者でありたい。


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先駆者 マルコ福音書1:1~8

2023年12月23日 | 礼拝メッセージ要旨
 2023年12月17日礼拝

『先駆者』  マルコ福音書1:1~8  清水和恵

 マルコ福音書には、ルカやマタイのような誕生物語はありません。
唯一イエスの出生に関して記載しているのは、
ガリラヤのナザレ出身だったということです。(1:9)
ところがそのナザレは「ナザレから何がよいものがでるだろうか」
(ヨハネ1:46)と見下されている町でもありました。

マルコ、マタイ、ルカに共通しているのは、
イエスは注目されないところで生まれたということ、
そしてバプテスマのヨハネが登場していることです。

イエスはナザレを出て、ヨハネに弟子入りします。
ヨハネは悔い改めの洗礼を授けていました。
悔い改めとは、ただ反省するという意味ではなく、視点を変えるということです。
彼は絶大な人気を博します。ヨハネの語る「神の国」は民衆に大いなる
期待と希望を抱かせたでしょう。

1世紀の歴史家ヨセフスによると、ガリラヤの領主、権力者ヘロデは
ヨハネの人気が民衆の暴動に発展するのを恐れたようです。
ルカによれば、彼は祭司ザカリアの息子です。しかし祭司になる道も捨てて、
荒野で禁欲的な生き方をし、旧約の預言者のようなふるまいをする
ヨハネに強く魅かれた人も多かったかもしれません。

荒野にどのようなイメージを抱くでしょうか。
命の乏しい荒れ果てた地を思い起こすでしょうか。
荒野は社会にあり私たちの内にもあるのかもしれません。
けれども荒野は聖書によれば神に出会い、神の言葉が示される場所でもあるのです。
荒野と思えるところにすでに喜びの知らせが告げられています。
荒野に道を整える人物がおりました。
その人はバプテスマのヨハネ。
彼はイエスを指し示し、イエスに至る道を備えたのです。

【おまけの話】
もうどのくらい前になるでしょうか。
教会にくる子どもで、息子のともだちでもあったR君は
やさしい少年だったと思いだしています。
忙しいお父さんや、体調のすぐれないお母さんを助けて
お買い物に行く姿をなんどか見かけました。

あるとき、教会に「こどもSOS」のステッカーを貼ることに
なりました。こどもSOSのステッカーは、こどもが何か困ったときに
ステッカーのはってあるお家に、遠慮なく立ち寄ることができる目印です。

さっそく玄関に貼りました。
目立つように貼ったつもりでした。
ところがあるとき、R君が私に言うのです。
「こんなに高いところに貼ったら、読めないよ」

言われてはっと気づきました。
確かに、こどもの目線では高すぎたのです。
わたしはR君に教えてもらって、こどもに見やすいところに
ステッカーを貼り直しました。
R君に視点を変えさせられたのです。

悔い改めは視点を変えること、と書きました。
まさに、独りよがりであったことを教えてもらいました。
位置、高さによって、見えてくるものが違います。
悔い改めは メタノイア。メタは変わる、超えるという意味で
ノイアは、判断や理解を表します。
すなわち、判断や理解、視点を変えるということです。
そのことをR君に教えてもらいました。
悔い改めは端に反省するということではなく
自分と異なる理解、判断、視点に立つこと。
それは変わるということの扉に立っていることかも
しれません。
林竹二という教師であり教育哲学者の言葉を思い出します。
「学ぶことの証は、変わるということ」

他者との出会い、対話は気づきや発見を与えてくれます。
そこから新しい生き直しが始まるんですね。
(人の話をちゃんと聴こう、自戒をこめて)

Rくん。
どうしてるかなあ。
今も教会の玄関に貼ってある「こどもSOS]のステッカー。
これを見ると、ときどき、人なつっこい笑顔とくりくりっとした
目のRくんを思い出します。


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マリアの子 マルコ福音書6:1~6a

2023年12月16日 | 礼拝メッセージ要旨
2023年12月10日の礼拝
 「マリアの子」
  マルコ福音書6:1~6a    清水和恵

 聖書によればイエスは、母マリアと生物学的な父ではないヨセフに育てられました。
故郷のナザレの人々は、イエスを「マリアの子」と呼びました。
これはとても侮蔑的な呼び方です。当時のユダや教社会では、父親の名前によって
「〇〇の子」と呼ぶのが常でしたから、ここでは父ヨセフの名はあげられずに
「マリアの子」と呼ぶのは、イエスの出自が「ワケあり」だと見られていたことを
物語っています。
 マリアは10代で婚外妊娠をしたと考えられますが、その苦悩の様子はルカ福音書に記されています。
そしてマリアをを受け入れ共に生きたヨセフは素晴らしいと思うのですが、
同時に彼は周りからは穢れた罪びととして見られていたと思われます。
イエスとその家族は、ナザレ村で蔑まれ差別されて生きてきたのではないかと
想像するのです。

「マリアの子」という呼び方が相当に衝撃的に思われたのか、
マルコを下敷きに書かれたとされるマタイでは
「大工の息子」(13:55)にルカでは「ヨセフの息子」(4:22)
に言い換えられています。

ところで、「親ガチャ」という言葉が2021年の流行語大賞に選ばれました。
北海道では「ガチャポン」と呼ばれるカプセルのおもちゃの中身を、
買う人が選べないように子どもは親を選ぶことはできないという意味で、
若者が使いだしたスラングです。

ある意味イエスも「親ガチャ」でしょう。
しかし「親ガチャ外れ」(親や環境に不満を抱く現実)だったでしょうか。
わたしにはそうは思えないのです。貧しくとも周囲から怪訝な目で見られようとも、
両親の信仰と愛情の中で豊かに育てられたと想像します。

さて、世の中は親に限らず国、国籍、民族、性、容姿など、多くの選べない
「ガチャ」があります。それだけでなく、病気や障がいや事故など予期せぬ出来事に
「なぜわたしがこんな目に?」と思う場面があります。
そんな時、イエスがどこに生まれ育ち、誰と共に歩まれたのか、
思い起こしたいと思います。
イエスは被差別少数者、貧しく悲しみの中にある人々と共に歩まれました。

また何故その彼ら、かの女らはイエスの仲間になっていったのか。
何故イエスのメッセージと実践は人々の希望となっていったのか。
それはイエス自らが、貧しく虐げられた環境の中に育ったから痛みを知る者として
共感されたからでしょう。
「神様は弱くされている人たちを優先して選び、共におられ愛してくださる。
だから神様に信頼し希望をもって今日を生きて行こう」との、
イエスの呼びかけは人々の心をぎゅっと掴んで、記憶に残ったのでしょう。


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それでも井戸を掘る 創世記26:15~26

2023年12月10日 | 礼拝メッセージ要旨
 2023年12月3日 礼拝
「それでも井戸を掘る」
  創世記26:15~26  清水和恵

 今年のアドベントは「平和を祈る」をテーマに歩みます。
特にガザでの虐殺が終わるように心にとめて平和を祈りたいと思います。

創世記はその2/3がアブラハムとその家族の物語ですが、
2代目族長のイサクについて書かれているのは父アブラハムや
息子のヤコブに比して圧倒的に少ないです。
その中で、本日の聖書はイサクの人となりが表れている個所です。

 遊牧民にとって井戸の確保は一族と家畜を守る死活問題でした。
イサクは次々と井戸を掘るのですが、その井戸をめぐってその地の人々と
争いが生じたため、結局イサクは断念し新しい井戸を求めてその場を離れます。
しかしついに平和のうちに井戸を得るというお話です。

 イサクは父アブラハムや、子ヤコブのような強い個性を持たず存在感の薄い人物の
ように見えるのですが、なかなかのリーダーシップを発揮していると思います。
彼はやられたらやり返すのではなく、譲っていくのです。
争うことによって互いに傷つけ合うのを避けて、一族を守っていきます。
さらに結果的に、自分の堀った井戸を譲ることで敵対する人々の
水の確保に繋がっていきます。

現代で言うとイサクは非暴力平和主義者ではないでしょうか。
アフガニスタンで井戸や用水路を掘り、多くの人々(65万人)の命を救った
故中村哲医師の姿にも重なります。
彼はクリスチャンで、イエスの教えを実践した人でした。
また地元の人々から カカ・ムラド(中村のおじさん)と慕われ尊敬されました。
中村医師の遺した言葉に「やられてもやり返してはいけない」「真の平和は武器によらず
小さくても愛の試みから始まる」「神は共にある。苦難にもかかわらずではなく、
苦難をとおして与えられる恵みがある。」
「どこかの片隅で誰の目にもとまらないものにコツコツと自分のできることをする」
「一隅を照らす」
そのように語る中村哲さんは、現代のイサクのように映ります。

 歴史をふりかえると戦争とは人間の領土争いで、勝った者が地を受け継いできたのです。
しかしイエスは「柔和な者幸いだ。その人たちは地を受け継ぐ」と言われました(マタイ5:5)
ここでの柔和は謙遜と言う意味があり、本田哲郎神父は抑圧された者と訳しています。
イエスは「争うな、暴力を行使して傷つけ合ってはいけない」と言われるのです。
イサクはイエスの教えと実践を先取りした人だと言えるのではないでしょうか。
結局、地を受け継ぐ祝福を受けたのはイサクでした。
イサクが寄留したゲラルは、今日のガザ地区のあたりというのも象徴的です。 

 ヘブライ語の井戸は子宮という意味があるそうです。
子宮は命を育み産む臓器です。
この子宮と言う言葉から「いつくしみ」という言葉が派生したそうです。
わたしたちに柔和でありなさい。いのちと平和の井戸を掘るようにと、
イエスの呼びかけが響いているのです。

【おまけの話】
今、NHK大河ドラマで「どうする、家康」が放映されていて、
2代目の秀忠が、偉大な父のようになれないで苦悩するという
姿が描かれています。
イサクもひょっとしたら、秀忠と同じような悩みを抱えていたのかも
しれません。けれども、彼は彼なりに族長としての責任とリーダーシップを
発揮して、弱小の部族をまとめて一時代を築いていったと思うのです。

2代目は大したことない、と評価され3代目で確立するというのは世の常でしょうか。
徳川幕府
でいえば家光でしょうか。

かくいうわたしも、新発寒の牧師2代目でした。
確かにたいしたことないのですが、そうですね。
たいしたことなく、凡庸でいき、3代目に繋げていきましょうか・・・。




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