2024年2月11日 礼拝
偶像からの解放 申命記4:15~20
清水和恵
毎年、わたしは新しいカレンダーや手帳を手にするとき、
2月11日が「何の日」であるか確認し、もし「建国記念の日」と記されていたら、
必ずバッテンをつけます。
ほかにこの日は「国民の休日」と呼ばれたり、キリスト教会では
「信教の自由を守る日」として、全国各地で超教派の
「信教の自由を守る2・11集会」が開催されています。
戦前まで2月11日は紀元節と呼ばれ、神話上の人物である神武天皇の
即位日に由来して定められた祝日でした。戦前戦中、天皇は「現人神(あらひとかみ)」
として支配君臨し、人々は崇拝していました。
いっぽうでそれはおかしい!と抵抗する者は徹底的に弾圧され、
信教の自由を初めありとあらゆる自由が奪われました。
つまり信者,非信者問わず、偽りの神を信じない自由を奪われた、ということです。
また紀元節はアジア太平洋戦争を遂行する装置でもありました。
植民地支配下の朝鮮では、神社参拝を強制し、それに抵抗した者を激しく弾圧しました。
日本国憲法は歴史の反省に基づき、憲法9条に明示された平和主義のもとに
政教分離と信教の自由を掲げています。
ところが紀元節復活を求める力が強まり、1966年「建国記念の日」
が制定されてしまったのです。わたしたちは2月11日を、無自覚に過ごしては
ならないと思います。
わたしたちの「信じる自由、信じない自由」が脅かされてはなりません。
申命記には偶像を作ったり、崇拝してはいけないリストが記されています。
しかし当時のオリエント世界は多神教でしたから、像を刻み拝むのは当たり前。
オリエント世界の中で、偶像崇拝をを禁じる一神教は異彩を放つと言いますか
かなり異質に見えたはずです。
聖書によれば、人はけして神になれないし、神のようにふるまうことをを厳しく批判
しています。人はあくまでも神の被造物であるのです。
カルバンは偶像崇拝を批判し「人間は永遠に偶像を作り出す工場のようなもの」
と言いました。人やお金、権力、軍事力など、ありとあらゆるものを偶像(偽りの神)
としてしまうことに対して聖書は警鐘を鳴らしているのです。
偶像にひれ伏すことは、人を不自由にし差別や人権侵害を生み、戦争もひきおこす
危険性を孕んでいるのです。何を見て聞いて判断し、信じていくのか、また信じないのか、
冷静に見極めることができますように。
そして二度と偶像にひれ伏すことがありませんように。
※おまけの話
教会に昔、Bさんというチリから来た方が集われていました。歌の得意なBさんは
チリの民衆歌や民謡や流行歌をよく聴かせてくれたものでした。
そのBさんが「日本には神さまが多いのね。野球の神さま、料理の神さま、、、
というように、なんでもかんでも神さまになってしまうのね。」とびっくりして
いました。信仰深く、聖書に忠実に聴こうとする かのじょからすると、考えられない
ことだったようです。
月一度、礼拝奉仕に行く、神愛園手稲(特養)では毎日の礼拝のあとに職員さんが
「今日は○○の日」と紹介して記念日の由来やエピソードを話してくださいます。
日本には、記念日協会というのがあって、民間から寄せられる記念日の認定をする
そうで、これまで2600もの記念日が認定されたそうです。
インターネットで調べてみましたら、2月11日には幾つか記念日があるのですが
その冒頭は「建国記念の日」でした。
やっぱり、バッテンですね。