2024年3月17日
「ひと粒の麦」 ヨハネ福音書12:20~26
清水 和恵
「人の子が栄光を受ける時が来た。一粒の麦は地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)
この言葉は、ギリシア人がイエスに会いたいと願い出たことを発端に、
弟子やギリシア人に対して語られました。
このギリシア人たちは、ユダヤ教徒に改宗した人たちです。
「人の子が栄光を受ける時がきた」とはヨハネ福音書独特の表現ですが
「イエスの死が来た」と同義語です。
古代の人は種から芽が出ることを、種としてのいのちが死に、芽、茎、穂として
形を変えて新しいいのちが始まると考えました。
イエスの十字架と復活は、このように麦の穂を実らせることだと、イメージされたのでしょう。
ヨハネ福音書においては、イエスの十字架は敗北ではなく、新しい時の始まりを表します。
死は死で終わらず、死の向こうに復活という勝利、輝かしい栄光があるという理解です。
しかし私たちはイエスの犠牲の死を美化してはならないと思います。
同時に犠牲の死を誰にも強要してはなりません。
イエスは処刑死しましたが、死んでもなお私たちのうちに生き続けています。
種は殻に包まれています。
その殻を破り、形を変えて生きるいのちの世界があることを、イエスは示したのです。