2024年4月21日
「湖畔の食事」
ヨハネ福音書21:1~14 清水 和恵
聖書学の見地によると、ヨハネ福音書は元々20章で終わっていました。
ではなぜ21章が付け加えられたのでしょうか。
ヨハネ福音書を最終的に編集した人の意図を思い巡らしたいと思います。
21章を読むと、舞台はガリラヤ湖畔。
昔、弟子たちが生業としていた漁をホームグランドの湖でやって
みたけれども不漁で、そこへ復活のイエスが現れ指示通りにすると大漁になり、
イエスが用意した朝の食事をするという話。この話には幾つかの謎があります。
まず、なんで彼らはエルサレムを離れ故郷に戻り漁をしていたのか。
ガリラヤ湖がティベリアス湖と書かれているのはなぜか。
かれらはエルサレムでの活動がうまくいかず、故郷に戻るしか術がなかったと思われます。
しかも、元生業としていた漁をしても、徒労に終わる中で疲労困憊し先の展望が見えない
状態にあったようです。つまり21:1~14は弟子たちの失敗と挫折の話です。
ではなぜガリラヤ湖と書かず、ティべリアス湖になっているのか?
ガリラヤ湖西岸にティべリアスという町があります。
この町はイエスと同時代に生きたローマ皇帝ティべリアス(在位14~37年)
の名前によって名付けられました。支配者の名にちなんで地名が変えられることは、
支配する者の権力を示す意味があります。
ヨハネ福音書が編集されたのはおおよそ90~100年頃と言われており、
その頃のキリスト教会はローマ帝国の弾圧に苦しんでいたという歴史的状況があります。
当時ドミティアヌス帝(在位81~96年)は、自らを「主」と崇めさせキリスト教徒を、
強固に組織的に弾圧していました。そこでヨハネ福音書21章を書いた著者は、
ティべリアス湖という表現にこだわったと思うのです。
ヨハネ福音書が書かれまとめられた90年代の教会が置かれた歴史的背景をふまえ、
福音書でわざわざティべリアス湖と記したのは、当時のガリラヤの民衆そして
キリスト教会がローマ帝国の支配下にあって弾圧され、どれだけ思い悩み辛酸をなめ
苦労しているのかを象徴的に表現したと言えるでしょう。
ガリラヤ湖ではなく、あえてローマ支配の象徴として使われたティベリアス湖を舞台と
記すことでローマの属国である人々が翻弄され苦しんでいることを、
著者は強調したかったと思われます。
あえてティベリアス湖を表記するのは、権力に抵抗する手段としての皮肉にもとれます。
さてローマ帝国の支配下という背景を踏まえて、夜通し働いて頑張ってみた、
しかしなんの成果もなく疲労困憊して途方に暮れてしまった彼らにイエスは現れます。
ねぎらいの気持ちもこめて炭火を起こし朝の食事を用意しました。
ここで注目したいイエスの言動は、「もう一度やってみたら?」といううながしと、
弟子たちが自ら獲った魚を食事に用いたということです。
イエスの精一杯のあたたかなねぎらいが伝わってきます。
こんなイエスの言葉が聴こえてきます。
「あなたがたの働きは疲労困憊するほど大変だけれど、全く無駄じゃない
。今こうしてみんなの疲れをいやし、心とお腹をみたし、元気にしてくれるものを
あなたたちは現に差し出しているではないか。あなたたちは充分にやっていける。
途方にくれ絶望してにっちもさっちもいかなくなっても、大丈夫。
そんなあなたたちのところに、わたしはいつも共にいる。」
イエスがつくった朝の食事。弟子たちにとって、特別な食事であって
格別な味がしたでしょう。
それは弟子たちの次の行動するステップにつながるとても大事な食事となりました。
【おまけの話】
大漁だったというのは153匹の大きな魚が獲れたという話。
これはあくまでも、「たくさん」という象徴的な数字です。
面白い話があります。ボーリングのピンを1列目に1本、2列目に2本・・・・
という風に三角形を並べると17列目でちょうど153本、
キレイな3角形になるそうです。
ボーリングのない時代に生きた著者からすれば、
なんともびックりする話でしょう。
ところでガリラヤ湖で何も獲れず、この先いったいどうしたらいいのやら、
すっかり疲労困憊している弟子たち。
イエスから託された伝道もできず、元生業の仕事もうまくいかず・・・
思い悩む
彼らの中には、神は何をしてるんだ?
本当に神はいるのか?と疑った弟子もいたのではないでしょうか
遠藤周作はこんなことを言っています。
「信仰とは99%の疑いと1パーセントの希望である」
これを「私のイエス」という本の中で言っています。(p19)
新発寒教会は、読書会をしていますが
来る5月28日(火)13:00からこの「私のイエス」をテキストに
行います。
「信仰とは99%の疑いと1パーセントの希望である」
なかなか意味深いと思いますが
遠藤はいったい、なにを言いたかったのか
ご一緒に考えてみませんか。