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新発寒教会ブログ

札幌市の新発寒教会ブログです。

日本基督教団新発寒教会 ご案内

日本基督教団新発寒教会のご案内です。

牧師 清水和恵

定期集会は以下の通りです。

主日礼拝 毎週日曜日午前10時半
聖書を読み祈る会 毎週水曜日午前10時半

新発寒教会の地図

アヨーイ(ありがとう)

2024年07月06日 | 稜線(エッセー風に)
アヨーイ(ありがとう)  清水 和恵

 6月13日(木)~18日(火)、教区アイヌ民族情報センター主催
台湾研修旅行に参加した。九州ほどの広さの台湾をぐるっと回るなかで、
今回の目玉は東部に浮かぶ蘭しょ島を訪ねたこと。
そこは海洋民族のタオ族が暮らす島、そして島民のほとんどが、クリスチャンだ。
港に着いた時、「歓迎、キリストの島に」と掲げられた看板が目を引いた。

 蘭しょ島は、かつて政府が国立公園設立案を出し、タオ族の伝統文化、
生活、漁業権を奪おうとしたことに対してタオ族が抵抗し、
その結果、政府が断念した。
 また島内に台湾電力による核廃棄物保存所が稼働していたが、
島ぐるみでそれをストップさせた歴史がある。
わたしは島を囲むマリンブルーの美しい海(太平洋)は北海道沖まで
つながっていることを思った。そして今、福島で原発汚染水が放出されていることを、
海と暮らしを守り続けているタオ族の人はどう思うのだろう?と、ふと頭によぎる。

 民宿経営の方に,「謝謝 シェイシェ(ありがとう)」と北京語で話しかけた。
多民族国家の台湾では、北京語が一応の「標準語」になっている。
すると彼女(オーナーの娘さん)は静かに
「わたしたちタオの言葉では、『アヨーイ』と言うのです。」と答えた。
そこにわたしは、タオ族として彼女が誇り高く生きるスピリットを感じた。

 島で最初に覚えたタオの言葉は「アヨーイ」だ。
今、旅から帰って出会った一つひとつを大切に想い起している。
そして言いたのは出会った人々や風景に、旅のすべてを守り導いてくれた神さまに
心からの「アヨーイ!!」。
またゆっくりと旅をしたいと思う。
どんな出会いがあるだろう。
次回は、もっと言葉を覚えて出かけよう。

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おしらせ24・6・30

2024年06月29日 | 稜線(エッセー風に)
お知らせ 
◇札幌地区10教会有志のオンライン合同礼拝
この礼拝は第5日曜日に実施されます。次回は9月29日、
新発寒教会は本日、初めて参加いたしました。

◇夏期献金のお願い
 こどもの夏休みプログラム(7/31)や、牧師夏期手当などのために用いられます。
お祈りに覚えてお捧げくださいますようお願いします。
ご参考までに、月定の1か月分 が予算化されております。

地区、教区、その他
◇北見望が丘教会 鄭富京牧師,李相勁牧師就任式 
7月13日(土)13:00  司式:杉岡ひとみ副議長

◇岩見沢教会 大川清牧師就任式 7月21日(日)15:00 
司式:原和人議長 ※参加する方は、7/7までに牧師までお知らせください。

◇年頭修養会アンケートのお願い
 第70回年修は、2025年1月13日(月)~14日(火)
ホテルライフォート(中島公園隣接)で開催されます。
別紙、参加の意向に関するアンケートにご協力ください。
別紙の参加形態のA,B,Cのいずれかに〇をつけて、6月30日(日)までに、
提出願います。なお、札幌地区の参加人数が多いと、
他地区、遠方からの参加者への旅費などの補助がしやすくなります。

◇教区事務職員の募集について
 別紙のように、募集しておりますのでごらんください。(掲示中)


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おしらせ2024・5・19

2024年05月17日 | 稜線(エッセー風に)
◇教会創立感謝献金のお願い 
新発寒教会は1966年4月3日に創立いたしました。
58年の歩みに感謝しておささげください。
目標は10万円です。

◇教会読書会  5月28日(火)13:00 
「わたしのイエス」遠藤周作

◇教会バザー 
6月9日(日)礼拝後 12:00~14:00
カレー、喫茶、 惣菜、雑貨、手作りの品、
こどもコーナー、ミニライブ他

・収益の一部は、台湾地震、能登地震被災者支援のために用います。

・お米2合、有料ゴミ袋(20リットル1枚、もしくは10リットル2枚)を
6月2日までに集めます。

・献品は5月26日から受付げますので、値段をつけて持ってきてください。
 新品もしくは新品同様の物ですと嬉しいです。

・地域の方や家族、友人を招いて交流する楽しいバザーにしましょう。
 こんな教会だったらまた来たいな…と思ってくださる時にしたいと思います。

地区、教区、その他
◇美唄教会 久世そらち牧師就任式  5月26日(日)15:00

◇矯風会札幌グループ5月例会    5月27日(月)13:00 センター
  礼拝と学習会 「受動喫煙防止の歩み」―1977~2024年まで―
  講師 黒木俊郎さん(弁護士、反喫煙団体連合会代表)

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バングラディシュでの主の導き~ダッカ家庭集会~

2024年04月15日 | 稜線(エッセー風に)
バングラデシュでの主の導き
   ~ダッカ家庭集会~
   
        浦部朴郎

 私たち家族が初めてバングラデシュの首都ダッカに渡航したのは2009年の夏でした。
ダッカに日本人の教会はありませんでしたが、イギリスの宣教師が中心となって
主催する国際礼拝のことを知人から聞き、そこに集うようになりました。
 100人ほどの参加者の中で日本人は私たち家族ともう一人くらいでしたが、
いつも温かく迎えられ、英語でのメッセージやお祈りに苦労しながらもとても
恵まれた環境でした。
 その後、その礼拝に集まる日本人クリスチャンが徐々に増え、多いときは
5~6人の方とお会いするようになりました。

 ある時、日本語で賛美したりお祈りしたりできる集まりがあるといいね
という話になり、私たちの家で第一回の集まりを持ちました。
以降、月一回メンバーの家を持ち回りで開く「ダッカ家庭集会」が
持たれるようになりました。
 クリスチャンでないけれども熱心に参加してくださる方もいて、
毎回本当に楽しい恵みの時間となっていました。「この集会は主が備えてくださったプレゼント」
「日本人の祈りの輪に励まされる」という声を聞いて、家庭集会を始めて良かったと
思ったものでした。

 国際礼拝にも続けて出席しながら毎月の家庭集会を続けて半年余り経った
2011年3月、衝撃のニュースが飛び込んできました。
 CNNの画面に映し出される地震と津波の被害、恐ろしい原発事故の状況に、
これが現実とは信じられない思いでした。多くの日本人が、日本の親族と遠く
離れたまま心痛と不安の中にありましたが、そうした中でも、
家庭集会メンバーはお互いの家族、友人の無事を確認し合い、帰国したメンバーが
ダッカでは分からない日本の様子を知らせてくださり、祈り励まし合うことが
出来ました。
 そんな時に国際礼拝の代表の方から「次週は日本の震災支援のために特別に祈り、
献金を募る計画がある」とのお話がありました。すると家庭集会メンバーの間から
「何を祈れば良いか分からないかもしれない。
礼拝で祈ってもらいたいことをまとめて伝えよう」という提案があり、
今度は他のメンバーがそれに応えて、それぞれの立場で祈っていること、
課題に思っていることを伝えてきてくれたのです。

 英訳も得意なメンバーに恵まれ原稿ができあがりました。
次の礼拝で、日本の震災のためのお祈りと献金の時がもたれました。
家庭集会メンバーからの感謝と祈りの課題の文章が司会者によって読み上げられました。
読み進められるとともに会衆がしんと静まり、文に込められた切実な祈りの
課題が皆の心に伝わっていくのを感じることが出来ました。
私たちの周囲に座っていた方々は、何度も深く頷きながら、
真剣な表情で朗読を聴いていました。このときの全会衆は、初代教会の人々のように
心を一つにし災害に苦しむ人々のための真剣な祈りを捧げていたと思います。
礼拝後、協力したメンバーが集まり、「この試練の時にこの家庭集会があって
本当によかった」と感謝にあふれながら話していました。

 後日、集まった献金をどのように送ったら良いかと代表の方から相談を受けました。
私たちも適切な方法が分かりませんでしたが、神さまが不思議な出会いと道を備えて
くださり、結果的に被災地の教会支援の働きをされている団体に送金することが出来ました。
震災後1年を迎える頃、その時に献金を取りついでくださった京都の教会の牧師が、
教会の青年たちを連れてダッカを訪れ、国際礼拝の中で感謝のメッセージを述べられました。
その後我が家で共に家庭集会を持ち、一同で賛美と祈りを献げたことが感謝と共に
思い出されます。

             「道しるべ」46号より 2024/2/1

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夕張と京都を訪ねて 

2024年04月15日 | 稜線(エッセー風に)
 夕張と京都を訪ねて     

      清水和恵

 昨年の9月、夕張と京都で行われたフィールドワークに参加しました。
夕張は、かつて北海道最大の炭都として栄えましたが今は
その面影がありません。
そして京都は学生時代を過ごした思い出深い町です。
ずっしりと心に残る旅となりました。

夕張で、歴史と平和を考える
 2023年9月18日、北海教区と北海道外キ連の共催のフイールドワークで
夕張を訪れました。講師は日本キリスト教会夕張伝道所牧師の渡辺輝夫さん。
夕張炭鉱関連跡地、労務「慰安所」跡地、朝鮮人墓地、農村の訪問、
夕張伝道所の歴史と宣教についての学び、入管法改悪と移住労働者の問題を
夕張で考えるプログラム。今回わたしは世話人として企画に参加しました。

 1939年以降、国家総動員法に基づいて労働力不足を補うため、
70万人もの朝鮮人が徴用され、北海道に14~15万人(全国比2割)が過酷な
労働に駆り出されました。劣悪な環境下で坑内事故や栄養失調、虐待などによって
多くの死傷者がでました。
 また、朝鮮人労働者を鼓舞するため労務「慰安所」が設けられ、
朝鮮人女性が性奴隷とされました。かの女、彼らは日本の植民地支配の被害者です。
植民地支配を受けなければ、もっと別の人生があったはずの人々です。
 朝鮮人労働者有志によって建立された「神霊の墓」では、強制連行された労働者や、
労務「慰安所」で性搾取を受けた女性たちを追悼しました。
日本の植民地支配は35年に及びます。

 日本では都合の悪い歴史を、なかったことにする歴史否定論が勢いを増し、
歴史の真実を曲げようとしています。それに屈してはならないし、
加害の歴史に向き合い植民地支配の35年を心に刻むために35回、
鐘を鳴らし参加者一同祈り、悔い改めと平和への思いを深くいたしました。
 労務「慰安所」については、高麗博物館朝鮮女性史研究会が編纂した
「朝鮮料理店・産業慰安所と朝鮮の女性たち」(社会評論社2021)に詳しく記されています。

 講師の渡辺輝夫さんは、園芸やメロン農家で農作業をされながら、
牧師としての働きを誠実に担っておられます。
渡辺さんは夕張のメロン農家に働きに来た中国やベトナムの技能実習生と
一緒に労働した経験を話してくださいました。
 気づかされたのは、日本の労働力不足を補うために80年経って現在もなお、
外国からの技能実習生の置かれた厳しい現実があるということです。
北海道の経済を外国人労働者がその一旦を担っていることを思いました。

 
京都~100年前の人々と対話して
 2023年9月26日~28日、日本基督教団部落解放全国会議に参加しました。
この集会はコロナで1年延期されましたが、水平社100年を記念して京都で
行われました。前川修さんは(カトリック京都司教区「希望の家」所長)は、
「全国水平社創立宣言」について講演されました。
 これは1922年3月3日、京都で読み上げられ、日本初の人権宣言とも言われています。
あらゆる差別を乗り越え、人間らしく生きることのできる社会の実現と、
人間の平等と尊厳への願いが謳われています。
 ところが「男らしき産業的殉教者」等の表現は今日、
女性への偏見や差別的表現であるとの指摘もあります。
前川さんは「水平社宣言」の歴史的意義を評価しつつも、100年前に書かれた
宣言で現在の部落問題を説明できない点や、水平社がアジア太平洋戦争に
協力を余儀なくされたことを語られました。

 2日目に関西最大の被差別部落と言われる地域をフィールドワークで訪れました。
そこへは学生時代、バスでその脇を通ったことがあるのみで足を踏み入れたことは
ありませんでした。というより、そこに被差別部落があることすら知りませんでした。
今回は2泊3日のプログラムでしたが、どうしても再訪したいとの思いが沸き起こり、
集会が終わった最終日に、一人で出かけてみました。

 地域にある資料館では、学芸員の方から丁寧な説明を受け、幾つかのことを知りました。
水平社の影響を受けて、1926年に旭川近文でアイヌ民族の解放を求める
解平社(かいへいしゃ)が設立されたこと。
 また、水平社は朝鮮の「賤民」として差別された白丁(ペクチョン)
の解放をめざす衡平社(ヒョンピョンサ)との連帯があったこと。
しかし1933年頃より、衡平社は朝鮮総督府からの弾圧が本格化し、
治安維持法のもとに活動停止に追い込まれたこと。

 また京都の他の部落から、北海道十勝に集団で移住した人々がいたこと。
部落の子どもたちが多く通う柳原小学校の教育実践。関東大震災直後の
教職員会議で「被災地に救援物資を送ること。朝鮮人に危害を加えないこと」
を申し合わせたこと。
 そして「少年少女水平社」や「婦人水平社」が設立され、解放運動に
こどもや女性が立ち上がったこと。
「婦人水平社」を作ったのは被差別を生きる女性たち。
男性に依存するのではなく主体となって運動を担い、家父長制の
厳しい時代に性差別と部落差別に屈することなく声をあげ誇りをもって
生きようとしたのです。
 その一人、岡部よし子は「部落婦人よ、目覚めよ。二重三重の差別と
圧迫を取り除くために。」と発言しました。

 近年、「複合差別」が注目されるようになってきました。
これはたとえば、女性と少数民族、女性と障がい者など、二つ以上の少数者
(マイノリティ)属性を持つ人に対しての差別を表しています。
なんと、100年も前に被差別部落の女性たちがすでに気づいて
乗り越えようとしたことに驚きと敬意を抱かざるをえません。
 地域のそばを流れる鴨川のほとりを歩きながら、
いろいろと思い巡らし、100年前の人々と少し対話できたような気がしました。
      
 なお、「婦人水平社」については、
鈴木裕子「水平線をめざす女たち~婦人水平運動史」が参考になりました。
水平社宣言の結びは「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とあります。
前述の竹口さんは、「この『人』とは、部落の人だけでなくすべての『人』
という意味です。つまりあらゆる差別からの解放をめざしているのです」
と語られました。

 夕張と京都を訪れて、歴史を知り学びました。
貴重な出会いもありました。
それは自分の差別性、加害性を突き付けられる体験でもありました。
正直、きつい部分もあったのです。
なのになぜ学ぶのか、と問うならば、それは解放されるためでないだろうか、と思うのです。

イエスがめざしたのは徹頭徹尾、人間の解放だったと思います。
イエスは神の国を伝えながら被差別を生きる人々と共に歩み差別と闘ったのです。

解放されるための旅はまだまだ続きそうです。

          「道しるべ」46号より 2024/2/1

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