カメラを片手に

道元忌で永平寺の回顧

時折降るシトシト雨の間にザッーとくる。今朝は涼しいかというと最低気温
は25.5℃で熱帯夜で、さらに湿度が半端ではなく90%台、次から次へと暖湿
な大気が、東南方向から押しよせ東の春日奥山を覆い隠す白い雲の流れも。
                               11時
今日の花は『センニチコウ・千日紅』、
日本の真夏の暑さに負けずに長期間咲き続ける熱帯アメリカ原産のヒユ科
ゴンフレナ属の一年草で、多数の花からなる紫、白、黄や赤に色づく
きれいで、ドライフラワーにも適し、名の通り千日色が変わらないほど。
花言葉は「永遠の命」と。
 

今日は『道元忌』曹洞宗の開祖『道元禅師』1253(建長5)年の忌日数え54歳。
得法の機縁は「参禅はすべからく身心脱落(しんじんだつらく)なるべし」 
つまり只管打坐(しかんたざ)=「ひたすら坐禅するところに悟りが顕現する
旧仏教勢力からの迫害で、越前の波多野氏の庇護で後の永平寺を開かれた。
      
  *永平寺の派出所前に立つ道元禅師の歌碑
尋ね入る みやまの奥の 里なれば もとすみなれし みやこなりけり
 意)苦労して尋ね入った山奥の里は、初めて訪れた地ではなく、
  住み慣れた都(居心地の よい場所)で 悟りの境地を表している。
      

鎌倉時代「臨済将軍曹洞士民」と称すように臨済宗は中央の武家政権で政治
・文化で重んじられ、曹洞宗は地方武家や豪族から一般民衆に広まった。 
道元死後、遺風を守る保守派と、衆生教化の開放派の対立も・・・。
現在曹洞宗の根本道場(大本山)は、越前の永平寺と横浜の「總持寺」で、
總持寺、元は能登にあり火災にて1911年現在地に移り、今は總持寺祖院と
呼ばれている。2007年3月に能登半島地震で被害を受け、開創700年となる
来年2021年3月に復興落慶する予定です。もう一度伺わなくては。

なお越前の永平寺へは二度訪れており、一度目は友人との卒業旅行で・・・
ユースホステルに泊まり、春早い早朝の勤行に参加させていただいた。
そして二度目は雪がまだ残る2015年3月下旬、グループで訪れた。

入り口に

天上絵は・・・

承陽殿の龍は・・・


 富山へ行く折、途中迂回して、もう一度伺わなくてはなりません。
道元禅師の教えは色あせず、永遠の命をもって心に響くことでしょう。

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