カメラを片手に

五劫院から空海寺を歩く

今朝の奈良の最低気温は0℃と思ったより冷え込みは少なく、薄雲が広がる。
週末に向かい徐々に最高気温は20℃に近づき、4月の上旬並みと春めくと。
PM2.5、寒暖差とスギ花粉が心配だ。
      11時、10.3℃、38%

さて”奈良に春を呼ぶ”1271回東大寺二月堂「修二会(お水取り)は本行中、
二月堂に上がられる練行衆の足元を照らすお松明の火の粉を浴びられる夜の
方が良いのだが、コロナ禍で自重して訪れる人の少ない7日の日中に伺った。
(二月堂下にはもう待つ人が5人ほど椅子を持参して待っておられた)
11時半頃、Pから歩き出し、「五劫院」・・「空海寺」・・「知足院」・・
「正倉院正倉」、講堂跡から塔頭立ち並ぶ二月堂裏参道を経て「食堂」・・
「二月堂」・・「四月堂」・・「法華堂(三月堂)」・・「法華堂経庫」・・
「行基堂」・・「鐘楼」・・「大仏殿」・・「戒壇院」・・「転害門」・・P
3時間強ほどで10000歩を越えていた。

400円の駐車場から「五劫院」へ行こうと当てずっぽうに入った通り、直ぐに
「雑司町71地蔵尊」

この通り、雑司町70地蔵尊、雑司町68地蔵尊と地図には”地蔵尊”と続くが、
半ば過ぎに「武蔵野美術大学奈良寮」の茅葺屋根が現れた。
      

角にあるはずなのに、一本北側だったようで突き当りに「空海寺」が現れた。
八宗兼学の伝統から華厳宗と真言宗の二宗を受け継ぐ東大寺の末寺で、開祖は
「空海」、804年に戒壇院で受戒され、その後唐から帰朝しこの地に草庵を営
む。自ら彫刻した秘仏「阿那地蔵尊」を堂内の石窟に安置し、本尊としたのが
寺の起こりとされる。秘仏は1734年本堂再建の折破壊されている。
その後「空海」は東大寺14世別当(810-814 )になられた。
 *のちに訪れた「四月堂」に「空海」さんの像が祀られ、経緯が判る。
なお東大寺歴代の僧侶や寺族が眠る墓地があり、平城宮跡保存活動の先駆者
「棚田嘉十郎」翁の墓地もあり、訪れる人も増えたようだ。
      

北に向かう途中に「五劫院」参拝者専用駐車場があり、四つ辻に来れば
北西に東大寺末寺の「五劫院」の鐘楼がみえてくる。
      


1645年の山門を入り本堂へ、右側に紅梅、左側は五色椿はまだ蕾ですね。
本堂前で頭を下げてご本尊の姿を描きながら手を合わせました。


この「五色椿」で有名なのは「百毫寺」3月下旬からで、奈良三大名椿の一つ
残りは「伝香寺」の「散椿」は3月中旬以降、
二月堂下の「東大寺開山堂」前の「糊こぼし椿」、もうすぐ咲きそう。
3/7

更に左側に万葉歌碑がある。
万葉集 巻五 902 山上憶良
水沫(みなわ)なすもろき命も𣑥縄(たくなわ) 
           千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮らしつつ
      

五劫院」は東大寺を再興された「俊乗坊重源上人」が開山され、
本堂のご本尊は「木造五劫思推阿弥陀如来坐像」重要文化財、鎌倉時代
重源上人が宋から請来したと伝わる3体の「五劫思惟阿弥陀仏坐像」、
この大像は「五劫院」にある。残る中像を「東大寺」、小像を京都「大蓮寺」
に安置されたとされるが、断定はされていない。
      奈良観光局から

」とは非常に長い時間を表し、アフロヘアーのように見える螺髪は気の
遠くなるほど長時間考え続けられたお姿で、開扉は8月1~12日です。
事前に☎0742-22-7694へ予約をすれば拝観可能とのこと。
今回は急なことで予約しておらず、玄関先まで行ってみたが声を掛けられず。
      

右側に墓地への入り口があり、等身大の地蔵石仏 で「見返り地蔵」さま
室町時代中期 永正十三年(1516年)、安山岩、高さ 200㎝、 像高152㎝、
お顔をやや左に曲げた珍しい見返り地蔵、体を斜めにして歩行する姿を表す。
右手錫杖、左手宝珠を持つ地蔵を厚肉彫りし、 光背の左右に、細字で
「右意趣者東大寺花厳恵順・・・・、御菩提奉造立供養者也・・・・と
 

次回は予約して御朱印をもらいましょう。

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