記録し、寒気の吹き出しが遅れているようで、穏やかで暖かな朝に。
10時
公共放送大阪局のTVからも色づいた忍辱山「円成寺」の紅葉が写し
出されて、写真を撮りに行く気になりかけたが、紅葉はもう一つ、
やはり出不精もあり、足が向かず。なお明日の放映は永観堂と。
十日ほど前に訪れた当尾の里「浄瑠璃寺」、古くは西小田原寺と呼ばれ
現在は紅葉も進んでいると思いますが、遅れないうちに紹介します。
「当尾」の由来ですが、奈良市内の北々東に位置し、小田原と呼ばれ
南都仏教の影響を強く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の
地として草庵を結び、念仏修業に勤しんだ。やがてこの草庵が寺院へ
と姿を変え、塔頭が並ぶ「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と
呼ばれるようになったといわれている。
当尾の地図
寺号の『浄瑠璃寺』は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土
「浄瑠璃世界」からで、梵字の阿字をかたどったと言われる池を中心に
東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界をこの世に表わし、
本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置され「九体寺」とも呼ばれる。
平安時代には京都を中心にこのような堂も30以上あったと云われるが
すべて失われ、当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺だけです。
配置図
「三重塔」のある東岸「此岸・しがん、現世」から三重塔を眺める
初層内部には柱がなく、心柱は初層の天井から立てられており、一説に
よれば1176年京都一乗大宮から移築され、九体仏が造られる60年前には
壇上に本尊として薬師如来座像(重文、秘仏)が安置されている。
薬師如来座像
池をはさんだ西岸は阿弥陀如来のいる「彼岸」をみれば、
一部紅葉が
池の中の小島には「弁才天」を祀る祠があり、紅葉も
鐘楼
西の本堂側(彼岸)へと回り込み、三重塔を眺めます。
「本堂」は寄棟造、本瓦葺き。桁行11間、梁間4間、藤原時代、
本尊の九体阿弥陀如来坐像(国宝・藤原時代)、観無量寿経にある
九品往生、人間の努力や心がけなどいろいろな条件で下品下生から
始まり、下の中、下の上と再興の上品上生なで九つの往生の段階が
あるという考えから九つの如来様がまつられている。
創建時は中央部のでっぱりはなく、池の東から拝観するように考えられ、
本堂脇まで池は迫っていた。後に中央の一際大きな丈六の阿弥陀如来中尊像
(国宝)を拝観するために拝観するために池を狭め、軒を造られたと、若き御住職が話されていた。
本堂にはその他に
子安地蔵菩薩立像(重文・藤原時代)、不動明王三尊像(重文・鎌倉時代)、
子安地蔵菩薩 不動明王
特に四天王像(国宝・藤原時代)は堂内は前に持国天、後に増長天だけだが
全身に載金を交えた彩色が残る。なお多聞天と広目天は国立博物館へ
四天王像
秘仏として吉祥天女像(重文・鎌倉時代)、大日如来坐像(~鎌倉時代)等・。
吉祥天女像 大日如来坐像
バスの時間がせまり、ゆっくりとしておれませんでしたが、秋の一日
非日常の浄土の世界を垣間見れました。
なお浄瑠璃寺から近鉄奈良駅まで急行バスで25分、570円で
到着し、さらに色づいた浄瑠璃寺や岩船寺が見られますよ。
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