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ちゅうやんの話

2010年11月18日 | 徒然
ちゅうやんの話

ちゅうやんは10年ほど前まで我が家で飼っていた犬です。
ホントの名前は「忠」の一文字。15歳ぐらいで老衰で亡くなりました。

 当時は私もあまり良くわかっていなかったのですが特徴などからするとかなり純度の高い和犬だったように思います。

 ちゅうやんは代々うちで飼われていた犬の末裔で、最初の犬は廉(れん)という名前でした。これは当時和歌山県の古座周辺で使われていたマタギ犬、いわゆる古座の地犬とよばれていたものの子を貰ってきたもので色は茶、堂々とした立ち姿、主人と自分に敵意を示さないものには寛容な性質、泳ぎが得意で水かきがあるなどの特徴がありました。
 廉はやがて「れお」という子供を残し、れおは「ばん」という子を、ばんは、「ばつ」を、ばつは「びり」、びりはビーコを残しました。どれもメスなのですけど、このメスたち、なぜか自分に良く似た形質のオスを見つけてきては子供を生むのでいつも同じような犬が我が家には飼われているという状況がずっと続いてたようです。

 そしてビーコが残した子供がちゅうやんなのですけど胸幅広く風格のある体つき、斜めに狼のようにたらしたさし尾、だれもが「この犬、なんだかライオンみたいな雰囲気ね」というぐらい存在感のある犬でした。体高は60cm弱。和犬としてはかなり大型の部類に入るでしょう。ちゅうは泳ぎが得意で子供たちと一緒に川泳ぎを楽しむ、時には潜ったりもするなど普通の犬では考えられないような事が出来たのですが、当時の私はかわった犬だなぁとぐらいにしか思っていませんでした。

 おそらく、ですが、ちゅうを最後にこの犬の系統は絶えたと思います。あとから聞いた話ですが地元では昔、紀州犬には白い紀州犬と茶色の紀州犬がいるという認識があったそうなのでちゅうのご先祖は茶色の紀州犬と呼ばれるものだったのかもしれません。※そのほかに斑や虎毛というのもいたそうです。

ちなみにちゅうが最後に残した子供は「つんこ」といいますが、この子は白でした。見た目もちゅうの面影はあるもののいわゆる雑種然としたものです。性質はちゅうによく似ています。尾はたらさずに少しまきます。よく物事がわかっていて家族からはとても愛されています。

 現在では日本中で地犬の保存会などがあって、その土地々の和犬を保存しようと努力されているようですが各地で千年以上も続いてきたとういう和犬の血がどんどん絶えていく状況はなかなか好転できず、近親のみの袋小路に入ってしまった品種も多いと聞きます。残念なことですね。


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