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片川のお宮さま

2011年01月24日 | 徒然
片川のお宮さま、、といっても涙で曇らす金色夜叉とは違って、神社のことですが。

 開山は神社の記録では1400年ぐらいと聞いてます。私が子供心に大体で計算して西暦だと1402年ぐらいだなとと計算したのを丸覚えしてるだけなので、そのときの計算が違っていれば全然違う可能性もあります。在所に残る文書などは昭和中期に焼かれてしまったので残ってない事になっているのですが、私の予想では焼かれなくてもその中に古い文献はほとんど残っていなかったと思います。なぜなら田舎の苦しい貧困の生活の中で、後に過去を調べて想いを馳せる様な閑(ひま)人、ゆとり人、が出てくるなんて思わなかったと思うのです。

それで口伝でこんな話が伝わっているのですが、どこにでもある話っぽいし、一応健忘の為にここにだけ書いておきます。
元々お宮が無かった頃に一人の大男が住んでいたそうです。
ある日、片川のお宮を定める為に片川に神様が来ることになりました。
大男は神様が来られると言うのに何もお供えをする品物が無い事を恥ずかしく思い、
神様が来られる日の朝に那智の勝浦まで行って魚を買いに行きました。慌てて行ったので3歩で山を飛び越えました。
帰りにはアワビと言った貝類も買い揃え、慌てて帰ってきたのでまた3歩で帰ってきました。
夕刻には木を積み、かがり火を焚いておりましたところ、果たして白髪で白い髭を蓄えた老人が現れ、
用意されたお供え物に大変喜び、その後、現在の片川のお宮がある場所を指し、ここに祀りなさいと大男に言ったそうです。
それからそこにお宮が祀られるようになったとの事です。



 実際には人が住み始めたのは1400年よりも前になると思います。片川には2箇所、弘法大師を祭ったお堂があります。
その内、片川の里にあるものは下に牛鬼の碑があります。
牛鬼とは日本の古来から物語にはよく出てくるキャラクターで実際には山賊を表しているのだろうとおもいます。
よく、牛鬼とセットになっているのが雨女です。村の若者が雨のしとしと降る中を歩く妙齢の女性に釣られ、ふらふらと山道を歩いていくところを後から牛鬼にばっさり斬られ、持ち物と金を奪われると言うストーリーがメインです。
片川にあるのは「碑」なので、恐らくはバッサリ斬ろうとした牛鬼があべこべに返り討ちにあったパターンなのでしょう。
そんな山賊に対しても碑が建てられたと言う事ははるか昔から例え犯罪人であったとしても人を殺すという事に忌避があったと言う事なのかなと感じます。日本が平和なわけですよね。



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