生きてるんだもの

日々の事とか野生動物とか我が家の家族(ペット含む)

センブリ

2010年11月26日 | 日記
センブリの花


今年もまたセンブリの花の咲く時期になりました。というか今年は少し遅いのです。実はだいぶ前から夏から冬にかけての花の咲く時期がだんだんと遅くなっているようです。

 たとえば今年の彼岸花は御彼岸の5日ぐらい前まで全く咲いていませんでした。以前なら2~3週間は前には満開となっていたものです。7月の末から生えるサマツ(マツタケの一種)はお盆を過ぎても生えませんでした。私は養豚業を営んでいますがうちの農場ではすべて自然交配なので1年を通してみた場合の種付や出産のピーク・ボトムにも2週~6週のずれが生じてきています。これは結構大変な事態だと思うのですが、かといってどうする事もできませんので世界の恒常性を信じて土地の神様にお願いするしかないのです。

 センブリは薬草としてとても貴重です。おもに食べすぎ、胃もたれなどの時に胃薬として使います。二日酔いとかにも効くと思います。あと脇とかに塗ると毛が抜けるらしいのですが、ホントかどうか私もちゃんとやってみた事ががないのでわかりません。ってか私は男なんであんまり関係がないですし。
もともと私にセンブリの群生する秘密の場所を教えてくれたお年よりもすっかりボケが入ってしまって会話をするのも不自由な状態なので、結局、年頃の娘さんの為の秘密の腋毛処理法は永遠の謎※となってしまいました。

※注釈 これを書いたときは塗ると毛が抜けると聞いたように思い込んでいたのですが実は私は大変な勘違いをしていたようで、「毛を生やす効能」があるのだそうです。期待した人、ゴメンナサイ。

 センブリは日当たりのよい、赤土と砂地が半々にまざった水はけのよい場所に生えます。背丈は15cmぐらいの大きさで白い小さな星型で青いスジの入った可愛い花が咲きます。薬に使えるのは花の咲く時期のセンブリだけです。他の時期のものでも使えると思うのですが、御年寄りからは花の咲く頃に摘みに行くように言われました。なぜだかはわかりません。
 当時片川地内には条件に当てはまる場所は4~5箇所ありましたが、20年以上前に紀宝町桐原から片川を県道35号線で結ぶ工事を行った際にそのうちの一箇所の大部分を道路のアスファルトが覆ってしまい、その場所のセンブリは無くなってしまいました。

 数年後、その道の脇にセンブリの小さな可愛い花が復活しているのを見つけ、なんとなくうれしい気分になりました。が、それも束の間。世間には薬草に詳しい方も見えるようで花の咲くたびに根こそぎ抜いていかれてしまい、結局今ではその場所にセンブリが生える事はなくなりました。




ちゅうやんの話 その2

2010年11月25日 | 徒然
ちゅうやんとはやぶさ

 で、その和犬ぽい雑種のちゅうやんなんですが、4-7歳の充実期にはいろいろな武勇伝を残してます。が、今日はちゅうやんが叱られた話。
 
 ある秋の事ですがちゅうやんが朝早くから毎日のようにいなくなるようになりました。山奥の限界集落ですし、近所の御年寄りにも可愛がられているちゅうやんは放し飼いだったので、いつでも好きなときに好きなところに行けるのでした。そんなわけでちゅうやんが早朝からいない日が続いても、どうせ近所の御年寄りの家でご飯でも貰ってるんだろうぐらいにしか思わなかったのです。

 毎年秋になるとハヤブサが片川の里にやってきます。少し遅れて御正月ぐらいの時もありますが大体は秋が深まった頃やってきて遅くとも梅雨の前にはいなくなります。春はいる時といない時があると思います。
 ハヤブサはその名のとおりとても速い鳥です。片川ではハトとかを食べているようですが彼らの狩の様子を見ているとハトが遅いので何度も追い抜いてしまったり、木や壁にぶつかってしまったりといろいろ苦労しています。
 ハトをセスナ機にたとえるならハヤブサは音速のジェット戦闘機です。空中戦の様子をなんどか写真に取ろうともしましたがカメラで追う事すら難しいのです。それから、こいつらは多分とてつもなく長生きしてると思います。下手したら毎年来てるハヤブサは私が子供のときから生きてるんじゃないかと思ったりします。以前片川の奥に住んでいた大鷲などはあるおじいさんのおじいさんが子供の頃からそこにいたらしいですから、鷲とかこういう連中は長生きなんでしょう。

 ある朝、その事件はおきました。
 いつものように巡回から帰り玄関から入ってきたちゅうに私の父が声を荒げて「ちゅうっ!何を咥えてきた!」としかりつけました。見ると口には一撃で首をかみ殺されたハヤブサが情けない様子でぶら下がっています。

「あぁ、こりゃもう駄目だ。完全に死んでるよ、、。」かなり悠々と帰ってきたところをみるとちゅうやんとしては、
「してやったり、大勝利。どうれ、戦利品を人間どもにも見せてやるか」
とでもいった具合だったのでしょうか。ここのところの早朝巡回と合わせて考えれば、どうやったものかはわからないけど自分のテリトリーに入ってきたハヤブサとなんらかの確執があって、結局しとめてしまった、、という事なんでしょう。叱られて驚いたちゅうやんはしぶしぶ戦利品を離すと不貞寝してしまい、その間にハヤブサは余りにも惜しいので剥製にされる事になりました。この剥製は現在も私の父の家にあります。今思うとあのハヤブサ、あの年の若いハヤブサだったのだろうな、、と思います。
普通、犬にやられるような間抜けなハヤブサはいませんもの。

http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry?fid=newentry&iid=b64cd40f4fef2553a0948bd04f2f4558#
※虫干し中のハヤブサの剥製

ちゅうやんの話

2010年11月18日 | 徒然
ちゅうやんの話

ちゅうやんは10年ほど前まで我が家で飼っていた犬です。
ホントの名前は「忠」の一文字。15歳ぐらいで老衰で亡くなりました。

 当時は私もあまり良くわかっていなかったのですが特徴などからするとかなり純度の高い和犬だったように思います。

 ちゅうやんは代々うちで飼われていた犬の末裔で、最初の犬は廉(れん)という名前でした。これは当時和歌山県の古座周辺で使われていたマタギ犬、いわゆる古座の地犬とよばれていたものの子を貰ってきたもので色は茶、堂々とした立ち姿、主人と自分に敵意を示さないものには寛容な性質、泳ぎが得意で水かきがあるなどの特徴がありました。
 廉はやがて「れお」という子供を残し、れおは「ばん」という子を、ばんは、「ばつ」を、ばつは「びり」、びりはビーコを残しました。どれもメスなのですけど、このメスたち、なぜか自分に良く似た形質のオスを見つけてきては子供を生むのでいつも同じような犬が我が家には飼われているという状況がずっと続いてたようです。

 そしてビーコが残した子供がちゅうやんなのですけど胸幅広く風格のある体つき、斜めに狼のようにたらしたさし尾、だれもが「この犬、なんだかライオンみたいな雰囲気ね」というぐらい存在感のある犬でした。体高は60cm弱。和犬としてはかなり大型の部類に入るでしょう。ちゅうは泳ぎが得意で子供たちと一緒に川泳ぎを楽しむ、時には潜ったりもするなど普通の犬では考えられないような事が出来たのですが、当時の私はかわった犬だなぁとぐらいにしか思っていませんでした。

 おそらく、ですが、ちゅうを最後にこの犬の系統は絶えたと思います。あとから聞いた話ですが地元では昔、紀州犬には白い紀州犬と茶色の紀州犬がいるという認識があったそうなのでちゅうのご先祖は茶色の紀州犬と呼ばれるものだったのかもしれません。※そのほかに斑や虎毛というのもいたそうです。

ちなみにちゅうが最後に残した子供は「つんこ」といいますが、この子は白でした。見た目もちゅうの面影はあるもののいわゆる雑種然としたものです。性質はちゅうによく似ています。尾はたらさずに少しまきます。よく物事がわかっていて家族からはとても愛されています。

 現在では日本中で地犬の保存会などがあって、その土地々の和犬を保存しようと努力されているようですが各地で千年以上も続いてきたとういう和犬の血がどんどん絶えていく状況はなかなか好転できず、近親のみの袋小路に入ってしまった品種も多いと聞きます。残念なことですね。

11月17日

2010年11月17日 | 日記
ブログを書くことになりました。
ってか、書きます。
まぁ、仕事の事とかここ片川周辺地域の事、ここで住んでる野性の動物の話でも書いてこうと思ってます。

 私の住んでいるところ片川は「限界集落」と呼ばれるもので、昭和の頃には筏師(イカダ)の人たちの通り道として栄え、それなりに人口もあったのですが、私の若い頃に人口100人ぐらいの集落になり、現在では13人の方々が細々と世間からの隠遁生活(隠居?)をされているのみとなりました。
口伝えで年寄りから聞いた事とかも私の後には伝えられる人もいませんし。ネットなら世界が平和な限りは残るかもしれません。

 多分私が最後の一人になるんだろうな、、という予感は小学生の頃からありました。片川の中心にかつては小学校だった片川公民館があるのですがそこの壁に私の落書きがあります。
How are you? and How you were?
小学生の時の私に、いかに私があったかと聞かれるのには辛いものがあります。まぁ一言で言えば「どうにもならんかったわ」ってところでしょうか(笑)

 近いうちにビデオを撮ろうと思うのですよ。今残っている御年寄り達と一緒に。んで、そこで「片川を訪れてくださった方、もしかすると片川出身の御子孫の方、私たちはこの里を守ることが出来ませんでした。今住む場所で元気に頑張ってください」ってな感じで最後のメンバーでお話して、最後まで頑張った人が自己紹介して。あとちょっと歴史とかも語って。それを公民館を誰かが訪れたら画面に映し出すような感じで。電気代とかどれぐらいプールしとけばいいのかなぁ?