短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第10回 『ばらの騎士』と短歌連作 ユキノ進

2018-11-27 00:18:47 | 短歌についての散文

 短歌と絡めて他のジャンルの文芸や美術、音楽を考えるのが好きで、歌会の後の懇親会などでよく歌人と語る。いくつか持ちネタがあって、例えばこんなテーマだ。
・「手紙魔まみ』とネオテニー
・虫武一俊とホンマタカシの『TOKYO SUBURBIA』
・赤坂憲雄と『つららと雉』
・組写真と自然詠
・山下翔はサチモスである
そして今日はここで「『ばらの騎士』と短歌連作」について書く。

『ばらの騎士』はリヒャルト・シュトラウスの有名なオペラで、初演は1911年。オペラがヨーロッパの文化の中心だった最後の時代だ。19世紀に隆盛のピークを迎えたオペラは、20世紀に入り映画やミュージカル、そしてスポーツイベントなどに人気を奪われていく。一方では前衛化し、もう一方では“年寄りの趣味”になることでオペラは大衆性を失ってゆく。なんだかどこかで聞いたような話だ。


それまで数世紀にわたり人気を誇ったオペラだが、内容は実はとても類型化していて、ストーリーは大体ふたつのパターンしかない。義理と人情の板挟みの苦悩の果てに誰か(あるいは全員)死ぬ話か、権力を持ったセクハラ野郎から若い娘を救い出す話のどちらかだ。どちらも予定調和のくだらない話なのだが、音楽が乗ると人物やストーリーがいきいきしてとても魅力的なものになっていく。平凡な題材が韻律によって魅力を増すのだ。

『ばらの騎士』はそれらの類型的なオペラとは少し異なる。ストーリーのベースは野卑な男爵が権力にものを言わせて若い娘に望まない結婚を強いるもので、セクハラ領主パターンを踏襲している。『ドン・ジョバンニ』や『フィガロの結婚』などモーツァルト作品の主題を援用しており、本歌取りと言ってもいい。しかし『ばらの騎士』の中ではこれはサブストーリーに過ぎない。うつくしい元帥夫人と愛人の不倫と別れがメインストーリーとなっている。大人の恋だ。

前世紀までのオペラは純潔が尊ばれる倫理観を貫いていて、不倫カップルは社会から罰せられて死ぬか、改心して妻や夫のもとに帰っていく。しかし『ばらの騎士』の元帥夫人は悩みながら静かに身を引くことを選ぶ。不倫の後ろめたさからではない。若い愛人の心がすでに自分のもとを離れつつあることに気づいたからだ。その微妙な心の揺れに観客は共感し、胸を打たれる。新世紀の価値観を丁寧に掬い取っているのだ。


またこのオペラの中にはいくつかの「虚構」が盛り込まれている。

婚約の儀に花婿が花嫁に銀の薔薇を送るという18世紀のウィーンの上流社会の風習が物語の鍵となっている。「銀の薔薇」とはまるで前衛短歌の道具立てのようだ。しかもこれはまったくの創作だという。劇中で印象的にワルツを踊るシーンがあるのだが、ワルツもまたその時代には存在しなかった音楽である。虚構がドラマを盛り上げているのだ。

そしてワルツと言えばヨハン・シュトラウス。このオペラではヨハン・シュトラウス、モーツァルト、ワグナーの三人の作曲家から借りてきたモチーフが多用される。影響されたというより、まるで切り取ってきたかのようにそれぞれの作曲家の作風が転用されているのだ。18世紀、19世紀のオペラの歴史をたどり、その繁栄の頂点であり終わりを象徴するような作品となっている。サンプリング、ポストモダン的とすら言える。短歌で言えばニューウェーブだろうか。


リヒャルト・シュトラウスはモーツァルトのある2小節を自分のものにできるのなら、自作のオペラ数編を差し出してもいい、と指揮者のカール・ベームに語ったそうだ。『ドン・ジョバンニ』第一幕のフィナーレ近く、盛り上がる宴が突如告発の場に転換する場面だ。そのたった2小節でモーツァルトは、生の喜びを地獄に橋渡しするのだという。

自分のオペラ数作はモーツァルトの2小節分の価値しかない、というのは悲しい覚悟だ。しかしリヒャルト・シュトラウスは自分がモーツァルトのように凝縮された数小節を、一曲のアリアを書けないことを知っていたからこそ、3時間のオペラでその世界をつくっていったのだ。『ばらの騎士』にはいくつかの虚構を含めた多くの仕掛けが仕込まれている。時代の精神があり、オペラの歴史が組み込まれている。生命の喜びと陶酔があり、怒りと悲しみがある。


短歌の連作をつくっている時、歌集を編んでいる時に、僕はしばしばリヒャルト・シュトラウスと『ばらの騎士』のことを考えた。自分には葛原妙子のような凝縮された一首は書けないかもしれない。しかし30首の連作ならば永遠と瞬間を同時に切り取ることができるかもしれない。一冊の歌集なら詩情のない情景に詩を詠むことができ、だれよりも鋭く隠された世界の悪意を暴くことができるかもしれない。そう思いながら『冒険者たち』という歌集をつくった。

『ばらの騎士』の甘美でありながら複雑な旋律を聴いていると、短歌連作にも大きな可能性があるのではないかと思えてくるのだ。


※『ばらの騎士』ぜひ聴いてください。序曲から最後の1秒までずっとすばらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=WtpqtDt7EeQ&t=6488s




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