短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第11回 高校生の短歌――みずみずしい感性  喜多昭夫

2019-04-07 00:33:32 | 短歌
高校生の詠む短歌はみずみずしく、大人には真似のできないところがある。いくつか紹介してみよう。

「生茶」より「綾鷹」がいいと言う君は私のどこがいいと思うの 小島 和

つき合っている彼氏だろうか。「生茶」より「綾鷹」がいいと言う。どちらも緑茶であることに変わりはない。ただ、味に微妙な差異があり、彼氏はそこを見分けることができるのだろう。
「君は私のどこがいいと思うの」――非常にストレートな問いかけである。他の女の子と私の違いって何なのだろう? 彼氏を試していると言うよりも、「私」の良さを教えてほしいという願いのようなものだろう。
商品名を大胆に取り入れて、生彩がある。ドライな語り口も魅力的である。現代を生きる若者の感性がまぶしい。

数学を教えてもらうそのかわりバッハのカノン君に聴かせる 森 はるか

数学の分からないところを教えてもらう。その御礼にバッハのカノンを弾いてあげたのだ。
ただそれだけのことだけれど、心が満ちていくような至福感があり、こちらも幸せのおすそ分けをいただいたような気持ちになる。ことさら恋愛の感情を打ち出していないところが、この歌の魅力を高めているように思われる。
「数学」という教科のチョイスも良い。四音の教科名ならば、「世界史」「日本史」「生物」「漢文」などもあるが、「数学」が最も座りがよい。
数式の持つ美しさとカノンの音階の美しさとがバランスよく釣り合っているためだろう。「聴かせる」という能動性にピンと糸を張ったような強さがあり、この歌の読ませ所といってよい。このうえなくみずみずしい歌にしあがっている。

乗り換えのホームでビルの隙間から見える花火が少し新鮮 二枝 紗莉惟

「乗り換えのホーム」「ビルの隙間」という限定性が花火を新鮮なものに見せている。花火を期待していたわけではなく、偶然、見かけたのだろう。
花火の歌の多くが、花火を意識して見つめているのに対して、この歌のふらりとした花火の見え方というのは、すこしどころかかなり新鮮なものといえるのではないだろうか。
「花火が少し新鮮」という歌い納めも面白く、現代を感じさせる。軽妙な才気がなんとも楽しい。

大陸の黄砂が付いた窓ガラス日が当たるとき白く光って 南 彩歌

目が利いた写生の歌である。窓ガラスがいつもとは一変、黄砂がついている。その黄砂は風が大陸から運んできたものである。「大陸」という雄大なものと「窓ガラス」という日常を感じさせるものとの対比が絶妙である。また、色の対比(黄と白)も効果的。
下句は簡潔な表現であり、さながら言葉によるデッサンの趣がある。デッサンがしっかりしているので、映像がくっきりと立ち上がってくるのである。写生という手法を受け継いでいる高校生がいることを嬉しく思う。

流れ星夜空の中を流れてくまるで海を泳ぐように 安東 菜音

「流れ星」の歌というと祈りが込められることが多い。パターン化しやすいということだ。類型化した素材はやはり類型化した感情を呼び込んでしまう。
しかし、この歌は下句がなんともふるっている。流星が目の前をあっという間に流れてく。「まるで海を泳ぐように」。夜空が海へ早変わり。星は魚へ。マジックアートを見ているようではないか。この感性は大人には真似のできないものだ。大切にしてもらいたい。

秋の風何を求めてどこへゆく稲穂と髪をざわつかせつつ 番匠亮介

女子の歌が続いたので、ここら辺で男子の歌を。上句は「秋の風」への呼びかけ。秋の風よ、お前は何を求めてどこへゆくんだい――。その昔、雲に向かって「おうい、雲よ」と呼びかけた詩人(山村暮鳥)がいた。自然は私たちにゆったりとした気分をもたらしてくれる。
下句は「稲穂」と「髪」を並列に置いたところがとてもよい。黄金色の稲穂と黒髪のコントラストが効いている。「何を求めてどこへゆく」は自分自身への問いかけでもあるだろう。
まだ人生は始まったばかり。しようと思えば何でもできるし、なろうと思えば何にだってなれる。選択肢が多ければ多いほど、悩みも深くなる。そこを深刻ぶらずに、さらりと言いとめたことで、爽やかさが生まれた。

以上、六首紹介した。出店は一・二首目が「第三十二回現代学生百人一首」(東洋大学)より。三首目から六首目は「新泉」第六十六号(石川県高等学校文化連盟)より。
高校生の短歌を読むと、なぜか溌剌としてくる。その感性のみずみずしさに刺激を受けるためだろう。
現代は目まぐるしく動いている。その中で高校生は自然を見つめ、自分を見つめ、他者を見つめ、一歩一歩前へ進む。その折々の歌は成長の軌跡そのものといってよい。




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