短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第24回 マゾヒスティックな工場勤務 須田 覚

2020-12-20 20:28:24 | 短歌
 工場に勤めて三十年以上になる。工場とは何か。お客様の必要とする機能を持った安全な商品を、求められる品質で、必要な時に必要なだけ提供する機能である。そして会社存続のためにはコストの低減が求められる。短く言ってしまえばそんなところだろうか。
 私の勤める会社の属する某機械業界は、日本市場のみを対象にしていた頃から需要の変動が大きいと言われていた。それが今ではグローバル市場を相手にしているのだから、その変動量は以前の何倍にもなっている。そして工場の生産部門は「必要な時に必要なだけ」という目の前の課題に日々翻弄されることになる。暇な時は工場の設備が遊び、繁忙時にはフル稼働でも納期に間に合わないという状態が数年または数か月のサイクルで繰り返す。
 工場は原料や部品を取引先から買っているから、忙しい時には必死に調達をしなければならない。取引先の現場に行って頭を下げ、人員の配置にまで口を出し(時には夜勤をお願いして)部品を集めたりもする。我が社のために新しい生産ラインを立ち上げてくれた取引先に行って、「実は来月から生産が減るんです」と伝えたこともある。菓子折りと土下座で謝って済む話ではないが、そうせざるを得ない。

 このような生活を長く続けることで、私は随分マゾヒスティックな性格になってしまった。今度はどんな問題が起こるのだろうか、誰に叱られるのだろうかと、つい考えてしまう。そして(これは私なりのストレス耐性の獲得かも知れないが)、少々のハプニングやトラブルが発生してもあまり慌てなくなってしまった。逆にそんな時こそ、生きている実感を得ることができる。これは一般的にはおかしなことかも知れないが、個人として生き残るためには強い武器である。
 例えば2018年4月から始まったインド駐在では、このハプニングやトラブルだらけだった。第一歌集『西ベンガルの月』に書いたように、食事や洗濯の時間、仕事の最中、そして虫、ヘビ、野良犬、牛、物乞いとの遭遇など、生活のありとあらゆる場面がハプニングだった。そんな時、あまり心乱れることなく「この状況を楽しもう」という言葉が聞こえるようになっていた。そして、そんな時にこそ、自分の生きる力を感じることができた。「僕は今ここで生き抜こうとしている」という実感だ。

 そんな生活の中、コロナ禍は起きた。インドでは突然ロックダウンが始まり、僕らは棲家である工場敷地内に閉じ込められたが、その状況さえ楽しむことができた。会社の命令で日本に緊急避難する際も、「封鎖された高速道路」や「無人のコルカタ空港」を通過するというその異常な経験を楽しんだ。帰国後、日本でも行動が制限され、少しばかり不自由を感じることもあるが、これさえも楽しんでいる。今しかできぬこと、今だからできることが必ずあると私は知っている。自分の体や心が「生きたい」と叫ぶなら、その言葉にまっすぐ従えばいい。例えば二日酔いで胃液を吐く時に、私の意思はない。体が生きようとしている。水に溺れそうな時、体は酸素を欲しパニックを起こしている。それが私の感じる生命力だ。
 寺山修司によれば「マゾヒズムこそは、貴族の快楽であり、まったく、〈あなたまかせ〉で、できるゲーム(*)」なのだ。徹底的に受け身になる事で、新たな世界を開くことができる。
 工場勤務よありがとう! 工場勤務、万歳!! そんな気持ちで、今日からも生きていく。

(*)PARCO出版『寺山修司名言集 身捨つるほどの祖国はありや』より

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