短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第25回 ことばを踊る、または、演技者としての歌人について 沼谷 香澄

2021-02-17 15:35:19 | 短歌
 短歌とダンスは似ていると思います。それぞれの作品を鑑賞するときに、短歌の作者を見る私の目と、舞台上のダンサーを見る私の目が、似ていると感じます。表現者と作品の関係の近さが似ていると言い換えることもできると思います。
 作品を買うときわたしたちは何をみるでしょうか。
 短歌の場合はひとりの名前を目当てに歌集を買う場合が大半です。結社の叢書等では、主宰や結社の特徴に沿って、単著の集合に特定の方向や演出があると考えられる場合もあると思います。アンソロジーの場合、テーマに惹かれることもありますが、編者の名前を信頼して本を買うことが多いと思います。
 ダンスの舞台に当てはめると、叢書やアンソロジーはバレエ団や振付家が前面に出た作品、歌集における歌人に相当するのは、ダンサーだと私には感じられます。ダンスのチケットを買うときには、バレエ団と振付家とダンサーと、それらのいずれか一つ、または複数を意識します。
 そして、作品を鑑賞しているときわたしたちは誰をみているでしょうか。これが本稿の主題です。
 ダンスならば踊り手の肉体が作り出す個性を通して作品を鑑賞します。
 私が最後に見たジョルジュ・ドンの舞台は「ニジンスキー、神の道化」の改作版でした。セリフのある演劇のような作品で踊るドンは、映画で見た「ボレロ」のような、そのまま炎になって消えてしまいそうな激しさがなく、私はダンサーが演じている人物の生涯に思いをはせるよりは、ダンサーの現実の肉体の衰えを受け取って帰らざるを得ませんでした。それはドンの逝去の前年で、エイズを発症していたということは発表されていなかったと思いますが、今思い出すときにはその情報をどうしても切り離すことができません。
 さて、短歌ならばどうでしょう。わたしたちは立っている短歌作品が見せている個性を通じて作品を鑑賞します。

  ねばねばの蜜蜂のごといもうとはこいびとの車から降りてくる
江戸雪『百合オイル』


 恋愛のただなかにある女性を外側から描いた有名な作品です。「いもうと」は抽象概念であり、作者に妹がいるかどうかは作品と関係ないといえます。ここで作者の個人情報に頼らずに済む、それは作品の力だと思います。読んで満足できれば、さらに作品の外に何かを探しに行く必要はないということなのですが、その〈満足〉とは何でしょうか。描かれた情景の抽象度、大まかな言い方になりますが作品の完成度でしょう。この歌人はひらがなでリズムを作りながら一首の空気を形作るのが巧みであることを私は知りました。このやわらかな不安をもっと感じたいと思って私は江戸さんの歌集を買い求めていくことになります。
 もうひとつ、『旧市街、フレタ8』(椛沢知世・睦月都、私家版)という小さな短歌誌を紹介します。「それぞれの世界の手記」という共作の間に、個人の連作が数作品配置されるという構成です。1往復分、本の中で見開き2ページ分から一部を抜き書きします。


Tomoyo.K 2020/09/03 Thu

 むっと空気が重たい、と思ったら雨が降ってきた。大雨に、慌てて窓を閉じる。窓を閉じても雨音がする。
 (中略)
 窓の向こうが晴れて明るくなってきた。もう一度窓を開ける。まだ、雨のにおいだと思う。どこかの家からワイドショーの声が聞こえる。今日も暑くなりそうだ。

 窓際のぬいぐるみにひかりがさして予感のように色褪せること


椛沢知世「それぞれの世界の手記Ⅱ」



Miyako.M 2020/09/10 Thu

 天沼のアパートで一人暮らしをしていた頃、一日中、部屋でISS国際宇宙ステーションの中継映像を流していた時期があった。
(中略)
真夜中、液晶画面だけが薄暗く灯って、1Kの部屋がまるごと宇宙空間に投げ出される。頭の中のノイズは真空に呑まれ、無音の眠りに引き込まれてゆく。

 地の座標と星の座標 転回し秋のはじまる夜の町浮かぶ


睦月都「それぞれの世界の手記Ⅱ」



 作品中の散文と短歌に描かれた、働き生活する〈主人公〉たちの目を通して、わたしたちは都会をしずかに見つめなおすことができます。椛沢さんの作品では、主体の身体を取り巻く環境から感じ取った空気がやわらかく写し取られます。睦月さんの作品では、主体の心をまもるために取り込まれるものごとが見いだされ、描き出されます。どちらも、描き出された情景の中心に立つ主人公の姿が美しいと感じます。
 あとがきには、タイトルの意味や、この共著が制作された背景が説明されていますが、情報が足された後も、本に登場する二人の歌人が〈演じられている〉という感覚が消えることがなく、読者である私は、作品を出て、椛沢さんと睦月さんの現実生活について本の外へ取りに行く必要がないと感じました。それは作品の力だと思います。
 別の時期に出会った二つの作品を読んだ後に残った感情(満足感)の共通項はなんだったろうと自問します。抽象化、というキーワードが見えた以上のことがまだ言語化できませんが、考え続けていけたらと思います。