短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第5回 短歌とポップミュージック 伊波真人

2017-11-30 13:59:49 | 日記
 私は短歌をメインとして創作活動を行っているが、最近、ポップミュージックの作詞をさせていただく機会が増えてきた。もともと、私はポップミュージックを中心とした音楽のヘビーリスナーということもあって、かねてより作詞にはとても興味があり、機会に恵まれ、自分が取り組んできた言語表現の経験を生かしつつ音楽制作に関われることをとても嬉しく思っている。
 短歌の創作とポップミュージックの作詞には共通する部分も多く、短歌の創作を通して身につけた、語彙力や詩的表現を洗練させていくうえでの考え方は生かせるシチュエーションが多いが、いっぽうで、実際に作詞に取り組んでみて短歌の創作との違いを感じることも多い。たとえば、ポップミュージックの歌詞には平易な言葉の表現が用いられることも多く、それらの表現は、しばしば「ベタ」と言われたりもするが、実は高度な言葉の表現で全体を埋め尽くしてしまうよりも、メロディとの相性や楽曲全体の構成を考慮し、短歌の創作での基準からすると物足りないと思われてしまいそうな平易な言葉の表現を部分的に取り入れることで、歌詞に託した感情が、よりストレートに楽曲のリスナーに伝わることも多いのだ。平易な言葉の表現が使われることも多いことから、作詞は一見すると敷居が低いようにも思われがちであるが、背後ではそのような選択が行われており、そのためには作詞ならではの考え方が求められるのである。ポップミュージックの作詞に取り組むことは、普段とは違う角度から短歌という表現の特性について考えることにもなり、非常にいい機会となっている。
 私のようにポップミュージックの作詞を行う歌人は限られるかと思うが、リスナーとしてはどうだろうか。
 たとえば、こんな歌がある。

  スティービー・ワンダー聴きてくきくきの煮芹を食へば春深みかも
                      高野公彦『雨月』

 高野のように、短歌結社の選者を務めるような歌壇の中心的な位置にいる歌人がミュージシャンを歌に詠み込むときには、クラシックミュージックのミュージシャンを詠み込むことが多い印象があるが、この歌に詠み込まれているのは、スティービー・ワンダーである。そのことに私は驚いた。歌に詠み込まれていることから、高野はスティービーを愛聴しているものと思われる。高野は、私も尊敬する大好きな歌人のひとりであるが、ポップミュージックに親しみつつ歌を詠む幅広い素養が、高野の豊かな作品世界につながっているのかもしれないと、この歌に触れて気づかされた。
 私もポップミュージックのミュージシャンを、よく歌に詠み込むが、若い歌人を中心として、高野のようにポップミュージックのミュージシャンを歌に詠み込んでいるのをよく見かける。ポップミュージックが好きな歌人は、多いのかもしれない。