短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第13回 見える、見えない 戸田 響子

2019-09-06 00:36:25 | 短歌
 短歌のネタに困ると散歩に出てゆく。欲張りなのでついでにいい写真が撮れないだろうかとカメラも持参する。しかし思いのほか何もない。公園の「バーベキュー禁止」と書かれた札が草っ原にひき倒れていたのでそれを撮影する。重い思いをしてカメラを持っていってもさしておもしろいものが撮れない。重い思いというのは「重い」と「思い」がかかっている。

  バーベキュー禁止となったきっかけの人々がこの世界にいるのだ

 SNSを見ているとおもしろい写真がいっぱい流れてくる。こんなものどこにあるんだろうと、よく見ていくとなんだか自分も過去に見たことがあるような光景がいくつかあるのに気づく。おかしなことが書かれている看板、店主のキャラクターが際立つ店の貼り紙、白目をむいた犬、いびつな形の雲、ビルがうつった水たまり、塔のように重なったパンケーキ。誰でも見たことがあるようなものを価値があるものとして撮影できる人たちがいる。「見えている」人たちだ。実はその辺に詩はゴロゴロ転がっていて見える人にしか見えない。
 子供の突拍子のない行動や言動は短歌に困ったときに恰好のネタになる。あの人たちはまだこの世界に来て日が浅いので「詩」が見えているのだ。六歳になる姪も見えない私の手を引いて、そこに何があるのか教えてくれる。
 何の変哲もない在来線がホームに入って来ただけで歓声をあげ、食品サンプルをいつまでも見ている。そんなとき「なんで?」と聞いてみるといつも予想外の方向から回答がくるのだ。

  サンプルのアイスクリームは溶けぬままずっと一緒と幼子はいう

 トンネルには鬼がいるのだということも姪が教えてくれた。トンネルといっても私たちのいうトンネルとは違う。ただの高架下で、車で通過すると一瞬だけ日陰に入る場所を指している。そこには鬼だけじゃなくておばけもいるらしい。聞き取れなかったが子供番組かアニメのキャラクターの名前らしきものも列挙していた。狭い高架下に怪しいものがいすぎである。
 ちょっとおどかしちゃおうと思って、高架下を車で通過した瞬間に「アッ、ついてきたよ」といってみた。
「本当だ!」
 姪は天井を見ている。「何か」が見えているのか。姪が指さしているのは車の仕様で少しへこんだような形状になっているいつもの天井である。
「上にのってる」
 姪はクッションで頭をおおってしまった。そういわれると天井のへこみ部分が鬼の重みでへこんでいるように見えてくる。うわぁ。本当に鬼がついてきた。私にも見えてしまった。
 逆に見えていない人から何かを感じとることもある。
 仕事で履歴書を見ている。いろんな人がいる。たぶんあまり詳しくいってはいけない領域だとは感じているけれど履歴書の内容とは関係のないところだと思うのでいってしまう。
 履歴書には添え状というものがついていることがある。「採用担当様 よろしくお願いいたします」みたいなことが別紙に書かれて同封されているのだ。
 その人の履歴書にも添え状がついていた。メッセージカードみたいな白い厚紙に手書きでなかなか見事な達筆だ。裏返すとブラジャーと上半身が裸の女の人のイラストが印刷されていた。キャラクター調のかわいらしいイラストなのでいやらしい印象はまったくないが、添えられている文面を見る限りブラジャーを購入した際についてきたカードと思われる。ブラジャーのつけ方が説明してあった。
 お母さんかお姉さんか妹さんかそれとも恋人なのか、同居している誰かが捨てたものを利用したのだろう。例えばその人の家の居間にぽんと置いてあって、「お、丈夫でキレイな紙だ。これを添え状にして履歴書を送ろう」と、ペンをはしらせる。裏面にブラジャーが描いてあっても見えていない。視界に入っていてもそれをたいしたこととは思わない。
 私はしばらくその添え状を捨てられないでいた。これを書いた人の生活、見えているもの、見えていないもの。短歌のネタになりそうでならない。もやっとした澱のようなものが沈み込んでくるだけだった。