私の今年のテーマ『守るもの』その中でも、家族は優先順位が高いほうにあります。
取り分け、子どもはまだ未成年 親の責務としては当然のことであります。
子どもたちの教育を母親にまったく一任というのは、いまや許されない時代でしょ
う。といいましても、父親がこと細かに小言や叱りつけを連発することは、これこ
そ『父親軽視』の種をまくようなものであります。
よき父親として、よき仕事人として、子どもにどのように接していったらよいので
しょうか? 森信三先生(不尽先生)教育論のなかに、子どもの扱い方について書
かれていました。
勝手に思うままに62 忍耐
子どもの扱い方についてよく心得ていると思われている家庭においても、まだま
だ足りないところがあるように思われ、それは次の2つではないかと思います。
1.子どもの扱い方に関する一般的知識については、一応わかったとしても、それ
を実行に移す上での具体的、実際的な知識、即ち世間でよく言われているコツ
とかツボというような種類の知識については、まだまだ大いに不足している。
2.その上に今一つ大切なこととして、そうしたコツとかツボというようなものが、
仮にある程度わかったにしても、いざ実際にそれを実行する段になりますと、
その基盤として、親さんの方に絶大な忍耐が必要だという点
が、まだ十分にわかっていないということ。
自分のカンにさわったからとすぐに腹を立てて叱ってはならぬ とは、皆さん方
が常にお聞きになっていられることですが、そのために実際に我が子を叱ることが
なくなったかと申しますと、多くの人が合格しているという保障の出来る人は少な
いでしょう。我が子に対して怒らぬようになるということは、よほどの決心、覚悟
なくして、実行できない。
つまり、我が子を正しく育てるような親さんになるためには、非常に強い忍耐が
必要だということがお分かりになられたことでしょう 不尽先生のことば
大阪にあります高貴寺 慈雲尊者のお言葉に「忍の徳たる持戒苦行の及ばざる処な
り」忍耐というものは、色々な規律を守ったり、また苦行するよりも、はるかに大
きな功徳のあるものである と言われました。
自分の徳を積む上でも 子育てにおける忍耐心 そこに我が子の素晴らしい成長
はついていくものなのでしょうか 拝
取り分け、子どもはまだ未成年 親の責務としては当然のことであります。
子どもたちの教育を母親にまったく一任というのは、いまや許されない時代でしょ
う。といいましても、父親がこと細かに小言や叱りつけを連発することは、これこ
そ『父親軽視』の種をまくようなものであります。
よき父親として、よき仕事人として、子どもにどのように接していったらよいので
しょうか? 森信三先生(不尽先生)教育論のなかに、子どもの扱い方について書
かれていました。
勝手に思うままに62 忍耐
子どもの扱い方についてよく心得ていると思われている家庭においても、まだま
だ足りないところがあるように思われ、それは次の2つではないかと思います。
1.子どもの扱い方に関する一般的知識については、一応わかったとしても、それ
を実行に移す上での具体的、実際的な知識、即ち世間でよく言われているコツ
とかツボというような種類の知識については、まだまだ大いに不足している。
2.その上に今一つ大切なこととして、そうしたコツとかツボというようなものが、
仮にある程度わかったにしても、いざ実際にそれを実行する段になりますと、
その基盤として、親さんの方に絶大な忍耐が必要だという点
が、まだ十分にわかっていないということ。
自分のカンにさわったからとすぐに腹を立てて叱ってはならぬ とは、皆さん方
が常にお聞きになっていられることですが、そのために実際に我が子を叱ることが
なくなったかと申しますと、多くの人が合格しているという保障の出来る人は少な
いでしょう。我が子に対して怒らぬようになるということは、よほどの決心、覚悟
なくして、実行できない。
つまり、我が子を正しく育てるような親さんになるためには、非常に強い忍耐が
必要だということがお分かりになられたことでしょう 不尽先生のことば
大阪にあります高貴寺 慈雲尊者のお言葉に「忍の徳たる持戒苦行の及ばざる処な
り」忍耐というものは、色々な規律を守ったり、また苦行するよりも、はるかに大
きな功徳のあるものである と言われました。
自分の徳を積む上でも 子育てにおける忍耐心 そこに我が子の素晴らしい成長
はついていくものなのでしょうか 拝